高耶さんは17歳


第16話  新任教師とオレ

 
         
 

うちの向かいにはメゾネットタイプのアパートがある。
これは直江の実家が経営してるアパートで、築4年ぐらいだそうだ。
オレたちがここに引っ越してきた時から、大家さんである橘家みたいに遠くないから、直江がアパートの大家さん的立場になってる。
たまにうちに部屋のことで相談しに店子さんが来たりもする。

そんな店子さんの中の一軒、鬼小島さん夫婦が転勤で部屋を出ていくことになった。
土曜日の午後に挨拶に来た。
オレはいつものように「親戚の子」として直江のそばにいた。

「そうですか、北海道ですか。遠いですねえ」

お茶を作って直江と話す鬼小島さん夫婦に出す。

「橘さんには本当にお世話になってしまって、大変感謝しております」
「いえ、そんな。こちらこそ」

まだ若い夫婦で、年齢は旦那さんが30歳ぐらい。奥さんは20代半ばだろうな。

「高耶くんもどうもありがとう」
「いや、オレは何もしてないし」
「アパートの花壇にお花を植えたの、高耶くんなんでしょう?」
「え。まあ」

それはお義母さんに言われて仕方なくやっただけであって、本当ならあんな面倒なことしてるより、直江とイチャイチャしてたかったんだけどな〜。

そんなこんなで鬼小島さんは翌日の日曜日に引っ越した。
次に入ってくる人はどんな人なんだろう?

 

 

3月の下旬。次にアパートに入る人が見つかったらしい。
なんでもこのへんで働き出す新入社員で、メゾネットなのに一人暮らしなんだって。金持ちの息子だそうだ。

「直江は顔見た?」
「いいえ。まだですけど、一応私があのアパートの大家代わりですから、ここへ挨拶には来るらしいですよ」
「へ〜。どんな人だろうな。鬼小島さんみたくいい人だったらいいんだけど」

なんて話してたら、玄関のチャイムが鳴った。もしかして。

「あ、私が出ますから、高耶さんは座ってていいですよ」
「はーい」

直江がカメラ付きのインターフォンに出ると、声が聞こえた。若い男だった。
落ち着いた声でちょっと待っててくださいね、って返事をして直江は玄関に。新しい店子さんだそうだ。
そして入ってきたのは軽そうな感じの若い男。メガネをかけてるけどイマイチ頭が良さそうには見えない。
つーか、たぶん伊達メガネ。

「おじゃましま〜す」
「どうぞ」

鬼小島さんの時みたいにオレはお茶を作ってソファに座った二人に持って行く。

「彼は親戚の子で高耶さんと言います。わけあってここに住んでるんです」
「よろしく〜。高耶くん」
「よ……よろしく……」

直江よりももう少し濃い茶色の髪のそいつは馴れ馴れしく挨拶をした。菓子折りをオレに渡す。
肩ぐらいの髪を後ろで結んで、なんか胡散臭そうな感じだ。菓子折りもなんか胡散臭く見えるから不思議だ。

「千秋修平さんとおっしゃるそうですよ」
「ちあきさん……?」
「そう、千秋さんて呼んでくれ」

馴れ馴れしいどころか図々しい。こんなやつが新しい店子さんだなんて。
もし何かアパートで起きたらオレや直江が苦労すんのに、こんなヤツで大丈夫なのかな?

直江と千秋が話してるとこを見てたら、どうやらこの千秋って男は橘家と知り合いらしい。
お義母さんの友達の息子、そんな内容だった。

「では母にお会いしたことあるんですか?」
「何度かね。あんまり話したことはないけど、優しそうな人だったよな」

なんで直江にタメ口きいてんだよ!この若造が!!

そいつは30分ばかり直江と話しこんでから帰って行った。
直江は最後まで笑顔でいたけど、翌日、直江から笑顔が消え失せたのだった!(ここ、ドキュメンタリー風にな)

 

 

 

「ま……まずいです、高耶さん……」

春休みの出勤日。直江は午後に帰ってくるなり玄関に座りこんだ。

「どしたんだ?」
「……新任教師の紹介が今日あって……その中に向かいの千秋さんが……」
「え?!」
「数学教師だそうなんです……」
「ええー!!」

まずいどころじゃねえ!!オレと直江が同じ学校の教師と生徒だってのすら隠してここに住んでるのに!

「橘先生、よろしくお願いしますって、不適な笑顔で挨拶されました……」
「どうしよう!!」
「とにかく口止めしなくてはいけないと思って、挨拶が終わってからすぐに大家であることは黙ってくれって頼んだんですが……あなたのこと、どうしましょう!」
「どうしましょうって、どうしたらいいんだよ!直江、おまえ教師なんだろ!アタマいいんだから考えろ!」
「教師はこの際関係ありませんよ〜!」

ワタワタしてたら玄関のチャイムが鳴った。二人同時にドアを見つめると、すりガラス越しに背の高い男……千秋の姿が見えた。

「で、出ましょう。こうなったら私が説得します……」
「頼んだぞ!」

直江の後ろに隠れながら、ドアを開けるのを見守った。
すこーしだけ開けられたドアの向こうにいたのはやっぱりあの千秋だった。

「橘センセ。お邪魔してもいい?」
「え、ええ。どうぞ」

警戒心たっぷりのオレと直江。千秋の一挙手一投足をじっと見ながら、入ってくるのを待った。

「まさか大家さんが同じガッコの先生とはね〜。いや〜、驚いた」
「そ、それで千秋先生……何か御用でも……?」
「あ、そうそう。橘センセが大家さんだっての、俺としても都合が悪いからさ、お互い内緒にしようや」

スリッパを勝手に履いて上がりこんでくる。勝手にリビングへ行ってオレと直江がいつもイチャイチャしてるソファに座った。

「それはこちらもお願いしたいところなんですが……その、実は」
「あん?」
「実は高耶さんも同じ学校なんです……教師と生徒が同じ学校にいるのはいくらなんでもマズいですから学校には内緒にしてあるので、千秋先生にもそのへんの話を黙っていていただけると……」
「あ、そーなの?親戚ってことも内緒にしてんの?」
「ええ……」
「いいぜ。まあ、わからなくもないからな」

……良かった……拍子抜けするほどアッサリと聞き入れてくれた……。
こいつ、本当はいいヤツなのかも……?

「だけど家賃の交渉ぐらいはさせてくんねーかな」

前言撤回!いいヤツじゃないじゃんか!

「もうちょっと安くなるように、橘のオジサンに話しておいてくれると嬉しいな〜」
「わかりました……それぐらいなら、どうにか」

うん。お父さんとお兄さんはオレたちの味方だからな。話せばわかってくれるだろう。
お母さんだって末っ子直江のためなら理解してくれる……はずだ。

「いや〜、いやいやいや、まったくつくづくいやはやラッキーだな〜、俺って♪」

こっちはアンラッキーだ!このバカ教師が!!

「しっかし……橘先生、この家、新築なんだろ?なんだってこんな新築一軒家に独身なのに住んでんの?」
「色々と事情がありましてね」
「色々?何?」
「……色々です」

うわ、いつも冷静な直江がキレ始めた!声がすっごく低くなってる!いつも低くてかっこいい声だけどさらに低くなってる!!

「ふーん……色々ねえ……ま、いいか。じゃ俺、帰るわ。まだ荷解きも残ってるしな。あ、高耶。手伝うか?」
「誰が!」
「あっそう。いいの?橘先生と高耶は親戚なんですよ〜ってつい校長センセの前で口滑らしても?」
「いいい〜〜〜?!なにそれ!脅し?!」
「いいえ〜。脅してなんかいないけど〜?」

直江はこめかみに怒りのマークを浮かべながら、オレに手伝ってらっしゃい、と言った。
なんでオレが〜!でも仕方ないのかな〜?!

「手伝う……」
「そーこなくっちゃ!さ、行くぞ!」

なんなんだ、これ〜!!

 

不機嫌なまま引越しを手伝いに行ったんだけど、実はもう結構片付いてて、オレがやったのは靴箱の整理と洋服の整理だけだった。
しかも合間にお菓子やジュースを出してくれた。

「あのさ〜、橘先生ってどんなやつ?」

そうか、それを聞きたかったのか。

「うん、真面目な先生だと思う」
「家でも?」
「うーん、家だとちょっと面倒臭がりかな〜?」

千秋は真面目な先生ってのが苦手なんだそうだ。教育実習で真面目な先生に指導受けたせいだって。
話するのもイヤだって言ってた。

「それは大丈夫だと思うけど。あれで案外柔軟だし、人の話はちゃんと聞くし」
「そっか。学科が違うから橘先生に指導を受けるってことはないだろうけど、やっぱ大家さんだからさ。学校でもアパートでもうるさく言われちゃたまんねーなって思ってさ」

なんか、千秋の方が直江より年齢が近いせいか気が合うってゆーか、テンポが合った。

「橘先生と暮らしてて面倒とか起きないわけ?」
「ないな〜。学校と家は切り離せって言ってあるし」
「へ〜。そこまで柔軟だったら大丈夫かな。今日はサンキューな」

思ったより悪いヤツじゃない。

「あ、明日は台所用品の買い物、行ってくれよ」

やっぱ悪いヤツだ。

 

 

そして新学期が始まった。
始業式では相変わらず直江が司会で、その直江から千秋教諭の紹介があった。

結局オレは引越しの手伝いを3日連続でやらされて、直江はお義母さんと毎日のように電話でケンカ。
どうして千秋の職業を聞いてから部屋を貸さなかったんですか!って。
あんなにお義母さんに怒ってる直江を初めて見たよ。

そんで今年度もオレは橘学級。譲も一緒。たぶん直江がうまいこと操作したに違いない。
千秋は新任教師だから2年生の担当になってた。3年生の数学教師じゃなくて良かった〜。

始業日には部活があって、部長を決めることになってるそうだ。
部活の前に直江のいる歴史準備室に行って、お昼ご飯はどこかで食べてくれって言おうと思った。
だけど他の先生もいたから諦めて、料理部の活動場所の家庭科室へ。
なぜか千秋がいた。

「どうして千秋先生がいるんだ?」

ヒソヒソと森野と話してたら、門脇先生が家庭科室に入ってきて説明を始めた。

「今年から副顧問で千秋先生が入ります。なんかね、料理好きなんだって」

意外だ。だけど引越しの片付けの時に台所用品を買いに行かされたんだよな。
その時にメモを貰ってお使いに行ったんだけど、オレが知らないような道具までリストにあったから、結構本格的に好きなのかもしれない。

そして門脇先生と千秋が見守る中、部長の選出が始まった。オレは2年生から入ったからもちろん除外。
高校生と奥さんと部長の兼任なんか出来るわけないし、良かったぜ。

そんで部長は森野になった。本人は面倒臭いから嫌がってたけど。
その森野と一緒に帰り道を歩いてたら譲がオレたちを見かけて追いかけてきた。
譲の姿に沈んでた森野が一気にウキウキし始めた。

「参ったよ、高耶。部長になっちゃった」
「えー!あたしも部長になったよ!」

良かったじゃねえか。
森野のやつはゲンキンなことにさっきまで嫌だ嫌だって言ってた部長業が楽しみになったみたいだ。
なんたって1ヶ月に一回は部長会議ってのがあるんだから。その時に譲と一緒に会議に出られるわけだし。

「がんばろうね、成田くん!」
「う、うん」

目をキラキラさせて喜んでる森野。それを見てたらオレにもこーゆー時期があったなぁ、と思い出す。
直江が大好きで何かにつけては直江に質問しに行ったり、歴史デートにオシャレしてったり。
今でも直江に対してはウキウキの毎日だけどさ。片思いってのも悪くはなかったんだよな。

あ、いけね!!
直江に昼飯の話すんの忘れてた!!
今から戻って話してもまだ間に合う!

「悪いけどオレ、忘れ物したから戻る!じゃーな!」
「うん、またね〜♪」
「え?高耶?!」

森野はメチャクチャ嬉しそうに手を振った。
オレがいない方が森野にとってはいいからな。だけど譲は世界最強の恋愛鈍感人間だから森野も可哀想だな〜。

んで、家庭科室の前を通って歴史準備室に。
おや?誰か家庭科室にいるぞ?

「頼む!今月マジで金欠なんだよ!金貸してくれ!綾子!」

あやこ……?あやこ……綾子……門脇綾子……!!
誰が門脇先生に金の無心をしてるんだ?!って、この声は!!
千秋!!

「アンタね〜、また競馬に突っ込んだんでしょ?一人暮らしするんだから考えなさいってこの前言ったばかりじゃない」
「だって絶対に当たると思ったんだよ〜!」

なんだなんだ?どうして綾子とか呼んでるわけ?
金を貸すほど親しいのか?

「お願い!貸して!4万、いや5万!」

そこでオレのピコピコブレーンは高速で回転し始めた。
勉強にはまったく役に立たないくせに、他のお楽しみ(エッチなこと含む)や悪知恵には有効なこの脳ミソを、直江がピコピコブレーンと名づけた。
「ピコピコってスーパーマリオの高耶さんが頭の中で動いてる様子が思い浮かびます」ってさ。

そのピコピコブレーンで弾き出した答えとは!
このシーンを携帯ムービーで録画して、今後の千秋への牽制にしようという答えだ!
さすがオレ!ナイスピコピコブレーン!!

見つからないようにドアを開けてそのシーンを撮影した。
門脇、バッグの中の財布を取り出しました!お札を取り出しています!いちにいさんし……5枚です!5万円です!
それを……おお〜っと、千秋に渡しました!
千秋、頭を下げています!門脇の手を握っています!ああ!手にチューをしました!
なんなんでしょう!なんなんでしょうか、このチューは!

「サンキュー!んじゃまた明日!給料出たら返すから!」

やべえ!こっち来る!逃げるぞ!!

 

 

息を切らして逃げ込んだ歴史準備室。そこには運よく直江しかいなかった。

「どうしたんですか?そんな息を切らして」
「直江!激写したぞ!これでもう千秋にいいようにさせないからな!」
「なんですか?」

わけのわからない直江に説明をした。

「もしかしたら千秋先生と門脇先生が付き合ってるかもしれない、と、こういうわけですね?」
「いや、違う。門脇先生には『しんたろうさん』て彼氏がいるはずなんだ。だから千秋とは別の関係なんじゃないかな?」
「どんな?」
「わかんねーけど、吐かせる」
「……さすが……」
「オレは目的のためなら手段を選ばない男なんだ!」

この前のホワイトデーで直江に白状させたオレの手腕を思い出したのか、直江は大きく溜息をついた。

「それを見せて吐かせるんですね?」
「うん。何か隠してるのは間違いないからな。面白くなってきやがったぜ」

それから本題に入ってお昼ご飯の用意が出来ないって話したら、じゃあ一回家に帰ってから食べに出かけましょうってことになった。
直江と一緒に学校を出て、オレはチャリ、直江はバスで帰宅した。

 

 

その日の夜、オレは千秋を呼び出して我が家のリビングで詰問した。

「これ、な〜んだ」
「……ああ!てめえ!何撮ってやがんだよ!」
「なんで門脇先生とこんなに親しいのか、説明してもらおーじゃんか!」

かたくなに口を割らなかった千秋に直江が一言言った。

「説明できないなら部屋を貸せませんね」
「それとこれとどう関係あんだよ!」
「自分の生活費すら管理できない店子さんに、どうして安心して部屋を貸せるのか、こちらが聞きたいところです」

それを聞いてグッと詰まった千秋。

「その映像によれば競馬で負けたからですってね。そしてギャンブルで散財したあなたに門脇先生が金を貸す。そんな借金を同僚からしているのも問題です。場合によっては門脇先生にも話を聞かなくてはいけません」

そしたら千秋はブツブツ文句を言いながらも白状した。

「綾子は〜……オレの従姉弟で〜……近所で暮らしてたから姉貴みたいなもんで〜……」

そこまで聞いてないんだけど、ってことまで千秋は話し出した。
就職は親のコネ。門脇先生と同じ学校で働きたくって千秋の親(けっこうな有力者らしい)が校長先生に頼み込んだそうだ。
好きとかそーゆーんじゃなくて、相当のシスコンらしい。

「頼む!学校のみんなには黙っててくれ!」
「いいでしょう。その代わり二度と高耶さんを使いっ走りにしないでください」
「そんな〜!便利だったのに〜!」
「まったくわかってないな。千秋」

うげ。直江が千秋を呼び捨てにしやがった。怒ってんだな〜。

「おまえがこの先、ちょっとでも高耶さんに迷惑をかけるようなら、おまえもろとも門脇先生も、だぞ」
「う……」
「わかったな」
「……わかったよ……」

そんなわけで我が家にも学校にも平安が戻ってきた。
ところが。

 

いつもの朝、オレは弁当を作って直江のカバンに入れて出勤の直江を送り出した。

「じゃあ高耶さん、先に出ますね」
「いってらっしゃーい」

あ、チューしてない!直江を追いかけて玄関まで。

「直江、直江!チューしてってから出かけろ!」
「はいはい」

直江はドアを開けてから一回閉めてオレにチューをした。いつもみたく1分ぐらい。

「おっはよーゴザイマース!」

って、声と同時にドアが開いた。

「えええええ――――――!!!!」
「ち……!」
「千秋ィっ!!」
「なになになに?!なんだなんだ?!なんでチューしてんだ?!」

バレたー!!

「もしかして、橘先生と高耶って……」

ヤバイヤバイヤバイ!!

「頼む!黙っててくれ〜!!」

ピンチ、橘夫妻!どうなるんだ、オレたち〜!

 

 

その日の夕方、千秋と橘夫妻で会談が行われた。
ここでも役に立ったのがあの携帯ムービーで、千秋はオレと直江が夫婦であることを黙っててくれるってことになった。
代わりにムービーを削除させられたけど、そのぐらいで済むなら御の字だ!

「夫婦ね〜……橘先生と高耶がね〜……じゃあ……」

何か妄想したらしくってニヤニヤし始めた千秋。

「な、なんだよ」
「いや別に?じゃあ高耶。さっそくで悪いが夕飯一緒に食わせてくれよ」
「は?!」
「そのぐらいいいじゃん。従姉弟と夫婦じゃ重みが違うって。な?」

……結局、オレは千秋にコキ使われるわけか……。

「すいません、高耶さん……」
「くそ〜」
「離婚よりゃマシだろ?さあさあ、うまいもん食わせてくれよ〜?」

ちっくしょー!!
いつか後悔させてやるからな!覚えてろ、千秋〜!!

 

 

END

 

 
   

あとがき

橘夫妻大ピンチ。
これからも千秋には苦労
かけられると思われます。

   
         
       
         
   
ブラウザでお戻りください