直江が部屋に戻った音ですら高耶は驚いて身を縮める。見ていて痛々しいほどだ。
このままストーカーと対決させるなんてことは彼には無理かも知れないと思ったが、すでに警察も関わっていることだし、そう簡単に別天地へ行かれないこともわかっている。
「提案があるんですが」
「?」
「このまま、ここに住み込んで、アシスタントをしませんか?」
「…………どういうこと?」
「私の手伝いを頼みたいんです。仕事はそんなに難しいことではありません。あなたには資料整理や家事をしてもらって、私は執筆や講義の仕事をする。そうすれば高耶さんは住居には困らないし、お給料も出るでしょう?」
数日間居候させてもらってから、都内に住んでいる友人の家に移って匿ってもらおうと思っていたところだったので迷った。
しかし今は外へ出ることすら危険で、働きに出ることなどは無謀だと自分でもわかる。
それならば直江の出した提案は一石二鳥のありがたいものだ。
しかしそう簡単にはいそうですか、とは言えない。
直江には力になってもらってはいるが金銭が絡むとなると少し違ってくる。
「でも家事やるっつっても買い物とか行かれないんだぜ?そんなの雇ったって意味ないじゃん」
「買い物なら私だって出来ますよ」
「それに直江にそこまでしてもらう義理はないよ」
直江の申し出は高耶にとっては有難いどころかチャンスだと思える部分もある。
ストーカーが直江ではないとわかった時点で恋心を否定する要素はなくなった。
けれども直江が高耶をどう思っているのかはわからない。
ただ単に過去の自分と同じような状況に陥った青年に同情しているだけかもしれない。
それなのに好きな男と同居するなんて、叶わない恋に毎日悲しい思いをするだけではいだろうか。
「義理……ですか。そんなものが必要なんですか?」
「そりゃ……あんたとオレは他人なんだ……理由がなきゃそこまで甘えられないだろ」
大きな溜息をついて直江が高耶を見下ろした。
「なんだよ」
「とっくに気付かれてると思ってたんですが」
「は?」
「あなたもそうだと思っていたのも、勘違いだったってことですかね?」
「だから何が。ちゃんと言ってくれ」
焦れた高耶がソファから立ち上がって直江の正面まで歩み寄った。
直江が言いたいことなど高耶にわかろうはずがない。
「……私の勘違いだったらすいません。高耶さん、私のこと、好きですよね?」
「ああ?!」
突然そんなことを言われて、高耶の頭はパニックになる。
いつのまにバレたのだろうか、とか、迷惑がられてしまったのではないか、など。
「……そ、そりゃ嫌いじゃないけど……」
「どっち?」
「どっちって……そーゆー直江こそ、なんでそんなこと聞くんだよ」
「私は高耶さんが好きなんです。だから気持ちを確かめたくて。好きって、知り合いとか友達とかの意味ではなく、恋愛としてです。これでも人生経験は豊富ですから、予想が外れたことはここ最近ないんですが……」
嘉田の言葉を思い出す。直江はその世界では有名なバイセクシャルで……。
「な……直江……って、その、ゲイっつーか、バイなの、って、本当?だったのか?」
「はい?」
「その、ちょっとソッチ系の噂を聞いたから……」
「……私がバイセクシャルって噂、ですか?……まあ、噂は確かにありますけど、ゲイでもバイでもありませんよ?」
「だけど、その、オレのこと、好き……って?本気で?」
高耶から返って来た返答で、それほど難色ではないと悟った直江は正直に高耶に話すことにした。
まずはソファに座らせて目を覗き込みながら順序だてて話す。
「私はいたってノーマルな男です。噂は噂で、男色家なわけではありません。今まで男性に恋愛感情を持ったこともなければ、欲情だってしたことありません。だけど高耶さんだけは違ったんです。あなただけは……本屋さんで初めて見た日からどうしても気になって仕方なくて……。名札であなたの名前を知ったのも、意識してしたことです」
ゆっくりと、高耶を驚かさないように静かに話す。高耶の肩に手を乗せて、正面から堂々と伝える。
「あのコンビニであなたを見つけた時に、近所に住んでいるんだと知りました。だけど声をかけるのも怪しいし、どうしようかと悩んでいたら、あなたと夜中の道でぶつかった、というわけで」
「そ……そうなんだ……」
「バーで高耶さんと会った時は運命かもしれないって思ったんです。まさかあそこで働いてるなんて思いもよらなくて驚きました。本当ですよ?」
眉を下げて心配そうに覗き込んでいる直江の目は嘘をついていない。必死で、しっかりと言葉で伝えてくる直江を高耶は信頼している。
「……高耶さんも、私を憎からず思ってくれていると思い込んでいたのですが……違いましたか?」
「ち……違わないけど……直江のこと、好きだけど……」
「恋愛は無理、ですか?」
いきなりの告白で戸惑っていた。自分にも恋愛感情があるのだと言ってしまえば丸く収まる。
しかし高耶にとってはまず有り得ないと思っていたことで、ここ最近頻繁に起きている混乱が戸惑わせさせた。
「もうちょっと、考えさせて」
「……はい……ゆっくり考えていいですよ。待ちますから。いつまでも」
高耶の肩に置かれた手が離れていった。そこだけ寒く感じる。
寂しそうに立ち上がって後ろを向いた直江の背中を見たら、何か悪いことをしてしまったような気がしてきた。
思わず直江の腕を掴んだ。
「高耶さん?」
「あ」
「どうしたんですか?」
「……どうもしない……」
力が抜けて腕を解放する。
直江は高耶の衝動に微笑ましさを感じて笑った。
「大丈夫。断られたからって追い出したりしませんから。言い出したのは私なんですし、事件が収まるまでここにいてもいいです。アシスタントも募集中のままにしておきます」
「……そうじゃなくて、そのな、オレ、直江のこと好きなんだけどさ……イマイチ……真実味がないってゆうか……」
強気に見えても高耶はまだ二十歳にもならない半端な青年で、恋愛経験も乏しい。
こんな時にどう対処していいのかもわからない。
そこを大人である自分が察知して、リードすべきなのだろうと直江は思った。
「好きなんですか?」
「う……うん」
「恋愛って意味で、ですよね?」
「まあ……たぶん、そんな感じ」
「真実味がないなら真実にしてしまえばいいんですよ」
「へ?」
いつでも高耶が逃げられるように、ゆっくりゆっくり顔を寄せていった。
高耶が逃げる気配はない。ないどころか目を閉じて直江の唇を待っている。
柔らかに触れ合った時、ピクンと高耶の指が動いた。そして指に先導されるように直江の腕に手を置いた。
「どうですか?真実になりましたか?」
「……なった……」
真っ赤に染めた頬が幼くて愛らしい。耳にも血が上ったのか、真っ赤に艶やかに光っている。
「なあ……」
「はい」
目の前の直江の肩に頭を乗せて、恥ずかしさで眉間にシワを寄せながら直江に尋ねた。
「アシスタント、やってもいいか?」
「……ええ、高耶さんにしか出来ない仕事だと思いますよ?」
「あ……ありがと……」
「住み込みでお願いしますね」
「……うん」
背筋が凍るほどの恐怖の中で、高耶がやっと掴んだ温もりだった。
翌日から高耶はマンションに篭りきりになった。
外出は危険が伴うため、直江か千秋か警官が付き添わない限りは禁止にしてある。
綾子も協力してくれて食材や生活用品の買い物をしている。千秋も3日に一度は顔を出すようになった。
バーのバイトは千秋が来た日に電話をして辞め、詳しい事情を話した。
やはり同じようにバーにも脅迫状が来ていたらしい。察しのいい中川が千秋とも連絡を取り、さらに詳しく内情を知ると、本屋と同じく事件が収まったらまた戻ればいいと高耶に連絡をした。
ついでに怪しい客をリストアップしてくれるということだ。本屋と違って客数が少ないし、常連でない客ならばすぐにわかる。
常連は嘉田か中川の知り合いが多いことだし、少しでも怪しい素振りがあれば見破れる。
今日も千秋がマンションにやってきた。軽薄に見えて案外友達思いなところがある千秋は、直江がいないと聞くと心配して会社帰りに高耶の付き添いをしにやってくる。
「アシスタントも慣れてきたのか?」
「まあまあ。元々読書ってしなかったから、資料整理ですら字を読むのが大変なんだ」
「それでも元本屋かよ……」
直江から電話が入った。今日は大学の講義で午前中から出かけ、それが終わると出版社へと行き、今ようやくすべての仕事が終わったのですぐにマンションに戻ると言う連絡だった。
夕飯を作って待っていると言うと、嬉しそうに微笑んだような息遣いが聞こえた。
「夕飯て、何時に食ってんだよ。もう夜10時すぎじゃねえか」
「元々夜型だったからな。夕飯はだいたい11時過ぎ。おまえも食ってくか?」
「いや、俺は直江が戻ったら帰る。飯はここに来る前に食ったし」
「そうなのか。今度早めに作っておくから一緒に食おうぜ」
なんとなく高耶に余裕が生まれてきているのを感じ取った千秋は、その原因に思い当たった。
以前、嘉田たちから高耶が橘というバイだかゲイだかの男に狙われているようで、しかも高耶もそうまんざらでもない様子だったと聞いていた。
どうやら高耶と橘―――直江の思惑はお互いにピッタリと合わさったらしい。
「おまえさ、直江とデキてんのか?」
「へぁ?!」
「なんつーか、この状況ってそうとしか取れないんだけど。本当でも違ってもどっちでもいいけど、おまえが妙に元気になってきたからさ、もしかしてそうかな、と思っただけ」
見事に顔が真っ赤になっている。これでは自分からそうですと言っているようなものだ。
「やっぱそうなんだ?いいんじゃねえの?あいつがおまえを守るって言い出した時から、こうなる予感はしてたんだ。あんなに頼れる男だったらおまえを任せても安心だしな」
「変だとか思わないのか……?」
「恋愛は自由だから本人がいいならなんだっていいんだよ。気にしたら旦那が可哀想だぜ?」
「……うん……」
「だけどしょっちゅう邪魔しに来るからよろしくな」
邪魔なんてとんでもないと高耶は言った。千秋が厚意で来てくれているのはハナからわかっていることで、今日だって直江がいないのを心配して来たのもわかっている。
「ま~……二人きりの時間まで邪魔しようとは思ってないけどさ」
「なんだよ、それ……」
「そりゃ付き合ってるんだから……なあ?」
「あ……そーゆーことか……それなら……まだない……」
「ない?!」
「寝る部屋も別々だし……なんか、そーゆーのしなくていいみたいでさ」
それはない、絶対に違う、おまえの勘違いだと千秋が半分怒鳴りながら言った。
しなくてもいいなんて言える大人の男がいるわけがない。ましてあの独占欲が強そうな直江が。
「でも」
「……あ、なんかわかった。あいつ、きっとおまえの心配してるからだ。事件が収拾つくまではって思ってるんだと思うぜ。もしおまえを抱いて、怖がらせたらどうしようってな」
「怖がる?」
「ストーカーしてるのは男か女かわかんねえわけだろ?直江が抱いた時に、おまえがストーカーにやられる想像をしちまったら、って思うと、手が出せないんじゃねえのかな?」
「……かも」
あの直江のことだ。紳士で、意外に繊細で、高耶に声をかけるのを半年間も戸惑っていた男なら有り得る。
「ま、こーゆーことは本人たちのタイミングでもあるから。時期がくりゃどうにかなるだろ」
「そうかな?」
「そうだよ」
話に一段落ついたところで高耶は夕飯作りに取り掛かり、簡単なものが出来上がるころに直江が帰ってきた。
直江も姿をすでにストーカーに見られているため、出かける時はマンション前までタクシーを止めることにしている。帰りも同じく。
「おかえり。思ったより早かったな」
「お疲れ様~」
「いらっしゃい、千秋さん」
直江も千秋がわざわざ高耶を守るために来ているのを察知している。一人きりで待っていなかった高耶を見て安心した。
「夕飯、千秋さんも一緒にどうですか?」
「いや、俺はそろそろ帰らないと」
「そうですか……では今度は泊まりにいらしてください。高耶さんも毎日篭ってばかりで気が滅入りますからね」
「ああ、今度はそーする。じゃな、仰木」
「おう、サンキューな」
千秋が部屋から出て行くと、直江が着替えもせずに夕飯が乗っているテーブルから煮物をつまんだ。
「手洗って、うがいして、着替えてからだ」
「はいはい」
この部屋にいる限り、安全は保証されている。
高耶が屈託なく笑える唯一の場所を自分が作っていることに直江は満足する。千秋や綾子のような協力者もいてくれる。
そして警察も色部をはじめとしたメンバーが捜査しているはずだ。
それだけでも心強い。
「明日は綾子が午前中から来るそうですよ。もちろん仕事ですが。私も少し寝たらまた書かなくてはいけないし、明日はずっと高耶さんと一緒です」
「うん」
「あとでまとめておいてもらった資料を書斎に置いておいてくださいね」
「わかった」
高耶が何を決心しているのか直江は知らずに夕飯を食べる。
じっと高耶が直江を見ても気が付かずに。
つづく
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