ウチに泥棒が入った。
日曜日の朝、直江のお兄さんちで飼ってる大きなシベリアンハスキーがやってきた。
「うわ!でかい犬!」
「どうしたんですか」
「悪いが明日の朝まで預かってくれないか。今から家族で嫁さんの実家に行かなくちゃならなくてな。急用なもんでペットホテルも空きがないし、いつも預かってくれる近所の家も留守で、おまえしか思いつかなかったんだ」
ウチのマンションはペットOKで大型犬を飼ってる家もたくさんあるから大丈夫だ。
「預かりたい!遊びたい!」
目をキラキラさせて直江とお兄さんを見たら、お兄さんは安心したみたいな笑顔。直江は仕方なさそうな溜息。
「じゃあ頼んだ。エサとオヤツと毛布とゲージが車に積んであるから今から持ってくる。こいつの居場所はバルコニーでいいからな。室内に入れたりして甘やかさないでくれよ」
「はーい!」
直江とお兄さんで荷物を取りに行った。
オレはワンコと一緒にバルコニーへ。ハスキーらしく精悍な顔立ちをしてるんだけど、中身はちょっとアホだそうで人懐っこいのはいいけど物事を気にしなさすぎる、ってゆう評価だった。
「よろしくな」
「ワフ」
お、返事した。可愛いじゃんか、このヤロー!
「高耶さん、ゲージを作りますから手伝ってください」
「おう!」
リビングの端っこにワンコのゲージを作って、その中に毛布を敷いて完成。夜は室内に入れてやんなきゃな。
万が一、こんな高い階から落ちたら大変だ。
「ワンコの名前は?」
「英太郎です」
「えいたろう?すっごい和風な名前だな」
「元々ついてた名前だそうですよ。この子は繁殖用のハスキーじゃないから、育って少し経った時に兄がもらったんです。元の飼い主さんとしては名前がないと不便だったんでしょう」
「ふーん」
英太郎って呼んでみたら、元気にワン!と吠えた。おお、かっこいいじゃねえか!
「なあ、英太郎連れて遊びに行かない?」
「どこにですか?」
「世田谷あたりにでっかい公園なかった?」
「ちょっと遠いですね。だったら晴海でいいじゃないですか」
「晴海な!晴海にしよう!」
で、オレたちは英太郎を車に載せて晴海に出発。
ところが朝飯をモリモリ食ったせいか、それとも冷たいものを飲みすぎたか、オレは腹が痛くなって真っ青に。
晴海の公園で30分ぐらいフリスビーやっただけで帰宅することになった。
「うう〜」
「寝冷えじゃないですか?昨日、裸のままで眠ったでしょう?」
「パジャマ着るのだるくなるぐらいしたからなあ……あー痛てえ」
マンションの玄関で直江が鍵を開けたとたん、英太郎がダッシュで入っていった。
一目散にバルコニーへ。
「なんだ?」
「英太郎!足を拭きなさい!ああ、廊下からリビングから泥だらけで……」
そんで奥からワンワンワン!!って英太郎の叫びが。
様子がおかしいって言って直江が走って行ったら、ガターン!て、でっかい音がして、見知らぬ男がリビングの床に倒れて気絶してた。
「な、なんだ?!」
「……泥棒、じゃないですか?」
直江が指差したところは窓ガラス。男の近くに落ちてたバールで割られたみたいだ。
「ワン!」
「直江!そいつ捕まえよう!」
「はい!」
尻尾をブンブン振って楽しそうな英太郎をどけて、直江が荷造り用のビニール紐で男をグルグル巻きにした。
その間にオレは警察に電話。腹痛も忘れたっつーの。
警察が来て事情を話すと、少し家の中を調べてから色々教えてくれた。
泥棒はこのへんで頻発してる空き巣で、手口はマンションのオートロックの扉をとある仕掛けで開けて、屋上に上がり(屋上の扉が閉まってる場合はピッキングするらしい)最上階のベランダやバルコニーに降りて、それから窓を割って侵入するそうだ。
今回もその手口で入ったんだけど、運悪く侵入したとたんに大型犬に飛びつかれて、壁に頭をぶつけて気絶したらしい。
英太郎としては「違う匂いがするぞ!誰?!いた!遊んで遊んで〜!!」の、つもりだったようだ。
そんで尻尾をブンブン振ってたわけか。
警察が帰ってからようやく腹痛を思い出したけど、その時にはもう治ってた。なんなんだ。
「ホームセキュリティに入った方が良さそうですね」
「だな。オートロックに甘えて油断したな」
日曜で管理人さんも休みだったから狙い目だったんだろうな〜。
ちょっと戸締りが面倒になるけど、直江のとんでもない額の財産を守るためなら仕方ない。
なんたってこの前のヌードの仕事の契約料でマンションのローン残金が完済できるってゆーんだから。
直江ってセレブだったんだな〜。オレは一生庶民でいいや。
ホームセキュリティに入って数日、マンションの入り口を工事してた。
なんだろう?と思いながら部屋に帰ると直江が先に帰ってきてたらしくお出迎えしてくれた。
「ただいま」
「おかえりなさい!待ってたんですよ!」
「何かあったのか?」
「高耶さんに会いたかったんです!」
玄関で抱き殺されかけて、窒息しそうなチューもされた。こいつは相変わらずバカだ。
そこが好きって言ったら好きなんだけど。
一通り直江の気が済むまでチューもギューもして、クタ〜っとなりながら直江にもたれかかってリビングへ。
「やっぱり高耶さんがそばにいると幸せな気分が舞い降りますね」
「オレも。あ、そうだ、忘れるとこだった」
「なんですか?」
「入り口を工事してるけど、何かあんの?」
「え?お知らせの紙、読んでないんですか?」
お知らせの……紙?なにそれ。
「ほら、先週高耶さんに渡したでしょう。ミシンがけしてる時に」
ミシンがけ……してる時?
あ、そういえば直江に何か渡されて、それを確か……
部屋に行って散らかった机の上を探してみたらB5サイズの紙が出てきた。
集中してる時に渡されると無意識にどこかに置く癖を直さないといけないぐらい、オレの部屋は散らかってる。
デザインの練習した紙だとか、机に乗り切らなかった文房具や再縫道具、それと私物が散乱してる。
自分のエリアだと思うとつい片付けないままでいるからな〜。
「ええと、なになに?管理人室の改装をします、か。管理人室はフロントに変わり、コンシェルジュが常に2名以上待機する予定です?」
「はい。その工事が今日からってことなんです」
そうだったんだ?けどコンシェルジュって何?
「フロントってどういうこと?」
「ホテルみたいになるんですよ。鍵はもちろん自分たちで持ちますが、人の出入りが厳重になるんです」
「もしかして……この前、ウチに泥棒が入ったせいで……?」
「たぶん」
タチバナの部屋に泥棒が入ったのは小さいニュースになってたから、それの影響が大きいんだろうな。
お金持ちが住んでるマンションなのに、警備体制が甘いって住人が抗議したとかもあるだろう。
「再来週には完成するそうです」
「なんか仰々しいなあ。けど仕方ないのか」
「そのうち慣れますよ」
「慣れるかな〜?」
慣れなきゃいけないんだろうけど、オレたちがカップルだってバレたら困る。ちょっと不安だ。
コンシェルジュ初日、帰ってきたら「お帰りなさいませ」と言われた。
大理石のフロントには生花が山盛りで花瓶に飾ってあったり、金色の万年筆と、ビロードの表紙の記名簿がカウンターに置いてあったり、よくわからないけど現代アート的な絵が飾ってあったり、まさに超高級ホテルみたいになってた。
最近の高級マンションはコレが流行してるってゆーけど、庶民には理解できないシロモノだ。
「どう?アレ」
「慣れるまでしばらくかかりますね。直江様、なんて呼ばれて薄ら寒かったですよ」
「オレも仰木様って言われた」
「管理人さんは普通に話してくれたんですけどねえ。私がモデルやってるのも知ってるらしいんですよ、あの人たちは」
そりゃ知ってるだろうよ。ヌード男。雑誌の表紙にまでなってやがったんだから。
直江は知らないだろうが、あの広告以来、おまえを影で「裸族」とか「裸の人」とか「ヌーディタチバナ」とか呼んでる人もいるんだからな。
「前にいた管理人さんには会いましたか?」
「ううん。管理人さんも残ったんだ?さっきいたのはメガネのお堅い感じの男の人と、あと若い坊主頭の人だった」
「メガネの人が主任だそうですよ。私が帰った時に管理人さんが紹介してくれて、少し教えてもらいました」
直江が聞いたことによると、管理人さんはコンシェルジュ研修を受けて残ることになり、メガネの主任さんが上司になる「開崎さん」で、管理人さんと坊主頭の若者を入れてコンシェルジュは全員で6人。
24時間体制でシフトを組んで交代制でやるそうだ。
「管理人さんは今までの経験がありますからほとんど昼間の配属だそうです。さっきいた開崎さんが基本的に夜のシフトに入っているらしいですよ」
「へ〜。なんで夜に主任がいるんだろ?」
「昼間は住人が減りますからね。それに昼の間は今までとそう変わらない仕事しかないだろうってことで、管理人さんが適任と判断されたらしいです」
じゃあ今日は直江と管理人さんと開崎さんが会ったってことになる。
「すでに管理人さんからの申し送りが出来ているそうで、私の職業も話したらしく……。個人情報保護法はどこへやらって感じですが、おかげさまで高耶さんという『イトコ』と住んでるって話もしてくれましたよ」
「おお、管理人さんナイスだ」
他にも管理人さんは一蔵さんや綾子ねーさんが鍵を持って勝手に入ることもあるだろうとも話してくれたそうだ。
ついでに有名人だから他の住人に対するよりも慎重に対応してくれるって。
来客に関しては相手の機嫌を損ねない程度に警戒するらしい。
「でもなんか……大袈裟って感じ」
「最近はこういう大袈裟なことが流行してますから」
オレも直江もコンシェルジュ制度には疑問が残るけど、もう決まったことだし、きっかけがウチに入った泥棒だから文句はあれども不平は言えないな。
そんな感じでコンシェルジュには少し慣れてきたころ、直江が海外での仕事があるとかで1週間いなくなった。
オレも毎日残業があるし、面倒だから食事は作らないで買って帰ったりしてた。
今日も会社帰りにコンビニに寄って夕飯を選んでたら、惣菜売り場で人にぶつかった。
「あ、すみません」
「いえ……あれ、仰木さんじゃないですか」
ぶつかったのは私服姿の開崎さん。ポロシャツに細身の綿のズボン。センスは悪くないどころか、この2点だけなのにオシャレなのがよくわかる。
それにたぶん高価な服だろう。
「仰木様」じゃなくて「仰木さん」と呼んだ理由は、「様」をつけないでくれって直江と一緒に頼んだからだ。
背筋が寒くなるから勘弁してくれって。
それ以来、開崎さんとは会えばちょっとは話すようになって、へりくだった口調も少し直してもらった。
「今お帰りですか?」
「うん、今日はけっこう早めに帰れたんだ。直江が出張だから夕飯手抜きしようと思って」
夜9時のコンビニはオレと同じように腹を減らした人間が何人もいて、その中の1人に開崎さんも加わるわけだ。
「開崎さんこそどうしたの?」
「今日は休みなんですよ。それで夕飯を買いに来たところです」
「……てことは、もしかして近所に住んでんの?」
「はい。ここのコンビニから歩いて5分ぐらいですかね」
開崎さんのやってるコンシェルジュ主任てのは、案外ハードな内容だそうで、何か問題が起きたときに駆けつけられるように、職場から徒歩で15分以内の所に住まないといけないって規定があるそうだ。
そのぶん家賃は7割が会社負担なんだって。
「そうだ、もし良かったら一緒にお食事しませんか?毎日1人で食事なので付き合って頂けると嬉しいんですが」
「うん、いいけど。毎日ってことは、まだ独身なんだ?」
「なかなか良縁に恵まれなくて」
開崎さんは見た目もいいし、性格も悪くなさそうだし、とっくに結婚してるもんだと思ってたけど意外だな。
手に取ったコンビニ弁当を元に戻して二人でコンビニ近くのラーメン屋に。
「開崎さんがラーメン屋ってなんか似合ってないな〜」
「そうですか?ここはたまに来るんですよ」
「オレもよく直江と来るけどさ」
「……直江さんの方が似合ってないじゃないですか」
そうかも。あんまり考えないで直江をこういう庶民的なラーメン屋に連れて来たりするけど、確かに浮いてるかもしれない。
でも直江もここのラーメンうまいってゆうし、気にしてないっぽいし。
「そーいえば開崎さんて直江と同じぐらいの歳だよね?」
「ええ、30代前半です。直江さんが出てる雑誌、たまに買いますよ」
「へー、そうなんだ。直江って、読者から見てどう?変だったりやりすぎて寒かったりしない?」
「変と言うことはないですよ。いかにもモデルって感じで雲の上の人だなあとは思いますけど。でも着こなしって言うんですか?『この服はタチバナにしか着られない』とか、そういう嫌味な雰囲気がないじゃないですか。だから参考になります。それにプライベート服が載った時の雑誌は私でもうまく着られる気がして、捨てないでとってあります。たぶんその雑誌に出てた自宅が今のマンションなんですよね?」
直江のプライベート服の写真が載った雑誌ってゆーと、直江がプランナーとケンカしそうになったやつか?
けっこう前の雑誌なのに保存してんだ?
「ああいう雑誌って、ヤラセとかないんですか?」
「うーん、少しあったけど基本的には本人の普段と変わりないかな。あの雑誌でのヤラセは料理だけ」
「料理?あの、簡単に出来るランチのページですか?」
「直江は最近ようやく簡単な麺類が作れるようになったんだもん」
話題はどうしても『タチバナ』のことに偏りがちになる。
話を聞いてるとどうやら開崎さんは直江のファンみたいだから仕方ないっぽい。直江のファンというか、この年代の男にとっては憧れってゆーか、そんな感じなんだろうな。
ラーメンと餃子とご飯でその日の夕飯はおしまい。炭水化物ばっかりだ。栄養に気をつけないとな〜。
社会人なんだもんな〜。
「普段は仰木さんが食事の支度をしてるんですか?」
「まあね。居候してるわけだから、家事ぐらいはしないと」
「若いのに偉いですね」
「普通だよ」
ラーメン屋を出るとそこで分かれ道だ。
手を振って別れて、オレは1人でマンションへ。マンションには相変わらずコンシェルジュの人たちがいたけど、今日はなんだか身近な気がする。開崎さんのおかげかな。
部屋に戻って携帯のメールを見てみたら、直江から5件も入ってた。
最初の1件目は「今何をしてますか?」だった。すっかり話し込んでたせいで返事どころか携帯も見てなくて、それが心配になったのか「どこにいるんですか」から「見たら返事を必ずください」になり、「心配してます」になって、最後には「捨てないでください!!」になり……。
どこをどうしたらたった1時間ぽっちで「捨てられる」って発想になるのか知りたい。
しょうがねーやつだ。
で、心配してて、さらに捨てられるんじゃないかと不安に陥ってるバカにメールをした。
『夕飯を食べに行ってたから返事できなかった。ごめんな。直江のことは捨てないよ。帰ってくるの待ってる』
こんな感じで。
仕事しろよ、タチバナヨシアキ。今の時間てフランスじゃ真っ昼間だろーが。
海外旅行用の携帯電話をレンタルしてまですることかよ。
その2へ