カイナ


 

※専門用語・隠語などは各ページの最後に解説しています※

 
         
 

なんて最悪な男だ。オレが殺したいのはおまえだよ。

 

「すいませんが、失礼します」

縛られたままの高耶のジーンズのポケットを男が探る。右の尻ポケットに携帯が入っていた。他には財布がジャケットにあったが
こちらは小銭しか入っていない。ジャケットに入っていた勝ち金は直江がすでに奪っていた。

「お名前は?」
「テキトーに呼べば?」
「そうも行かないでしょう?あなたの借金を返すのに名前が必要だ。偽名じゃ高坂は貸しませんからね、私にも本名を教えてください」
「仰木…高耶」
「仰木高耶さん。いい名前ですね」

男は内線で先程の案内人を呼び出し、高耶の携帯とイカサマでの勝ち金300万を渡してから高坂に、これで借金を返しておけ、
と言った。
本気で肩代わりをするつもりらしい。

「ああ、それと黒田に連絡を」
「はい」

黒田という人物が何か関係してくるのかと思ったが、今の高耶にはわかるすべもない。
芋虫のように床でのた打ち回って、この拘束をどうにかできないかと考え手を擦り合わせるようにすると少しだけガムテープの粘着が緩んだ。

「もうすぐ解いてあげますから、大人しくしてなさい」

木製の飾り棚から男が何か出した。床に転がっている高耶からはそれが見えなかったが、何かがパキンと割れる音がしたのはわかった。
高耶の正面に回った男が腕を取った。
今がチャンスとばかり、高耶は男に頭突きをくらわせて、男の顎左側にヒットさせた。
男の唇が切れて血が滲む。

「ハッ!ざまあみろ!」

うまくいけば脳震盪を起こしてしばらくは動けない。その隙に緩んだガムテープを外してしまえば!

「威勢のいい坊やだ…こんな状態になっても私から逃げ切るつもりとはね。ますます気に入りましたよ」

男は脳震盪どころか何のダメージも受けていない様子で高耶の頭を鷲掴みにして床に押さえつけた。
その衝撃と摩擦で額が熱くなって、かすり傷ができた。

「私から逃げようなんて、二度と考えられないようにしてあげますよ」

一度、高耶の頭を持ち上げてから、再度床に叩きつける。脳震盪を起こしたのは高耶だった。
その高耶の腕を取り、袖をまくった。強く握って腕の血管を出す。そこへ痛みが走った。

「なにすんだ!」
「おとなしくしてもらうだけです」

床に口が割れたアンプルの空瓶が転がっている。
血管に針が刺さる感触がする。注射器だ。必死で動こうとしたが男の腕はガムテープの拘束よりも強く、逃れられそうもない。

「なにを…!しや…がった…」

意識が朦朧としてくる中で、高耶はヤバイ薬を打たれたのではないかと思う。しかしそれも5秒で終わった。
味わったことのない浮遊感に身を任せて、高耶は意識を飛ばした。

 

 

目が覚めたのは昼間だった。知らない家の知らないベッドにバスローブ姿で寝かされている。
室内の時計は午後12時過ぎ。

「どこだ…ここ」

起き上がろうとしたら腕がロープでベッドに括り付けられていて起き上がれない。足は毛布が掛かっているがどうにか自由だ。
しかしこんな状態ではロープを外すことは無理そうだ。

「目が覚めましたか?」
「おまえ…」

ドアに昨夜の男が寄りかかって立っている。こちらもバスローブ姿だ。無理矢理犯されたのではないかと体中の神経を尖らせた。

「何もしていませんよ。俺にも選ぶ権利というものがありますからね」
「…なんでおまえがここにいるんだ」
「私のマンションに住んでもらうって言いませんでしたか?」
「そうゆうことか…昨夜、あれから何をした」
「正確には昨夜ではありません。一昨夜です。あなたには丸一日眠ってもらいました。その間に色々と調べさせてもらいましたよ」

男がベッドに近付いてきて手にしていた書類を読み上げる。

「仰木高耶さん。松本出身、現住所は板橋区下赤塚。年齢は23歳。もっと読みましょうか?」
「どうせ高坂にでも聞いたんだろ」
「あいつがそんなに親切なわけないでしょう。本名と携帯電話さえあれば、いくらでも調べることは出来るんです。伊達に裏社会に
いるわけではありませんよ。あまり甘く見ない方がいいですね」

鋭い光をたたえた男の目が、これは嘘ではないと語った。

「では改めて読み上げます。高校を卒業後に上京、1年間フリーターをしてからパチンコから入って麻雀。その後はなしくずしにカジノバーに移行。カジノでも麻雀でも腕のいいサマ師になったそうですね」
「そんなことまで…」

男は自分の黒いバスローブのポケットから携帯電話を取り出した。高耶のものではない。

「見ますか?」
「…………」

携帯の画面を見せられた高耶の顔から血の気が引いた。全身に鳥肌が立つ。

「これは……」
「ええ、あなたの妹さんです。茨城の大学へ行ってるそうですね。ほら、キャンパスが写ってるでしょう?」

そこには高耶の一番大事な妹、美弥の姿が写っていた。大学の構内で笑顔で友人と談笑する姿だった。
美弥の学費のために、バイト代では足りなくなってギャンブルに手をつけた。思ったよりも才能があると踏んだ高耶はその後イカサマにも手をだし、その金を美弥に送っていたのだ。先日の借金も最初は美弥のためにと稼いだ金をもっと増やそうとして失敗して出来た借金だった。

「とても可愛いお嬢さんだ。お兄さんの失敗のために大学を辞めて風呂に沈められたら可哀想ですよね?」
「てめえ…!!」
「妹は関係ない、とでも言いますか?関係大アリですよ。家族は一心同体なんでしょう?あなたの借金は妹さんと、お父さんが返す、当たり前でしょう」

物腰は柔らかいが、とんでもないことを言う男だ。妹をソープに売り飛ばすなんて。

「そんなわけですからね、あなたは私の手足になってもらいます。あなたが私の指示に従って行動しているうちは妹さんには手を出しませんし、私たちの存在もしらないままにしておきます。無事に仕事を終わらせれば、妹さんは何も知らないで済みます。幸せな結婚も、可愛い子供も産めます。なかなかいい条件でしょう?」
「最低だな…」
「ええ。最低ですよ。イカサマで勝とうとするお兄さんも最低ですけどね」

男は口元だけで笑い、携帯電話をポケットにしまった。
逃げ場はない。男の指図に従って動くしかないようだ。

「わかったよ…わかったからもうコレ、外してくれよ」
「また私に頭突きを食らわせようとしたら、すぐに妹さんにあなたのした事を教えますからね。肝に銘じなさい」

コクリと頷いて、男がロープを外すのを待っていた。拘束が解けると腕に赤い痣ができているのがわかった。
この痣は、こいつがオレを支配している証。そう心に刻み込んで高耶は顔を上げた。どうせ人生、一度はどこかでツケを払わなければいけないのだ。バクチと同じだ。

「覚悟は出来た。まずは、何をしたらいい?」

男はその高耶の表情に感銘を受けたようだった。目を見開いて高耶の漆黒の双眸を見つめる。
顔を緩ませて笑い、高耶の内部に刻み込むような声で言った。

「私の名前を覚えなさい」
「なまえ?」
「ええ。直江、です。直江信綱」

 

 

直江のマンションのリビングへ行くと高耶のアパートにあった服が置いてあった。

「これ、どうしたんだ?!」
「持ってきたんですよ。家財道具はインド人に売りました。とりあえず、服だけ」
「なんで?!」
「もうあなたはあのアパートには住めませんからね。大家さんにもうちの若いのが挨拶して、円満に引き渡したそうですよ」

体だけではなく、何もかもがこの男の手中だ。
愕然としてリビングに置かれた衣類を見るしかなかった。

「あなたの部屋は先程のベッドルームです。本当なら子飼いの手下には部屋など与えませんが、あなたは特別ですよ。体力を落とされたらヘマしてしまうでしょう?あの部屋にこれを運んで、好きなように使いなさい。私の部屋は向かい側です。言っておきますがくれぐれも、私を殺そうなんて思わないように。あなたに殺られるようなドジではありませんけど、もし私に危害を加えるようなことがあれば、妹さんの身の安全は保障できませんからね」

悔しさで下唇を噛む。どうしようもない怒りが込み上げてくるが、高耶にはそれをぶつける場所もない。すべては自分の浅慮から始まったことなのだ。
プラスチックのケースに収まっている衣類を持ち上げ、先程のベッドルームに運ぶ。クローゼットには入れず、部屋の脇に寄せてしばらく考え込んだ。
どうにかしてこの苦境から逃れる術はないのか。男を殺して、と考えていたがそれでは美弥に危害が及ぶ。
もう男の言うままに殺人を犯すしかないのだろうか。

「くそ!覚悟したんじゃねーのかよ!いまさらブルッてどうすんだ!」

こうなったらやるしかないんだ。美弥のためにも、自分の一生のためにも。危ない橋なら何度も渡ってきた。
今回もきっと、うまくやれる。
でも、他人の命をオレが奪う?誰かの一生を、オレが台無しにする?
どうしたらいい?ああ、吐き気がする。

その時、ドアがノックされた。直江だった。

「入りますよ」

高耶の返事がないのに遠慮なしに入ってくる。バスローブから先程の携帯電話を出して高耶に渡した。

「今日からこれを使ってください。仕事が終わるまでは誰とも連絡はつけさせない。これにかかってくる電話はすべて私からだと思っていいですよ」
「…わかった。でも、一度だけ美弥と話がしたい。そうしてくれたら仕事もすぐにやるぜ」
「まあいいでしょう」

室内にあった電話機を直江が持ち上げ、内線をかけた。美弥の携帯電話に繋げと命令をしている。どうやらこのマンションには自分たち以外にも誰かが詰めているようだった。

「どうぞ。美弥さんと繋がりましたよ」

受話器を受け取って耳を当てた。

『もしもし?』
「美弥か?」
『お兄ちゃんか〜。どうしたの?』
「あのな…しばらく仕事で…携帯が通じない場所に行くんだ。心配しなくていいからな。親父にもそう言っておいてくれないか?」
『うん、わかったけど…どこ行くの?』
「…化石の採掘場。バイトを募集してて、そんでたぶん数ヶ月、かな」
『そうなんだ〜。じゃあお父さんにも話しておくから、体に気をつけてね。帰ってきたらすぐ電話してね』
「ああ、そうする。じゃあ、頼んだぞ」

電話を切るとすぐに直江がそれを奪った。電話をかけるという自由も高耶には残されていないらしい。

「さすが、機転が利きますね。化石の採掘場?それなら日本にはもうほとんどない炭鉱よりも疑われないし、真面目な仕事だと思ってもらえますよね。やっぱりあなたは頭がいい。私の目に狂いはなさそうだ」

しかし化石の採掘ときましたか、と繰り返して笑いを堪えている。

「うるせえな」
「では、そろそろ本題に入りましょうか」

 

 

なんて最悪な男だ。オレが殺したいのはおまえだよ。

 

つづく

 
         
 
この話、別に直高にやらせることなかったような気が・・・
 
         
 

風呂に沈める ・・・ ソープランドで無理矢理働かせること

インド人 ・・・ 電化製品などの横流しはインド人が仕切っていることが多い

 
         
   

1ニモドル3へススム