遅めの昼食が終わり、直江は外商の仕事について聞くために、高耶のデスクへ来た。
外商の仕事はそれほど難しくないため、商品によって割引率が違うことや、その計算方法を教えてから店舗へ移動した。
店舗の倉庫には製図用品が在庫してある。高額なものはドラフターから、低額な三角定規まで。
直江も商品についての知識は一通りあるが、現役で店舗販売をしている高耶にはかなうわけない。ドラフターなら先日まで毎日のように大手企業に売り込んでいたが、小さな製図用品は使い方すらわからないものもある。
細かく説明を受けてから、今度は店舗内部を案内される。
「販売ってしたことある?」
言ってから、千秋じゃあるまいし目上に向かって何て口の利き方をしてしまったんだ、と思ったが直江は気にしないらしく普通に返答してきた。
「販売はありませんけど、ウェイターでしたら学生時代にやってましたよ」
「ファミレスとか?」
「いえ、普通のレストランです」
だったら客あしらいは出来るだろうと思い、基本的なマナーは省略して、接客販売の流れを説明した。
「在庫がない商品は工場の倉庫から送ってもらう手配をするんだけど、その時はお客さんに待っててもらって、倉庫に電話をしてください。で、いつ届くか、在庫はいくつあるか、色は何色があるか、をその場で聞いて、お客さんがOKすればファクスで注文。NGだったらそのまま放置。注文センターの人たちはこの店の名前を言った時点で在庫確認だってわかるから」
「はい。この注文用紙で送ればいいんですね?」
「そう。センターは夕方5時で終了で、その前に発注すれば翌日には届くようになってるけど、過ぎると翌々日の配送になっちまうから気をつけて。土日はセンターが休みだから、月曜に確認しなきゃいけない。その際はお客さんに電話をして、いつの到着になりますって連絡をしてあげてください」
「届いたらどうするんですか?」
「お客さんには注文用紙の控えを渡すようにしてるから、いつ届くかはわかってるんだ。でも一応電話連絡は欠かさずにしないと、不安を持たせるから必ず連絡して届きましたって言わないとダメなんだ」
直江が用紙を見ると、ワープロソフトで作成されたらしいA4の注文用紙の隅っこに、手書きで「最終連絡日」と書いてある枠が作ってあった。
そこにお客さんに電話をした日付と、担当者の名前を書き込むらしい。
「どうしてここは手書きの枠なんでしょうか?」
「それオレが書き足した。オレが販売も手伝うようになってから、気になってさ。前は電話連絡なんかしなかったらしいんだけど、やっぱ連絡貰ったほうが安心するだろ?店に対しての印象もいいだろうし」
「そうですね…」
「取り寄せする人なんか週に2人いればいい方なんだけど、それでもなんかな、ほったらかしっての良くないと思うんだ。単価が高いものを取り寄せする人もいれば、忘れて取りに来ない人もいる。だから連絡しようと思って」
このことでは無駄に電話代を払うような真似をするな、と統括部長に言われていたが、そこだけは譲れないと思い、高耶と販売員で話し合って内緒で続けている。
週に数十円ほどの出費なので、無駄な電話ばかりかけている統括部長よりはマシだ、と考えてやっていることだった。
「はい。わかりました。こういうのって、大事ですよね」
「だろ?」
直江が笑顔で同意してくれたのが嬉しかったのか、高耶も一緒になって笑顔で返事をした。
今朝からずっと仏頂面で直江に接していた高耶が笑ったものだから、直江は少し意外に思った。笑うととてもキレイな人だ、と。
だが、これを直江に説明しなかった高耶は、とんでもない場面に遭遇してしまうことになる。
それはさておき、定時の6時まで直江に付き合って外商と販売の仕事を説明した。販売と外商は切っても切れない縁で結ばれている会社なおかげで、店舗バックヤードにも高耶のデスクがあった。
こちらは主に在庫管理のためのデスクだ。
そのデスクでの仕事も流れだけ説明しようと連れて行った時、販売員の女の子がサッと立ち上がり直江に自己紹介を始めた。
「販売の浅岡麻衣子です。よろしくお願いします」
浅岡は千秋と同期のなかなか可愛い女性で、高耶も何かと良くしてもらっている。
お菓子を作るのが趣味だそうで、最近はケーキ教室に通っていて、教室があった翌日は出来上がったものを販売の社員と高耶と
千秋におすそ分けしたりする。
「オレがいない時にわかんないことあったら、浅岡さんに聞けばわかるから」
「はい。よろしくお願いします」
浅岡さんは笑顔が可愛らしくて美しい女性だ、と直江は思ったが、同時にさっきの高耶の笑顔を思い出していた。
先程の仰木くんほどではないな。
外見上の女らしい美しさはあるが、芯から出る美しさは仰木くんの比ではない、と。
男性である高耶と、浅岡を比べるのは間違っているだろうが、そこは仕事上の同僚としての印象かもしれない。
長い間、今の仕事をしてきた自分は、相手を見極める能力がある。その直感が働いたに違いない。
「じゃあ、仰木くん。そろそろ定時ですけど、私はまだ仕事が残っているので営業所に戻ります。あなたは?」
「オレもやっとかなきゃいけない仕事があるから戻るよ。あ、でも夕飯買っておかないとマズイかも」
「そんなに残業するんですか?」
「まあ、遣り残しした自分が悪いんだし」
「では先に戻りますね」
「うん、お疲れ様」
その足でコンビニへ向かった高耶はおにぎりを3個と、カップの味噌汁を買って戻った。すでに営業所は閑散としており、残っているのは高耶と色部と直江、他数人になっていた。
総務の女子社員は残業禁止命令が出ているし、経理の連中は今日はそれほど忙しくなかったようだ。
社長と部長はいつも定時で帰ってしまう。
「よし、と。じゃあ仰木くん、この伝票を処理して明日経理に回しておいてくれ。私は帰るから」
ようやく事務処理が終わった色部が数枚の伝票を高耶に渡した。
「はい、わかりました。えーと、売掛金伝票でいいんですよね?」
「ああ。頼んだよ」
「はーい、お疲れ様でしたー」
夜8時を過ぎて色部も帰ってしまい、とうとう残ったのは高耶と直江だけになってしまった。
今日、直江に説明をするので時間を取られた高耶は、昨日残してしまった仕事の他に、今日の分を済まして帰らなくてはならない。
「仰木、くん」
「はい?」
仰木、で一回切られて呼び捨てにされるのかな?と思った高耶だったが、直江はちゃんと『くん』を付けた。どうしてそこで切られてしまったのかはわからない。
別に呼び捨てでもいいんだけどな。
「もしかして、私のせいで遅くなってるんじゃないですか?」
「あー、そうゆうわけじゃないけど…」
「手伝いましょうか?」
「マジで?だったらさ、この納品書を日付順にファイルしてもらっていい?それだけでいいんだけど」
20枚ぐらいの納品書がトレーに入っている。それを直江に渡して、棚を指さし、あそこの棚に今月の納品書が入ってるから、と指示した。
課長補佐にこんなことやらせていいのかな?と少し思ったが、新入社員として扱ってくれと本人も言ったのだからいいのだ。
「お安い御用ですよ」
しかし納品書をファイルするのは慣れていないらしく、多少てこずっている。日付順というのが難しいようだ。
ファイルには、手元の納品書より新しい日付のものもあり、取り出してからまたファイリング、という作業が面倒だ。
ファイルと格闘している直江など目に入らずに黙々と仕事をしていた高耶の耳に、いつもは自分からするはずの音が聞こえた。
直江の腹がグーと鳴っている。
「…もしかして、腹減ってる?」
「…聞こえましたか?…ええ、とても」
「だったら無理して手伝うなんて言うなよな。んじゃ、手伝ってくれたお礼にコレやるよ」
さっきコンビニで買ってきたおにぎりを一個、直江に渡した。
「え、でもこれは仰木くんの…」
「いいから。お礼って言ったろ。もし今度、オレが手伝った時は何か差し入れ頼むよ」
「そうですか?じゃ、ありがたく頂きます」
当たり前のようにおにぎりを差し出した高耶の心遣いに驚いた。今までこんなにさりげなく差し入れをされたことはない。
「あ、そうだ。ちょっと食うの待ってて」
何だろう?と思っていたらコーヒーメーカーや食器が置いてある簡易の休憩室に入り、何かゴソゴソやっている。
しばらくして出てきた高耶の手には、カップの味噌汁とマグカップがあった。味噌汁の方を直江のデスクに置き、自分はマグカップを持っていた。
「味噌汁な。半分こで悪いけど」
マグカップは高耶の自前らしい。コーヒーショップのマーク入りの白いカップだった。
「いいんですか?」
「いいよ。大好物だったら分けないけど、味噌汁だし」
イタズラをする子供のように意地悪そうに笑って、箸を手渡す。
最初の印象とは違って、色々な表情を持っている。それにどれも自然で飾り気がないのに、華がある。
「そうおっしゃるなら、遠慮なく頂きます。私も大好物は分けませんからね?」
「いいぜ。お互い様だな」
会社とはこんなものだったか?と考えながら直江は味噌汁をすすった。
少し離れた席で高耶も同じく味噌汁をすすりながら仕事をしている。それからおにぎりを開けて食べる。
大きな問題はあるが、温かみのある子会社に来たもんだ、となんとなく和みながら直江もおにぎりのパッケージを開けた。
つづく
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