抱きついて、自分からキスした。
そうしたら直江は困ったように唇を離して、やっぱりやめておきましょう、と言った。
「なんで?…やっぱ、冗談だったのか…?」
「いいえ。冗談じゃなく、本当にあなたを抱きたいと思ってますよ。でもやめておきましょう」
「……オレは…」
「すいません。本当の私は意気地なしなんです。覚悟が付くまで待っててください」
オレは抱かれても良かったのに。
「本当に、オレのこと好きなのか?」
「ええ。あなたさえ良ければお付き合いしてください。今までとは違った意味で」
「うん…」
「来週は土曜の晩から来てもいいですか?」
「いいけど、マジで?マジで付き合うの?」
「そう言ったじゃないですか」
最後に軽くキスされてその話は終わった。オレの最初の恋人は男だった。
直江と付き合うのはいいんだけど、寮の電話番号は教えてもらえなかった。誰が出るかわからないから、いらない詮索をされないためにもって。携帯は持ってないそうだ。
だからオレはいつも直江から電話がかかってくるのを待つしかない。まあ、どうせ土曜の晩にはウチに来るんだからいいけど。
平日はオレも直江もヘトヘトになって帰宅する。しかもオレは深夜まで残業があるのは変わらない。
だから連絡が来ないのは当たり前で、お互いにどっかのバカップルみたく毎日電話だとかメールだとかしたくないタイプなのも知ってるからそんなもんだろう。
それぐらいが楽でいいんじゃないか。
約束の土曜の晩、直江は作業着のままウチに来た。そしてそれをウチの洗濯機で洗う。荷物には着替えが入ってた。
「高耶さんの部屋に私の着替えなど少し置いてもいいですか?」
「いいよ。けどさあ、毎週泊まりにくるとなると、寮の人たちから何か言われないか?しかも着替えて帰るなんて」
「そうですね…たぶん言われるとは思いますが、適当に誤魔化します。私のように外に恋人がいる人もいますから大丈夫ですよ」
「そっか。あ、パジャマとかないからジャージでいいかな?オレのじゃ少し小さいかも」
アディダスの黒いジャージを渡すとさっそく着替えた。部屋で着る服は楽なものに限りますね、て言いながら嬉しそうに。
直江が着るとジャージですら映えるから不思議だ。かっこいい。
「きつくない?」
「ゆったりしてるから平気です。なんだかこういうの、照れますね。あなたの服を着るなんて」
「変なの。別に照れることないじゃん。男同士なのに」
もしオレが直江の服を着たら照れるのかな?当たり前みたいな顔で着てるような気がする。
「キスしていいですか?」
「え?ああ、うん。いいけど、その…」
「何か?」
「その先はないのかなーって思って…」
「すいませんね。意気地なしで」
やっぱないのか。
「でも、あなたを満足させるぐらいならしましょうか?」
「え!…いや、いいよ、しなくて。別にそんなつもりで付き合ったわけじゃないから。まあ…好きだからしたいとも思うけど」
「じゃ、少しだけしましょうね」
直江はオレが満足する程度のことをした。手で。ズキズキしたのをあの大きな手で。
「気持ちいい?」
「ん…気持ちいい…」
「人にやってもらうのは初めて?」
「うん…」
「人にされる方が気持ちいいでしょう?毎週してあげますから自分でしちゃダメですよ」
「わかった…」
そんなこと言ったって、どうせ何もしないで毎日帰って寝るだけだ。自分でする暇もない。
「私の手に馴染むまで、あなたのをしてあげるから」
そんな感じで毎週直江はウチに泊まり、夕飯を食べて、ダラダラして、寝る前に手でしてくれた。直江のもするって言えたのは
3週目。直江が来る前にセリフを考えて、どう言えば欲しがってるのを隠しながら誘えるかシミュレーションしてた。
セリフは結局考えつかなかったから、オレのをしてくれた後に手を伸ばして直江のを触った。そしたらビックリしたように目を開いて、
それからオレの手を取って、自分のジャージの中に入れた。
直江のそれはでかくて、オレと比べると自分が可哀想になったほど。ゆるく握って上下に手を動かして、自分のをするよりも丁寧に
した。
「上手ですね…そうやっていつもしてるの?」
「してねえよ。いつもやってもらってばっかだから、丁寧にしてるんだ。どう?気持ちいい?」
「はい…」
土曜の夜から日曜にかけて、ウチのゴミ箱はティッシュだらけになった。
会社で企画してた中国の農家との契約がうまくいって第一弾の、生姜を輸入することに成功した。全国のスーパーとの販売契約も
しっかり取れて、次月から売り出すことになってる。
それで一段落ついたって感じで、打ち上げがあった。会社の人数はほんの数名なのに、全国展開の販売なんてすごいよな。
過労死したヤツもいたけど、これで数年間は会社も安泰になった。全員、苦労が報われたってわけだ。転職しなくて良かった。
残業も減ると思う。
居酒屋での打ち上げが終わって、部長が風俗に行こうって言い出した。いわゆるピンサロってやつで、暗い店内で女の子と二人きりになって口や手でサービスしてくれるところ。
行かないで帰って寝るって言ったけど、付き合わされた。
店内で上司や同僚と別れて座ると、さっそく女の子がやってきた。だけどオレはしたくなかった。直江がいるから。
話さなきゃバレないのはわかってる。興味もある。だけど、こんなのは裏切りじゃないかって思うんだ。
それで女の子には申し訳ないけど、話すだけにして時間を過ごした。
「仰木、どうだった?オレんとこに来た子がさー、マジブスで参ったよ」
そうだとしてもやることはやってもらったんだろうが。バカじゃねーのか?
「おまえんとこに来たのは可愛かった?」
「まあまあ」
暗くて顔なんか見てない。ペンライトを渡されたけど、そんなので顔を見る気にもなれなかった。
いつもよりは少し早めに家に帰ることができたオレは、布団の中で直江のことを考えた。
あいつ、オレがピンサロ行ったの知ったらどんな顔するんだろう?怒るかな?でも何もしてないんだから怒らないか。
だよな。きっと笑って、ご苦労様でしたって言うんじゃないか?
会いたい。
直江に会って、いつもみたくしてもらいたい。
だから、自分の手を直江の手に見立てて自分でした。
その日は雨で、直江は仕事がないからって土曜の昼間からやってきた。昼飯の用意をしてないって言ったらコロッケと食パンを買って持ってきた。バカの一つ覚え。
それで昼飯を食って、この前の話をした。
「こないださ、ピンサロ行ったんだ」
「ピンサロ?」
「そう、会社の打ち上げの帰りに、みんなで」
「そうですか…どんなところなんですか?」
「うーんと…直江が毎週オレにしてるよーなことを、暗がりでしてくれんの」
妬いて欲しかった。少しだけでいいから、オレを好きだっていうのを見せて欲しかった。直江からの愛情表現はいつも手でするってことだけ。
キスもしてくれるけど、オレが物欲しそうな顔をしてるからだって自覚がある。だから少しだけ妬いて欲しい。
「たまにはいいんじゃないですか?社会勉強にもなったんでしょう?私も高耶さんから聞かなければ、どんな場所なのかすら知らないで過ごすとこでした。ご苦労様でしたね」
やっぱり妬かないか。だけど、そんなに笑顔で言うなよ。オレは一応、おまえの恋人なんだぞ。
「じゃあ今日はしなくてもいいですね。スッキリしたんでしょう?」
「え、違うんだけど…」
「はい?」
「してないんだ。行ったけど、何もしないで帰ったから。だってそんなの直江がいるのに…」
「そうなんですか?気にしなくていいのに。好きなようにしてくればよかったのに」
えっと、その、男同士のカップルの場合、そこらへんは自由なのかな?それとも直江が気にしなさすぎなのか?
もしオレが直江だったら、そんなのすっげー怒る。どうして自分がいるのにピンサロなんてって。
もしかして、直江。
「直江も、そーゆーとこ行きたいって思うか?」
「いいえ。まったく」
「じゃあ、オレじゃない女とか、男とかとしたいなって思うとかは?」
「それは…多少ありますよ」
「あんのかよ…」
週末だけオレと過ごして、週末だけ手で逐情して、それで満足なわけないんだよな。だったらやっぱり、すべきなんじゃないのか?
付き合って1ヶ月以上だ。仲良くなってからは3ヶ月近く。なのにしないなんておかしい。
オレじゃない誰かとしてるのかもしれない。
「あのさ、他に誰かいるのか?」
「他に、とは?」
「彼女とか、彼氏とか。オレじゃない誰か」
「いませんよ。あなたとしか付き合ってません」
「だったらどうしてしないんだよ」
「意気地なしなんだって言いませんでしたか?」
「ホント、意気地なし!」
拗ねたオレをなだめようとしたのか、直江は何度もキスしようとした。だけどオレは許さなかった。キスもさせない。
こうして直江がオレを求めるのを待ってる。いつも、いつも。
好きだって何度も言って欲しくて、必要なんだと思わせて欲しくて、直江に冷たくして焦らしてる。
「直江…」
「はい、なんですか?」
「直江と付き合って良かったなって思ってる。オレって今まですっげーヒドイヤツだった気がするんだ。親父の失踪を嬉しく思ったり、他人の死よりも自分のチマチマした生活が大切だって思ってたり…弱い人間は嫌いだって言いながら、自分が一番弱いのに気が付かなかったなんてさ。だって弱いんだもん。仕方ないよ。直江に欲しがってもらいたくて、意地悪してるんだ。本当は大好きで、キスもたくさんしたくて、エッチだってしたいんだ。な?弱いだろ、オレ」
「そう、ですね。あなたは弱い。強がってたって私にはすぐわかりましたよ。あなたを一目見た瞬間から」
「そっか…わかってたんだ…」
「ええ、でも好きですよ。本当に」
「じゃあ、しよう?直江としたい」
大好きな直江の低い声が、オレの耳元でした。しましょうかって。
その日、雨の音に紛れてオレの弱弱しい声がしてた。部屋の中でずっと。ずっと、明け方まで。
「なあ、寮なんか出てさ、ここに来たら?一緒に住もうよ」
直江とひとつになったのが嬉しくて、布団の中で直江に擦り寄りながら言った。きっと、いや、絶対承諾するって思ったから。
「でもご迷惑になりますから…それにここは一人暮らし用なんでしょう?男二人で住むとしたら狭くないですか?」
「そうだけど…じゃあ、貯金はたくから二人で暮らせるとこに引っ越そうぜ」
「…いえ、辞めておきます。あなたと毎日一緒なのは魅力的ですが、きっとどちらも参ってしまうでしょう?」
参るって?なに、それ。
「あなたは深夜にならなければ帰ってこない。私は朝早くから出かけて、夕方に戻る。雨だったら休み。生活時間が違いすぎますよね。だったら今までのように土日で会えばいいじゃないですか。お互いにその方が楽ですよ」
「そうか…」
そんなふうに考えてるんだ。なんか、それって。
「オレと一緒に暮らすの、そんなに苦痛に思うのか?」
「…たぶん、そうなりますよ」
悲しい。悲しいって今まで知らなかった感情かもしれない。
母さんが出て行った日も、親父が失踪した日も、同僚が死んだ日も、オレは悲しいなんて思わなかった。
母さんには怒り、親父には喜び、同僚には無感情で。なのに直江に言われたことを悲しく思うなんて。
こうして抱かれていても。
「もっとしよう」
セックスで直江を繋ぎ止めよう。溺れさせて、オレを毎日抱きたくなるように。そしたら一緒に暮らしてくれるかも知れない。
直江のを手で触ったら、また大きくなった。その気にさせて、オレのも触らせた。
だけどその気になってるのは直江よりもオレだったんだと思う。結局、翻弄されたのはオレで、直江は案外冷静で。
大人だから?今までたくさんの経験をしてるから?そんなの悔しい。
「直江、オレのこと、好き?」
「ええ」
「だったらもっと、狂えばいいのに」
「狂ってますよ。充分。それより痛くないですか?」
「痛いけど、へーき。もっとしよう」
それから毎週、直江は土曜の夜にセックスしてくれるようになった。だけどそれは毎週オレから誘うばっかりで、直江からしたいって言い出したことはない。
何度かしてるうちに気持ち良さとかもわかって、しなくちゃいられないぐらい良くなって、自分ですることも一切なくなった。
どんなに疲れて帰ってきてても、直江にしてもらいたい。直江のためなら睡眠不足も、疲労も、全部ガマンできるのに。
だからまた間を空けて同居の話をしたんだ。
「ですから、無理ですよ。あなたが帰ってくる時間には私は寝ています。一緒に暮らしたってすれ違いになります。そんなのでいいなら同居だってしますけど、あなたが寂しくなるだけですよ」
「それでも!」
「あまり困らせないでください。それにそろそろあのマンションの作業から外れることになったんです。ここに暮らすメリットもなくなります。次は郊外に行くそうですから、私もそちらに引越しです。また現場近くの家を寮として借りるそうですからね」
「え?郊外って…ここから遠いのか?」
「ええ。片道2時間ぐらいですね。今までよりも会う時間が少なくなりますけど、来ますから」
「そんな…」
「片道2時間かけて現場に通うなんて、有り得ないですよ。わかってください」
直江の仕事は会社とは違って移動するんだったっけ。しかも片道2時間なんて。
「…直江は、寂しくないのか?」
「今まで同様会えるんですから、そんなに気にしてません」
「何かあってもすぐに会えないんだぞ?それに、きっと…」
通うのが面倒になって、オレに会いに来なくなるんじゃないか?
「大丈夫ですよ。今までと変わらないんですから。ね?」
「うん…」
納得できないけど、するしかないんだ。どうしてオレはこんな男に惚れてしまったんだろう?
妬かない、同情しない、同居もしない、そんな、冷たいヤツに。
「絶対に会いに来いよな?」
「はい」
だけど、直江は引っ越してから一度も来なかった。
つづく
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