hold on me, squeeze


 
         
 

直江に庇われるのは嫌いじゃなかった。だけどあんな疑いをかけられて、しかもその尻拭いをして、オレとの約束を破っておきなが
ら、こんな時間に来るなんて。どこで何をしてたか話せないなんて。
もう信じられない。

モヤモヤした気持ちがなかなか晴れない。CDを聞いても、満腹になるまで外食しても、やめていたタバコを吸っても、酒を飲んで酔っても、何をしても気分が悪い。
全部直江のせいだというのは高耶もわかっている。その直江を部屋に入れて少し話したとしても晴れなかったに違いない。
だけどいつかはちゃんと話さないといけない。
そんなもの、しなくたってもう赤の他人になってしまえば、仕事だけの関係になってしまえばいい。
もう直江とは私的に会わない方がいいだろうと結論付けて、自分を冷たい水に浸けるように、心の奥の淡い感情を捨てた。

 

 

翌日は千秋に直江をまかせて高耶は一人で仕事をこなした。一日ぐらいの猶予がなければ直江に対して持っていた感情を完全に殺すことはできない。
店舗を手伝って商品の陳列をしていた時、棚の裏側から直江の声がした。

「浅岡さん、ちょっとすいませんけど」

高耶がすぐそばにいるのに気が付いていないのか、浅岡と直江は声を抑えずに話す。

「今日の帰りなんですが、お暇ですか?」
「ええ!ヒマです!用事なんかありません!」

嬉しそうな浅岡の声がした。

「じゃあ、食事でもしながら話しませんか?」
「はい!」

昨日の事件で直江は高耶を見限ったのだろうか。それとも部屋に入れなかったことで何か気付いて、次の相手を探すことにしたのだろうか。
帰りに店舗に寄って浅岡を迎えに来るらしい。
直江と楽しそうに話す浅岡の声を聞きながら、自分もこんなふうに直江と話せていた時期もあったな、と感傷的になってしまう。その気持ちを打ち消すように目をつぶって、直江たちが去るのを待った。

 

 

「おい、仰木、ちょっといいか?」
「ん?」

帰り際、千秋が声をかけてきた。一緒に食事をして帰ろうと言う。何か話があるらしい。
会社からすぐのファミレスへ行って夕飯を食べていた時に千秋が言った。

「あいつ、直江。本社の女の子から聞いたんだけど、いろんなとこに異動ばっかしてるらしいぞ。なんか怪しいよな」
「ずっと営業じゃなかったのか?」
「人事異動があるたびに営業になったり経理になったりしてるんだって」
「けどまあ…そうゆう会社ってよくあるじゃん。どんな仕事もできるようにって」
「いや、本社ってそうゆうのじゃないんだと。その本社の女の子が言うにはさ、あっちこっちで手を出してそのたびに異動させられてるって噂なんだとよ。あんま信用すんじゃねーぞ」

あっちこっちで手を出して?もしかしたら自分も浅岡も?
疑惑が高耶の中で広がっていく。そんなはずはないと思いながら、在り得るような気も。
だけど、あんなに必死で自分に気持ちを伝えた直江が嘘をついていたとも思えない。

「ま、おまえは男だから手ェ出される心配なんかないけどな。ん?どうしたよ」
「いや、なんでもない。なんかさ、デザートも食いたいなーなんて思ってさ」
「おまえって良く食うよなー」

千秋を誤魔化してさっさと食事を終わらせて帰りたい。
今頃直江も浅岡と一緒に食事をしているはずだ。女を誘うときは近所の蕎麦屋というわけにも行かないだろう。
きっと洒落たレストランで、自分を口説いた時のように浅岡を口説くのだろう。
直江と縁を切りたがっているくせに、どうしても気になってしまう。

千秋と別れてから歩いてアパートへ戻り、シャワーを浴びてタバコに火をつけた。せっかく禁煙していたのにこれでは意味がない。
冷蔵庫からビールを出して、コンポをラジオからCDに切り替える。
結局テレビは数回見ただけであまり使っていない。音楽を聞いている方が合っているようだ。

携帯電話が鳴ったのは500mlの缶ビールを2本あけていくらか酔ったころだった。
画面を見ると直江の文字。

「今更なんの用なんだかな…」

二度と個人的に電話なんかしないでくれ、と言うつもりで通話ボタンを押した。

「はいはい」
『高耶さんですか?』
「オレ以外に誰が携帯に出るんだよ」
『そうですよね…声が少し違って聞こえて』
「ふーん。そう。で?何?」
『今から行ってもいいですか?』

ここで二度と来るなと言えばいいのだ。もう会いたくないと。

『色々とあって、疲れてしまって、あなたに会いたくなったんです』
「…いいけど、もっと疲れるかもよ」
『そんなはずないでしょう?あなただけが私を癒してくれるんですから』

嘘をついているようには聞こえない。いつもと同じ優しい声だ。

「だったら、来れば?」
『すぐ行きます』

5分ほどしてから高耶の部屋のインターフォンが鳴った。すぐとは本当だったらしい。
ドアを開けてスーツ姿の直江を入れる。ドアが閉まるとキスをされる。ここ半月の習慣だった。

「泊まって行ってもいい?」
「泊まれるならな」

泊まらせるつもりはなかった。最初から体だけの関係と割り切って直江と付き合うつもりだったのだから、最後にお互い気持ちいいことをして別れればいいじゃないか。
終わった後はサヨウナラだ。それで直江は怒って帰って、二度と個人的に会う気にはならないだろう。

「風呂、入ったら?すぐするだろ?」
「え?」
「どうせそのつもりで来たんだろ?早く入って、早くしよう」
「あの…ええ、まあ、そのつもりではいましたが」

追い立てられるようにバスルームへ行き、せまいユニットバスの中で直江は思う。
最初の頃は美しい人だと思った。付き合い出してから、小さなしぐさや心遣いが温かい人だと思った。
なのに、この2日はそんな高耶を見ていない。昨日は嫌な事件があったから会いたくないと言われたのはわかるが、今日もなぜだか高耶は冷たい。
それにこんなに早急にセックスしたいと言うのも初めてだ。

「どうしたんだ…?」

考えてもわからないので体を拭いてから使ったバスタオルを腰に巻いて部屋に戻った。
高耶はすでに裸になってタオルケットにくるまり、膝を抱えて座っていた。部屋の中には先日高耶を口説いた際にかけていた
『WITH THE BEATLES』の中の曲がかかっている。
直江が来たのに気が付いて、リモコンで音楽を止める。

「早く、しよう」

タオルケットを取り払って裸体を晒す。積極的な割りに冷たい目をしている。

「本当に、どうかしたんですか?」
「何がだよ」
「いつものあなたらしくないから」
「そうか?いいじゃん、そんなの。早くしよう」

背中に爪を立てられて。
首筋に赤い痣をつけられて。
腕を噛まれて。
髪を引き抜かれて。
泣かれて。

「高耶、さん…なんだか、変、ですよ…」
「いいからっ…もっと、しろ」

明日も仕事だというのに、高耶のこの発狂したような求め方はなんなのだ。何もかも搾り尽くすように抱くこの脚と腕は。
このまま二人で遭難してしまいそうな熱情は。二度とこの部屋から出られない錯覚を覚えるこの激しさは。

「もっと、しないと、後悔するから…」
「私が、ですか…?」
「…オレが…」
「後悔なんか、させませんよ…ずっと、一生、抱いててあげるから」

体力を使い果たすまで抱き合って、直江が高耶の体を温かいタオルで拭いている時だった。

「もう、来ないでくれ」
「え?今、なんて?」
「もうこうして会いたくない。仕事でだけにしよう」
「それは…別れるって言ってるんですか?」
「そう」

手が止まった。高耶の顔を見つめると、強い眼差しで高耶が最後の一言を言った。

「別れる」

何度も耳を疑って、何度も頭の中でその声を掻き消した。そんな、まさか。

「どうして?理由を聞かせてください」
「飽きたから」

さっきまであの痴態を見せておいて、今になって飽きたはないだろう。そう言いたかったが、頭の中が整理できていない直江は呆然と高耶を見つめるだけだ。

「タクシーでも何でもいいから帰ったら?こんなとこ、いたくないだろう?」
「あなたはそんな人じゃないでしょう!」
「そんなもこんなもあるか。オレはこーゆー人間だ。何を勘違いしたのか知らねーけど、勝手な幻想押し付けるなよ」
「違う!」
「帰れってば。最後にお互い気持ちいい思いして別れるんだからいいじゃんか」
「本当に体だけの…それだけの関係だったと、言うんですか…?」
「そうだよ。最初から」

思わず手が出た。高耶の頬を平手で叩いた。
パチンと乾いた音が、部屋の中に響いた。

「あ…すいません…」

恋人に手を上げたのは初めてだった。こんなに頭に血が上ったこともなかった。別れると言われて、ここまで悲しかったこともなかった。

「あなたを、こんなに愛しているのに。私の気持ちは届きませんでしたか?」
「届いたから、利用したんだよ。ここんとこセックスもしてなかったし、ちょうどいい相手かと思ってさ」
「本気で言ってるんですか?!」
「本気だってば」
「…帰ります」

素早く服を着て、ネクタイとジャケットとバッグを抱えて直江は出て行った。ドアが閉まる大きな音がいつまでも高耶の耳に残った。

 

 

つづく

 
         
   

ようやくくっついたと思ったら
もうこんな事態に!
高耶さんを叩いた直江をちょっと
許せなかったり。書いてる本人が。

高耶さんを叩く直江なんて
新鮮で…ムカつく。
直江が乱れた服でアパートから
出る姿に萌える。

   
         
   

5ニモドル / 7へススム