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あなたを失うわけにはいかないんだ。決して。
数時間で手術は終わり、直江は麻酔で眠ったまま別の部屋に移された。 「どうだ?」 ふたりの会話を聞いていた高耶が色部に直江の様子を見てもいいかと聞いた。静かにしているならいいと言われ病室らしき部屋に足を踏み入れた。 「なおえ…」 酸素マスクをつけられて、土気色になった顔を覗く。眠ってはいるが死んではいない。上下する胸を見て安堵の溜息を吐いてから床に座り込んだ。 「高耶、ちょっと来い」 千秋に呼ばれて主のいない応接間でこれからのことを話し合った。 「おまえをもう解放しろって言われてるからどこへ行ってもかまわない…と、言いたいところだが、今の俺じゃ手に負えないと思う…。直江の部下は何人もいるけど、プライベートの直江を知ってるのは俺たちだけなんだ。もうマンションにも戻れないし、車も処分しなきゃいけない。そこらへんは俺が抜かりなくやるつもりだけど、ひとりで出来るとは思えない……」 それは高耶にもわかった。機敏にここへ直江を連れてきた千秋でもやはりこうなってしまうと頼れる者がいないのは心細いのだ。 「俺たちの正体が警察にバレることはないはずだ。マンションもジムも偽名だから。店はこのまま続けていけるし、金の心配もない。 その解決方法とは直江を息子のように可愛がっていた上杉会長の力を使うことだった。亡くなったとはいえ娘婿なのだ。 「会長はさ、直江が娘さんを庇って撃たれたのを知ってるんだよ……だからいまだに何かあれば直江に助力してくれる。店をやってけてんのも会長の力があってのことだし。……ここは頼みに行くしかないんだけど…俺はマジで破門されてっしな……死ぬ気で頼み込んでも、俺の話じゃ聞いてもらえないかもしれない」 それしか手がないと悟った千秋は、高耶の信念と頭の良さを信じてすべてを任せることにした。
目が覚めるとそこには千秋がいた。 「直江!目ェ覚めたか!」 命に別状はないと言われていたのを覚えていないようだった。あの混濁した意識の中では仕方のないことだ。 「高耶さんは?」 高耶に支えられて車に乗ったのすら覚えていないようだった。 「金を渡して話まではしたんだ…でも、あいつ、中止の理由がわからない限りは出て行かないっつって…」 俺も気弱になってたんだと言い訳をしながら、千秋はすべてを話した。 「会長にだと?!なんてことを!あの人が行けるような場所じゃないんだぞ!」 起き上がろうとした直江を千秋が制した。まだ動ける体ではない。 「しょうがねえだろ!もうそれしか方法はなかったんだ!俺たちを守れるのは会長と高耶しかいないんだよ!」 腕に刺さっていた点滴のチューブを引き抜き、直江はふらつく体で部屋を出た。撃ち抜かれた腕がもがれるように痛む。
普段着姿での初訪問は、この屋敷では有り得ない。 悪趣味で派手なスーツ姿の男が現れ、高耶に奥へ入るように促した。ボディチェックを受け丸腰だとわからせたが、それでも殺気が 「会長、玄関で直江に関してほざいていた若造をお連れしました」 障子が開くとそこには初老の、大柄で、厳格な雰囲気を漂わせた男があぐらをかいて座っていた。 「そこへ座れ」 目の前に敷かれた座布団を右手でよけ、高耶は畳の上に膝をつき正座の形をとり、両腕を横に伸ばして拳を畳につけた。 「仰木高耶と申します」 圧力が直江の何十倍もあった。圧倒的な存在感と、重苦しい威圧感が高耶を押しつぶしそうになるが、それを堪えて毅然と目だけを 「直江が店のシノギを巡って、中国人に撃たれました」 はっ、と大きく初老の男は笑った。 「おまえさんも豪胆だな。この上杉に直江の命を救えと言いにきたのか。しかも自分のタマァ差し出してか」 目だけをやたらとギラギラさせている若者を見つめ、上杉は惜しいと感じていた。この若者なら立派な極道になれるだろうに。 「いい度胸だ。気に入った。おまえのタマは俺が預かろう。引き換えに直江を守るだけじゃなく、中国人も潰してやってもいいぞ」 立ち上がろうとした上杉が障子に目をやった。大声でモメる声が庭先でしている。千秋の声だった。 「うるせえ!破門だろうが何だろうが関係ねえ!通せ!」 先程のスーツの男が障子を開けるとそこには千秋に支えられながら、肩を血で汚した直江が立っていた。 「なおえ…」 裸足のまま庭に降り、千秋と直江を支えて縁側まで歩かせた。 「直江、おまえ…この怪我で出てくるなんて無茶だ」 縁側に座って一息ついてから、直江は自力で這い上がった。そして縁側でさきほどの高耶と同じように正座をした。 「ご無沙汰しております」 しばらくの間があり、スーツの男に向かってこう言った。 「歌舞伎町を取られたのは誰だ?」 スーツの男が消え、しばらく経って赤司が現れた。血を滲ませた直江の姿に驚いている。 「歌舞伎町で中国人と直江がモメてるらしい。赤司、おまえ、どうして早々に歌舞伎町を引き払ったのか言え」 上杉と赤司の会話の内容には隠された何かがあるのを高耶は感じていたが、それを知るのはヤクザ社会の人間だけのようだった。 「シノギを上げる奴は俺の『子』も同然だ!その『子』を守らず、あげくにハジかれるなんざァてめえいったい組のカンバン何だと思ってやがる!」 上杉の怒鳴り声にその場にいた一同竦み上がった。全員の背中に冷たい汗が流れる。関東を仕切るヤクザの会長は嘘ではない。 「裏で、その男と中国人は繋がっています」 目を血走らせて赤司を睨みつけていた上杉が驚愕の表情で高耶を見た。 「小僧、どうしてそれがわかる。もしそれがてめえのガセだとしたらタダじゃおかねえぞ。仮にも赤司は俺の舎弟だ。疑うってんなら どうして高耶がそんな事を言い出したのか困惑した直江が、タイミングを計って口を出そうとした。しかし高耶はそのタイミングを与えなかった。 「会長さんは直江を後釜にとお考えだったそうですが、それが原因で抗争になったのを忘れたわけじゃありませんよね?」 直江は高耶に細かい事情は話していない。たった少しの単語で高耶はすべてを飲み込んだのだ。 「ヘロインは主に北朝鮮と中国が日本に持ち込んでいるのはオレでも知ってます。だけど北朝鮮のルートは関東のヤクザは持っていない。確か上杉会はシャブだけ扱ってる。ヘロインは持ってない。だとしたら、どこでその男はヘロインルートを持ったのか。そうですよね?」 決定打だった。上杉が中国人と赤司との繋がりを確信するのにこれ以上の言葉はいらない。 「…赤司、言いたいことがあれば今のうちだ」 娘と孫を殺し、組を裏切って中国人にシマを渡し私腹を肥やしている。これ以上の反逆はない。 直江が傷にも構わず立ち上がり、高耶と赤司の間に立ちふさがった。
あなたを失うわけにはいかないんだ。決して。
つづく |
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上杉会長はとっても任侠ですね。次回最終話です。
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