同じ世界で一緒に歩こう



フィッターのお仕事
その2

 
   


ショッピングセンターの外側にあるカフェへ澱みなく向かったタチバナに付いて行ったはいいが、入り口のモーニングの値段を見て高耶は愕然となった。
確かにパリ風な作りで高級感が漂うが、たかがモーニングセット、とたかを括っていたところ、スコーンとコーヒーのセットで
1200円。
たまに行くファストフードのモーニングセットは360円だ。

「無理」
「何がですか?スコーンお嫌いですか?」
「スコーン食ったことねえからわかんねえけど、値段が無理」
「値段が…?ああ、そんなの気になさらないで下さい。私がごちそうしますよ。誘ったのはこちらですからね」
「いや、悪いからいいよ。オレ戻るわ」
「いいからいらっしゃい」

背中を押されて店内に入れられてしまった。いらっしゃいませと店員に笑顔で迎えられ後戻りもできない。
しかたない。ここはゴチになっとこうかな。どうせ金持ちなんだろうし、このぐらいで財布が寂しくなるわけがないんだ。
誘われたんだし…って、ホントにいいのかな?

「スコーンの他にもトーストもありますね。どちらがいいですか?」
「うーん、せっかくだからスコーンての食ってみたい。タチバナさんは食ったことあるんだろ?どんなの?」
「パンとクッキーの中間みたいなものです。生クリームとジャムで食べるんですよ。甘いものが好きならスコーンは朝ご飯として最高かもしれません」
「へー。んじゃ紅茶とスコーンにしようっと」

タチバナがあの良く通る声でウェイターを呼ぶと、スマートにオーダーをした。
何をしてもさまになる。
ウェイターはタチバナと知ってか、嬉しそうに対応していた。他のウェイトレスたちから羨望のまなざしを受けながら、カウンターに戻っていった。
目の前で長い足を組んで、椅子に座っているタチバナはどこからどう見てもモデル!という職業が似合う完璧な男だった。

「あんた、本当に有名人なんだな。他の客も見てるぜ」
「そうでもありませんよ。まだ業界では下から数えた方が断然早いぐらいですから」

そんなわけないだろうが、腰が低いのは日本では悪くはない。謙遜は美徳だ。

「なあ、タチバナさん」
「すいませんが高耶さん。タチバナという呼び名はやめて貰えますか?本名は直江です。こちらで呼んでください」
「直江?それが本名なのか?タチバナヨシアキってのは芸名で?別に直江でもいいじゃん」
「事務所の社長がおまえの本名では売れない、と言って勝手に付けたんですよ」
「直江、なんてーの?」
「信綱です」
「………そりゃ売れないな」

しばらく間を置いて高耶は声を上げて笑った。失礼かと思ったが、止まらない。

「ひどいですよ。そんなに笑わなくても」
「ごめん、ごめん!あんまりにも本名とギャップがあってさー。直江信綱かー。いい名前じゃん」
「そうですか?だったら直江で呼んでください。敬語が苦手なあなたにさん付けで呼ばれるのも変な感じがしますから、呼び捨てでいいですよ。親しい友人は全員直江って呼びますから」
「ホント?直江でいいの?だったらそーする。オレ、マジでさん付けとか苦手なんだよ」

高耶の初めての笑顔を見たタチバナ…直江は、洞窟の中で光る宝石を発見した子供のような顔で驚き、そして高耶と共に笑った。

フィッターの仕事が始まると、時間に追われるように次々とモデルに服を着せていく。
直江もこの時ばかりは真剣な表情で高耶にシャツだ、パンツだ、ジャケットだと指示を出し、働く男の姿を見せてくれた。
戦場のような時間はあっという間に過ぎ、拍手が聞こえてきてようやく安堵する。
最後の服を着た直江が戻り、ジャケットを脱ぐのを高耶が手伝いながらお疲れ様でした、と声をかけると、カフェで見せたオフの直江の笑顔になった。

「ステージは見られなかったけど、成功みたいじゃん」
「ええ、そのようです。高耶さんもお疲れ様でした」
「まだ2回目が残ってるから、気が抜けないな」
「そうですか?私は何ともありませんよ。慣れた仕事ですからね」
「ふーん。すげーなー」

私服に着替える直江の裸体を見ていた。さっきまでほぼ全裸に近い体を見ていたのに、初めて見るような気がして高耶は少し目をそらし、ショーの服を元通りに並べ変えた。
シワを伸ばし、ブラシをかけて、靴を整頓させ終わる頃には直江も着替え終わっていてこちらを見ていた。

「何?」
「いえ、手際がいいな、と思って。他の皆さんはまだ終わってませんから」

矢崎なんかは紙を見ながらもう一度組みなおしたりしているし、他の全員が苦戦しながら並べ替えているのを見て言っているのだろう。

「オレは慣れてるからな。フィッターは必ずするようにしてるんだ」
「それでですか。私はいいフィッターさんに当たったんですね」
「そんなことねーだろ」

褒められて嬉しくないわけはないが、だからといって鵜呑みにするほどバカでもない。

「事務所の人間と30分ばかり打ち合わせをしなくてはならないんですが」
「だから?」
「待っていてもらえませんか?」
「なんで?」
「さっきとても楽しかったんです。だから、一緒に次の回まで付き合ってください。横浜だったら詳しいですから案内しますよ。お昼も一緒にどうですか?」

おかしなヤツだ。なんで仲間と一緒に行かないんだろう?
あれ?いつのまにかモデルが一人もいなくなってるじゃん。

「仰木〜。一緒にメシ食いに行けるか〜?」

タイミング良く矢崎がこっちに向かって声をかけてきた。タチバナが高耶のそばにいるのを見て、一瞬ひるんだ。

「だってさ。オレはどっちでもいいけど、あんた一人でメシになっちまうだろ?」
「そうですね」
「そいつは気の毒だからな。付き合ってやる。でも昼飯に千円以上かける気ないし奢ってもらうつもりもないからな」
「わかりました。千円以内ですね。30分したら戻りますから、ここで待っていてください」

戸口で直江の事務所の人間らしき人物が立っていて、直江を待っているように視線を向けていた。そこへ直江は小走りで近づき、外へ消えて行った。

「なんだよ、タチバナさんと何か話してたみたいだけど」
「ああ、一緒にメシ食いに行くんだ」
「なんだとー!!」
「おまえも来れば?」
「いいのか?!」
「いいんじゃん?横浜も案内してくれるって言うし」
「マジかよ!」

矢崎との話を聞いていた女子連中が勝手に話に入ってきた。全部で6人。この6人が直江を質問攻めにしそうな気がする。
これじゃ直江が逆に可哀想だと思った高耶は6人を無下に断った。

「矢崎だけだ。直江が迷惑するかもしんないし」
「直江?」
「タチバナさんの本名なんだって」
「いつの間に呼び捨てするようになったんだ!」
「向こうがそう呼べって言ったんだよ」

たぶんこの二人の中に入っていっても自分は浮く。そう悟った矢崎も辞退した。仲間はずれになるのが矢崎にはわかったらしい。

「そうか?じゃ、オレ直江を待ってるから。また後で」
「サインだけ貰っておいてくれ!」
「わかった」

直江が来るまでまた刺繍でもしてよう。このスーツは美弥が大学に受かったら入学式に着てもらう予定になっている。
入学式の頃はまだオレにはスーツのひとつも買ってやれないだろう。だから周りの人間にバカにされないような、そんな服にしてやりたかった。


お待たせしました、と驚かせない程度の声で直江が高耶の頭の上で言った。
もう控え室には留守番スタッフが二人いるだけで、他の人間はテナントを見たり食事をしに行っているらしく人気がなかった。

「おう。こっちもちょうどひと段落着いたから行くか」
「すぐに何か食べますか?それともどこか見ます?」
「別に見たい店もないしなー。観覧車には乗りたいけどさ」
「観覧車ですか。昼間よりも夜の方がキレイだそうですよ」
「じゃ、終わったら行ってみようかな」

おかしな間があった。直江が一瞬寂しそうな顔をしたからだ。
なんだろう?と思ったが、気にせずに控え室を出て、腹が減ったと伸びをしながら言った。直江はもう寂しそうな顔をしていない。ラフな直江の笑顔を湛えて相槌を打った。

「ランチタイムだから混んでるかもしれないけど、並ぶぐらいの時間はあるだろ」
「何が食べたいんですか?」
「ラーメンがいいなー」

直江がラーメンをすする姿を想像したら面白くてたまらなくなった。

この完璧なスタイルの男がどうやってズルズルと麺をすするんだ?

服装はさっきのショーと違って、カジュアルだったけど、ラーメン屋には似合わない。だけど食費1000円以内は譲る気はない。
このショッピングセンターのレストランにはラーメン屋もなく、どこも高価で貧乏な高耶には合わなくて掲示板を見ながら考え込んでしまった。

「だったら中華街に行きませんか?ウーロン茶の茶葉を買って来いと姉に言われていて中華街に行く予定だったんです」
「マジ?最近電車が開通したんだろ?それで行けるな!」
「ええ、そうしましょう」

直江はタクシーで行くつもりでいたが、たまには電車に乗るのも悪くはないと思った。
しかも高耶さんと一緒だ。
そこまで思って直江の頭に疑問符が浮かんだ。
なぜ、高耶さんと一緒ならいいと思ったんだ?
それはすぐにわかることになる。

 



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食い物ばっかり出てくるな