「あれ〜?直江さんまだ戻ってないんすか〜?」
千秋が営業を終わらせて戻ると、先に戻っているはずの直江がまだ帰ってきていなかった。
まずは入金を済ませてしまおうと思って、経理の岩井に集金袋を渡した。
「なあ、仰木が入金したはずの7万てさ、ホントーにないわけ?」
「ないんだよなー。今年度に入ってからなんだけどさ。仰木くんが集金して戻ると経理の人間が誰もいないって日に限ってなくなってることが増えたんだよ。で、色部課長が計上で揉み消すわけにいかない金額になってきたって言うもんだからさ、調べようかってことになって」
「それっていつぐらい?」
「二ヶ月前ぐらいじゃないかな。調査をするにも俺たちはそんなの調べる手腕はないわけだから、どうすんだろうな?」
「…どうすんだかな…で?仰木が一番怪しいのか?」
「いや、仰木くんはそんなことする人間じゃないのはわかってるから、もしかしたら別のヤツの犯行じゃないかって課長が」
「ふーん。あの課長の温和なツラは表側だったわけだ。けっこうやるな、あのとっつぁんも」
「へ?なんで課長が?」
「いや、なんでもねえ。ま、そろそろ解決策出てるころじゃないかなーなんてな」
そういえば直江はどこに行ってるのだろうか。出かける前の様子だったら高耶のアパートに行っているかもしれない。
そっちはそっちで問題解決させないといけないようだったし、直江にすべてを任せるか、と千秋はいつもの仕事に戻った。
高耶はクッションの上で小さく丸まっている。その正面に直江も正座で座っていた。
部屋の中にはビートルズが流れている。しかもあの曲だ。『You Really Got Hold On Me』。ずっとリピートでかかっている。
直江が入る前からこうだったらしい。
「何から知りたいですか?」
「…ホントにオレだけ…?」
「はい」
「浅岡さんとは?」
そんなことも知っていたのか。どこかで見られていたのか。
「仕事で聞きたいことがあって、それで帰りに食事をしただけです」
「オレを…疑ってた?」
「何のことですか?」
「入金を、横領したって…」
「まさか。どうしてあなたが。そんなことはあなたを見ればわかりますよ」
今年度から入金が不足しているのに、横領しているとなればテレビがないアパートは不自然だ。
それよりも直江は高耶の人間性を信じている。
「正直、おまえがオレを庇って16万出したとき、おまえを最低だって思った」
「え?」
「オレが確実に入金したのを、おまえまで疑って、あんなふうに庇われて、男として恥ずかしかった。おまえが16万を肩代わりしたみたいで、悔しかった」
「あれは…今は詳しく言えませんが、私の仕事のうちなんです。ああして誰かのミスを庇うのが。もしあれが高耶さんでなく、千秋くんだとしても、庇いましたよ」
「なんで?」
「あれが私の仕事でもあるんです。出向してきたとはいえ、私は本社の人間ですから。本社の仕事が終わったらあなたにもキチンと説明します」
「…信じて、いいのか?」
「何度も言ったでしょう?あなたに信じてもらいたいんです。そばにいさせて欲しいのではなくて、って」
いつでも直江は嘘をついているようには見えない。今までだってそうだった。
信じていいのかもしれない。いや、信じなければいけないんだ。
「わかった。信じる」
「まだ、私はあなたを愛していてもいい?」
「…そうだな…目を閉じろ」
「はい…?」
直江が目を閉じる。高耶が横に座ったようだ。小さく囁く。
「おまえを好きなんじゃなくて、おまえを愛してるんだ」
「おまえが欲しいんじゃなくて、おまえが必要なんだ」
「信じてほしいだけ。そばに…いさせて欲しいんじゃなくて、そばにいる」
「おまえの腕に抱かれたいってだけで、オレはここにいる」
「もっときつく、もっと強く」
「オレを搾り尽くすぐらい抱いてて。いつも」
いつか直江が高耶を口説くために使った手だった。それをもう一度なぞって、今度は高耶が直江に気持ちを伝えた。
すこし内容が変わっているのは高耶なりの表現に違いない。
「わかった?」
「ええ。でしたら、こうしましょうね」
高耶を腕の中に閉じ込めて、きつく抱いた。高耶の腕も直江の背中に回って強く抱く。
「わかんなくない。オレはおまえを愛してる」
1時間ほど予定より遅れて直江が会社に戻った頃、重役会議が行われていた。重役といっても小さな会社。課長の色部ですらかりだされ、社長室にて6人で行われる小さな会議だ。
「何を話し合ってるんでしょうか?」
いつも席にいる経理の女性に聞いてみたがわからないそうだ。
「でもさっき仰木くんがどうとかってコーヒーを運ぶ時に聞こえてきましたよ」
「そうですか…あの、すいませんが先月の経費のファイルを見せてもらっていいですか?」
「ええ、どうぞ。そんなものどうするんですか?」
「いえね、課長に交際費はどこまで使えるかを聞きたかったんですけど、私ももうすぐ店舗に行かなければならなくて。会議が長引くようなら聞けないでしょう?今日は接待なんですよ」
「ああ、そうゆうことですか。確か、人数×5千円だったと思いますけど、場合によるそうなので私も詳しくは話せないんですよね〜。
あ、ファイルはこれです」
話しながら出してもらったファイルをデスクに持って行って、直江の持っている手帳を照らし合わせた。
直江が手帳を出して何かを確認している作業は明らかに不自然だったが、経理の女性はそれどころではなく、忙しく計算機を叩いていた。
先程、高耶と愛を確認しあったのはいいが、このまま横領疑惑が晴れないのなら辞めるつもりだと言っていた。
仕事は好きだし、会社のみんなも好きだが、疑いをかけられたまま働くのは自尊心が許さないそうだ。覚悟はできているらしい。
このままでは時間がない。重役会議でどんな案件が扱われているのかわからないが、もし高耶の横領疑惑についてだったら本格的に行動を開始させないと時間が足りなくなる。
容赦はできない。
まだ定時になっていなかったが、バッグに書類を詰め込むと直帰します、と言って出て行った。
接待へは行かず、同じ本社ビル内の12階へとエレベーターで上がって行った。
翌日、高耶が出社してすぐ、色部に呼ばれて社長室へと連れて行かれた。
入り口の前で色部が小さな声で言った。
「何があっても、何を言われても、キレたりするなよ。俺はおまえを信じてるからな。それとな、できるだけ話を伸ばせ。粘り強くな。
時間を稼ぐんだぞ」
「?…はい」
わけがわからずドアをノックして二人は入って行った。すでに重役が5人揃っている。
「座りなさい」
社長の机を左右3人がけのソファを挟んだ正面に、背もたれもない椅子が用意されていた。
そこへ座ってまっすぐに社長を見た。
「今日はな、キミの入金ミスについて話がある」
あえて横領と言わないあたりが社長の老獪ぶりを表していた。とうとう来たか、と覚悟を決めて高耶は背中を伸ばした。
色部がさっき言った通りにキレたら負けのようだ。話を伸ばせば何かあるのだろう。色部を信じてそうしようと思った。
「今年度に入ってから計上で会わない数字が130万弱。先日の16万は除いてだ。昨日部長からも言われたそうだが7万の入金はどうした?」
「しました。僕は入金票と一緒に金庫に入れておきました。何か勘違いなさっているかもしれませんので、調べていただいた方がいいかと思います」
「だが現に入金されていないんだよ。昨日、経理の岩井君が出社してすぐに金庫を開けたが、そんな金はなかったそうだ」
「でも入れましたから、調査をお願いしています」
押し問答が続いた。水掛け論になってもいいから長引かせて、色部の言うとおりに時間を稼いでいればどうにかなるはずだ。
「仰木〜。そろそろ白状しちまえよ。今なら不問にして、返済するだけでいいと社長からの仰せなんだぞ」
部長は高耶が横領したと決め付けて話を進ませている。しかしやっていないものはやっていない。
すべてがミスだったなんて有り得ないことは高耶もわかっている。
約30分ほど問答が続き、高耶が認めないことにイラついた社長がとうとうクビをほのめかした。
色部の方を見てみたら、我慢しろと目で伝える。粘れ、と。
わかりました、のつもりで目を伏せた時だった。
「失礼します」
ノックに続いて直江が入ってきた。知らない顔の数人を引き連れて。
「お話中すいませんが、先に皆さんにこちらの話を聞いてもらいます」
有無を言わさない強い口調で直江が応接セットのテーブルの前に、高耶を押しのけるようにして立った。
「直江くん。もう少し待てないのか?」
「ええ。待てません。優秀な社員を失うわけにはいきませんから」
そう言うと直江が連れてきていた男性たちがテーブルに数枚の書類と封筒を出した。
彼らのジャケットの襟には本社の徽章が付いてる。
「こちらはこの会社の接待費の計上です。今年度の予算内ではありますが、半年分ほどです」
人数分コピーしてステープルで綴じてある書類が全員に回る。その金額を見て色部以外の全員が訝しげな顔をした。
しかし予算はあくまでも予算である。
「これがどうかしたか?予算の食い違いなど毎年のことだろう」
「いいえ。次のページをどうぞ」
一枚めくって接待費の内容と申請者の一覧が出てくる。
「これは…」
「ええ、すべて統括部長がお使いになった分がここに出ています」
高級クラブ、ゴルフ場、高級旅館などでの接待費として使われているのが一目瞭然になっている。
「そしてこちらを」
封筒の中身は調査書だった。写真入りで数枚に渡ってファイルしてあった。
それをファイルから外し、テーブルに広げ、直江が全員に見えるように並べる。
「5月12日。この前日に仰木くんがしたはずの入金11万弱がなくなっています。そして12日の夜の写真です。新宿の繁華街で部長の姿を捉えたものです。調査によりますと、この風俗店で部長は友人と思われる2人と10万ほど使用しています。領収書はもちろんありません。そして二枚目。これは先月の休日の競馬場ですね。調査員が確認したところ、その週の木曜にまた仰木くんが入金したはずの24万が紛失しています。部長が競馬場で使った金額は25万です。どうぞ皆さん、もっとありますから見て行ってください」
部長以外の全員が書類手にとってを食い入るようにして見ている。
調査書によれば4月半ばから記録されているようだ。高耶の集金、合計で130万ほどが3ヶ月以内に紛失し、それに似た金額を部長が使っている。いくら部長とはいえ、この小さな会社の給料でそこまで自由になる金はないはずだ。
「直江くん!こんな、こんな調査をして何を考えてるんだ!」
「私は本社の調査室の人間です。こうして不正流用を調べて、その処理をまかされています。この子会社を本社に吸収するにあたって、不正を調べに来たんですよ。4月の始まりあたりから色部課長から現金紛失の相談を受けていたので、最終調査として私が派遣されたというわけです」
先程まで息巻いていた部長が青ざめて座っている。
「今なら返済だけで不問に付しますよ?まあ、人の口に戸は立てられませんけど?」
一体何が起こっているのかわからなかった高耶が呆然と直江を見ている。
「仰木くんは横領などしていないと、わかったでしょう?ではこの会議は今から私の権限で統括部長の査問および審議に入ります。
よろしいですか?」
誰にもイヤとは言わせなかった。
「仰木くん。もう戻っていいですよ。大変な目に遭いましたが、あなたは優秀な社員ですから、胸を張って戻ってください」
「…はい」
「じゃ、高耶さん。また後で」
呆然としたまま高耶は社長室から出て行った。
つづく
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