hold on me, squeeze


 
         
 

直江が入ってきてから3日目、金曜の退社後は直江の歓迎会になった。小さな会社のために集まったのは社員ほとんど。
いつもは上司にホステス代わりにされ、会社での飲み会は新年会以外参加しない浅岡ですら参加した。
近所の居酒屋で、歓迎の挨拶を社長自らして、後は自由に話し始める。

高耶は浅岡と並んで座っており、その向かい側に千秋がいた。
相変わらず浅岡をホステス扱いしようとする上司たちを避けるように高耶が壁になる。いつもこの上司たちが浅岡にお酌をさせるのが嫌いでたまらなかった。女性の扱いを間違えている。
もし高耶の妹の美弥が社会人になって、こんな扱いをされるなら働かなくていいとまで思ってしまう。

しかし今日の浅岡は違った。自分から進んでお酌をして回っている。
行かなくていいと千秋からも言われたが、なぜか機嫌よくビール瓶を持ってテーブルを回った。

「直江さん、どうぞ」

直江のグラスにビールを注ぐ浅岡を見ながら、そういうことか、と千秋が呟いた。

「なんだ?そーゆーことって」
「直江目当てなんだよ。あのツラじゃ女は寄ってくるわな」
「ふーん。ま、エリートだしな。そんなもんじゃねーのか?あ、もしかしておまえ、浅岡さんに惚れてたとか?」
「そーじゃねーよ。可愛いなーとは思うけど、惚れるってんじゃないな」

1時間ほど千秋と販売員の社員とくだらない話で盛り上がる。たまに視線を感じて振り向くと、直江がこっちを見て困った顔をしていたりする。
どうやら隣りに居座った浅岡の扱いに困っているらしい。
うまくやれ、と言う意味でニヤリと笑ってみせると、直江はますます眉を下げて小さく溜息をつく。
もしかしたら浅岡は直江の好みではないのかもしれない。そうじゃなかったら話題についていけないとか?

「すいません、挨拶へ行きますから」

そう言ってようやく浅岡から逃げた直江は、元は浅岡が座っていた高耶の隣りの椅子に座った。

「お、来たな。直江課長補佐!まあ乾杯しよーぜ。これからよろしく〜」

少し酔った千秋が何度目かの乾杯を勧めた。テーブルにいた6人のグラスが合わさる。

「歓迎会なんてしてもらって逆に申し訳ないですよ」
「いいの、いいの。タダで飲めるんだから気にしないで酔っ払おうぜ〜。明日は休みだしな!」
「そうっすよ、直江さん!販売員もお世話になるんですし!」
「た…仰木くんは、楽しんでますか?」
「ん、まあまあ」

今までの直江の仕事はどんな内容だったかを聞きながら、ちびちび飲んでいた高耶に統括部長からお声がかかった。

「なんだ?またおまえ何かしたのか?」
「いや、してないと思うけど…」
「早く来い、仰木!」

しかたなく席を立った高耶を心配して千秋が見つめる。販売員たちも同様だ。

「いつも俺たちの盾になって怒られてるんだよな…仰木くんて…」
「いや、あいつが生意気だからだよ。販売が気にすることないって」

直江も周りの話を聞きながら心配になってきた。ここ3日間、高耶と仕事をしていて特に大きな非は認められない。
それどころか客に対して誠心誠意接しているし、今日も一緒に外商車で配達の流れを教えてもらいながら仕事をしたが顧客にも可愛がられていて感心したほどなのに。

「おまえなあ、電話連絡なんかするなって言っただろう!」

統括部長や社長が座っているテーブルから怒声が聞こえた。高耶が怒鳴られているようだ。

「おまえが間違ったこと教えると直江くんが迷惑するんだ!」
「けどあれは」
「上司の言うこと聞いてりゃいいんだよ!聞けないなら辞めちまえ!」

直江の向かいに座っている千秋は眉をひそめて直江に言った。

「あいつ、あんたに何か間違ったこと教えたのか?」
「いえ、そんなことはないと思いますけど…」
「だったら何を怒られてるんだろ。あんた、部長に何か言った?あいつに教えられたこと」

さっきあのテーブルで何か言っただろうかと考えたが、特に思いつくことはない。
自分が何か言ったから怒られているのはわかっているので、どうにか高耶を救い出したい気持ちはあるのだが。

「電話代が無駄になるって言ったろうが!」

部長の言葉でピンときた。

「それか」

そう言うと椅子から立ち上がって直江は高耶の元にツカツカと歩み寄り、部長と高耶の間に割って入るようにして高耶をかばった。

「部長。そのお話ですが、私は仰木くんに賛成ですよ」
「しかしなあ、上司の言うことが聞けない部下なんてものは…」
「それはちょっと問題はありますが、仰木くんに感謝しているお客さんはたくさんいるんですよ。せっかく誉めてくださるお客さんがいらっしゃるんですから、電話連絡をやめてしまうことは逆に不利益になると思いますけど」
「いや、だがな」
「仰木くんには私からちゃんと話しておきます」

食い下がった直江に不快感を持ったのか、部長のターゲットが直江に代わった。

「直江くん。キミは出向だろう?こっちの社員の問題はこっちで処理する。余計な口を挟まないでくれないか」

これにはさすがの直江もキレる寸前だ。笑顔がなくなり、

「わかりました。私は出向ですから、これ以上余計な口は挟みません。ですが仕事は仕事です。その点に関しては私にも権限はありますから先程の話は私が責任を持って改善します」

部長の隣りの社長がハラハラして見ていた。いつも社長の腰巾着の部長が本社のエリート、直江に失礼な言葉を吐いている。
酒の席とはいえ、この雰囲気はさすがにマズイと思ったのか、二人を擁護する形になって部長をなだめた。
その隙に直江は高耶を逃がすようにして元の席に戻った。

「すいません、さっき私が余計な話をしてしまったんですね…」
「ああ、いいよ。いつものことだし」
「いつも、あんなふうに詰られてるんですか?」
「週に何回かな。嫌われてるみたいだし、聞き流しておけばいいかなって」
「パワーハラスメントって知ってます?」
「知ってるけど、この会社じゃ意味ないよ」
「さっきの発言は間違いなくパワーハラスメントですよ。あなたは会社を良くしようとしてやっていることなのに、辞めちまえ、だなんて」
「いいよ。そん時は辞めりゃいいんだ。オレひとりぐらい、どこででも働ける。稼げれば道路工事だっていいんだしさ」
「そういうわけにはいきませんよ」
「いいってば。あんたに心配されたってどうにもならないんだから」

モヤモヤした気持ちを酒で鎮めようと高耶は慣れない酒を飲んだ。その高耶を見て自分の配慮のなさに自己嫌悪した直江も酒を流し込む。

「仰木〜。おまえそんなに強くないんだからあんまり飲むなよ」
「わかってるよ」

一気に雰囲気の悪い歓迎会になってしまった。
上司が集まっている席では色部も他の上司も部長をなだめるのにいっぱいいっぱいで、直江と高耶に関心を持つ者はいない。
そんな感じで歓迎会は終了。二次会は浅岡が直江他、若い社員たちを誘ってカラオケになった。

「オレは帰るから。んじゃ」

居酒屋を出た所で高耶が帰ろうとした。若い社員たちが腕を引っ張って引き止める。
それでも気分が乗らないと帰ろうとする高耶。その高耶の肩に大きな手が乗った。

「では私も帰ります。あまりカラオケという気分ではありませんから」

直江の声は落ち着いているが、どうやら酔っているらしい。顔色も良くなく、悪酔いしたんだな、と思った。

「じゃー、オレたち帰るから。またな」
「お疲れさーん」

浅岡があからさまにガッカリした様子で直江を見つめている。可哀想なことをしたかもしれないが、高耶は直江に残ってやれ、と言うことはできない。自分のせいで直江も嫌な思いをしたのだ。

「タクシーを拾いましょうか。この酔い方では満員電車には乗れなさそうですから」
「もしかして気持ち悪いとか?」
「ええ、少し」
「だったらオレんちで休んでけば?歩いて15分ぐらいだから」
「いいんですか?」
「いいよ。狭いけど、休むぐらいだったらできるから」
「でしたらお邪魔します」

朝が弱い高耶は会社の近くにアパートを借りていた。歩けば15分だが、遅刻しそうな日は自転車で行けば5分で着く。
外観もキレイで家賃は少し高めだったが、何度も遅刻をして給料を引かれるよりはいい。

「コンビニ寄っていい?麦茶飲みたい」
「ええ。私も何か買います」

帰り道にあるコンビニで高耶はペットボトルの麦茶とアイスクリームを買った。直江はウーロン茶を。一緒にレジに出したら直江が財布を開けた。

「いいって。自分で買うから」
「ここは私に出させてください。おにぎりのお礼だと思って」
「そっかー?んじゃゴチそーさま」

白い壁の鉄骨アパートに着いた二人は1階の高耶の部屋に入った。部屋の隅には畳んである布団、他はチープなAV機器に本棚があった。でも何か欠けている…。

「意外と片付いてるんですね」
「物が少ないからな」

部屋の真ん中にある小さなテーブルに買ってきた物を置いてから、座布団代わりにとクッションを出した。
それに座って直江が部屋の中をしげしげと見る。目が行ったのはCDラックだった。ゆうに100枚はある。

「たくさんCDがあるんですね。仰木、くんは…どんな音楽が好きなんですか?」
「どんなってゆーか、なんでも聞く。テレビがないから、音楽ばっかり聴いてるんだ」

そういえばテレビがない。さっき何か欠けていると思ったのはこれだったのか。

「どうしてテレビがないんですか?」
「買えないから。ここの家賃が少し高くてさ、テレビ買う余裕がなかったんだよ。冬のボーナスまでガマンすんだ」
「…よかったら、ウチの使ってないテレビ差し上げましょうか?15インチのブラウン管ですけど」
「ホントに?!」
「ええ。電器屋さんに引き取ってもらい忘れて、ずーっと玄関先に置いてあるんです」
「だったら貰う!」
「良かった。明日か明後日にでも車で持ってきますよ。よく足をぶつけたりして邪魔でしょうがなかったんです」
「へ〜、言ってみるもんだなあ」
「来る前に電話しますよ。そうだ。た…仰木、くんの携帯番号を教えてもらえますか?」
「いいけど…」

先日から気になっていることが高耶にはあった。直江が自分を呼ぶときに、必ず言葉を詰まらすのだ。
呼び捨てでもかまわないのに、と毎回思う。

「あのさ、なんでいつもオレの名前呼ぶ時、変に詰まるんだ?」
「え?ああ、あの…」
「呼び捨てでもいいけど?」
「そうじゃなくて…。つい『高耶さん』て呼びそうになってしまって」
「へ?」

目の前で男前が困っている。今日は二度も困らせてしまったようだ。

「会社でそう呼ぶわけにもいかないでしょう?あなたを初めて見た時から仰木くん、よりも高耶さん、の方が自然な気がしたんです」
「変わったやつだな…」
「会社じゃない時は高耶さんて呼んでもいいですか?」
「いいけど」
「良かった」

さっきまで困った顔をしていた男前が今度は嬉しそうに笑う。やっぱり男前は笑っても男前だ〜と思いながらその顔に見とれてしまった。

「じゃあ、高耶さん。CDを見せてもらっていいですか?」
「あ、うん。聞きたいのあったらかけていいから」

ネクタイを緩めながら直江がCDラックの前へ膝で移動する。床に胡坐をかいて座り、ラックの中を覗き込む姿はエリートとは思えないほどほのぼのしている。

「ビートルズは私も全部ありますよ。高耶さんはどのアルバムがお好きですか?」
「オレはラバーソウル。『NORWEGIAN WOOD』って曲、あれが好きでさ」
「同じですね。シタールの音が澄んでいていいですよね」
「うん。酔っ払って聞いたことある?」
「酔って、ですか?それはないですけど」
「酔って聞くとまったりするぜ。まだ酔いが醒めてないなら聞いてみる?」
「ええ」

高耶がビートルズをコンポに入れて再生した。シタールの伸びやかな音が流れる。

「あ、そーだ。電気消してスタンドだけにするとまたいいんだよな」

オレンジ色のランプだけが灯る。その光にグラスの冷えた麦茶が琥珀色に反射する。

「壁によっかかって手足をダラーってさせてみ?何も考えないでボーっとすんの」

言われてやってみたらとても良かった。今までビートルズをこんな聞き方で楽しんだことはない。
会社で働く高耶の姿と、今のリラックスした高耶は別人のようだ。和やかな雰囲気を持っていて、一緒にいると安心する。

「な?すげーいいだろ?」
「はい。なんだかあなたは…不思議な人ですね。キレイな感じがする」
「はー?」

ああ、そうか。自分が理想としているキレイな人とは、こんな人だ。性別なんか関係なく、焦がれてしまう。

「高耶さんには付き合ってる人がいますか?」
「いないよ。そんなにモテないもん」
「そんなわけないでしょう?本当は?」
「ホントにいない」
「だったら、好きな人はいますか?」

うーん、と考えてから

「憧れてる人はいる」
「どんな人?」
「直江さん。仕事が出来て、優しくて、堂々としてて、サラリーマンの鑑って感じ」
「私ですか?私はそんな憧れられるような人間じゃないですよ」
「いかにもエリートって感じなんだけど、腰は低いし、嫌味はないし、ホントに憧れだけどな」
「あなたを好きになったって言っても?」
「はい〜?!」
「私の理想の『心のキレイな人』があなただって思いました。女性ではなかったけど、ちっとも残念だと思えません。あなたが好きみたいです」
「…それって〜…マジ?」
「大マジです」

確かに直江は憧れだが、それは先輩としてであって、恋愛ではない。
酔って、こんな暗い部屋で音楽を聴いて、雰囲気に呑まれてるだけに違いない。明日には冗談だったで済むはずだ。

「で、どうしたいわけ?」
「付き合ってください」
「いいけど、まずは友達からってことで」

しばらく冗談に付き合ってやるか。そんな軽い気持ちで返事をした。

「まずは友達からだったら、これからは直江と呼んでください。ね、高耶さん」
「うん。直江。会社だったらちゃんと直江さんて呼ぶけど」
「どうぞよろしくお願いします」

三つ指を付いて頭を下げる直江に合わせて、自分もそうした。なんだか笑いが込み上げてきて二人で笑った。
それからすぐに直江が立ち上がって、帰り支度を始めた。

「じゃあそろそろ帰りますね。ありがとうございました。明日、電話を入れてからテレビを届けます」
「あ、そうだっけ。じゃあ昼前に来いよ。一緒にどっかでメシ食おうぜ」
「それはいいですね。楽しみです。では明日。おやすみなさい」
「おやすみ」

玄関で見送ると、額にキスされた。驚いて声も出ないまま、ドアが閉まった。

「あいつ、もしかしたら本当に本当なのか?」

だけど、イヤじゃなかった。
額を押さえながらしばらく玄関に突っ立っていた。

 

 

 

つづく

 

 
         
   

自分で書いてるくせに
「パワーハラスメント」と「パーラメント」
を間違えて読みました。
アホだ。
直江は憧れの高耶さんの家に
上がりこみました。
生意気。
400年早いんだよ!

   
         
   

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