腕
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あなたを抱く腕を、俺にください。
「撃つなら、俺を撃て」 人間は、理解のできないものを恐怖と呼ぶ。赤司は高耶を理解できない。直江を理解できない。だから恐怖する。 上杉の指示で派手なスーツ姿の男が赤司から銃を奪い、体を拘束した。しかしそれと同時に狂ったように暴れ出して一人では対処できない。 「千秋、手伝ってやれ」 上杉じきじきに千秋に指名がかかった。上杉に言われては千秋も動かざるを得ない。 「直江」 直江の肩からの出血がひどくなっていた。上杉は周りで見ていた子分たちに直江の傷の処置をさせるため、別室へ連れて行かせ 「小僧。よくそこまで調べたもんだな」 冗談ぽく上杉が笑った。根っからのヤクザだが冗談が言えるほどなのだからとことん非道というわけではないのだろう。 「お断りします。今は直江から離れるわけにはいきません。今日はオレなんかの話を聞いて下さってありがとうございました」 立ち上がって縁側に出る。障子の裏側に若い子分がしゃがんで高耶の出てくるのを待っていた。 「直江さんのところにご案内します」 そう言って先を歩き出した。高耶の背後から声がかかった。 「直江を頼む」
直江は屋敷の玄関近くの部屋で手当てを受けていた。傷が開いただけで済んだらしく、とりあえずの応急処置がされている。 「あ、高耶さん…」 そうは言っても帰る場所などないのか、と口ごもりながら言うと、千秋が笑って色部の所に戻ってから、別の場所に移動しようと言い出した。 タクシーを呼んでもらい、色部のマンションまで戻って傷を縫い直してもらった。それで気が抜けたのか直江は痛み止めを注射されてからすぐに眠り出した。 「これからどーすんだ?住むとこ探さなきゃいけないんじゃねえの?」 これではいくら稼いでも金がかかるに決まっている、高耶はそう思った。そのためだけに金儲けに走っていたのではないのだが直江にも色々と入用があったということだ。 「しばらくは直江をここに置いておけ。上杉会長が動き出すのはすぐだろうが、片を付けるのには時間がかかる。ここが直江にとっては一番安全だぞ」 色部の提案を受けて二人は承知した。千秋は今から車を処分しに行くと言って出て行った。残された高耶に出来ることは何もなく、誘われるまま色部とポーカーをしながら暇を潰した。 「いつもの雀荘におまえさんが来なくなってみんな心配してるぞ」 カードを引いて高耶が千円札をベットする。 「それにおまえさんのエレベーターは見事だったしな」 数時間後千秋が戻り、別の車とマンションの鍵を持ってきた。さっそくそちらに移動することになり、千秋は色部に分厚い封筒を渡して玄関を出た。先に車をマンションの玄関まで回しておくと言って。
上杉の行動は迅速だった。翌日の早朝に発砲事件が起こり、歌舞伎町は騒然となった。ハジかれたのは中国人の趙。 「じゃあ、あの赤司ってやつが口を割ったってことか?」 自分が殺さなくても済んだことには安堵した。それ以前に、勝田と中国人を殺したことにも罪悪感が失せている。 「今日も直江んとこに行くけど、おまえはどうする?」 直江の持っている感情を慮れば高耶が来ないというのは千秋には酷に思えた。しかしこれからは直江に関わって欲しくないというのが千秋の正直な気持ちだ。 「じゃ、行ってくる。たぶん平気だとは思うけど、でかけるんなら用心しろよ」 色部のマンションでは直江がすでに目を覚ましていた。千秋が部屋に入ると青ざめた顔でベッドで天井を見ていた。 「直江」 温情の利く世界ではない。ましてや上杉にとっては娘と孫を赤司に殺されている。赤司を殺すにしても簡単には殺さないだろう。 「そうだな……。高耶さんは…どうしてる?」 無論、直江は気付いている。高耶に対する感情は、子飼いの駒に対して持つものではない。千秋のような弟分への感情とも違う。 「気付いては、いる。でも、どうしようもない」 直江を残して部屋を出て、色部と応接間で話した。直江は昨夜、激痛にも関わらず麻酔も痛み止めも拒否したそうだ。 色部が知っている直江はもっと冷徹で、情け容赦もなく、他人を自分の領域に入れない男だった。その直江が他人、しかも自分の飼っている手駒に対して罪を感じているとは信じられなかった。 「千秋もそうだろう?」 千秋はかいつまんで直江の感情を話した。高耶が直江をどう思っているのかはわからないが、直江は確実に高耶を愛情の対象に 「それはおまえが直江に決めさせることじゃないだろう。直江とあの子で決めることだ。余計な口出しはしない方がいい」 そうだな。直江とあいつに決めさせればいい。俺は直江の後を付いて行くだけだ。
結局、直江がいる色部のマンションに高耶は一度も顔を出さなかった。直江の傷を心配する気持ちはあったが、それ以上に自分の気持ちが整理できていない。 千秋から直江が明日戻ると聞かされた時は心躍ったが、反面では不安で一杯になっていた。 「高耶さん……」 千秋に支えられて千駄ヶ谷のマンションに足を踏み入れた直江は、玄関でドアを開けた高耶を見て息を飲み込んだ。 「おかえり」 お互いに口ごもりながら話し、高耶も直江を手伝いながら直江の寝室へ向かった。ベッドに座らせてからガウンを出し、寝かせる。 「どうぞ」 高耶がそっとドアを開けて入り、直江が手招きすると静かな動作でベッドに座った。そして背中を向けたまま話し出す。 「直江がいない間に考えたんだ。いろんなことを」 直江が黙って聞いていると話しづらいのか、それで黙りこくってしまう。仕方なく相槌を打った。 「それで、どんな結果が出たんです?」 直江の胸に不安がよぎる。高耶がどうしたいのかは聞かなくてもわかる。まずは直江から解放されて自由になることだ。 「言わなくてもいいですよ。お好きになさい」 これで最後になるだろう。この言葉を聞けばすべてが終わる。 「また、おまえに抱かれたい。その両腕で」 思いがけない一言だった。一瞬耳を疑ったが、振り向いて直江を見ている高耶の目は薄明かりの中で真剣に輝いていた。 「オレが苦しくなった時に、その腕がないと、どうしていいかわからなくて、狂うかもしれないから」 直江は視線を逸らして窓から入る明かりをみつめた。これは告白だ。彼も自分と同じく愛情を示してくれている。 「あなたの安全を考えると、それはできません」 直江から視線を外し、うつむく高耶の背中が震える。それを見て思わず右手が伸びた。腕を掴んで振り向かせる。 「だけど、あなたを離したくない。愛しています」 覆いかぶさった高耶が直江の顔まで距離を縮めた。一瞬止まり、唇を重ねる。もう止まらない。 「直江ッ……」 唇も舌も歯も貪って、ようやく銀糸を引いて唇が離れた。 「あなたを抱きしめたあの夜、泣いているあなたを見て誰かを思い出しそうになりました。だけどそれが誰なのか、ずっとわからなかった。思い出したくなくて、考えないようにして。でもわかりましたよ。……あれは、私だ。泣いていたのは私でした。妻子を亡くしてすべてを失くして、私は泣きました。震えて縮こまって泣きました。誰にも頼れなくて、誰も信じられなくて、暗闇の中で泣いて、泣き止んだ時には人間ではなくなっていました。機械になっていた。とても、冷たい機械に」 直江の目元をゆっくり撫でて、流れていない涙を掬う。 「だけどあなたがいた」 まっすぐに高耶を見つめる。大きな手で高耶の頬を片方だけ包む。 「だから、あなたを抱くことで、やっと自分を抱けた。自分は人間なのだと、知りました」 答える代わりに直江の首筋に顔を埋める。そして彼の人間らしい体臭を嗅ぐ。 「あなたを守ります。どんな危険からも、どんな罪からも。あなたのすべてを私が背負います。だから」 ゆっくりと高耶の唇が直江の顔を辿って、直江の唇に触れる。 「……あなたを抱く腕を、俺にください」 その囁きは祈りと同じだった。
世の中は善と悪とで二分され得るものではなく、人も善と悪とがその中に住んでいる。息をひそめて対峙する。
そして。
終 |
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