たぶん、いや、確実にオレはヤバい立場にいる。
凍りつくように寒い夜、高耶は赤坂の雑居ビルに入った。エレベーターで5階に向かい、監視カメラが備え付けてある部屋の前で立ち止まる。
カメラとインターフォンの他には表札も看板もない。空き部屋かと思えるほどだが実際、中は盛況なのだろう。
インターフォンを押して待つこと数秒、スチールのドアの鍵が開いた。
奥にあるカーテンは黒で、すべて完璧に閉じられている。壁には防音が施されている。
部屋の中には数卓のバカラの台と、大小の卓、ブラックジャックのテーブルがあり、それぞれにディーラーが付いていた。
ドアを開けた案内人のような人物が高耶の前に立ち、奥の部屋へと連れていく。
ポケットには15万円。今日のタネ銭だ。
店内を一通り見回してテーブルを回る。テーブルにはディーラーの他に客が座っていてチップの代わりに現金が置かれていた。
ここは闇賭博場である。
巷のカジノバーや、換金してくれる裏カジノとは違って、現金で、しかもレートが異常に高い賭博場だった。
このところ負けが込んで明日までに返さなければならない借金を作ってしまった。約300万。もちろん闇金融で借りた金で
元金と利息合わせて300万だ。
今日はこの賭博場でどうしても勝って帰らなくてはならない。
もしも返さなかった場合は漁船に乗せられて何年も帰れないか、殺されて内臓を売られてしまうか、外国に売られて一生をただ働きとして過ごすかだ。
手持ちの15万から300万に増やさなくてはいけない。賭け金は最低5万円から。3回負ければパーだ。
高耶はカジノで使用される頻度が一番高いBeeカードがテーブルに並んでいるのを見て内心ほくそ笑んだ。
まっすぐにブラックジャックの台へ向かい、客の背後からその確率を見る。確率を見て客に運が回っているならそれに乗り、そうでない場合はケンをする。
バクチの掟は落ち目の奴の逆を行け、だ。どこのテーブルのディーラーが落ち目なのかを確認した。
ふたつあるブラックジャックのテーブルの片方を見ていて、乗り時だと感じた高耶は空いている椅子に座った。
一度目は見過ごし、二度目からベットする。自分の前のベッティングサークルに乗せたのは5万。最低金額だ。
2枚のカードが手元に配られた。エースと絵札だ。ブラックジャック。ディーラーの手元にあるカードは一枚が絵札。伏せてあるもう
一枚は何か。6だった。
高耶は賭けた5万に足して2万5千円を受け取る。出だしはまずまずだ。
それから高耶の猛進撃が始まった。一発で21になることはないが、3枚目、4枚目でほとんど21か20になる。
ディーラーの顔が青くなっていく様を見て気持ちがどんどん大きくなるが、ここで油断してしまったら落とし穴に嵌まってしまう。
いい加減ここらでゲームを変えないと目標の300万まで一晩で届かない。
そう思い、儲けた70万を持って別の台に移った。バカラだ。闇賭博は大きなカジノではないのでミニバカラが主流だ。
カードを配られて誰も賭けないバンカーに賭ける。これで勝てばいっぺんに大金が転がり込む。ブラックジャックとの差はレートだ。
レートは10万から。
バンカーに賭けたのが高耶だったため、伏せてあるカードを開けるのが高耶の役目になった。Beeカードの端っこを折るようにして
自分だけに見えるようにしてめくり、ふ、と笑みをこぼした。
そのカードを表に返す。合計で9。高耶の圧勝だった。
勝ち金80万が高耶の手元に集まる。これで150万。あと半分。
次は高耶が負けたが、その次も高耶は誰も賭けないプレイヤーに賭ける。唖然として見守る客や憮然とするディーラーをよそ目に大きく50万賭けた。
そしてまたもや圧勝。合計260万。
(ちょろいもんだぜ)
今回高耶には必勝法があった。それはイカサマ。ブラックジャックでは負けないと踏んだ高耶は一度タネ銭をブラックジャックで増やしてからバカラでイカサマをして大勝しようという筋書きだった。
有名なBeeカードをポケットや袖に仕込んで合計が9になるようにしてカードを出す。どこのポケットに何のカードが入っているかを暗記して、自分に配られたカードとすりかえる。
以前麻雀でベタ師をしていた経験からすり替えには自信があった。
あと40万。焦ることはない。イカサマは余裕を持って素早く、バレないようにやるのが肝心だ。安い賭け金でわざと数回負けて、その次に大きく賭けて勝てばいい。
そう言い聞かせて数度負け、手持ちの隠したカードで勝てるカードが配られた。
(よし、いける!)
カードをすり替えるタイミングを図って右手の袖からカードを。
「お待ちなさい」
その時突然グッと強く腕を掴まれた。
瞬間、頭から血が引いていく。イカサマが止められた。ということはイカサマがバレたのだ。
腕を掴んでいるその手から目を上げて、掴んでいる男を見上げた。
鋭い目が高耶を射抜く。
「カードを開けなさい」
男はディーラーに指示を出して高耶のカードを開けた。開いていたカードは2。今開けたカードは7。高耶の勝ちだった。
高耶はホッと胸を撫で下ろした。
「離せよ。なんだよ」
力強かった腕から解放されて勝ち金を受け取る。合計で310万になっていた。
余計な欲を出したらバクチは大きな落とし穴になる。目標金額を超えればそこで終了が高耶の鉄則だった。
「じゃ、これで」
呆気にとられたディーラーと男を睨みつけてから店を出ようとした。しかしドアの前でさっきの男にもう一度腕を掴まれた。
「大変申し訳ありませんが、お客様。こちらへいらしてください」
「オレには用はないね」
「こちらにはあります」
男の背後から体格のいい男が二人現れて高耶の両脇を取ってしまった。プロレスラー上がりなのか、柔道上がりなのかわからないが高耶より背が高く、横幅もだいぶ広かった。
男は踵を返し店の奥にある部屋に入っていく。その後を高耶は親に挟まれている子供のような格好で連れられて行った。
室内は賭博場とは違って落ち着いたインテリアで統一されている。そこのソファに投げ出されるようにして座らされた高耶は脇を抱えていた男たちに悪態をついてから黒檀の机についた男を睨んだ。
「なんなんだよ。勝たれたのが気に入らないってか?」
「そうではありませんよ。ボディチェックをしろ」
二人の男に指示を出して高耶のジャケットを脱がせた。ジャケットを裏返すとそこにはいくつものポケットがついていて、そこらじゅうにカードが仕込まれていた。
「イカサマしてましたね…ブラックジャックの時は勝ててたみたいですが、バカラはそう簡単に勝てるもんじゃない。怪しいと思ってずっと見てたんですけど、うまいことやりましたね」
「な…なんだよ!今更イカサマを見破ったって何も出来ないだろ!それがバクチの掟だ!その場で捕まえるってのが!」
「ええ、そうです。でもそれは法律ではない。今ここの法律は私です。ああ言えばここから無事に出られると思っているあたりが子供で可愛いですけど、そう簡単にはいきませんよ」
もしもここで負けを認めたら闇金で返せない時と同じ目に遭わされるのかもしれない。背筋に冷たい汗を感じる。
男は立ち上がって高耶を拘束するよう指示をだし、暴れる高耶をなんなくガムテープで腕を後ろにくくり、足首をくくり、床に転がした。
「もういい。配置に戻れ」
二人の男は部屋から出て行った。残された男の視線が高耶を捕らえる。
床から見上げた男は先程見たよりも大きく、威圧感に溢れていた。
「なんだってんだよ…金なんかないぞ。闇金に借りてるほどだ。それともオレをヤクザに売るつもりか?」
「そうですねえ…あなたの勝った金はタネ銭を差し引いても約300万ですね。イカサマのチョンボは10倍返しですから?3000万
だ。あなたの内臓を売っても、ロシアで一生タダ働きをさせても3000万には届かない。漁船に乗せても6回でしょう?30年かかる。そんな悠長な真似はできませんよ。しかもヤクザに売れば3000万じゃあなたを引き取ってくれませんから。もっと安いでしょうね」
「男娼にでもするつもりか」
「ああ、それはいいかもしれない。あなたなら仕込めば3000万なんか1年で返せそうだ。高級男娼もいいですね」
本気の目でそう言った男に高耶はひどく怯えた。オレが何人もの男に抱かれる?そんな、おぞましい。
「しかし残念ながら私はそのような仕事はしてません。その筋の方々にあなたを売ったとしてもたいした金にはならない。だからって今回あなたが儲けた金を返してもらってサヨウナラというわけにも行きません。というわけですから、あなたには私の元で働いてもらいます」
「働く?おまえの元で?」
「ええ。小手先が器用で、頭が良くて、機転が利いて、運がいい。体力も申し分なさそうですからね」
「な…何をさせるつもりだよ」
「人を数人、殺してもらいます」
サラッと言ってのけた男にも驚いたが、それ以上に自分に残された道がそれしかないのかということに驚かされた。
「闇金に借金があるのでしたら私が肩代わりしますよ。それであなたは晴れて私のものだ。いい取引だと思いませんか?」
「そんなこと!できるわけないだろうが!プロに頼みゃいいだろ!」
「プロは高いんですよ。ひとり500万。それにプロだからって信用もできないんです。それをネタに強請られることもありますから」
「じゃあ中国マフィアがいるじゃねーかよ!」
「それも今回はNGです。価格は3万円からと格安ですけどね、仕事のやりかたが汚い。何よりも、今回は中国人も暗殺リストに含まれてますから。それに今は店のことで中国人とモメてる最中なんですよ」
高耶にも多少の裏社会の知識はあった。ヤクザやプロは金が異常にかかる。中国人は最後まで捕まらないが、死体の始末が無残で汚かった。
それに今回の仕事に中国人が混ざっていたとなったら頼めない。中国マフィアは繋がりを大切にするため報復も怖いのだ。
何より最近大陸から来た中国人は金に汚い。店の金のことでモメているならなおさらだ。
「出来ないというならあなたを極道に売るしかありませんね。男娼でもタダ働きでも何でもしなさい」
「う……」
「一生の自由を奪うわけじゃない。たったの数人を殺してくれれば短期間で自由になれるんですからね。どちらがあなたにとって
いいのか、良くお考えなさい」
高耶は考えた。いまさら善人ぶるつもりはない。一般人からイカサマで大金を吸い上げ、恐喝だろうが盗みだろうがなんだってやってきた23年間だ。だけど殺人は犯したことはない。
「簡単に警察に捕まるような指示は出しません。緻密に計算して計画を練りますよ。クズを数人殺すだけだ。そんなに悲壮になることではないんですがね」
「……絶対だな?」
「ええ、もちろん。あなたが捕まれば私も捕まるんですから。そんな危ない橋は渡りませんよ」
「だったらテメエでやればいいじゃねえか」
「残念ながら私は忙しくてね。ここの経営もあるし、アリバイがないのはまずいんです」
これこそ窮状ってヤツじゃないのか?選ぶ道はもうない。
「わかった。やってやる。一生を息が臭いオッサンやバアサンに抱かれたり、わけわかんねえ外国で働かされるよりマシだ」
「商談成立ですね。でしたらあなたは今日から私のマンションに住んでもらいます。借金はどこの組から借りたんです?私が返してきますよ」
「武田会系・高坂組の、高坂ってヤツだ。高坂組のボンボンだよ」
「ああ、彼ですか。あいつ、嫌なヤツですからね。返せなかったら男娼どころかとんでもない目に遭わせられますよ」
それは何だと聞きたかったが聞いたら恐怖が体の芯まで凍えつかせるに違いない。
「明日、返してきますから」
「……くそ…」
たぶん、いや、確実にオレはヤバい立場にいる。
つづく
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