カイナ


 

※専門用語・隠語などは各ページの最後に解説しています※

 
         
 

おれたちは誰かに許されたくて生きているのかもしれない。

 

マンションに無事戻った直江はコートを玄関で脱いでリビングへ行った。スーツのジャケットの上から縛られた血まみれのハンカチを見て千秋が叫ぶ。

「なっ、直江!どうしたんだ、その傷!」
「大声を出すな。たいしたことはない。皮膚を掠っただけだ」

服を脱いで床に放り出し、千秋に止血を頼んだ。すでにほとんど止まりかけていたが赤く裂けた傷は中の筋肉を覗かせるほど深かった。
消毒をしてから傷口を縫う代わりに滅菌テープを傷の上から貼り、包帯を巻いた。

「浅くて良かったな。もうちょっと抉られてたら色部のオッサンとこ行かなきゃダメだったかもな」

色部はモグリで医者をしている。普通のマンションの中に診察室兼、手術室を作ってヤクザや不法滞在の外国人のために多額の
報酬を得ながら治療をしている。元々はまっとうな開業医だったのだが、上杉会のイザコザがあった時に拉致されるように連れて
来られ、その時怪我をしたヤクザたちの治療をした。それ以来、本業の医者を辞めてこうしてモグリで開業している。目的は金だ。

「なるべく色部さんには関わりたくない。金がかかるし、何より上杉会長の耳に入る」
「まーな。ヤクザをやめてまで怪我をするような仕事をするな、ってか」
「そうだ」

もし直江が銃弾で怪我をしたと知れば、色々と詮索されるだろう。今はカジノ経営者であっても会長にとっては杯を交わした元舎弟
だ。
しかもそれだけではない。何かがあれば直江を巡って抗争も辞さない。

「そういえば。あいつ、さっき出てきたぜ」
「高耶さんか?」
「ああ、まだ憔悴してたけど、腹が減ったって言ってさ」
「何か食べたか?」
「いや。パンを一切れ出したんだけど、吐いてた。しょうがないから牛乳飲ませておいた」

ローテーブルの上には高耶が使ったホットミルクのカップが置いたままになっていた。全部なくなっているということはとりあえず必要なぶんの栄養補給はできたのだろう。

「俺にもくれないか?」
「ホットミルクを?珍しいな」
「この怪我で酒を飲むわけにはいかんだろう。とにかく、落ち着きたいんだ」

小さな鍋で牛乳を沸かし、直江にホットミルクを差し出した。それをゆっくりと飲んでいる。
今夜は眠れないかもしれない。傷が疼く。

 

 

マンション内に静寂が訪れる。直江はベッドに入ってカーテンから透けて入る街の明かりを見ていた。
思った通り眠れない。痛み止めの薬を飲んでいたがそれでも眠くはならなかった。
もう一度起き出してリビングで深夜映画でも見て過ごそうかと思って立ち上がり、部屋のドアを開けた。
開けたそこに、高耶が立っていた。

「どうしたんですか…」

心臓が跳ね上がるほど驚いた。直江の部屋のドア正面に高耶が毛布にくるまった姿で立っていたのだ。
高耶は黙ったまま下を向いて、直江がそこにいることすら気付かないようにして立っているだけだった。

「高耶さん…?」
「入って、いいか?」
「え。ええ、どうぞ…」

下を向いたまま高耶が直江の寝室に入る。そして窓際まで行き、カーテンを開けた。外の明かりが部屋の中に満ちる。
都会の夜は深夜にも関わらず生き物のように表情を変え、赤や青やオレンジの光になってふたりを照らした。

「高耶さん?」
「ひとりでいるのが怖いんだ…。だからって誰かにそばにいられるのも怖い…。それでも誰かが、他人が生きてるのを知りたくてカーテンを開けて外を見てたんだけど…それでも怖くて……そうしたら、おまえを思い出した」
「私を、ですか…?」
「きっと、オレと一緒に地獄に落ちてるからだなって」

そうかもしれない。

「だから昨夜、おまえに抱かれて心地よかったんだと思う…」
「それで今夜も、ですか」
「そうじゃないけど…」

ベッドに座った直江は相変わらず裸にガウンを引っ掛けているだけで、心臓の上の傷を晒している。
そして今夜は左腕に包帯を巻いていた。

「それ、どうしたんだ?」
「ただの怪我ですよ」
「ふうん…おまえって怪我ばっかりしてるんだな……」
「たいしたことじゃ…」

高耶がベッドに寄ってきて直江の左隣りに座った。腕の包帯を見ながらゆるく掴んだ。
直江はその痛みに顔をしかめた。

「痛い?」
「ええ」
「オレが殺した奴も、痛かったかな」
「でしょうね。だけど撃たれるっていうのは、痛みよりも恐怖が先なんですよ。痛みなど感じる前に恐怖に支配されてしまいます」
「そっか……その、心臓のも?」
「ええ。何よりも先に恐怖が来ました」

その時、高耶の体が震え出した。しっかりしていたはずの高耶は幻想の中にいただけで、実際はまだ恐怖という名の色濃い混乱の
中にいたのだ。
直江の傷を見て、直江の感じた恐怖に同調して、自分が本来いた場所を思い出してしまったのだ。

「高耶さん…?」
「怖い…」
「しっかりして…大丈夫ですから…」
「なお…」

顔を上げようとした時には直江に抱きこまれていた。素肌が頬に熱かった。

「すいませんでした…あなたを巻き込まなければ良かった…私なんかに会わなければ良かったのに」
「なおえ…?」
「俺はまた、同じことを繰り返すんです…大事なものをまた失うんです」
「なお…」

抱き込まれたまま唇を重ねていた。直江の舌が高耶の口内に入ってくる。激しい口付けだった。

「なにするんだ…」
「わかりません…でも、あなたを離したくない」
「…離さなくていい…」

一緒に堕ちようと、高耶が囁いた。

 

 

俺は何をしてるんだ?

「ん……!」

高耶の痴態を腹の下に見ながら、直江は自問自答している。
足を大きく開いてすべてを晒して直江を迎え入れる姿勢になっている高耶は、頬を赤く染めて眦から涙を零している。
大きく膨らんだ性器が高耶の興奮の度合いを示していた。
何度となくキスをして、高耶の体を舐めつくした頃には、直江は高耶の体臭を覚えてしまっていた。芳しいほどのエロス。
高耶を例えるならその一言で良かった。

「普段のあなたじゃないみたいだ」
「普段のオレならこんなことしない」

それなら今の姿は高耶の本性なのかもしれない。それを喰い貪れるならそうしたい。

「いいんですか?」
「ここまでしといて…いまさら」

とろけるほどゆるんだ高耶の後ろに、直江は怒張した性器を当てた。
一気に貫くと高耶は大きな悲鳴を上げた。

「痛い?」
「いたかねえ…!こんなの、たいした…うああ!」

直江が角度を変えるとさらに大きな悲鳴を上げる。いつ千秋に悟られてしまうかわからないほど大きく。

「静かに…優しくしますから、声を上げないで」

直江が腰を小刻みに動かす。できるだけ高耶に痛みを与えないように小さく。それでも耐えられないのは直江だった。
纏わりついて、吸い付く高耶の後ろに、今までにない快感を覚えて興奮が高まる。小刻みにしていた腰も徐々に激しくなってくる。

「はあ…っ」
「なおえ…っ…あ、苦し…い!」
「ガマンできません…もう、いい?」
「何が…」

果てるにはまだぬるい。直江は高耶の腰を掴んで激しく律動させた。高耶の中を熱い塊がピストンする。

「あ!ああ!」
「もう、止まらない…!何も止められない!」
「うあああ!」
「高耶さん…!」

キスをした。正真正銘のキスだった。スキンシップなどではない。そんな甘いものじゃない。これも違う。これはセックスだ。
高耶を掘りながらそう思った。自分だけではなく高耶にも快感を与えたかった。どこまでも一緒に堕ちるのなら。

「んん!あ、そこ、ダメだっ…!」
「ここ?」
「痛い…!ああ、ちが…う!ん!」
「いいの?」
「……いい…」

ようやく高耶の弱い部分を見つけた感情をどう表せばいいのか。暗い喜び。汚い至福。
声を顰めて高耶に囁く。

「あなたとなら、地獄でもいい」

直江に揺さぶられながら高耶はその言葉を遠い場所で聞いていた。下半身に走る甘い痺れが脳内を犯し、まともな思考を奪い去る。
このまま地獄まで、繋がったまま堕ちられるならそれでいい。
高耶は地獄のように熱く濁った白い液体を、天国の意識の中で吐き出した。

 

 

冷えた部屋の中で、息を潜めて囁き合う。熱はふたりの間だけに残り、窓が結露で濡れていた。
高耶は目の前に晒されたケロイド状の傷を舐めた。

「これ、どうしてついたんだ?」
「話すと長くなりますから」

ベッドの上に座り直して直江はタバコを吸った。抱かれていた腕が引いて少しだけ寒さを覚える。

「あ、包帯…」
「ああ、とけましたね」
「直すよ」

激しく動いたせいか腕の包帯がいつのまにか解けてしまっていた。高耶も座って直江の左腕を取った。

「動いて平気なんですか?」
「あんまりな。でもこのぐらいは出来る」

左腕に纏わりついていた包帯を一度外すと血が滲んでいた。救急箱を取りに行こうとした高耶を笑って止めて、見た目ほどはひどくないからとガーゼを外して見せた。
テープはしっかり留まっている。平気でしょう、と笑いまたガーゼを貼り付けて包帯を高耶に渡した。

「どうしてこんな傷ついたんだ?」
「あなたこそ、どうして抱かれたんですか」

沈黙がふたりを包む。それは高耶にもわからない。直江だってなぜ抱いたのかわからない。
お互いにわかっているのは、お互いを求めていたことだけだった。

「これは…撃たれました。たぶん店のことで揉めてる相手からでしょうね。ちょっと今はイザコザがあるんです。ただの脅しですよ」
「オレが殺したってのがバレて報復されたんじゃなくて?」
「まさか。そんなヘマはしませんよ」

ヘタクソな包帯の巻き方を見ていてつい笑顔になってしまう。

「なに笑ってんだよ」
「いえ、別に。もう少し強く巻かないとすぐ取れてしまいますよ。高耶さん」
「そうか…難しいな」

ようやく巻き終わった高耶がその左腕に抱きついた。

「どうしたんですか?」
「戻れって、言うな」
「え?」
「まだ戻れないから…」

直江は高耶を抱いてベッドに沈んだ。戻らなくてもいいと言外に伝えながら。

「いったいどうしてこんなことになったんでしょうね…」
「そうだな…」
「少しでも気分は晴れましたか?」
「晴れやしないけど…マシにはなった」

高耶にとっては道連れが出来たという所だろうか。体を繋げたからとはいえ直江が本当に高耶と地獄まで付き合うとは思えないが、
それでもひとときの苦しみを分かち合えたのが救いになった。直江に体を引き裂かれなければ、自分で引き裂くところまで追い込まれていた。
直江も自覚はないが、高耶を抱くことによって大事な何かを思い出しそうになっている。

「なあ…長くなってもいいから、その傷のこと、教えてくれよ」
「……いいですよ…長くて、つまらない話ですけどね」

 

 

おれたちは誰かに許されたくて生きているのかもしれない。

 

 

つづく

 
         
 
なんだか簡単にほだされてしまったような気が。
 
         
 



 
         
   

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