牡丹燈籠 4 |
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それを嫉妬と呼ぶのか、恐怖と呼ぶのか高耶にはわからなかった。 その夜、門から一番近くにある長秀の室で三人は息を潜めて直江の帰りを待っていた。 「…直江かしら…」 その明かりは徐々に屋敷の門まで近づいてきた。 「見えるか…?」 その時である。直江の背にぼろ布のようなものが掛かった。よくよく見れば直江の正面からそれは巻き付くようになっている。 「…ヒ…ッ」 直江が一歩後ずさる。女に迫られ困っているような素振りであった。 「きゃ…」 叫びだしそうになったお晴の口を高耶と長秀とで塞ぎ、皆冷たい汗をかきながらその光景を見守っていた。 「あ、ありゃ、本物の亡霊だぜ…」 直江が足音を忍ばせて自室へ行こうと庭先を横切った時、突然絹を裂くような女の声が聞こえた。 「お晴?!」 直江が驚き長秀の室へ走って来る。脇差に手をかけ、刀身を抜く。 「待て、直江!」 長秀の室の障子が開いて、立ちはだかったのは高耶。直江の方こそ驚いてしまった。 「高耶さん!今、お晴の声が!!」 直江に対するいつもの高耶のような甘えが微塵もなかった。切羽詰っているように見える。 「どう…したんですか?」 草履を脱いで縁側に上がり、長秀の室へ入った。長秀が行灯に火をともしており、お晴はといえば怪物を見るような目で直江を仰ぎ見ていた。 「座れ」 高耶を上座にし、直江が正座で座った。長秀も直江に対して不審な目をしている。 「今、門のところで会っていたのはお船か?」 高耶が何を言っているのかわからない直江。高耶を呆然と見ることしかできなかった。 「ありゃーな、亡霊だ。おまえが逢瀬を重ねてた相手は亡霊だ。俺も、景虎も、お晴も見た。あの濃桃の着物から出ていた腕は、骨だった。そしておまえに寄り添うあの顔は、髑髏だったんだ」 高耶が畳み掛けるように直江に問うた。 戸惑う直江に、長秀が医師から聞かされた話を事細かに話してみせた。 「オレたちが世話になったあの屋敷は、もう廃屋になっておるそうな。なんなら明るくなってからでも見に行ってみるか?」 夜が明けると四人は直江が先刻までいた屋敷へと向かった。途中高耶が息切れを起こしたため、直江が背負おうとしたが頑なに拒み、長秀の背に負われた。 「そんなはずは!高耶さん!あなたもこの屋敷にいたじゃないですか!」 庭を見れば腐って落ちた鹿おどし。枯れた井戸。荒れ果てた囲いの林。しかしそこは紛れもなくお船の屋敷であった。 「まさか…」 そうかもしれない。高耶はあの時、骸骨が直江の寝所へ入っていく夢を見たと言っていた。そのせいで。 「どうするんだ?俺はおまえが取り憑かれて死のうが知ったこっちゃねーけど、主人を巻き添えにするわけにはいかねーんじゃねーのかよ」 直江の双眸に生気が漲る。琥珀の炎のような、触れば火傷をしてしまいそうな。 それから長秀とお晴は麓の寺の住職に魔除けのお札を頂きに山を下り、高耶と直江は屋敷へ戻った。 「申し訳ございません…景虎様。とんだ目に合わせてしまい、家臣として恥ずかしく思います」 直江が顔を上げ、高耶を見つめる。 「あなたを、愛しています。あなたの代わりに、あの女を抱きました。そのことを詫びています」 直江が膝で進んで高耶の正面に座った。その直江に高耶が抱きついた。 「おまえを、愛している」 思う様、高耶の唇を貪った。高耶も直江の頭を抱え、何度も唇を合わせる。袷から覗く高耶の鎖骨に赤い痣をつけ、手を滑り込ませる。 「私もあなたを味わいたい…」 高耶を裸にして、直江の両手が足を大きく開かせた。その中心にある高耶の男根を直江が咥え込む。 「んん!」 高耶が夢で見ていたよりも、直江の口はしつこかった。人間技ではないような気がするほどに。
長秀は住職を連れて帰ってきた。事情を話したところ、若様の御為と取るものも取りあえず出向いてきてくれ、心強い味方になってくれたのである。 皆で直江の寝所にありったけの札を貼った。柱、襖、天井、壁、畳、鴨居、どこを向いても札ばかり。 「俺たちは用心のために外にいる。おまえら絶対中から開けるなよ。開ける時は、俺がこの手で開けるから、何があっても自分たちでは開けるな」 高耶も長秀が持ち帰った大刀を脇に差している。この大刀は父から譲り受けたもので、病魔からの護身のためにと刀身に般若心経が刻まれている聖器でもあった。 「私のそばを離れぬよう」 病身の高耶に無理をさせてはいけないと思うが、高耶の心遣いが身に沁みる。 「愛しています。二度と惑わされません。あなたに忠誠も、心も、私のすべてを捧げます」 お互いの体を抱きながら、正面にある障子を見つめた。ここから先は死線である。 手を重ね、行灯の元で身を寄せ合い座っていると、すうっと火が消えた。 「来たぞ」 きつく高耶を抱き、恐怖に縮こまる己の心を叱咤する。 誰のためにこの人が大刀まで差して守ろうとしてくれているんだ?俺のためではないのか? 覚悟を決めて、外の気配に立ち向かう。白い障子紙の向こうに、ぼうっと明かりが浮かび上がった。 「直江様、直江様」 細くか弱い声が、障子の向こうから聞こえてきた。お船。 「そこにいらっしゃりますか?直江様」 どうやら札の力で直江の気配が掴めぬようであった。寝所の前をうろうろと明かりが右往左往している。 「大丈夫」 お船の声はまだ外で直江を呼んでいる。そのうちだんだんと声は掠れ、とうとうお船の細い声ではなくなった。 「直江様!」 地響きが起きたかと錯覚するような、屋敷も山も揺さぶる声だった。 「悪霊退散!」 一喝の声が上がり、住職の張りのある声が般若心経を読み始めた。息を飲む牛頭の声がし、地響きは細かく、しかし連続的に直江たちを揺らす。 「とうとう正体を現したか、悪霊よ!」 住職が数珠を出し、最後の祈祷に入った。住職の身体からゆらりとかげろうが立ち上った。 「あびらうんけんそわか!」 手にした数珠を気合とともにお船に投げつけた。 「ぎゃあああああ!」
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つづく |
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