ストーカー



 
         
 

直江のマンションに着くとすぐに、高耶は眠気を訴えた。
深夜のバイトが終わったのは午前1時。それから自転車通勤の嘉田と帰宅し、ビデオを渡し、少しだけ高耶が食事を作って出した。話し込んでいたら午前3時になっていて嘉田は帰り、高耶はシャワーを浴び、眠ったのは午前4時だった。そして物音で起きたのが午前5時。
今現在、眠たくないわけがない。

「寝てていい?」
「ええ」

ソファで寝ようとした高耶に驚き、直江は客間に布団を敷くから待て、と言った。

「ほんの少しだからいいよ。ソファで」
「ダメですよ。休んだ気がしないでしょう?睡眠は布団の中でするものです」
「……ん、わかった」

直江と一緒に和室の客間に行き、押入れから布団を出した。

「どうぞ、おやすみなさい。私はもう少し仕事してから寝ます。あそこの茶色いドアが私の寝室ですから、何かあったら入ってきて起こしてくださいね」
「うん。大丈夫だと思うけど、何かあったらな」

ニッコリと直江が笑って立ち上がった。襖を閉めるときに振り向いて、もう一度高耶に「おやすみなさい」と言った。
その笑顔で高耶の心臓が先程とは違った意味で跳ねた。

 

 

 

「ちょっと、それ困るんだけど!」

女の声で目が覚めた。室内の時計を見ると午後12時。モソモソと布団から這い出して、床に座り込んだ。
襖の向こうでは女と直江の口論らしき声がしている。

「綾子って人かな……?」

覗ける程度にそっと襖を開けて、リビングのソファに座っている直江と女を見た。
直江がスマンと頭を下げている相手は、髪の長い、肩の細い大人の女だった。

「だいたいね、あんたを信用して頼んだのよ?それをそんな言い訳して!」
「だから明日まで待てと言っているだろう」
「明日ね。それ以上は無理よ」

もしかしたら、と高耶は思った。
自分がここにいるのが直江の彼女にバレて、しかも直江の遊び相手だと勘違いして怒っているのかもしれない。
もしそうだとしたら直江に申し訳ないので出て行った。

「あの」
「ああ、高耶さん。よく眠れましたか?」
「うん、だいぶ。あの、すいません……」

女はソファに座ったまま首だけ高耶の方へ向けてじっと見た。

「オレ、ちょっと世話になっただけなんで……」
「あんたが高耶くん?」
「え、そうですけど」
「ふうん……」

なんなのだろう?値踏みされているように感じた。

「高耶さん、コレが綾子です」
「はじめまして……」

その女は特別に美人だった。直江と並んで歩いたらそれはもう理想のカップルではないかと思えるほど。
そして作家の直江を尻に敷くほど強気に輝く瞳。
すぐにでも退散した方がいいだろうと判断したが、あの部屋に帰るのは怖かった。

「今日と明日、高耶さんがここに泊まるからおまえはいなくてもいいぞ」
「なんですって?邪魔って言いたいわけ?」
「邪魔に決まってるだろう」

自分の彼女に対してなんという言い方をするのだろうと目を丸くした。

「ひどいヤツね。いいわよ、帰りますよ」
「明日の夕方まで待て。いいな?」
「はいはい」

呆れたように綾子が立ち上がり、バッグと携帯電話を持った。

「え!ちょっと待って!オレが邪魔だったら帰るから!」
「いいのよ。ここで直江を見張っててちょうだい」
「は?」
「じゃあね」

足音も荒く、綾子は帰って行った。

「……いいのか?彼女にあんな言い方したら、振られるぞ?」
「え?なんですって?」
「恋人には優しくしてやれって言ったの」

高耶が言ったとたんに直江はソファに突っ伏してしまった。

「なんだよっ」
「あっはっはっはっは!そんな勘違いしたんですか!」
「勘違いだと?」
「あれは雑誌の編集者ですよ!やめてください、笑いが止まりませんから!」

この直江の様子からして本当らしい。あの「親友です」という言葉は間違ってはいなかった。
大学講師として人文の本を書いていた時の担当で、綾子がたまたま直江の書いた小説に目を留めた。
それが小説デビューのきっかけになったのだそうだ。

「そうなんだ……」
「そうですよ。くく。残念なことに、私には恋人と呼べる相手はいません。それどころか最近は女性とは隔絶してます。講義か部屋に篭って執筆か、気晴らしにコンビニや本屋に行く程度なんですから」
「そうなの?」
「ええ。まったく皆無ですね」

よかったと高耶は思った。きっかけはどうであれ、直江に恋人がいないのが判明したのだ。
綾子が直江を信用して頼んだことというのも、同じ出版社の新人作家のデビュー作の帯に推薦文を書け、というもので高耶が心配することではなかった。

「いつもは綾子が食事や掃除をしてくれるので、いなくてもいいなんて言ってしまったんですよ」
「アシスタントさんがやってるんじゃないの?」

確か以前、直江にそう言われていたはずだ。

「すいません。あの時はわかりやすく言ったんです。編集者が食事の支度したり、掃除するなんて、そんなこと言っても高耶さんにはわからなかったでしょう?」
「うん、まあ……」
「アシスタントはいないんですよ。前に女性のアシスタントを使ってたんですけど、ストーカー被害にあったときに迷惑をかけてしまって、それ以来、アシスタントさんは雇ってないんです」
「そうだったんだ……」

直江が立ち上がってキッチンへ行き、綾子が買ってきたというスーパーの袋をあさった。

「じゃあ高耶さんが起きてきたところで、朝食を作ってください。綾子が食材を買ってきてますから、好きなものを使っていいですよ」
「うん」

直江が高耶をどう思っていようが、嫌われたりしていないのなら何でもいいと考えた。
キッチンでタマゴのパックを持って笑いかけている直江は、どう見ても高耶を迷惑だとは思っていないようだ。
休日の土日を直江のマンションで過ごし、安心して怯えることもなく、一緒に過ごせるなら今はそれでいい。

 

 

直江の生活パターンに合わせるのは少しだけ困難だったが、高耶になるべく合わせようとしてくれている直江のおかげで土日はさして支障もないまま過ごせた。
日曜の夕方に綾子がやってきて、直江が考えた帯のコメント数種を選んでいた。

「これなんかいいんじゃない?」
「いや、俺はこっちの方が自信作なんだが」

二人でやりとりしている姿を横目に見ながら、高耶が紅茶を淹れて出した。

「高耶くんはどう思う?本屋さんなんでしょ?もしポップに書くとしたらどれがいい?」

綾子が高耶の目をまっすぐ覗き込んで聞いてきた。
本屋で働く高耶はたまにポップのキャッチコピーを考えなくてはいけないことになったりもするが、だいたいは専属のポップライターがキャッチコピーも考えて書いたポップを渡してくれる。

「えーと、オレなんかが選んでいいの?」
「参考よ、参考」
「んじゃ、これ」

高耶が選んだのは直江の自信作だった。どれも良かったのだが、客に読ませたいと思わせる誘い文句が絶妙だ。

「ふ〜ん。本屋さんが言うんだったらそうなのかもね。私みたいにじかにお客さんに接してるわけじゃない人間との違いなのかしら?」
「そーゆーわけじゃないと思うけど。オレ、あんまり本読まないけど、これだったら読んでみたいと思うかな、って」
「じゃ、これにしましょうか」

コピーが書かれている原稿用紙に大きく赤ペンで丸をつけて、それを二つ折りにしてクリアホルダーに入れた。
A4サイズのクリアホルダーが易々と入る大きめのバッグに直江の原稿とホルダー、ペンケースを入れて立ち上がる。

「じゃあそろそろ行くわ。また今夜も残業決定なのよね〜。急がないと眠る時間がなくなるわ」
「ああ。お疲れ」

出て行こうとする綾子を見て高耶が思いついた。

「綾子さん。もし1分だけ待ってくれるんだったらオレも一緒に帰るから」
「え?」
「高耶さん?」
「一緒に出よう。直江、オレ、綾子さんにアパートまでついてきてもらうから」

直江から高耶のストーカー被害を聞いていた綾子は快諾して、高耶のアパートまで送ることにした。
ところが直江が反対した。

「綾子は女です。もしあなたのストーカーが男だった場合、腕力にものを言わせて綾子に被害を与えるかもしれない。女のストーカーだとしても嫉妬心から逆上してしまえばあなたも綾子も危険な目に遭う可能性があるんです。とにかくあなたは女性と行動してはいけません」

やけに力説する直江に綾子も高耶もたじろいだ。
しかし直江の言うことはもっともで、経験上からの言葉なのだと得心した。

「そうね。あんたのアシスタントもそれで辞めたんだものね。ナイフで服を切られるなんて冗談じゃないわ」
「ナイフ?!」
「そう。ナイフで服を……あ!時間ないんだった!あたし帰るわ!詳しい話は直江から聞いて!じゃあね!」

急いで靴を履いて綾子が出て行った。
高耶は直江にさっきの話の続きを聞こうとして直江の向かい側のソファに座った。

「ナイフ、って、マジで?」
「ええ……私のそばにいる女性すべてが敵に見えたんでしょう。仕事帰りに後をつけられて、暗い夜道でいきなり切りつけられたそうです。服だけで済んだのが不幸中の幸いでしたが、その件があってアシスタントを辞めたいと言ってきたんですよ。その時にアシスタントが犯人の顔を見ていれば、刑事告訴も出来たんですけどね。とにかく可哀想なことをしました」

それで綾子と高耶が一緒にいるのを危険だと判断したのだろう。

「帰るのなら私が送ります。私のような大男が一緒にいればストーカーも警戒するでしょうしね」
「うん……でも……迷惑ばっかりかけてるから」
「とんでもない。昨日と今日、とても助かっています。このまま私のアシスタントになってほしいほど」
「あはは。そんな難しいことできねえって。それにオレ、今の仕事好きなんだよ。本屋も、バーも」

直江は笑顔で諦めて、仕事が一段落ついたら高耶をアパートまで送ることにした。
それまで高耶は直江の部屋の片付けをしながら待った。

アパートまで直江に送ってもらって、ついでに直江がアパートの様子を見てくれた。
先日少し壊された窓や、覗かれた新聞受けをチェックして、アパートの中庭に変わった様子はないか、ポストに怪しい物が入れられていないか、など。

「どう?」
「大丈夫みたいですね。あなたに見つかりそうになったのがわかったのかもしれません。ですが少し強引なところがあるようなので、戸締りは厳重に、そして何かあったら私か警察にすぐに電話してください」
「うん」
「……でも、やっぱり……心配です」
「え?」
「実は……明日から3日間、別の大学で講義のために東京を離れるんです。それで……」
「ああ、そうなのか……ん〜、でもどうにかなる。警察にもツテが出来たし、友達もいるし。サンキューな。東京に戻ってきたらまたメシ作って持っていくよ」

心配げに直江が手を振って帰った。

 

つづく

 
         
   

不安一個解決。

   
         
   

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