キスをしながら直江が言う。
「きっともう、あなたは私を好きになった」
なんて傲慢な言い草だ。そう思いながらも直江の唇を追い縋る。
勝手に好きだの付き合ってくれだのと言って、勝手にアパートまで来て、勝手にキスして。
だけどこの自分のていたらくも何なんだ?こんな男にキスなんかされて、頭の中ボーっとさせて、もっとしたくて追い縋って。
高耶の唇を思うがままに貪る直江。高耶が自分を愛しているのは間違いないと確信している。
「私とのキスは好きでしょう?」
「わかんね…」
「白状なさい。もうやめてもいいんですか?」
「やめたら、ダメ」
「じゃあ、好きって言いなさい」
言わなければ直江は本当にやめるだろう。直江を愛しているかどうかは別として、キスは好きだ。
「好き、だけど、キスのことだからな」
「ええ。よく言えましたね。もっとします?」
「する」
いつの間にかコンポの中のCDが変わっている。高耶のコンポには5枚のCDが入るが、さっきのビートルズから2枚も進んでいた。
それだけ長いキスだった。
「もう、やめろ。痛い」
「痛い?」
「吸われすぎて痛い」
「ああ、唇が赤くなってしまいましたね。明日一日あれば赤味も消えますよ。次は何をしましょうか」
「次?」
「キスの次です。どうしてほしい?」
「帰ってくれ」
直江から視線を外して強制的な語気を持って言う。さっきまであんなに夢中になってキスしていたのにどうしたことか、と直江は顔をしかめた。
「どうしてですか?」
「これ以上、おまえにハマりたくないから」
「ハマってもいいじゃないですか。だって、私の事好きですよね?」
好きかと聞かれれば好きなのは確かだが、それが恋愛なわけではない。わからない。ただ、体が反応する。
もっとしたい。次もしたい。でもそれはいけない。直江と恋愛は無理だ。
だからこそいなくなって欲しかった。
「高耶さん」
「帰れ…」
「帰りませんよ。あなたを奪うって言いませんでしたか?」
「そんなのおまえの都合だろう?オレは奪って欲しくなんかない」
「嘘つき」
キスが終わった後の短時間では収まらなかった、高耶の股間を直江が素早く掴んだ。
「痛!」
「こんなになってるくせに、奪ってほしくない?本当に?」
「触るな!」
力いっぱい直江を押しやるが、なぜかビクともしなかった。恐怖心が芽生えてくる。
「何すんだよ!ヘンタイ!」
「奪うんですよ」
直江の手が高耶のジーンズに入ってきた。今日に限って少し緩いウェストのジーンズを履いていたことを後悔する。
手馴れた仕草で高耶の股間を這う手。戦慄と快感がない交ぜになる。
「やめろ!」
「やめて欲しくないくせに」
「でも!そんなしたら!」
「たまらない?」
「…く、そ」
目尻に涙が浮かんで一粒落ちた。それが高耶の最後の壁だったようだ。思いがけず、直江の手に擦り付けるようにして動き出した。
「高耶さん…?」
「もう、どうでもいい…」
「では遠慮なく…」
ジーンズのファスナーを開けて、下着の中から引っ張り出し、直江は高耶の顔を見ながら手で擦った。
快感に悶える表情の美しいこと。抑えてくぐもる声の淫猥なこと。直江に体を預けて差し出す腰の素直なこと。
「も…出る…」
終わりを告げる高耶の呟きをしっかりと聞いて、直江がキスをした。
「いいですよ。出して」
直江の手の中で弾けた。荒い息を頬に受けながら、直江の欲情も燃え上がる。
「あなたを抱いてもいいですか?」
「抱くって…?」
「あなたと体を繋げたい」
「…もう、したいようにすれば…?」
「そうします」
翌日の日曜の夕方まで、直江は高耶を貪った。
たぶん、オレの中では体だけの関係だ。
直江はオレを愛しているとは言うが、オレは愛してなんかいない。
同じ布団の上で直江が高耶を腕枕している。指で髪をいじりながら、何度もキスしたり、もう片方の手で体を撫でたり。
男同士でのセックスは初体験だったが、慣れてしまえば女とのよりいいかも知れない。実際感じたことのない部分が感じるのには驚いたし、快感だった。
だが、それだけだ。
今までとは違う。相手は女じゃない。体だけの関係だって妊娠するわけじゃない。
直江がどこまで本気なのかもイマイチわからない。だったらたまに遊んで飽きたらサヨウナラでいいんじゃないか。
どうせ男同士なんだし。そのうちウチの会社からもいなくなるんだし。
でも、ちょっとときめいたのも事実。
「何を考えてるんですか?」
「何も」
「ねえ、高耶さん。まだ私を愛しているって言ってくださらないんですか?」
「だって、愛してなんかないもん」
「じゃあなぜ抱かれたんです?」
「気持ちよかったから」
そう言って裸のまま立ち上がり、一度も振り返らずにバスルームに入った。
シャワーで体を流していたら直江が入ってきた。直江も裸のままだ。
「謝ります」
「なんで?」
「焦ってあなたに暴挙を働きました。愛しても貰っていないのに、あんなことをして。そうしたのは自分なのにあなたを一瞬でも尻軽だと思ってしまった自分が許せない」
「いいよ。オレもそう思った。こんなに尻軽だとは自分でも思ってなかった」
「そうじゃない。私が悪かったんです」
「いいってば。これからも付き合うつもりになったから」
「え?」
「オレは直江と付き合う。友達じゃなくて」
「本当ですか?」
「体から始まる関係ってのもアリなんじゃねーの?」
直江にも思い当たる節があるので納得した。
「では改めて、私の恋人になってください」
「よろしくな」
シャワーカーテンを開けて、高耶からキスをした。
会社では相変わらず直江と外商に回り、営業の仕事も徹底的に教わっている。上司である直江は素晴らしく有能で惚れ惚れするが、会社から離れると高耶への独占欲で意地の悪い男になる。
そんなところも可愛いんじゃないかと思っている今日このごろだ。
それに直江は仕事とプライベートを分けるには長けているようで、関係がバレる心配もない。
安心して付き合えた。
「最近、あなたの営業手腕に磨きがかかりましたね」
「そっか?」
「半月で新規開拓を3件も取ったでしょう?本社でもこんな優秀な営業はいませんよ」
「それって贔屓目なんじゃないの?」
「いいえ。ちゃんとした評価です」
しかし高耶に対しての統括部長の態度はまったく変わっていなかった。新規開拓をしても取引条件が甘いだの、面倒な条件を引き受けてきただのの他に、重箱の隅をつつくような理由をつけることもあった。
そして店舗での取り寄せ商品に関しての電話連絡についても毎日改善を求めてくる。最近では直江も矛先にされているらしい。
「仰木!」
今日も意味のない説教が始まる。直江に庇ってもらうようになってからは直江がいない間にこれが起こる。
それに陰湿にもなったようだ。
(またかよ…)
聞き流せばいいのだと自分に思い聞かせながらデスクの前に立つ。書類を突き出して高耶に見せた。
「おまえ、先週の金曜に集金に行ったよなぁ?その日の入金はしたのか?」
「え、しましたけど…」
「経理で計算が合わないと言ってきたんだ。16万。ちょうどこの集金金額と同じだ」
「しましたよ。えっと、その日は戻ったら経理の人が誰もいなくて、入金票と一緒に金庫に入れたんですけど」
「それがないって言ってるんだよ!」
確か直江と出かけて、直江は商品管理がまだ終わってないと言って店舗へ行った。
自分は集金した金を営業所に持って行って、そのまま金庫に入れたはずだ。
「そんなはずないですよ!ちゃんと入れたし、メモも経理チーフに残しておきました!」
「そんなメモなかったそうだぞ。そうだよなあ、岩井くん」
チーフの岩井に声をかけて確認する。岩井もないと返事をした。
「そんな!」
「入れたつもりでいただけなんじゃないのか?自分の荷物を探してみろ。それとも」
高耶に向かって疑いの目を向ける。横領したとでも言いたげだ。
周りに居た同僚は高耶に対して同情の目を向けるが、だからといって入金した証拠がないので誰も庇おうとしない。
「オレは…!」
「どうかしましたか?」
千秋と一緒に戻った直江がワナワナと震える高耶を見て何事かと思ったらしく声をかけてきた。千秋も一緒に近づいてきた。
「キミには関係ないよ。下がってなさい、直江くん」
「同じ営業ですから、お話だけでも聞かせてください」
「仰木がな、16万もなくしたんだよ。集金した金がなくなってるんだ」
「ああ……それで…その入金なら私が忘れていたんです。仰木くんの入金したお金は別の件だったと思います。すいませんでした」
直江がデスクに戻って床に置いたビジネスバッグの中をゴソゴソと探している。そして現金が入った入金袋を出した。
部長に渡して確認してもらうと16万キッチリ入っている。
「すいませんでした。私のミスです」
「…キミか。これからは気をつけなさい」
「はい。申し訳ありません」
入金袋を経理に渡して、さっそく伝票を書き直してもらった。入金票も書いてもらいこれで清算書も合うはずだ。
「仰木くん。すいませんが店舗の棚卸しで合わないところがあるので確認してもらいたいのですが」
「え?ああ、すぐ行きます」
やりかけの仕事を素早く片付けてから、高耶は直江と一緒に店舗へ向かった。
さきほどの入金の件での疑問を拭えないまま。確かに自分が金庫へ入れたはずだったのに。
店舗の倉庫へと連れて来られた高耶は棚卸表を見ながら何が合わないのかを直江に聞いた。
「違います。そんなことじゃありません」
「棚卸しじゃなくてか?」
「ええ。実はあの16万なんですが」
直江も疑っているのかもしれない。構えた高耶が爪を立てた猫のように直江を見る。
「あれは私の財布から出しました。入金を忘れたなんて嘘です」
「で?おまえもオレを疑ってるのか?」
「いいえ。疑ってはいませんよ。ただ確認をしたいんです。あの日、あなたが集金袋を持って営業所へ行ったのは私も知っています。金庫へはちゃんと入れましたね?」
「入れた!」
「その際に入金票も一緒に入れたんですよね?メモも残した、と」
「そうだよ!」
直江はいくらか考える素振りをしてから次に言葉を続けた。
「入金した後、どうしてました?」
「後…?あれから、すぐ帰って、そしたらおまえがウチに来たじゃんか」
「そうでしたっけ…。わかりました。あなたを信じます」
信じます?じゃあ今まで疑ってたってことか?!
怒りが沸々と込み上げる。さんざん愛してるだの何だのと言っておきながら、仕事になれば疑う神経がわからない。
「もういいですよ。お疲れ様です。ああ、今日はあなたの部屋に行く予定でしたけど、ちょっと無理になりました」
頭に血が上っていた高耶に、直江は今日の約束を反故にした。さらに頭に血が上る。
疑ってるから来ないんだろう?もうオレなんか信じないくせに、何が信じますだ!
「あまりデスクを離れていたら、また難癖を付けられますよ。戻りましょう」
「先に戻ってろ。オレまだこっちに用があるから」
「え、ええ」
直江が去った後、高耶は一人倉庫で考えた。
あいつ、オレに恩を売ったつもりでいやがるのか?それとも、こうして庇い続ければオレがほだされるとでも?
冗談じゃない。オレはあいつなんか愛してない。いつだってこの関係を終わらせることができるんだ。
仕事とプライベートを一緒にして、オレに恥かかせて、それに疑って、許せない!
あんなふうに庇われても嬉しくない!
その夜、12時を過ぎてから高耶のアパートに来客があった。直江だ。
インターフォンを取って声を聞いたら、落ち着いていた気分が逆戻りした。
『すいません。終電がなくなったものですから泊めてもらえますか?』
確か直江は定時の6時をすぎるとすぐに帰ったはずだ。なのに終電がなくなった、とは。
「どこで何をしてた?」
『あの、それは…お話できないんです』
インターフォン越しに聞こえる直江の声は疲れきっていた。だが中に入れるつもりはない。
「タクシーで帰れば?」
『じゃあ、あなたの顔を一目見たら帰りますから』
「会うつもりないから。もう帰れよ」
『高耶さ…!』
スピーカーから通話が切れる音がした。本気で会うつもりがないのだろう。
「高耶さん…」
しばらくドアの前に留まっていたが、高耶が動く気配はない。直江は肩を落としてアパートを去った。
タクシーの中で今日起きた事件を何度も反芻しながら、高耶の横領疑惑を否定する。
あの人はそんな人じゃない。
俺に対する付き合い方はあまり純粋とはいえないが、仕事に関してはしっかりしていて信用がおける。
得意先にも同僚にも可愛がられていて、何よりも仕事を愛している。
その高耶が横領なんかするはずがない。
直江は脇に置いたビジネスバッグに手を置いて、高耶を守ると自分自身に誓った。
つづく
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