最近の直江は異常に忙しい。
先週はホテルの広告写真を撮りにドバイ。
数日前は朝の6時に家を出て帰ってきたのは夜中の12時過ぎ。
昨日は朝10時に家を出て帰りは今朝の6時だ。
毎日がこんな感じでオレと話す時間すらない。
この1週間で直江と話したのは電話も含めて6時間ぐらいなんじゃないか。
メールはよく来るから元気なのはわかってても、1ヶ月近くもそんな状態が続いたから心配になって、思わずねーさんに苦情の電話をしてしまった。
「なんでこんなに忙しいわけ?」
『ごめんね〜。事務所のスケジューリングが悪いのよ』
ねーさんの言うことには、直江の主任マネージャーのマリコさんが昇進して、他のモデルさんの管理もしなくちゃいけなくなって、サブマネの一蔵さんが直江のスケジュール調整をしてたんだけど、それがとんでもなく下手で今までの倍ぐらい仕事を受けたんだそうだ。
『いつもだったら怒らない直江がメチャクチャ怒ってたんだけど、一回引き受けたからにはもうやるしかない状況になってね……。直江から事情聞いてないの?』
「聞いてないよ。あいつは見栄っ張りだから仕事に関してのそういう事情は話さないんだ」
『あとちょっとで元の仕事量になるはずだから我慢して』
「オレじゃなくて直江が我慢できなさそうだよ」
ねーさんに苦情を言っても仕方がないから諦めて電話を切って、今日も直江のいない部屋で一人で夕飯食って一人で寝た。
メールばっかりじゃなくて会話したいな〜。つまんねーな〜。
朝になって起きたら直江が隣で寝てた。疲れが出てるのか顔が超老けてる。
でもこれで仕事になったらシャキッとするんだから、モデルという生き物は不思議なもんだ。
可哀想だから起こさないようにベッドから出て、直江のぶんの朝ごはんも作ってから仕事に行った。
昼休みに携帯でメールを見てみたら直江から1通来てた。いつもなら午前中に2通以上来るはずなのに、やっぱり忙しくて大変なんだな。
いったいどんな仕事なんだろう?
『ハリウッド映画に出ることになりました』
えええ!!!ハリウッド?!
びっくりしながら続きを読んだら半分は冗談らしい。でも半分は本当だそうだ。
アメリカの超有名な女優さんが主演する映画で、主役が日本にいるシーンでファッションショーの場面があって、その背景で直江や他のモデルが映るらしい。
今日はそれの撮影だって。女優さんと握手の写真も添付されてた。
あーびっくりした。
ハリウッドデビューかと思った。
そんなことしたら今より忙しくなって直江は海外生活で別居になるかもしれない。そんで女優と浮気しまくりとか。そんなの絶対許さないけど。
それからは直江のメールも途絶えたからまたせわしなく働いてるんだろう。
うーん、ちょっと寂しいな。やっぱりオレは直江のこと超大好きなんだな。
仕事が終わって家に帰ったら直江が先に帰ってきてたのが靴でわかった。でも迎えに来ない。
直江のくせに変だな〜と思ってリビングに行ったらソファでぐっすり寝てた。
「本当に疲れてるんだな……過労死したら一蔵さんを訴えよう……」
寝室から毛布を持ってきてかけてやってから夕飯の準備だ。せっかく直江がいるんだから手抜きしないで作る。
約1時間後、体に優しくて栄養があるメニューの夕飯が出来た。
カボチャの煮物、豆腐と鶏肉の和風ハンバーグ、エシャレットときゅうりの味噌マヨネーズ添え、ニラと卵の味噌汁、あと白米のご飯。
「直江、夕飯出来たよ」
「…………」
起きない。でも食事はちゃんとしてもらわないと体に悪い。
「直江〜」
「はい……」
「夕飯だから起きろ。後でまた寝ていいから」
「……高耶さん」
寝ぼけまなこでオレを見て、腕を引っ張ってかがませてチューしてきた。
なんかチューも久しぶりな気がするぞ。
「……本物ですね……」
「うん、本物だから早く起きてメシ食え」
珍しく「よいしょ」と言いながら起きた。こうしてると疲れてるオジサンぽいんだけど、オレとしては渋くて結構好きだ。
「ああ、いい匂いがする……」
「一緒に夕飯食べるの久しぶりだな」
「ええ」
夕飯を見ると嬉しそうに笑った。こんな顔見るのも久しぶりだな〜。幸せそうだ。
「おいしそうですね」
「おいしいから食え」
ここんところ夕飯すら一緒に食えなかったから話しながらゆっくり食べた。
今日の映画の撮影の話とか、先週行ったドバイのホテルの広告写真を撮った話だとか。
「いいな〜、ドバイ。どうだった?少しは観光した?」
「どこも観光なんか出来ませんよ。行って撮影して1泊して帰っただけです。しかも時差がつらくてつらくて……」
「そっか〜。その写真て日本でも見られる?」
「ええ、旅行雑誌に載ります。映画の方はどうでしょうね。映ったとしても一瞬だから話題にもなりませんよ」
それはなんだかもったいない。でもオレの直江がこれ以上モテたら嫉妬全開になりそうだ。
気になったから次はどんな仕事があるのか聞いてみた。
「その仕事の件で高耶さんに伝えないといけないことがあるんですが」
「なに?」
「基本的には仕事の空き時間を使うんですけど、家庭教師が付きます」
「は?家庭教師?なんで?なんの?」
直江につく家庭教師って何を教えるつもりなんだろうか。
「英語を習うんです」
「英語って、直江は話せるじゃん」
「それが仕事で英語を話さなくてはいけなくなって。しかもクイーンズイングリッシュで」
「えー!!」
オレでも知ってるクイーンズイングリッシュという言葉!
要はエリザベス女王と同じぐらい完璧なイギリスの発音で会話が出来るようにするってことだ。
でも直江はモデルであってセリフがつく仕事なんかは……?
「なんの仕事なんだ?」
「アストンマーティンのハイブリッド車の広告です。ポスターや雑誌の写真とテレビCMと、10分間の動画のナレーションもするんですよ。イギリスの広告代理店の日本語が出来る担当者がいるんですが、一度会った時に私の声も気に入ったそうで、絶対に譲れないと言われて鮎川が引き受けてしまい……まあそれはいいんですけど、せっかく英会話学校に行く時間を取っていたのに一蔵が考えなしに仕事を入れるから……」
去年からこの仕事は決まってたから、時間をかけて英会話をマスターする予定でスケジュールを組んだのに一蔵さんがやっちゃったらしい。
直江がメチャクチャ怒った理由がわかった。
「私の英語は日本人訛りがあるからしっかり習おうって話になってたんです。イギリス車のCMでそんな英語なんか話せないでしょう?だから明日から1週間できれいなクイーンズイングリッシュを話せないといけないんです。しかもナレーションの台本が何種類かあって、どれを使うかまだ決まっていないから全部を完璧な発音で話せるようにしないといけないわけですよ」
「は〜、大変だな〜。とうとうナレーションか〜」
「日本用の動画も後で私がナレーションすることになってます」
直江はオレには言わないけど、ヨーロッパでは相当な人気のモデルだってインターネットで見たことがある。
日本人にしては彫が深くて色素が薄い。でもヨーロッパではオリエンタルなイメージが強くて、東洋のモデルと言えばタチバナの名前が出るって書いてあった。
だからイギリスの車なのに日本人の直江が出るのはおかしくないというか。
「それも日本で見られるのか?」
「ええ。映像は雑誌広告と店頭ポスターとネット動画ぐらいですね」
「服は?スーツ?」
「セビルロウの仕立て屋で今作ってるそうですよ」
「あのセビルロウで?!」
セビルロウってのはロンドンの道の名前で、そこに仕立て屋がたくさんある。昔も今もイギリス社交界ではここの紳士服屋でで仕立てたスーツを着るのが一種のステータスだ。
ちなみに日本語の『背広』はセビルロウが語源だって説もある。
「なんでイギリス人モデルじゃ駄目なの?」
「アストンマーティンと日本の自動車メーカーの共同開発で、それなら日本人のモデルを使ってインパクトを強くしようってことです。ハイブリッド車の開発は日本も優れてますから」
「そっかー。広告って大変なんだな〜」
広告にも色々あるけど海外のはセンスや見た目が日本より厳しい。特に車や服や化粧品のメーカーは万国共通でかなりハイレベルの宣伝広告ばっかりだ。
それに出るモデルが直江ってゆーのはやっぱりすごいことなんだろうな。
「それでたった1週間しかないので、どうしても家でも家庭教師してもらうことになると思います。高耶さんに迷惑がかからないように私の部屋でやるつもりですが」
「そうか〜。オレはリビングでも構わないけど、やっぱり集中したいんなら直江の部屋だよな」
「もしかしたら夜中までという可能性もありますから迷惑でしょうけどお願いします」
「いいよ、仕事なんだから」
直江につく家庭教師は日本在住のイギリス人で、語学を学びながら言語の教師をしてる男の人だそうだ。
ちなみに5ヶ国語話せるそうだ。
「けどさあ、また明日から仕事が猛ラッシュなんだろ?大丈夫なのか?」
「高耶さんのご飯で元気になりましたから大丈夫です」
「できるだけ協力するからなんでも遠慮なく言えよ?」
「はい」
直江のために今夜は早寝だ。そう思って10時には寝られるようにしたのに、遠慮なく協力をお願い
しますとか何とか行ってエッチになった。
疲れてるからやめろって言ったんだけど、疲れてる時だからしたくなるってやつらしい。
わからなくもないし、久しぶりだったし、時間は短めの濃厚なやつをしてから寝た。
それからさっそく1日目に家庭教師が家に来た。夜の8時だ。
帰ってきた直江を迎えに玄関に行ったら渋めの学者って感じの人と一緒だった。40歳ぐらいかな。
「はじめまして。イアンです。お邪魔します」
完璧な日本語だ。訛りもない。
「あ、高耶です。はじめまして。どうぞ中に」
「ありがとうございます」
しかも直江並みに紳士的だ。
「今すぐ始めますから」
「うん。お茶持って行こうか?」
「あ、お願いします」
イアンさんの好みを聞いたら甘いミルクティーが好きだそうだ。
直江のストレートティにもちょっと砂糖を入れて持って行くと、直江の部屋のデスクに向かい合わせて座って英語の授業をしてた。
授業が終わった後、帰ろうとしたイアンさんを直江が引き止めてリビングでオヤツタイム。
3人で和気藹々で話して、イアンさんがオレと直江の関係を聞いてきた。ただのルームメイトって言うにはやけに親密な雰囲気だったから、もしかしてカップルなのかと聞かれた。
「ええ、そうです。内緒ですけどね」
「やっぱりそうでしたか」
イアンさんの周りにも何組か男同士のカップルがいて、見慣れてるせいか雰囲気でわかるらしい。
15分ぐらい話して帰って行った。
それからまた翌日、直江とイアンさんが家でまた授業だ。さらにその翌日も。
だから1日目と同じくお茶を淹れて持って行って、また帰りに直江がちょっと引き止めて。
でも4日目となるとオレにも何かがおかしいとわかってくるわけで。
なんか……必要以上に直江に触るところとか、目で何かを訴えてる感じがする……もしかして……。
いやいや、オレの気のせいかもしれない。
ヨーロッパの人だからスキンシップがあるだけかもしれない。
それでさらに翌日の5日目、オレの疑問は真実だと気が付いた。どこがどうって具体的には言えないし証拠もないけど、直江を好きになったオレだからわかる。
ヤツは直江を狙ってる。
「なあ直江?」
「はい」
「……あの人もホモかな?」
「そんな感じはしますね」
じゃあやっぱり直江が狙われてんのか。オレからしたら直江は逞しい彼氏だけど、イアンさんから見たら色っぽい子猫ちゃんかもしれない。
うー、どうなんだろう。
「気をつけろな?」
「なんのことですか?」
「どうやらおまえはイアンさんの目には色っぽい子猫ちゃんに映ってるっぽいぞ」
「…………え?」
二人きりで授業をしてた時はどうだったかを聞いたら、直江もなんとなく思うところはあったようで、眉間に皺を寄せて唸った。
毎日朝から晩まで付きっ切りで教えるから直江を好きになっちゃったんじゃないか。
「やけに触ってくるとは思ってたんですけど、まあヨーロッパ人だからそんなものかって流してました。そういうことですか……」
「襲われないように気をつけろ」
「はい」
少し怯えて目を伏せた直江の顔のまた色っぽいことったら。これじゃ外国人から狙われてもおかしくない。
今までは運よく貞操を守れていたかもしれないが、個人授業を密室でやってたら襲われたりしそうだ。
今度来たら部屋のドアを開け放しておくようにしよう。
「襲われて肉体関係になったら別れるから」
「こっちが不可抗力でもですか?」
「うん。だから必死で逃げろよ」
「はいっ」
本当に襲われたって別れないけど、そのぐらい危機感を持て、ということで。
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