カイナ


 

※専門用語・隠語などは各ページの最後に解説しています※

 
         
 

あなたを失うわけにはいかないんだ。決して。

 

 

数時間で手術は終わり、直江は麻酔で眠ったまま別の部屋に移された。

「どうだ?」
「急所を外していたのは幸いだったがな、筋肉や神経を繋ぐのに時間がかかった。出血もそう多くはないし、貫通していたからショックももうないだろうが…左腕が麻痺するかもしれん」
「麻痺…動かないってことか?」
「ああ。銃口を突きつけられて撃たれたんだろうな。ひどいもんだった。腱も繋いであるが…動くかはわからん」
「そうか…」

ふたりの会話を聞いていた高耶が色部に直江の様子を見てもいいかと聞いた。静かにしているならいいと言われ病室らしき部屋に足を踏み入れた。

「なおえ…」

酸素マスクをつけられて、土気色になった顔を覗く。眠ってはいるが死んではいない。上下する胸を見て安堵の溜息を吐いてから床に座り込んだ。
どうしてこんなに心配なのか、ようやく高耶にもわかった。
オレは直江が大事なんだ。あの夜、抱いていてくれた男を心に入れた。あの夜、抱いてくれた腕を愛しいと思った。
その腕がもう二度と自分を抱かないのかと思うと胸が張り裂けそうになる。

「高耶、ちょっと来い」

千秋に呼ばれて主のいない応接間でこれからのことを話し合った。

「おまえをもう解放しろって言われてるからどこへ行ってもかまわない…と、言いたいところだが、今の俺じゃ手に負えないと思う…。直江の部下は何人もいるけど、プライベートの直江を知ってるのは俺たちだけなんだ。もうマンションにも戻れないし、車も処分しなきゃいけない。そこらへんは俺が抜かりなくやるつもりだけど、ひとりで出来るとは思えない……」

それは高耶にもわかった。機敏にここへ直江を連れてきた千秋でもやはりこうなってしまうと頼れる者がいないのは心細いのだ。
それでも直江を守ろうとあれこれ画策している姿は健気で心を打たれる。直江と千秋の絆がわかる。

「俺たちの正体が警察にバレることはないはずだ。マンションもジムも偽名だから。店はこのまま続けていけるし、金の心配もない。
でも、直江を支えなきゃいけないんだ。俺はどこまでも直江についていくって決めてる。おまえを拘束するつもりはないが、助けてくれないか?」
「オレも、千秋と直江といるよ」
「…ただな…おまえ、直江を撃ったやつ、殺しただろ」
「あ、ああ…」
「直江が意識を失う前に聞いたんだ。あいつ、中国マフィアらしい……。これが一番の問題なんだよな……」
「……どうにかなんねえのか?」
「一個だけあるけど……本当に最後の手段で、正直なとこ、俺のタマ賭けたってどうなるか……」

その解決方法とは直江を息子のように可愛がっていた上杉会長の力を使うことだった。亡くなったとはいえ娘婿なのだ。

「会長はさ、直江が娘さんを庇って撃たれたのを知ってるんだよ……だからいまだに何かあれば直江に助力してくれる。店をやってけてんのも会長の力があってのことだし。……ここは頼みに行くしかないんだけど…俺はマジで破門されてっしな……死ぬ気で頼み込んでも、俺の話じゃ聞いてもらえないかもしれない」
「オレが行く」
「おまえが?!」
「これ以上、直江を危ない目に遭わせるわけにはいかないんだろ?オレだってわかる。次は殺される」

それしか手がないと悟った千秋は、高耶の信念と頭の良さを信じてすべてを任せることにした。
向こうの部屋の直江を見ながら、高耶は今までとは違う世界に足を踏み入れているのを自覚した。

 

 

目が覚めるとそこには千秋がいた。

「直江!目ェ覚めたか!」
「…助かったのか…」

命に別状はないと言われていたのを覚えていないようだった。あの混濁した意識の中では仕方のないことだ。
千秋は直江の怪我について詳しく話した。腕は繋がってはいるが、動くか保証がないこと。リハビリをするまでには数ヶ月かかること。
色部に支払う代金のこと。

「高耶さんは?」
「あー…あいつは…」
「もしかして、まだ出て行ってなかったのか?」

高耶に支えられて車に乗ったのすら覚えていないようだった。

「金を渡して話まではしたんだ…でも、あいつ、中止の理由がわからない限りは出て行かないっつって…」
「それで?!」
「そしたら銃声がして、おまえが倒れてて……おまえを撃った中国人を、あいつが殺して」
「……高耶さんが……?なぜ…!」
「さあな……んで、もう次は脅しはないだろうって思って…つい、話しちまった」

俺も気弱になってたんだと言い訳をしながら、千秋はすべてを話した。

「会長にだと?!なんてことを!あの人が行けるような場所じゃないんだぞ!」

起き上がろうとした直江を千秋が制した。まだ動ける体ではない。

「しょうがねえだろ!もうそれしか方法はなかったんだ!俺たちを守れるのは会長と高耶しかいないんだよ!」
「高耶さんを危険な目に遭わせるなら死んだ方がマシだ!」
「直江!」

腕に刺さっていた点滴のチューブを引き抜き、直江はふらつく体で部屋を出た。撃ち抜かれた腕がもがれるように痛む。
しかしそんなものにかまっていられるほどの余裕はない。
色部のシャツを借りて羽織り、血のついた自分のズボンをはいて、外へ這い出した。色部も止めたがそれを聞く直江ではないとわかっているのか、しばらく押し問答してから諦めた。
タクシーを拾って上杉会長の屋敷まで走らせる。いくら止めても無駄だと千秋も一緒に乗り込んだ。

 

 

普段着姿での初訪問は、この屋敷では有り得ない。
玄関で大柄な無頼漢に塞き止められたが、それに怯むほど余裕はなかった。一言、直江の命が危ないと会長に伝えろと言って、無頼漢を目で震え上がらせた高耶。

悪趣味で派手なスーツ姿の男が現れ、高耶に奥へ入るように促した。ボディチェックを受け丸腰だとわからせたが、それでも殺気が
漂う屋内を堂々と胸を張って歩く。縁側を奥へ進むと、スーツの男が障子の前でしゃがみ込んだ。

「会長、玄関で直江に関してほざいていた若造をお連れしました」
「入れ」

障子が開くとそこには初老の、大柄で、厳格な雰囲気を漂わせた男があぐらをかいて座っていた。

「そこへ座れ」

目の前に敷かれた座布団を右手でよけ、高耶は畳の上に膝をつき正座の形をとり、両腕を横に伸ばして拳を畳につけた。
頭を下げる。

「仰木高耶と申します」
「それで?直江がどうしたって?」

圧力が直江の何十倍もあった。圧倒的な存在感と、重苦しい威圧感が高耶を押しつぶしそうになるが、それを堪えて毅然と目だけを
上げた。
ここで怯むわけにはいかない。今のオレには怖いものなど何もない。

「直江が店のシノギを巡って、中国人に撃たれました」
「…そうか」
「その中国人を、オレが殺しました。やつらは今度は直江の命を狙います」
「それはおまえさんが中国人を殺したからだろう。おまえが出ていけば直江は助かる」
「…はい。そうするつもりです。ですが直江もただでは済まされません。オレの命と引き換えに、直江を守ってください」

はっ、と大きく初老の男は笑った。

「おまえさんも豪胆だな。この上杉に直江の命を救えと言いにきたのか。しかも自分のタマァ差し出してか」
「はい」
「直江にどんな世話を受けたかは知らんが、俺はそういう若い者が好きだ。おまえが死んできたら、直江を守ってやろう」
「お願いします」

目だけをやたらとギラギラさせている若者を見つめ、上杉は惜しいと感じていた。この若者なら立派な極道になれるだろうに。
自分をも射抜くその目を死なせるのには忍びない。狡猾な目でもう一度笑った。

「いい度胸だ。気に入った。おまえのタマは俺が預かろう。引き換えに直江を守るだけじゃなく、中国人も潰してやってもいいぞ」
「え?」
「歌舞伎町の店だろう?こっちもシマァ獲られて泣き寝入りするつもりぁない。あいつらは金だ。金でどうにでも転ぶ。シノギを攫っちまえば動きも取れなくなる。簡単だ」
「じゃあ…」
「ここまで堂々と俺に取引を申し込んだのはおまえさんが初めてだ。面白い」

立ち上がろうとした上杉が障子に目をやった。大声でモメる声が庭先でしている。千秋の声だった。

「うるせえ!破門だろうが何だろうが関係ねえ!通せ!」

先程のスーツの男が障子を開けるとそこには千秋に支えられながら、肩を血で汚した直江が立っていた。

「なおえ…」
「ほう。直江か。どうやらあいつもおまえさんを相当気に入っているようだな」
「あいつ、どうして…」
「あの怪我じゃここまで来るのも文字通り必死だったろうにな。おい、若造。直江をここに連れてこい」
「え、あ、はい」

裸足のまま庭に降り、千秋と直江を支えて縁側まで歩かせた。

「直江、おまえ…この怪我で出てくるなんて無茶だ」
「あなたが危ない橋を渡るよりはマシなんですよ」
「どうして?」
「さあ?」

縁側に座って一息ついてから、直江は自力で這い上がった。そして縁側でさきほどの高耶と同じように正座をした。

「ご無沙汰しております」
「まったく、おまえといい、千秋といい、そこの若造といい、どうしておまえらはそう図太いんだかな」
「それは失礼いたしました……会長。高耶さんを、私に返していただけませんか」
「どうかな。もう若造は俺にタマァ預けたんだ。こいつの命は俺が握っている」
「お願いします。お返しください。代わりに私の命も、店のシノギも差し出します」
「……中国人とモメてるんだってな」
「…はい」

しばらくの間があり、スーツの男に向かってこう言った。

「歌舞伎町を取られたのは誰だ?」
「赤司です」
「呼んで来い」
「はい」

スーツの男が消え、しばらく経って赤司が現れた。血を滲ませた直江の姿に驚いている。

「歌舞伎町で中国人と直江がモメてるらしい。赤司、おまえ、どうして早々に歌舞伎町を引き払ったのか言え」
「は…あの、我々が持っていたシノギを、中国人に攫われました。資金繰りがうまく行かなくなったのと、中国人の勢力が強まったのとで、一部のシマを持っていかれ…」
「そこに直江の店があるなァ知ってたな?」
「……はい」
「直江が店のアガリをウチに上げてたのも知ってるな?」
「はい……」
「てめえ、それを知っててどうして簡単にシマァ渡しやがったんだ!」

上杉と赤司の会話の内容には隠された何かがあるのを高耶は感じていたが、それを知るのはヤクザ社会の人間だけのようだった。
千秋が直江の後ろで目を血走らせて赤司を睨んでいる。直江は額に脂汗を浮かして苦痛に耐えながらも、冷たい視線で赤司を見ていた。

「シノギを上げる奴は俺の『子』も同然だ!その『子』を守らず、あげくにハジかれるなんざァてめえいったい組のカンバン何だと思ってやがる!」

上杉の怒鳴り声にその場にいた一同竦み上がった。全員の背中に冷たい汗が流れる。関東を仕切るヤクザの会長は嘘ではない。
高耶がゴクリと唾を飲み込み、言った。ここが決戦の場だ。

「裏で、その男と中国人は繋がっています」

目を血走らせて赤司を睨みつけていた上杉が驚愕の表情で高耶を見た。

「小僧、どうしてそれがわかる。もしそれがてめえのガセだとしたらタダじゃおかねえぞ。仮にも赤司は俺の舎弟だ。疑うってんなら
それ相応の理屈があってのことだろうな?」
「オレの持っている情報では、その男が持っていたヘロインルートを勝田に譲ったはずです。勝田はそれを持ったまま織田に行きま
した」
「それがどうして赤司と中国人の繋がりになるんだ」

どうして高耶がそんな事を言い出したのか困惑した直江が、タイミングを計って口を出そうとした。しかし高耶はそのタイミングを与えなかった。

「会長さんは直江を後釜にとお考えだったそうですが、それが原因で抗争になったのを忘れたわけじゃありませんよね?」
「俺の娘が死んだんだ!忘れるわけがなかろう!」
「娘さんを殺したのは勝田です。直江が、見ました。それが誰かは最近になってわかったそうですが、勝田にヘロインルートを譲って直江を襲わせたのはその男で間違いありません」

直江は高耶に細かい事情は話していない。たった少しの単語で高耶はすべてを飲み込んだのだ。
勝田、中国人、歌舞伎町、ヘロインルート。
高耶の頭の良さに驚嘆した。

「ヘロインは主に北朝鮮と中国が日本に持ち込んでいるのはオレでも知ってます。だけど北朝鮮のルートは関東のヤクザは持っていない。確か上杉会はシャブだけ扱ってる。ヘロインは持ってない。だとしたら、どこでその男はヘロインルートを持ったのか。そうですよね?」

決定打だった。上杉が中国人と赤司との繋がりを確信するのにこれ以上の言葉はいらない。
直江も千秋もここまではさすがに想像すらしなかった。高耶の言い分は憶測でしかなかったが、その内容はそれを超えている。

「…赤司、言いたいことがあれば今のうちだ」

娘と孫を殺し、組を裏切って中国人にシマを渡し私腹を肥やしている。これ以上の反逆はない。
いきなり怒鳴り込んできたこの二十歳そこそこの青年が、赤司のすべてを奪った。赤司はジャケットの内ポケットから小さなピストルを取り出し、高耶に向ける。
引き金を引こうとして、止まった。
高耶の目が「撃てるなら撃て」と言っていた。
なぜかはわからないが、蛇に睨まれた蛙のごとく、赤司は銃を構えたまま動けなかった。

直江が傷にも構わず立ち上がり、高耶と赤司の間に立ちふさがった。

 

 

 

あなたを失うわけにはいかないんだ。決して。

 

つづく

 
         
 
上杉会長はとっても任侠ですね。次回最終話です。
 
         
 


タマ ・・・ 命

シマ ・・・ 縄張り

ハジかれる ・・・ 撃たれる

 
         
   

8ニモドル10へススム