深夜になって千秋から電話が入った。終電がなくなったから泊まりに行くと言う。
すでに眠っていたので断りたかったが、しかたがないのでOKして来るのを待った。15分後、インターフォンが鳴った。
玄関の鍵を開けると千秋がコンビニの袋を目一杯膨らませて入ってきた。高耶のアパートに泊まる時はこうして差し入れをたくさんしてくれる。
ホテル代だよ、と笑って。
「あの後さー、大変だったんだよなー」
「何が?」
「浅岡さんだよ。直江が帰ったのが寂しかったらしくて、もうカラオケでみんなに絡みまくってさあ」
「へー。そんなに直江さんのこと好きなのかな?」
「どうだかな。性格なんてほとんどわかってないんじゃん?」
直江の性格…。エリートのくせにほのぼの。真面目だけど変なヤツ。
頭の中でさっきの出来事を回想して、つい笑ってしまった。
「思い出し笑いか?ヤラシーなー」
「いや、さっきまで直江さんがここにいたんだよ。悪酔いしたみたいだから休ませてたんだ」
「あいつと一緒だったのか?おまえが?」
「なんかさ、思ってたよりラフでいいヤツだったぜ。テレビもくれるって言うし」
「そうなんだ…へー。そりゃ意外だな」
「どこが?」
「噂で聞いたんだけど、あいつって会社の連中とはつるまなかったみたいだぜ。歓迎会とかも参加しないタイプだったって本社の女の子が言ってたんだ」
今日の歓迎会は主役だから来たのかもしれないと思って、そう千秋に言ってみたが違うそうだ。
直江は一時期ドイツの支社で勤めていたことがあり、本社へ戻って営業1課に配属された際の歓迎会を断ったことがあるらしい。
そういうのは苦手だから、と。
「じゃあ何で今回は来たんだろ?」
「…さあな。なんか気になるヤツでもいたんじゃないのか?」
「浅岡さん、とか?」
「違うだろ。だったら二次会も来てるさ。おまえこそ聞かなかったのか?」
「聞いてない。…聞いてないけど…」
もしかして、さっき告白されたのは冗談でも、酔ったのでもなく、本当に本気だったとか?
だとしたらマズイかも。あいつがもし本気だったら、オレは心をもてあそぶ悪魔になっちまう。
「仰木?」
「いや、なんでもない」
だけど、額にキスされて全然イヤだと思わなかった。当たり前みたいに思った。
大学時代に付き合っていた女の子とキスした時より、自然な行動の気がした。
例えるなら、コンビニでお釣りを貰うような?得意先に「ありがとうございました」と言うような?
「なんか変だぞ?」
「なんでもない。オレはもう寝るぞ」
一枚の布団を横に敷いて、片側に体を横たわらせる。千秋を床に寝かせるのはいくらなんでも忍びないと思っていつもこうしている。自分のTシャツとハーパンを貸して着替えさせた。
それからタオルケットは自分に、大き目のバスタオルを千秋に貸して、夏の蒸し暑い夜の中で眠った。
翌日は二人とも午後まで眠っていた。直江からの電話で起こされ、着いたらインターフォンを押してくれと言ってからまた眠る。
そしてインターフォンが鳴った。パジャマのまま出ると、直江がテレビを抱えて立っていた。
「寝てたんですか?おはようございます」
「おはよう…あー、まだ眠いや。入って」
会社とは違って直江はポロシャツにチノパン姿。髪もセットしないので前髪が垂れてていつもより若く見えた。
白いキャンバスのスニーカーを脱いで高耶の部屋に入った直江が見たものは、高耶が寝ていたであろう布団に千秋が寝ている姿だった。
「あの、高耶さん」
「何?」
「どうして千秋くんが…」
「いつものことだけど」
「いつものこと?いつも一緒の布団に寝てるんですか?」
「そう」
テレビを床に置いた直江は苦々しげに、眠る千秋を見ている。声はあくまでも静かだが、冷たく低かった。
「どうしてですか?そんなに仲がいいんですか?」
「まー、いいっちゃいいけど」
「昨夜、私が言ったこと、覚えてますよね?」
「あ?ああ…覚えてるけど…」
やっぱり冗談じゃなかったのかもしれない。この直江の声は嫉妬しているとしか思えない。
「なんか誤解してないか?オレがおまえと付き合うのって、友達って意味でじゃんか」
「ええ。そうですけど…。でも私の気持ちは伝えましたよね。それをわかってて、こんな場面を平気で見せたんですか?」
「あのな。ガキじゃねーんだから」
これではまるで友達が他の子と仲良くしていて嫉妬する幼稚園児と同じだ。やっぱり変だ、こいつ。
だけど、悪い気はしない。
「わかったよ、もう今度からしない。これでいいだろ?」
「そうしてください」
呆れた高耶は千秋のそばへ行って足で蹴って起こした。眠そうに文句を言いながらやっと目覚める。
体を起こしてから直江がいることに気付いた。
「え?なんで直江さんがいんの?」
「テレビくれるんだって話しただろっ」
「あ、そーか。ふわ〜、眠みぃ。仰木、ちょっと麦茶持って来てくれ。喉渇いた」
「うっせーヤツだなぁ。待ってろ」
千秋と直江のぶんの麦茶をグラスに入れて持っていくと、直江が仏頂面で千秋を睨みつけている。千秋は我関せずでアクビを連発していた。
高耶からグラスを受け取った千秋はそれを飲み干すと、バスルームへ向かった。
「彼とはただの友達ですよね?」
「当たり前だ!何考えてんだ!」
歯ブラシを咥えた千秋がバスルームから出てきて、風呂に入るから服とタオルを貸せと言った。
渋々ながらクローゼットを開け、普段着のTシャツとジーンズを出す。タオルはタオルケット代わりにしていたものを投げ渡す。
「今度、俺の歯ブラシ新しいのにしといてくれや」
「自分で買えよ!」
「いいじゃん、何かのついでに頼んだぜ」
そしてバスルームに引っ込んだ。直江は微動だにせず座っている。眉間にシワを深く寄せて。
「本当に、友達ですよね?」
「だからそーだって言ってるだろ!」
「…歯ブラシまで用意してある友達ですか?」
「週に2回は泊まるんだ、あってもおかしくないっての」
「じゃあ、キスはされましたか?」
「んなわきゃねーって!!気色悪い!」
「私だったら?」
「はあ?!」
「私にだったら、キスされてもいいですか?」
「…なに、言ってんだよ…」
「友達でもいいです。でも、もう決めました。あなたを奪います」
「何ソレ!」
「言葉通りですよ」
あ、と思った時にはキスされていた。
マズイ、と思った時には舌が入ってきた。
それからはもう直江の舌の感触と動きに翻弄されて、流されるままうっとりキスをしていた。
水が流れる音がやんだ。千秋の鼻歌が聞こえる。もうすぐ出てくる。だけど、止まらない。
「あー、さっぱりした!」
バスルームのドアが開く音と同時に直江の唇が離れた。空気が濡れた唇を冷やして高耶はようやく我に返った。
「さっぱりしたら腹減ったなあ。蕎麦でも食いに行かねーか?」
タオルで頭を拭きながら出てきた千秋に向かって直江がにこやかに答えた。
「そうですね。お蕎麦、食べに行きましょうか。高耶さん?」
「あ、ああ。うん」
「どうしたんです?ボンヤリして」
「…なんでも、ない」
千秋が着替えている間、みつからないように直江がそっと高耶の頬を触った。その手に頬を赤く染めた高耶の反応と、うるんだ目で、直江の目が自信に満ちた。
「続きは、また今度」
小さな声で耳元に囁くと、コックリと高耶が頷いた。
近所の蕎麦屋で仲良く食べた後で千秋が帰ると言い出した。
「直江さんも帰るだろ?車で送ってくんないかなー?」
「おまえな、直江さんは上司なんだぞ。図々しいこと言うなよ」
「だってウチと直江さんちって近いんだぞ。なあ?」
「ええ、そうですけど…」
直江が高耶に向けて乞うような視線を投げる。
蕎麦を食べている間も直江の唇が動くのを見ていた。どうしても意識してしまう。
そして今も直江の視線に熱を感じてしまうのは自分の自意識過剰のせいだろうかと思わず目を反らす。
続きは、また今度。
そう言ってた。今度がある。何を期待しているのか自分でもわからないが、それまで待った方がいいのだろう。
「あ、そーなんだ。だったら直江さん。悪いんですけど、こいつを送ってもらっていいですか?」
「え?…ええ、そうしましょうか、千秋くん」
「やった!さすが直江さん!頼りになるなー!」
ちょっと棘がある直江の視線を無視して、高耶はまったく気が付かないふりをした。
一度アパートに戻り、千秋が自分の荷物を持った。借りている服は会社で帰すそうだ。
「じゃ、また泊めてもらうから。サンキューな」
「今度から宿泊代取るからな。いっつもいっつも来やがって、ったく」
「そー言うなって。友達じゃんかよ。じゃ、また会社でな」
「おう」
千秋が先に歩き出したのを確認した直江が高耶を冷たく見る。
「あ、あの、テレビ、ありがと」
「いいんですよ。高耶さん。あとで電話しますから」
「え?」
「では」
千秋の後を急ぐようにして直江が追いかける。しばらくするとエンジン音が聞こえてきた。
「あいつ、やっぱ本気だったんだな…」
誰もいなくなった部屋で一人麦茶を飲みながらCDを聞いていた。テレビを見てみたが、土曜の午後はつまらない番組ばかりで見る気になれない。
コンポに入っているのはビートルズ。
2枚目のアルバム「WITH THE BEATLES」だ。そうしながら直江のことを考える。
どう考えてもわからない。あの男が自分を好きなのはわかったが、それが本気なのか、勘違いなのか。
「ダメだ。もう頭パンクしそー」
床に寝転がった時に携帯電話が鳴った。画面には直江の文字。
出たくない、と思いながらも、この電話を待っていた自分に恥ずかしくなる。
なんでこんなに待ち遠しかったんだろう?
通話ボタンを押すと直江の低い声が聞こえた。
「高耶さん?」
「ああ、うん。まだ用があったのか?」
「今あなたの部屋の前です。開けてもらえますか?」
「ええ?!ウチの前?!」
急いでドアを開けてみると本当に直江がいた。
「なんで?!」
「もう少しあなたといたかったので」
「は〜…?」
付いて行けない。この男のやることには逐一ついていけない。
「入っていいですか?」
「あ、う」
ダメだと言いたかったが、自分の中のもう一人の自分が入れろと言っている。目線を床に落としてドアを大きく開けた。
直江は黙って入ってきた。ドアを閉めると高耶の体を抱いてキスをした。
「待ってた?」
「待ってないけど…」
抵抗しない高耶に嬉しそうな顔をしてから部屋の中まで入った。
「WITH THE BEATLESですね」
「そんなことより、おまえマジなのか?」
「何がです?」
「オレのこと、好きって。その、勘違い、じゃなくて」
「ええ。勘違いじゃないですよ。あなたが好きです」
「男同士だけど?」
「関係ありません」
「やっぱよくわかんねーよ」
残念そうにした直江が何かを思いついた様子でコンポへ歩み寄った。そして停止ボタンを押す。
何をするのか訝しげに見ていた高耶に
「これを聞いてもらえますか?」
そう言って再生ボタンを押し、数回早送りボタンを押した。流れてきたのは 『You Really Got Hold On Me』 。
リッケンバッカーの音がして、ポール・マッカートニーが歌いだす。
この曲の歌詞は高耶でもわかる簡潔で純情なもの。
「あなたを好きなのではありません。あなたを愛しているんです」
曲に合わせて直江が喋る。
「あなたが欲しいのではありません。あなたが必要なんです」
「あなたに信じてもらいたいんです。そばにいさせて欲しいのではなくて」
そして高耶の元へ戻り、そっと抱きしめる。
「あなたの腕に、ただ抱かれたいがために私は存在します」
意思に反して高耶の腕が動く。直江の背中をゆっくり抱く。
「よりきつく。もっときつく」
ただ歌詞を日本語でなぞっているだけだとわかっている。だけど最高の口説き文句だ。
どうしてこの男はこんなに染み込んでくるのだろうか。
「あなたがすることなすこと、すべてを愛しています」
「もっと抱いてください。私を搾り尽くすぐらい」
これは歌詞だ。直江の言葉じゃない。だけど。
高耶は直江の背中をきつく、それこそすべてを搾るように抱いた。
曲が終わってから、直江が腕の中の高耶に囁く。
「わかってもらえましたか?」
「わかった…」
ゆっくり腕をほどくとなんとなく寂しい気持ちになった。どこがどう、とハッキリわかったわけではないが、直江の体が自分の腕の中にないからかもしれない。
「こんな気持ちです」
「直江の気持ちはわかったけど…でも、自分の気持ちはよくわからないんだ」
「そうですか?強く抱いてくれたのに?」
「抱いたのは、流されただけかもしれない。おまえを好きかどうかはわからない。嫌いじゃないし、尊敬もしてる。でも恋愛感情があるかって言われたら、本当にわからないんだ」
「でも、可能性はあるってこと?」
「それもわからない。ただ戸惑うばっかで」
男は離れた高耶を見守るように見つめてから、触れるだけのキスをした。
「さっきのキスの続き、しませんか?」
つづく
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