hold on me, squeeze


 
         
 

直江と別れて清々した。濡れたタオルを拾って洗濯機へ入れる。
そして疲れた体を引きずってバスルームでシャワーを浴びた。
体中についた自分と直江の汗や体液が流れていく感覚を追って、足元を見る。左足首に痣があった。直江が強く掴んだ時の手形だ。
そこから目を逸らして腕を見た。二の腕の内側に赤い鬱血がある。また目を逸らした。

髪の毛を拭きながらバスルームの曇った鏡を見た。水滴が流れて鮮明な画像が映ると、上半身に無数の鬱血がある。全部直江が
つけたものだ。
ひとつひとつを指でなぞって、ようやく確信する。

オレは直江に支配されてたんだ。

言い換えればそれは「愛している」ということなのだ。いまさら気付いた。いや、もっと前から知っていた。
流されているふりをすれば自分に責任は降りかかってこない。だから流されているのだと思い込もうとした。
そうすれば直江が他の人間を好きになったと言い出した時に、傷付かないで済む、と。
間違えたかな、オレ。
だってさっき直江は「一生抱いててあげる」と言ったじゃないか。怖がって、失敗したんだな。オレ。

 

 

 

翌日、高耶は会社を休むと連絡を入れた。いつものごとく部長が電話で高耶を詰っている声が直江に聞こえた。

「どうせ飲みすぎで二日酔いでもしたんだろう。まったくそんなことで休まれたらこっちが迷惑なんだよ。いいか、仰木。おまえがいなくたって業務に支障はないがな、その分他の人間が余計に働くことになるんだ。社会人にもなってそんなこともわからんのか」

電話口で高耶に嫌味を言っている。他の社員もそのねちっこい嫌味を聞いて顔をしかめる。

「ああ、そういえばな。昨日の入金されてなかったぞ。今回は7万だ。直江くんも千秋も知らないと言ってるぞ。今回こそはおまえなんじゃないのか?ああ?入れたって言った所でな、実際されてないんだからおまえを疑って当然だろう。明日はキッチリ来いよ。ちゃんとした話を聞かせることだな。いいな?!」

電話を叩きつけるようにして切り、椅子にふんぞり返って座りなおす。そこへ直江が静かに近寄り、鼻息の荒い部長に尋ねる。

「仰木くん、どうしたんですか?」
「いやな…なんだか頭痛がして熱っぽいらしい。そのぐらいで休まれたらかなわん」
「そうですか…では、今日は千秋くんと話し合って仰木くんの仕事を分担します」
「そうしてくれ」

千秋と二人で店舗の高耶のデスクへ行って、今日のスケジュールを確認した。

「あいつ、昨日は全然普通だったんだけどな。風邪かな?こんなに暑いのに」
「さあ、どうでしょう。千秋くん、今日は新規で開拓した得意先を私が回りますから、あなたは集金に行ってください」
「OK。あ、浅岡さーん。悪いんだけど得意先からのFAX来てたらこっちに持って来てー」

千秋の声に振り返った浅岡が直江を見つけて嫌がるように目を逸らした。勘のいい千秋はどうしたのかを直江に聞いた。

「なに、あれ」
「ああ…昨日、告白されたんですけど…付き合っている人がいるからってお断りしたんです」
「はー、やっぱアンタ目当てだったか。そりゃ可哀想にな。で、直江さんの今の恋人ってマジでいるの?」
「…ええ。ですが、今は微妙なところですね」
「破局の予感、てか」
「このままだったら、破局です。でも私も諦めの悪い方ですからね」

千秋は直江の恋人の顔を想像してみた。それから気付いた。
この会社に出向してきた日は恋人はいないと言っていたはずだ。それが半月でできた。
もしかしてこの社内かもしれない…と、そこまで考えてふと思いついた。

もしかして、こいつの恋人って仰木か?

毎週のように高耶のアパートに泊まっていた千秋だったが、ここ半月は来客があるからと断られていた。
そして一昨日の入金ミス事件から、高耶が直江を避けるようにしていたのも知っている。
昨日のファミレスで直江があっちこっちで手を出して、異動ばかりしていると聞いた後、高耶の様子が変だった。
そして昨日はなかった直江の首のキスマーク。相手が浅岡なはずがない。振ったのだから。

「直江さんさあ、噂で聞いたんだけど、あんたあっちこっちで女に手を出して部署異動してるってホント?」
「そんな噂があったんですか…心外ですね…違いますよ。異動はしょっちゅうしてますが、そんな理由ではありません」
「じゃ、何?」
「言えません」
「コレ言ってもらわないとさあ、俺の親友がいつまでも出社してこなくなっちまうんだよなあ」

千秋の言葉で直江が固まった。気付かれてしまったようだ。

「どーすんの?言う?言わない?」
「絶対に他に漏らさないと約束してくれるなら、言いますよ」
「漏らさない。絶対」
「実は…」

直江から真実を聞かされて千秋は仰天した。まさかそんな有り得ない話が実際にあったとは。

「マジで…?」
「ええ。そのために出向してきたんです。昨日もそれで浅岡さんと食事をしたんですが…」
「そっかー。…それ、あいつに話してある?」
「巻き込みたくないので、話してません」
「そりゃマズイな。あいつって、信用した人間に裏切られるとキレるタイプなんだよ。今日休んだのだって、どーせあんた絡みなんだろ」
「たぶん…」

もう自分の顔も見たくないからかもしれない。昨日の激しさでで体を壊してしまったのかもしれない。
どっちにしてもこのまま放っておくわけにもいかないが。

「もう少しで私の仕事も終わりますから、それまで待っていてもらうつもりです」
「そんな悠長なことしてたら、あいつほんとに会社に来なくなるかもよ。前々から辞めたいって言ってたしさ」
「辞めたい?あんなに楽しそうに仕事をしてるのに?」
「毎日毎日部長からあんな嫌味言われてたら辞めたくもなるだろ。あんたも見てたんだからわかるよな?」
「わかりますよ。そういうことなら容赦する必要はありませんね」
「だな。俺も何かあったらサポートすっからさ」

それから千秋はひとつ付け足した。

「あいつが俺をアパートに泊まらせないっての、あいつの妹が来たときぐらいだったんだぜ」

その言葉に直江は満足したように笑って、営業車のキーを持って出かけていった。

 

 

 

取引先を回ったら、高耶のアパートへ行ってみようか。車の中で何度も考え直してそう決めた。
まだ本当のことは言えないけれど、遊びで高耶に手を出したわけではないことだけは理解してもらうつもりだった。
もし高耶がそんな誤解をして昨日のような態度を取ったのなら、そうではないと話せばいくらか態度も柔らかくなるだろうと思った
のだ。
他にも誤解があるならそれも問いただして解けばいい。
きっと今日休んだのも自分が昨日頬を打ってしまったからでもあるだろうし、さんざん激しく抱いてしまったせいでもあるだろう。

営業を早目に終わらせて、その足で高耶のアパートの前までやってきた。
いざインターフォンを押すとなると手が出ない。もし昨日のように冷たくされてしまったら?あの言葉が本当で、直江との関係をただの遊びだったと嗤われたら?
しかしここで戸惑っていては埒が明かない。全身から勇気を振り絞って小さなボタンを押した。

『はい?』

不機嫌そうな高耶の声。こんな声は聞いたことがない。だけど。

「直江です」

乱暴な電子音が聞こえた。受話器を叩きつけるようにして置いたようだ。
それでも出てくる気配はない。
もう一度押して、高耶の声を待った。もうインターフォンにも出るつもりはないようだ。
諦めて帰ろうとしたとき、ドアの内側から何かを擦る音が聞こえた。玄関先にいるのだろうか。

「そこに、いますか?」

返事はない。だがさっきと違って気配があった。

「信じてもらえないかもしれませんが、私は本当にあなただけを愛しています。二心はありません。あなたが私の何に対して怒っているのか教えてください。ちゃんと話しますから。あなたが抱いてくれないのなら、私は存在する意義を失います。本当ですよ」

直江はドアに手をついて、向こう側の高耶を感じる。

「あなたに、信じてもらいたいんです。そばにいさせて欲しいのではなくて」

もう一度、あの曲をなぞるように高耶に語りかける。

「あなたの腕に、ただ抱かれたいがために私は存在します」

小さな声が聞こえてきた。

「そんなの、嘘だ」

やっと聞こえた高耶の声は、涙混じりのようだった。

「嘘ではありません…あなたがこうしろと言うのなら、私はすべてを叶えます。二度と会いたくないと言うなら、二度とあなたの前には現れません。それがあなたの望みなら。だから私を信じてください。それだけでいいから」
「明日は、会社に行くから…だからもう来ないでくれ!」
「あなたが信じてくれるまで、来続けます」
「だってそんなの!そんなの…おまえ、オレなんか、ダメなんだよ」
「なぜそんなことを…?」
「直江が思ってるような人間じゃない。情けなくて、みっともなくて、無責任で、いい加減で、ずるくて」

高耶が心を開いている。こんなに高耶をそばに感じたことはない。

「私もずるいですよ。それにこんなふうにあなたに執着して、みっともなくて、情けない。今も仕事中なのに個人的なことで時間を使って、無責任で、いい加減です」
「そんなことない!」
「中に、入れてくれませんか?ちゃんと話しませんか?」
「イヤだ!」
「どうして?」
「止まらなくなる!おまえを独占して、何もかも白状させて、愛してるってたくさん言わせて、体全部でおまえを搾り尽くして、嘘でもいいからオレのものだって証明させたくなるから!」
「そうしてください。それが私の望むことです」
「ダメだ…」
「鍵を開けて」
「開けない!」
「あなたの望みを叶えます。今すぐ。だから開けてください!開けなさい!」

カチャリとシリンダーが回る音がした。ただそれだけでドアノブは回らなかった。

おまえがおれののぞみをほんきでかなえるつもりならそれをあけてはいってこい。

躊躇うこともなく、直江はドアノブを回した。

 

 

つづく

 
         
   

たぶん直江が思ってる以上に高耶さんに
愛されているらしい。
なんて羨ましいこっちゃ。
それにしても千秋。
あんた鋭いね。
ご都合主義カムイの良き
パートナーになってくれちゃって。

   
         
   

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