カイナ


10
最終話

 

※専門用語・隠語などは各ページの最後に解説しています※

 
         
 

あなたを抱く腕を、俺にください。

 

 

 

「撃つなら、俺を撃て」
「いい。直江。そいつは撃てやしねえよ」

人間は、理解のできないものを恐怖と呼ぶ。赤司は高耶を理解できない。直江を理解できない。だから恐怖する。

上杉の指示で派手なスーツ姿の男が赤司から銃を奪い、体を拘束した。しかしそれと同時に狂ったように暴れ出して一人では対処できない。

「千秋、手伝ってやれ」

上杉じきじきに千秋に指名がかかった。上杉に言われては千秋も動かざるを得ない。
千秋も竦んだ足をどうにか立たせてスーツの男と一緒に赤司を連れ去った。

「直江」
「はい」
「おまえは相変わらず、損な生き方をしているようだな。他人を庇って、自分が傷付く。今回はおまえの大事なものを奪われなかった
だけマシだったが、そうやって生きていたら命を縮めるだけだ」
「それでも、失うよりはマシです」

直江の肩からの出血がひどくなっていた。上杉は周りで見ていた子分たちに直江の傷の処置をさせるため、別室へ連れて行かせ
た。
高耶だけが上杉の前に残った。

「小僧。よくそこまで調べたもんだな」
「え?ああ、まあ。直江の…手駒ですから」
「あいつは手駒をそこまで大事にはしない。どうだ?その頭を買ってやる。ウチに来ないか?」
「直江の代わりに、ですか?」
「そうだ。直江が抜けてから頭脳戦が出来る人間に事欠いててな。今なら幹部のクチが空いたばかりだぞ?」

冗談ぽく上杉が笑った。根っからのヤクザだが冗談が言えるほどなのだからとことん非道というわけではないのだろう。
姿勢を正して床に座り、高耶が頭を下げた。

「お断りします。今は直江から離れるわけにはいきません。今日はオレなんかの話を聞いて下さってありがとうございました」
「そうか…惜しいな」
「直江を連れて帰ります。失礼します」
「ああ、後の処理はすべて任せておけ」

立ち上がって縁側に出る。障子の裏側に若い子分がしゃがんで高耶の出てくるのを待っていた。

「直江さんのところにご案内します」

そう言って先を歩き出した。高耶の背後から声がかかった。

「直江を頼む」
「……はい」

 

 

直江は屋敷の玄関近くの部屋で手当てを受けていた。傷が開いただけで済んだらしく、とりあえずの応急処置がされている。
千秋も戻ってきている。

「あ、高耶さん…」
「話は終わった。後は全部任せていいらしい。帰ろう」

そうは言っても帰る場所などないのか、と口ごもりながら言うと、千秋が笑って色部の所に戻ってから、別の場所に移動しようと言い出した。
3人以外の人間がいるところではあまり話したくないようだったので高耶も了解して頷いただけに留めた。

タクシーを呼んでもらい、色部のマンションまで戻って傷を縫い直してもらった。それで気が抜けたのか直江は痛み止めを注射されてからすぐに眠り出した。

「これからどーすんだ?住むとこ探さなきゃいけないんじゃねえの?」
「直江はバカじゃねえんだよ。マンションぐらい、あと何個か持ってる。そっちに移動しよう」

これではいくら稼いでも金がかかるに決まっている、高耶はそう思った。そのためだけに金儲けに走っていたのではないのだが直江にも色々と入用があったということだ。

「しばらくは直江をここに置いておけ。上杉会長が動き出すのはすぐだろうが、片を付けるのには時間がかかる。ここが直江にとっては一番安全だぞ」

色部の提案を受けて二人は承知した。千秋は今から車を処分しに行くと言って出て行った。残された高耶に出来ることは何もなく、誘われるまま色部とポーカーをしながら暇を潰した。

「いつもの雀荘におまえさんが来なくなってみんな心配してるぞ」
「んなわけねえだろ。いっつもみんなをカモってたんだからさ」
「カモられるのを承知で来てるんだよ。おまえさんの勝ち方は爽快だ。いつも負ける側を楽しませる。そんな玄人は少ないんだ」
「そんなもんかな?」

カードを引いて高耶が千円札をベットする。

「それにおまえさんのエレベーターは見事だったしな」
「……バレてたのか……」
「バレてたさ。しかしあれをいつやってるのかわからない。だからそれを見破ろうとしてみんな集まるんだ」
「物好きだな」
「そうだな。でも、おまえさんも、直江も、千秋も物好きだ」
「…かもしれない」

数時間後千秋が戻り、別の車とマンションの鍵を持ってきた。さっそくそちらに移動することになり、千秋は色部に分厚い封筒を渡して玄関を出た。先に車をマンションの玄関まで回しておくと言って。
高耶は出て行く前に直江の顔を見たいと思った。直江が寝かされている部屋へ行き、ベッド脇に立って直江を見つめる。
あの時、高耶を庇って自分を撃てと言った直江。どうして直江がそう言ったのか、高耶には少しだけわかる。
きっと、この男もオレの腕を愛しいと思ったのだ。
血色の悪い左腕を見つめて、またこの腕に抱かれたいと願った。

 

 

上杉の行動は迅速だった。翌日の早朝に発砲事件が起こり、歌舞伎町は騒然となった。ハジかれたのは中国人の趙。
ヘロインルートをいくつか持っている、歌舞伎町の仕切りをまかされているチャイニーズマフィアの幹部だ。
直江の持っている別のマンションのリビング。テレビのニュースでそれを見た千秋が、次の標的はこいつだったんだ、と高耶に言っ
た。

「じゃあ、あの赤司ってやつが口を割ったってことか?」
「それしかねえだろ。赤司も今頃はどっかに捨てられてんじゃねえか?直江の標的はこれで全部いなくなったってことだ」
「そっか……」

自分が殺さなくても済んだことには安堵した。それ以前に、勝田と中国人を殺したことにも罪悪感が失せている。
もしかしたら自分は、ヤクザと同じく悪に染まりきってしまったのかもしれない。
それが苛む。

「今日も直江んとこに行くけど、おまえはどうする?」
「……行かない」
「そっか。何か伝えておくことがあれば伝言するけど」
「ない」

直江の持っている感情を慮れば高耶が来ないというのは千秋には酷に思えた。しかしこれからは直江に関わって欲しくないというのが千秋の正直な気持ちだ。
直江と高耶の間に何があったのかは知らないが、直江には多少の愛情というものが芽生えてはいるのだろう。それが平時だったら千秋にとって何の関係もない。だが上杉や中国マフィアが関わっている今は、高耶の身や直江の商売に危険が及ぶ。
しばらくは高耶に協力してもらったとしても、直江が色部の所から戻って仕事を再開できる時期にはふたりを離れさせた方がいい。

「じゃ、行ってくる。たぶん平気だとは思うけど、でかけるんなら用心しろよ」
「わかった」

色部のマンションでは直江がすでに目を覚ましていた。千秋が部屋に入ると青ざめた顔でベッドで天井を見ていた。

「直江」
「ああ……どうだ?あれから、何かあったか?」
「今朝、趙がハジかれた。たぶん赤司の叔父貴も今頃は……」

温情の利く世界ではない。ましてや上杉にとっては娘と孫を赤司に殺されている。赤司を殺すにしても簡単には殺さないだろう。
数人で体を切り刻み、殺さない程度に痛めつけ、そして最後に地獄の責めを味わうがごとくの拷問で殺す。

「そうだな……。高耶さんは…どうしてる?」
「千駄ヶ谷のマンションにいる。そのことなんだけど、これから先、あいつをどうするんだ?あいつはおまえが戻ってくるまでは
俺を助けるって言ってるけど、その先。戻ったら、どうする?」
「解放するしかないだろう。仕事はキャンセルになった。高耶さんには借金立替の分以上に働いてもらった。あとは解放するだけだ」
「直江がそれでいいなら俺も安心だ」
「どういうことだ?」
「……自分で気付いてるんだろ?」

無論、直江は気付いている。高耶に対する感情は、子飼いの駒に対して持つものではない。千秋のような弟分への感情とも違う。

「気付いては、いる。でも、どうしようもない」
「それだけ理解してんだったらいいさ。おまえは今までと何も変わらずあいつに接してくれればいい。仕事は俺に任せて、揉め事は
会長に任せて、ゆっくり静養しろ」

直江を残して部屋を出て、色部と応接間で話した。直江は昨夜、激痛にも関わらず麻酔も痛み止めも拒否したそうだ。
シーツをぐっしょりと濡らすほど汗をかいて痛みを堪えている直江に、なぜそこまで頑なに拒否するのかを問い詰めた。
最初は「金がかかるから」と誤魔化していたそうだが、そのうち話し出した。
この痛みは高耶の心痛と比べたらたいしたことではない、高耶が味わった恐怖や罪悪感はこの痛みを遥かに超えているのだから、と。

色部が知っている直江はもっと冷徹で、情け容赦もなく、他人を自分の領域に入れない男だった。その直江が他人、しかも自分の飼っている手駒に対して罪を感じているとは信じられなかった。
だが直江がこうなってしまったのも、深く理解できた。
高耶は誰の中にでも、入ることができる。時にはスマートに、時には荒々しくこじ開けながら。

「千秋もそうだろう?」
「まあな……直江が直江らしくなくなるのは困るけど、何も話さなくてもあいつといると面白い。てか、楽しい」
「あの子が直江のそばにいれば仕事面でも使えるんじゃないか?」
「あー……それはそうなんだけど……」

千秋はかいつまんで直江の感情を話した。高耶が直江をどう思っているのかはわからないが、直江は確実に高耶を愛情の対象に
していることを。

「それはおまえが直江に決めさせることじゃないだろう。直江とあの子で決めることだ。余計な口出しはしない方がいい」
「こじらせるからか?」
「直江に必要なのが『悪』ではなく、あの子になったからだ」
「……さすが年の功。いいこと言うね」
「おまえは黙って見てろ。直江が黒いものを白いと言えば、おまえも白だと言うんじゃなかったのか?」
「そーでした」

そうだな。直江とあいつに決めさせればいい。俺は直江の後を付いて行くだけだ。

 

 

結局、直江がいる色部のマンションに高耶は一度も顔を出さなかった。直江の傷を心配する気持ちはあったが、それ以上に自分の気持ちが整理できていない。
直江に対して抱いているのは、愛情なのか友情なのか、それともただの勘違いなのか。いくら考えてもわからなかった。

千秋から直江が明日戻ると聞かされた時は心躍ったが、反面では不安で一杯になっていた。
もしかしたらすぐにでも「出て行け」と言われるかも知れない。確かにこれ以上の関わりを持つのはカタギの高耶には不利益だ。
これから先は自分も美弥も安心して暮らせる真っ当な仕事をして、裏社会に足を踏み入れずに生きて行くのが最善だ。最善だが。
さんざん迷って、結果、直江が戻ってくるのを待つことにした。何が待っているかなど、誰にもわからないのだ。人生は。

「高耶さん……」

千秋に支えられて千駄ヶ谷のマンションに足を踏み入れた直江は、玄関でドアを開けた高耶を見て息を飲み込んだ。
しばらくの間、高耶の姿を見なかっただけなのに、なぜ自分はこんなに迎えてくれた彼の存在を喜んでいるのか。

「おかえり」
「あの……すいませんでした……ご迷惑をかけて」
「いいよ、別に。こっちこそ行く場所がなかっただけなんだから」

お互いに口ごもりながら話し、高耶も直江を手伝いながら直江の寝室へ向かった。ベッドに座らせてからガウンを出し、寝かせる。
色部にもらっていた薬を直江に飲ませるために千秋が軽い食事を作って、直江の代わりに出勤するために着替え、車で出かけて
行った。
誰もいなくなった夜の寝室のカーテンから漏れる明かりを眺めていると、小さいノックの音がした。

「どうぞ」

高耶がそっとドアを開けて入り、直江が手招きすると静かな動作でベッドに座った。そして背中を向けたまま話し出す。

「直江がいない間に考えたんだ。いろんなことを」
「どんな?」
「必要悪のこととか、罪悪感のこととか、妹のこととか、自分の将来のこととか」

直江が黙って聞いていると話しづらいのか、それで黙りこくってしまう。仕方なく相槌を打った。

「それで、どんな結果が出たんです?」
「出なかった。何も。ふたりも殺したのに罪悪感がなくなってる。それが必要悪なのかもしれない。でもわからない。妹のことも、オレがいつまでも守ってやらなきゃって思ってたのに、そうじゃなくてもいいような気がして……自分の将来もわからない。……上杉会長にスカウトされたよ」
「会長に?ヤクザにならないかって?」
「そう。でもヤクザにはなれない。それは違う。代紋なんか背負えない。じゃあ何がしたいのかって思うと、サマ師に戻るのも違うし、世間一般みたいに会社勤めして、普通に、危険とは無関係に暮らして、結婚して、子供を作って、ってのも違う。もう無理だ。罪悪感はそこまでキレイになくなってないから。じゃあ、今はどうしたいのか考えたんだ」

直江の胸に不安がよぎる。高耶がどうしたいのかは聞かなくてもわかる。まずは直江から解放されて自由になることだ。
高耶を失うということだ。

「言わなくてもいいですよ。お好きになさい」
「うん……そう言うと思った。でも、聞いて欲しいんだ」
「……どうぞ」

これで最後になるだろう。この言葉を聞けばすべてが終わる。

「また、おまえに抱かれたい。その両腕で」
「え?」

思いがけない一言だった。一瞬耳を疑ったが、振り向いて直江を見ている高耶の目は薄明かりの中で真剣に輝いていた。

「オレが苦しくなった時に、その腕がないと、どうしていいかわからなくて、狂うかもしれないから」
「高耶さん……それは、どういう…?」
「どんなに危険でも、どんなに罪に苛まれても、おまえのそばにいたい」

直江は視線を逸らして窓から入る明かりをみつめた。これは告白だ。彼も自分と同じく愛情を示してくれている。
だが。

「あなたの安全を考えると、それはできません」
「……そっか……」

直江から視線を外し、うつむく高耶の背中が震える。それを見て思わず右手が伸びた。腕を掴んで振り向かせる。

「だけど、あなたを離したくない。愛しています」
「なおえ……」
「愛しています。あなたのためなら腕どころか命だって惜しくない。あなたを守りたい。でも」
「もう言うな」

覆いかぶさった高耶が直江の顔まで距離を縮めた。一瞬止まり、唇を重ねる。もう止まらない。
右手で高耶の頭を抱え、唇を割って舌を忍び込ませる。くぐもった吐息が漏れ、熟れた熱気がふたりを包む。

「直江ッ……」
「高耶さんッ……たかやさんっ…!」

唇も舌も歯も貪って、ようやく銀糸を引いて唇が離れた。

「あなたを抱きしめたあの夜、泣いているあなたを見て誰かを思い出しそうになりました。だけどそれが誰なのか、ずっとわからなかった。思い出したくなくて、考えないようにして。でもわかりましたよ。……あれは、私だ。泣いていたのは私でした。妻子を亡くしてすべてを失くして、私は泣きました。震えて縮こまって泣きました。誰にも頼れなくて、誰も信じられなくて、暗闇の中で泣いて、泣き止んだ時には人間ではなくなっていました。機械になっていた。とても、冷たい機械に」
「……なおえ」

直江の目元をゆっくり撫でて、流れていない涙を掬う。

「だけどあなたがいた」

まっすぐに高耶を見つめる。大きな手で高耶の頬を片方だけ包む。

「だから、あなたを抱くことで、やっと自分を抱けた。自分は人間なのだと、知りました」
「おまえは人間だよ……あんなに優しく抱く奴はいない」
「あなたを愛しても、いいですか?」

答える代わりに直江の首筋に顔を埋める。そして彼の人間らしい体臭を嗅ぐ。

「あなたを守ります。どんな危険からも、どんな罪からも。あなたのすべてを私が背負います。だから」
「うん……」
「私の傍らにいてください。いつも」
「もしこれが必要悪だったとしても、悪だと言われても、誰にも奪わせない。罪悪感は一生背負う。そうしてでもおまえのそばにいた
い。何もかも捨てたって、直江がいなきゃ……。……愛してる……直江」

ゆっくりと高耶の唇が直江の顔を辿って、直江の唇に触れる。

「……あなたを抱く腕を、俺にください」

その囁きは祈りと同じだった。

 

 

世の中は善と悪とで二分され得るものではなく、人も善と悪とがその中に住んでいる。息をひそめて対峙する。
善と悪。明と暗。光と闇。
相反するぶつかり合いの中で磨かれたものしか、本物ではない。
這いつくばり、泥まみれになり、血と涙と汗と汚物にまみれても、そこでみつける輝きこそが真の人の美しさだと直江は思った。
高耶も同じく。

 

 

そして。
直江は両腕で、高耶を抱いた。

 

 

 
         
     
         
 

お読みいただきありがとうございました!
これで「腕」終了です。
珍しく取材をしたので所々リアル
だったりします。
取材させてくれたみなさん、ありがとう!
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頂けるととっても嬉しいです。
こんなオチですいません。

 
         
   

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