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カイナ


 

※専門用語・隠語などは各ページの最後に解説しています※

 
         
 

全身の穴という穴から体内の物が押し出される感覚とは、こういうものなのだろうか。

 

直江がベッドで過ごした時間は雪が降り続いた2日間だけで、その後は何もなく過ごしていた。また機械のような直江に戻っている。高耶としては相手に情をかけずに済むと安堵したが、直江には心中穏やかではないものが芽生えていた。
自分が飼っている青年は異常なほど頭が切れるせいか、核心を突く発言で直江の心を揺さぶった。高耶が言うには直江には許しを乞う資格がないらしい。
今までそんな弱気な姿を誰にも見せたことはなかったのに、あの雪の日だけは違った。雪は傷をうずかせるだけではなく、直江の記憶を呼び起こす。忌々しい日に、忌々しい青年に責められたものだと考えながら、毎日を普段と変わらずに過ごしていた。

あれから直江と高耶は完全に別行動になっていた。ジムにも連れ立っては行かないし、直江の供をして高耶が出かけることもない。
直江と出かけるには高耶の自前の洋服は簡素すぎてみっともなかった。それを気にした千秋が高耶の服を選び、直江が買い与えて
いたが、そんなこともなくなった。

食事だけは千秋の希望で同時に摂ることを決められていた。しかしお互いに黙ったまま、会話をかわすこともない。

「そーいや、直江。昨日の晩、俺の携帯に麻衣子さんから電話あったぜ。携帯に繋がらないってな。携帯、今はどれを使ってるん
だ?」
「3番だ」

直江は携帯電話を数台使っている。どれも正規のものではなく、ヤクザ絡みで手に入れた所有者が不明になっているものだ。
それを時期や相手によって使い分ける。韓国マフィアが仕切っているその携帯は日本中の誰にかけても請求もされなければ通話記録も探索されない。
高耶に与えられた携帯電話もそのたぐいでこちらから発信できるのは直江と千秋の携帯のみで、さらに着信もその二人だけだった。機械的にはそのような設定はされていないが通信システムにその設定がされている。一昔前に流行した小さな子供に親が買い与えていたPHSのようなものだ。

直江の携帯にはその設定はしていないが、代わりに面倒な時期は携帯を使い分けるようにしている。

「だから直江から連絡来るの待てって言っておいた」
「そうか」

そっけなく返事をしてから直江はひとりで書斎に篭った。それを確認した高耶は千秋に聞いた。

「麻衣子って誰?」
「直江の女のひとりで、銀座でホステスやってんだ。元は店の客だったのを直江が食っちまって、それからしつこく電話が来るんだ
と。あいつ女遊びはうまかったはずなんだけど、今回ばかりはアテが外れたみたいだな。まあ、今はそれどころじゃねえどさ」
「なんで?」
「おまえの仕事の下準備だよ。情報屋を雇って色々と調べさせてるとこで、それを使って計画立ててるはずなんだ。俺にすら言わないってとこを見るとやっぱ相当危ない計画かもよ?」

その危ない計画に高耶がかり出される。気が重くなってきて午後4時の昼食はそれで終わった。ここ最近直江が出勤時間を遅めて
帰る時間を早めているのはそのせいだろう。ラップトップのPCを持ち歩いてはいるが、通信をどこで傍受されるかわからないため
自宅ですべての通信をセキュリティを最高にして有線で行っている。
そしてそのデータはUBSメモリに保存され、複雑で意味のないパスワードがなければ直江しか見ることは出来ない。

「あいつは用心深いからな。用意周到に計画を練ってるはずだ。だからおまえもそう不安がらなくてもいいんだぜ。どんな些細なことだって計画の中に組み込んでるだろうさ。絶対に誰が殺ったかなんてわかんねーようになってるって。死体の処理も手配すると思うから証拠も残らないだろうし」
「そんなの……」

そんなものはどうでもいい。高耶には誰かを殺す、ということが重要なのだ。誰も殺したくないのに、直江に強要されてやらねばならないことが岩で胸を潰されるぐらいに苦しい。
千秋にはそういった罪悪感はないのだ。元々ヤクザの人間にそんなものは不必要だった。

「必要悪、って知ってるか?」
「知ってるぜ。高校中退だけどそんぐれえは知ってるっつーの。んで、それがどうした?」
「おまえにはあるか?」
「ねえよ」
「ない?どうして?」
「俺にあるのは『必要』だけで、『悪』はない。俺自身がもう『悪』に染まりきってっから、何が悪なのかわかんねーんだよ。例えば人殺しをしろって直江に言われれば俺がするし?まあ、俺は頭悪りいからな。直江のお眼鏡には叶わなかったんだろ。あいつの計画について行けるのはおまえみたいな頭の回る奴だってこった」

誉められているのか、それとも地獄に引きずり込まれているのか、高耶にはわからなかった。

 

 

飼われて1ヶ月近く経ったころ、朝食を終えて部屋に戻った高耶の元に直江がやってきた。

「そろそろ準備をしてもらいますからね」
「…ああ」
「上半身、脱いでみせて下さい」

その理由がわかっている高耶は素直にシャツを脱いでベッドに放り投げた。男の体は1ヶ月ほど鍛えれば筋肉がほどよくつくようになっている。飼われたばかりのころと違って今では腹筋も割れたし、薄かった胸板もだいぶ厚くなった。腕も枝のような細さだったのがしっかりした筋が入っている。

「このぶんなら下半身も鍛えられたようですね。あなたの体作りも終わったし、こちらの計画も水も漏らさないほどの完成度ですから
仕事に入ってもらいますよ」
「…わかった…」
「1ヶ月あれば気持ちの整理もできたでしょう?どうですか?怖くなくなりました?」
「怖くは…ない。でも、あんたを憎いと思う気持ちは増幅されてるけどな」

正直なところを言えば高耶はまだ怯えていた。他人を殺してまで守るほど美弥も自分も偉いのか、と何度も考えた。しかし人の欲と言うものはそう単純ではなかった。妹を守るためならどんな汚い仕事にだって手を出してやる、そうとしか思えなくなった。
自分を洗脳させてどうにか均衡を保つ。どの人間でもやっていることだ。

「それは結構。憎まれるのは慣れていますよ。それに、いくら憎まれたって体は痛くも痒くも無い。死にはしませんから」
「そーだな。死にはしないな。ふん」
「理解して頂いたところで計画を話しましょうか。まず殺してもらいたいのは、織田組のクズです。勝田といってただのチンピラ同然ですから死んでも誰も悲しまない。むしろ織田組長も喜ぶんじゃないですかね?」

織田組といえば名古屋を本拠にして勢力を伸ばしている一風変わったヤクザだ。よそで破門になった連中をかき集めて作った暴力団だがその内情は散々なもので、個性の強い構成員が組の掟やヤクザの風習を無視して突っ走る傾向があり、それには織田組長も頭を痛めている。
その中でも一番のクズが勝田という男だと直江は説明した。ヘロインルートを持っていて、それでどうにか織田に迎え入れられ、今でもヘロインを売りさばいているクズだと。

「こいつは元々上杉会にいたんですがね、ガツガツの武闘派で何人も手に掛けては東京湾に沈めてきた男です。勝手で目に余るので上杉会長は破門にしました。もちろん、上杉会長のことですから小指を落とさせてね。まずはこいつです」
「織田からの報復があるんじゃないのか?」
「私が指示したってバレればあるでしょうね。だけど織田としてはヤクザ同士の抗争だとしか思いませんよ。あそこの組で頭がキレるのは織田本人と側近の蘭丸とかいう舎弟ぐらいです。他の連中は気付きません。この二人の目を誤魔化しさえすれば、織田と抗争中の武田の仕業だということになるはずです」
「汚ねえな…」
「このぐらいは汚いとは言いません」

勝田には愛人がいて、週に1回その愛人のマンションに通っている。そのマンションは勝田の隠れ家の役目もしているため織田の
連中も知らない。そこへ忍び込んで殺せと直江は言った。

「女は?」
「大丈夫。勝田しかいないようにしておきます。部屋の窓やドアも壊す必要がないように、当日あなたに指示を出しますからそれにしたがってください」
「で、いつ?」
「今週の日曜日」

 

 

日曜の深夜、高耶は震えながらマンションのベッドにいた。

今日はいつもの時間に起きて、直江に細かい指示を受けた。時間は秒刻み、交通手段も時刻表通り、待機の時間だけは携帯電話で
指示を出されるが、それ以外はなにもかも直江の計画の中で成り立っている。
夕方4時ちょうど、高耶は勝田の愛人のマンション前に着いた。そこから人気の無い非常階段を使って勝田のいる階に上った。
ここまで来るのに時計を見る必要はなかった。直江が指示した通りに動いたらちょうど4時に着いたのだ。道順から信号機の待ち時間から、何から何まで計算どおりだった。

非常階段には直江が言ったとおりに『塗装工事のため立ち入り禁止』の看板があった。実際に新しいペンキで塗装された階段が勝田の階以上に続いていた。直江が仕組んだのか、それともこれを見越して現場をマンションに選んだのか。
誰とも会わずに階段を上りきり、勝田のいる部屋の前についた。日曜の夕方なのに人気がない。出かけるのにも、帰るのにも半端な
時間なのをわかっていてこの時間を選んだのだろう。

高耶の手には部屋の鍵があった。高耶には知らせていないが密かに直江の部下が女を拉致して鍵を奪った。まず女に姿を見られないよう背後からクロロフォルムで眠らせて、高耶に使ったあの睡眠薬を投与し、直江の知っているどこかで眠らせてあり、仕事が終わったら眠らせたまま郊外に放り出しておく。それで女が凍死しようが他の誰かに攫われようが関係ない。

鍵を開けて部屋に入る。
勝田は女が帰ってきたものと思い、用心を怠っているだろうから、そのまま頭に弾をぶっ放せばいい、と。
高耶は震える手でサイレンサーがついたS&Wのピストルを懐から出して勝田を撃った。震えて照準があわなかったため、背中に一発当たっただけ。体が前のめりに傾いだ。しかしそれだけで死ぬはずがない。
勝田は何があったのか瞬時に判断し、振り向いて高耶を見て、傷にも関わらず武闘派らしく向かってきた。
何か叫んでいる。正確な言葉にはなっていない。が、大きな怒気を孕んだ叫びであることには間違いない。

勝田の拳が高耶の顔に向かって伸び、高耶はそれを軽くかわした。直江が言っていた『そのように動く』とはコレのことだった。
高耶が冷静であればこの自分の動きに驚いただろうが、今はそんなものを考えている暇もなければ、驚く余裕もなかった。
勝田の出すヤクザ独特の荒んだ気迫に飲み込まれそうになるのを必死で抗って、全身に脂汗をかきながら獲物だけを見つめ、手の中の銃の感触だけを思う。これだけが自分を救うのだ。
何もしなければ殺される。そう思い、体を翻してありったけの銃弾を勝田に向けて打ち込んだ。その中の一発が頭を撃ち抜き、あっけなく勝田は倒れた。
勝田の気迫が嘘のようになくなる。
血まみれの部屋の中、高耶は呆然と突っ立ち、小さなホクロが二つ並んでいる小指のない手を持つ男を眺めていた。

 

 

靴底には足跡がつかないようにシートが貼ってあったし、直江から手袋も渡されていた。用心のためですよ、と。
実際にヤクザが死んだところで警察は動かない。まずその死体を発見するのがヤクザか、ヤクザと繋がりのある人間だから警察に知られないまま処理される。
しかし今回は死体の処理を直江の手の者がするらしく、高耶はその人間が来る前にマンションを去らなければいけない。
そうして本当に高耶が殺したのかを直江に報告するようになっていた。

 

 

「うまくやったようですね。お疲れ様でした」

直江は落ち着いた声でベッドの中の高耶に声をかけた。

仕事が終わったとたんに直江から電話が入り、現実に引き戻された。
電話での指示通りに来た道をそのまま通らずに、駅もひとつ離れたところから乗り、渋谷駅からタクシーで松涛まで戻った。
そしてすぐに部屋に引っ込んでベッドに入った。吐き気がしてたまらない。実際に何度も吐いた。泣きながら吐き、泣きながら胸を
かきむしる。歯がガチガチと音を立てて鳴り止まない。銃を撃った時のあの振動が、腕にまとわりついたままになっている。
あの顔が目に焼きついて離れない。血に染まった光景が目の前を真っ赤にする。全身が震えている。
帰り道の記憶は全部あった。いくら混乱していても高耶の脳はあれぐらいではパニックは起こさない。それが良いことなのか悪いことなのかの判断はつきかねたが。

部屋に篭ってしばらくすると直江が入ってきて声をかけた。高耶にはありがたくもなんともない労いの言葉だ。

「出てけ……!」
「…ええ、そうしますよ。ただね、言いたいことがあっただけです。もう戻れませんからね。あなたは私のバクチに負けたんです。
負けて傷付かないバクチなんか、ないんですよ」
「てめえ、人間かよ、それでも」
「あなたは知ってたでしょう?ヤクザは人間ではありません」

今はヤクザではないが、本質的には何も変わらないと直江は言った。

「最低だ…」

直江はひとつ溜息をついて出て行った。

 

 

全身の穴という穴から体内の物が押し出される感覚とは、こういうものなのだろうか。

 

 

つづく

 
         
 
ああ、とうとう高耶さんが!私ったら!私ったら~!
 
         
 

S&W ・・・スミス&ウェッソン。アメリカの銃のメーカー

 
         
   

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