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フィッターのお仕事
その1

 
   


今日は臨時のアルバイトで横浜・みなとみらいに来ている高耶。
高校を卒業後、奨学金制度のある服飾専門学校に入学した。
小学生で両親が離婚し、妹の美弥と一緒に父親に引き取られたが、その後父親は荒れて職を失い、酒びたりになって小さい子供たちに苦労をかけた。

そんな中で妹だけでも笑顔を取り戻したい、という気持ちから美弥の遊び相手をしているうちに、乞われるままにぬいぐるみや人形の服を作ってやるようになった。

自分も一時期やさぐれたこともあったが、高校で進路を決める段階になって、美弥に人形の服を作ってやってる時は何もかも忘れて熱中してたな、と改めて思い出した。
特にファッションにこだわりはないが、美弥にいつか自分の作ったドレスで結婚式をさせたいとも思った。

その結果、進路は東京の服飾専門学校に決まった。
数年前に父親も立ち直ったとはいえ、まだ金銭的に余裕のない仰木家では奨学金がないと入学できなかったという事情もあり、高耶は課題の合間にアルバイトに精を出しているのである。

普段はファッションの勉強も兼ねて代官山のちょっとオシャレな古着屋でアルバイトをしているが、たまに学校側が臨時で募集するアルバイトをすることがある。

それはファッションショーのフィッター。
イベント会社やアパレル企業から要請が来ると、勉学兼バイトの斡旋として生徒に募集をかける。

今回、高耶はメンズのショーのフィッター(レディースだと男子は募集から外される)として横浜の大規模ショッピングセンターで催されるショーに参加するのだ。
フィッターというのはショーに出るモデルに服を着せる係。

一回のショーでモデルは何度も服を変えて出ていくため、その順番や着せ方を覚え、滞りなくショーを進ませる、意外と肉体労働でもある仕事だ。
日給は平均8000円。古着屋のバイトより割がいい。しかも昼食代つき、拘束時間の半分はヒマだ。

「横浜か〜。初めて来るなあ。後でみんなを誘ってあの観覧車に乗りに行こうかな」

大きな観覧車が目の前に迫っている。それを横目で見ながら、ショッピングセンターに向かう。学校の友人が何人かいる集合場所を見つけ、そこへ走りよっていくと男女ともどもいつになく興奮していた。

「どうかしたのか?」

いつもつるんでいる矢崎が一番興奮しているようだった。

「あ、仰木。今日のモデルのメンバー、誰が来るか知ってるか?」
「いや、オレ、モデルって詳しく知んねーし」
「タチバナヨシアキが来てるんだよ!さっきここの前を通ったんだけどよー、やっぱかっこいなー。俺たちがフィッターだって知って挨拶されちゃったよ」
「へー、有名なんだ?」
「パリコレとかにも出るようなモデルだぞ。知らないっつーのがおかしいんだよ!」

そうなのか。

「誰が担当に当たるか楽しみだよな。俺だったりして!」
「そーなればいいな」

特に感情もなく適当に返事をしていたら、スタッフが点呼を取りはじめた。
IDカードを渡され、それを首から下げて舞台の裏手に当たるショーの楽屋にと、用意された多目的スペースへと向かった。

多目的スペースはパーティションで仕切りを作れるようなタイプで、手前にフィッティングスペース、奥は私物を置いたり、メイクが出来るようなテーブルが置いてあった。
中にはすでにモデルが数人来ていて、打ち合わせやサイズの調整などをしていた。
色々な場所で催されるショーの場合は、モデルに合わせて服を作ることはないため、ピンや両面テープでサイズを合わせるのが実態だ。

縫製スタッフが手際よくサイズを直している脇で、フィッターの担当を決められた。どうやら名前順に決めて行ったようだ。
あ行から、阿部、井上、ときて、仰木。

「仰木さん」
「はい」
「仰木さんはタチバナの担当です」
「はい」

周りからどよどよと声がした。
タチバナってのは、さっき矢崎が話してた奴だったっけ。パリコレに出るとか出ないとか。
どいつなんだろう?

「ではみなさん、モデルが着る服があちらのハンガーラックにあります。今決めたモデルの名前があるラックの前にショーの服の順番が書かれた紙がありますからそれを覚えておいてください。モデルがそちらに行きましたら挨拶をお願いします」
「はーい」

タチバナ、と書かれた紙がハンガーラックの上の壁にテープで留めてある。
指示に従って順番通りにハンガーに服をかけ直して、靴も順番に並べる。
今日のショーはこのセンターに店舗を構えるイタリアンファッションの店のもののため靴もサンダルもイタリア的だった。
フィッティングスペースには椅子もテーブルもないため、床に座り込んで順番を確認する。
ファッションに興味は薄いものの、仕立てが良い服を見ていればそれを着たいと思う。

「オレもこーゆーのが似合うようにいつかなるのかなー」
「なるんじゃないですか?」

急に上から低音ボイスが降ってきた。耳にいつまでも響くような。

「おはようございます。タチバナです。あなたが今日の担当さんですか?」
「あ、はい!仰木高耶です!よろしくおねがいします!」

素早く立ち上がって頭を下げてから、タチバナの顔を見た。
色素の薄い茶色い髪、鳶色の瞳、背も185センチぐらいは軽く超えていて、服の上からでもわかる逆三角形。
まさに理想のモデル体型だった。

こりゃパリコレにも出るだろーな。

笑顔が優しく、かと言って甘いわけでない。精悍で凛々しい顔立ちをしている。
服装も嫌味にならない上品なカジュアルで、ラルフの白いボタンダウンにベージュのチノパン、黒のジャケットを着ている。どうやら全部ラルフらしい。

「高耶さんですね。よろしくお願いします。ではさっそくですが、打ち合わせしましょうか」
「はい」

人気モデルの割りに態度はあくまでも丁寧で腰が低い。高耶にとっては好印象この上ない。
実際、今までのモデルは鼻持ちならないヤツばっかりだったから、今回は安心できた。

打ち合わせといっても、着る順番を確認するだけで、後は世間話をする程度だった。
この仕事はショー全体としては下っ端の仕事だが、じかにモデルとの意思を疎通させなくてはいけないため、気が合うように話をするのも大切なことだ。
モデルに気に入られなければ、ショーの最中に怒鳴られることもしばしば。

「何年生なんですか?」
「何年、てのは違うんだけど、普通で言えば一年です。うちの学校は基礎科が一年生、本科が二年生、研究科が三年生って感じ…です」
「そうなんですか。では年齢的には18歳ってとこですか?」
「いや、19歳」

そこでタチバナがなぜかクスリと笑った。
訝しげに顔をしかめてみたら…

「敬語、苦手なんでしょう?」

オレ、変な喋り方したか?!なんでバレたんだ!!

「敬語じゃなくていいですよ。そっちの方が親近感も湧くでしょう?緊張して順番を間違えるぐらいなら、やりやすい形で進めて行くのがいいと思いませんか?」
「あ、うん。オレもそう思う。って、ホントにいいの?」
「いいですよ」

自分に向けられた笑顔が温かく包まれるようで一瞬ホンワカした気分になった。
が、すぐに否定した。
モデルってのは表情で演技するから本心が見えないものだ。本当はいつものモデル連中みたく内心ではバカにしてるかもしれない。

「では私はリハーサルに行ってきます。高耶さんたちの控え室もここですよね。また後でお話ししましょう」

そう言って颯爽と背筋を伸ばして、会場へ向かった。
また後で…?変なモデル。でも、もしかしたら本当にいいヤツなのかも。
後姿を見送っていると、いきなり脇腹を小突かれた。矢崎だ。

「いいなー!タチバナさんと話ができてー!どう?噂どーり好青年?」
「え、あ、まあな。あんなに丁寧なヤツ、今までいなかったぐらいだ」
「ふーん。俺も後で話できねーかな。な、仰木くんよ」
「オレに頼るなよ。普段みたく図々しく話しかけてみればいいじゃねーか」
「あー、ちっと気が引けるんだよな。大物モデルだからさ」
「そーなんだ…」

ショーはまず午前中に1回。午後に1回。1日で2回だ。
ショッピングセンター開店前の朝8時から待機して、夕方5時までの拘束時間のうち、仕事があるのは合計3時間強。
ショータイムは40分。服の準備から片付けまでで一回のショーで約100分程度しか仕事がない。
これで8000円も貰えるなんていいバイトだ。

モデルがリハーサルをしている間はヒマなのを知っているから課題を持ち込んで手縫いで出来る部品を作っていた。床に座り込み、針を細かい作業でチクチク動かす。
夢中になってやっていたらいつの間にかリハーサルが終わったタチバナが上から覗き込んでいた。

「何を作っているんですか?」
「ああ、これ?今度の課題のスカートに入れる刺繍。普通の布を使うと点が低いからさ、自分でこうやって布に加工を加えると案外いい点数を付けてくれるんだ。ジャケットも次回の課題だから合わせてスーツにするんだ」
「器用ですね。専攻はレディースなんですか。スーツって言っても色々とありますもんね。高耶さんはシックなものより、可愛らしい服を作るタイプなんですねぇ」

少し笑いを含めた声で言われたせいで、高耶はいきなり不機嫌になった。
バカにしてるのか?

「これは妹にやるつもりで作ってるんだ。オレの服は全部、妹に似合うのがコンセプト」
「ああ、妹さんのためですか。すいません。てっきり彼女に作っているのかと思って」
「そんなんいねーよ。ヒマもねえし。で、そっちはもうリハ終わったのか?」
「終わりましたよ。集合は11時ですから、それまで一緒に軽く朝ご飯でもどうです?家を出るのが早かったもので、食べて来てないんです。高耶さんもでしょう?」

高耶が家を出たのは午前6時。横浜まで出るのに時間がかかるため、もちろん食べていない。
だからといってモデルを置いて外に食べに行くのはフィッター全員気が引けて、こうして課題をやる人間もいれば、お喋りを楽しむ女の子たちもいる。

「オレも腹減ってるんだよな。そーだな、モデルさんがOKって言うなら行ってもいいぜ」

タチバナが嬉しそうに笑って、ありがとうございます、と優しく言った。
その笑顔にまたも引き込まれそうになったがあえて無視する。
食べ物で機嫌を釣られたような気もしなくもないが、実際腹が減ってるんだからいいんだ、と自分を納得させてタチバナの後を追って多目的スペースから出た。


                           

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まずは誠実な直江をご堪能ください。