カイナ


 

※専門用語・隠語などは各ページの最後に解説しています※

 
         
 

それが愛と呼ばれるものなのかもしれない。

 

 

話す代償にと高耶の頭を抱えて自分の右肩に乗せた。目を覗かれながら話せることではない。

「…私には、妻子がいました」
「え?」
「もう何年も前のことです。妻は豪胆で勝気で、愛する者には優しく寛大で、極道の妻になるにはピッタリの女でした。それもそのはずで、上杉会長の末娘だったんです。大学在学中から金儲けのために自分で会社を興して、行き着いた先は闇金融の経営だったん
ですよ。あなたもご存知の通り、裏の社会にはいろんなネットワークがありましてね、この頭を上杉会長に買われて金融をまかされ
ながら舎弟に収まったんです。そして妻と知り合いました」

直江が辿ってきた道は高耶には到底考えられないような世界だった。

「結婚して子供が出来て、いつか私は上杉会の跡目を継ぐ、自分自身でもそう思っていたんです。しかしヤクザ社会とはそう甘くはありません。私以上に実力のある親分方を出し抜いてそんな真似できるわけがないんです。若頭の話が来たときです。古参の親分衆…要は私にとっての兄貴にあたる人たちと、私を担ぎ上げようとしている若い親分衆との間で抗争が起きました。大きな組織ではよくあることです。経済に走ろうとしている若い連中と、暴力にものを言わせる古い連中ではいくら話し合っても埒があかない。発砲事件が頻繁に起こって、一般人も巻き添えにした事件がニュースで出たのを知っていますか?」
「知ってる…何年か前に医者か何かに弾が当たって死んだってゆうやつだろ?」
「ええ、それです。その事件のすぐ後に、私の住むマンションに鉄砲玉が飛びこんできました」

あいた左手で直江が胸を押さえた。

「夜中で、雪が降ってた。サイレンサーをつけた銃声が部屋に響きました。小さな音で、外に降っている雪で音など吸い込まれてしまうぐらい、小さな音でした。まだ赤ん坊だった息子をあやしていた妻の叫び声だけが大きく響きました。弾は妻を外して床に焦げた後を残していて、私は飛び出してその鉄砲玉から妻をかばいました。その時に、ここを撃たれたんです」

直江が指で傷を丁寧になぞる。その指の上から、高耶も同じようになぞる。

「私の心臓を打ち抜いたと思った相手は、次は妻と子供を撃ちました。私はぼやけていく景色の中でそれを見ていた。動くことも声を出すこともままならず、その凄惨な場面をただ目に焼き付けて……悔しかった。何も出来ない自分が、恐怖で支配されている自分が憎かった。どうしてあの時体が動かなかったのか……」

さっき直江から撃たれた時の話を聞いた。まず先に恐怖に支配されるのだと、直江は言っていた。
溜息を漏らして再現された恐怖を振り払い、また話し出した。

「撃ったやつの手の甲に、小さなホクロが二個あって、それだけを覚えて、気絶したんです。幸い、すぐにマンションの住人が気付いて病院に運ばれて一命は取り留めましたが、妻と子供は死にました。目だし帽を被った鉄砲玉が誰なのか、気付いたのは最近です」

直江の手をどけて、高耶はもう一度直江の傷を舐めた。

「それが勝田?」
「ええ。勝田は私と不仲の兄貴の舎弟で、その後は…あなたに前に話したように勝田は破門になりました。実際は会長が破門を言い渡したのではく、私を狙った兄貴の口添えです」
「じゃあ復讐ってことか?」
「そうです…私怨にあなたを巻き込んでしまって…申し訳ないとは思います。でももう、戻れないんです」
「だろうな。そんなの、オレだって許せない」

直江が殺せと言ったのは3人だ。その中に直江の兄貴分も含まれているのだろう。ヤクザ社会の中で復讐は難しい。だから機を見計らってヤクザを辞めた。
雪の夜、直江が見せたあの弱弱しい姿はこれが原因だったのかと考えながら、高耶は直江にいつしか同情した。
人を殺して泣いている高耶を抱いて長時間そのままでいた直江。それは直江が悲しみの中で誰かにそうして欲しかったのだとわかった。きっと何度も高耶のように絶望で泣いていたのだろう。

「でも殺すのは、もうイヤだ」
「ですが」
「殺さないと気が済まないか?」
「済みませんね」

やはりそこはヤクザだ。まだ抜け切れていない。

「奥さんと子供は、そんなの望んでないと思うけど」
「妻が望むとか、望まないとか、そういう問題ではないんです」
「プライド?ヤクザの?だとしたらおまえ、すぐにヤクザに戻っちまえよ」
「……どういうことですか」
「ヤクザに戻って、おまえの嫌いな汚い下衆な連中と一緒に殺しのゲームをしろってこと」

高耶がベッドから出て行こうとした。その腕を掴んで詰め寄る。

「行かないでください」
「どうして。やっぱりオレにはおまえが理解できない。同情はするけど、理解は無理だ」
「あなたを、離したくない」

真剣に見つめる直江がますます理解できない。どういう意味で離したくないのだろうか。

「手駒としてか?だったら安心しろ。美弥に危害が及ぶならいつまでだって手駒でいてやるよ。泣いたって、吐いたって」
「そうではなく…ただ、あなたを離したくないだけだ」
「なお…」
「もう少し、そばにいて下さい」

ゆっくりベッドに押し倒し、もう一度キスをした。

 

 

直江が目覚めた時、高耶はすでにいなくなっていた。裸体にガウンを羽織りリビングへ向かうと千秋が朝食の用意をしていた。

「おはよー、直江」
「ああ」
「昨夜、またあいつ泣いてただろ。何か叫んでたみたいだけど」

直江の寝室での声が千秋にも聞こえていた。それを睦言とは気付かれていないようなので直江は少し安堵した。

「また直江が行ってやったのか?」
「そんなところだ」
「ご苦労なこったな。あいつ、朝飯食うかな?」
「さあな」

目覚めた時に高耶がいなかったのを不安に思った。何か足りないような気がしていた。昨夜高耶を抱いた手を眺め、直江は痴態を
思い出す。
あれはなんだったのだろうか。

「あとで包帯替えるからな。しばらくは毎日消毒しないと膿んで大変なことになるぞ」
「わかってる」

千秋が朝食を持って高耶の部屋に行ったが、高耶は布団に潜り込んで出てこなかった。仕方なくトレイを置いて戻り、朝食を食べ終えた直江の包帯を替えた。

「あれ?俺、左巻きにしてないけど…自分で替えたのか?」
「ああ…夜中に外れたんでな。自分で巻いた」
「そっか。緩く巻いた覚えはないんだけど…」

高耶が巻きなおした包帯のことを知られたくなかった。消毒をして包帯を巻き、痛み止めを渡される。
それを飲むと直江は黒田に電話をかけた。

「Cの件は中止する」
『…こちらはかまいませんが、いいんですか?」
「ああ。もういい。Aの件も、同じく中止だ」
『わかりました。では今までの分の入金を。口座番号は…』

黒田に頼んでおいたすべての計画についての調査を直江は中止した。これ以上、高耶に殺しはさせないつもりだった。
復讐も、報復も、もうどうでもいい。結局おまえはヤクザと同じだと言われて気が付いた。今ならまだ、引き返せなくとも止まることは
できる。

「直江、おまえ、マジでいいのかよ」
「ああ。もう終わりだ。中国人も、赤司の兄貴も、もうどうでもいい」

赤司というのは直江の元兄貴分で、勝田を鉄砲玉に使って直江の妻子を殺させた男だ。趙は当時、その赤司にヘロインを密売して資金源を提供していた。
勝田が鉄砲玉を買って出たのも、趙のヘロインルートを任せるという報酬があったればこそだった。
赤司と勝田のその資金が今までの直江のすべてを阻んでいた。金で味方を引き込んでいたのだ。その資金を上回った今が絶好のチャンスだった。今なら金の力で敵を味方に引き込める。

しかしもうそのすべてはどうでもいいことだ。今は高耶をこれ以上傷つけたくない。地獄に落ちるのは自分だけで充分だ。

「高耶さんが来たら、解放してやってくれ。妹さんの監視も外させろ」
「…直江。おまえ…全部高耶のためだってのかよ」
「……そうかもな」
「そんなの!奥さんや子供は浮かばれねえぞ!」
「もう、いいんだ」

自室に戻って着替え、どこへ行くわけでもなく車を出した。
もう二度と高耶に会うこともないだろうが、これでいい。これ以上俺のそばにいさせるのは酷だ。罪を重ねさせることはない。

 

 

 

千秋は直江の気持ちを多少は察していた。高耶のために復讐をやめたと言い出した時に確信を持った。
直江は高耶に魅かれている。その甘い感情が直江にあったことに対して少し腹立たしくなりながらも、その理由は理解できた。
高耶は抉る。相手が誰だろうが心を抉る。千秋にも覚えがある。

ただそれを高耶に悟らせてはならない。直江の気持ちが高耶に通じるとは思わないし、そんな甘い考えで高耶を解放するなどカタギ
ではない自分たちにとって言語道断だったからだ。
部屋から出てきた高耶に千秋は吐き捨てるように言った。

「出てっていいぞ」
「え?」
「もういいってよ。おまえの憔悴ぶり見て、あいつも呆れたんじゃねえか?おまえは外されたんだよ」

高耶にとってはこの上ない朗報だった。自分も解放され、美弥の安全も確保できる。
しかし小さなわだかまりが心に残った。

「なんで…?」
「さあな。直江は何を考えてっかわかんねーとこがあるからな。いいじゃん、解放されるんだから」
「だけど…」
「いいから荷物まとめて出てけよ。真っ当に生きるんだぞ。今回の件は俺と直江しか知らないし、おまえは何もなかったようにこれから暮らしていけばいい。妹だって幸せな一生を送れるんだ」

そう言って直江から渡されていた金を高耶に差し出した。100万はありそうな厚みの封筒だった。
手にした瞬間、高耶に怒りが込み上げた。

「これで終わりだって?!オレに人殺しまでさせといて!冗談じゃない!」
「いいじゃねえか。終わりで。おまえは自由を手に入れたんだ。それとも何か?もっと殺したかったってか?」
「違う!」
「とにかく!俺は直江が何を考えてそうしたかなんて知らねえ。おまえに何の不満があるのかも知らねえ。そんなに聞きたきゃ直江に聞けよ。出勤前に戻ってくるんだろうからよ」

封筒をテーブルに叩きつけて高耶は自室に戻った。
いまさら出ていけだって?殺させといて。抱いておいて。情が移ったのかどうか知らないけど、そんな理由もわからないまま出ていけるわけがない。

なぜ、理由がなければいけないのか。高耶にはそれすらも頭になかった。

 

 

都内を車で走り、我ながら何をしているのかとバカバカしくなったころにマンションに戻った。地下の駐車場に車を入れてドアを閉めた時、背後で気配がした。

「別動」(動くな)

マンダリン。北京語だ。また脅しかと両手を上げてホールドアップのジェスチャーをした。

「昨日警告した。歌舞伎町の店を続けるなら金を払えと言ってあるのを覚えてないのか?」
「忘れたな」
「あそこは上杉のテリトリーじゃなくなった。これから仕事をするなら、月に5千万。そういう話だった」
「そんなもの、誰が払えると思ってるんだ?」
「いい加減、意地を張るのはやめろ。今度は腕ごともぎ取る」
「やればいいだろう」
「自大的日本人」(生意気な日本人め)

直江の脇の下に銃口が当たった。本気で腕ごともぎ取るつもりだ。読みが浅かったかと後悔しつつ腕を捻じ曲げて急所を外すように
位置を変えた。その瞬間、銃声が地下駐車場に響いた。

 

 

「銃声だ!」

千秋が叫んだ。高耶にもその音は聞こえていた。直江に渡されていたトカレフを持って、千秋の後を追って飛び出した。
階段を駆け下り、マンションのエントランスに着いた時に一人の男が飛び出して行った。その向こうでは千秋が直江の名前を呼びながら狂ったように叫んでいる。
あの男が直江を撃った。
そう悟った高耶は男を追いかけて走り出した。

足には自信がある高耶はその男を路地裏まで追い詰めた。男は袋小路の壁に背を向けて高耶に向けて銃を構える。

「てめえ、直江に何をしやがった」
「殺しはしない。脅しただけだ」
「脅しで撃つのか?だったらオレもそうするぜ」

一瞬のためらいもなく、トカレフの引き金が引かれた。高耶は二人目の殺人を犯した。

罪悪感はなかった。大事な何かを守るためなら何だってする。それが元々の高耶の性質だった。
駐車場に戻ると血まみれの直江を千秋が車に乗せているところだった。

「早くしろ!直江を乗せるんだ!色部のとっつぁんのとこに連れて行く!」

直江の体を後部座席に押し込んで、千秋が運転をして山手通りを初台駅の方向に走り出した。

「急所は外れてるがこのままじゃ腕が動かなくなる。最悪壊疽で腐って落ちちまう」
「その色部って人は腕は確かなのか?」
「ああ、たぶんな」

初台駅前から水道道路に入り、さらに狭い道を走って行くと白いマンションが見えた。そこに色部がいるらしい。
直江から出る血を高耶が衣服で吸わせて地面に垂れないようにし、千秋が直江を支えて部屋までたどり着いた。
到着した時には出血のせいか撃たれたショックかほとんど意識がなくなっている。

中に入ると色部と呼ばれた壮年の男性がベッドを用意して待っていた。

「直江、直江」

頬を叩きながら直江の意識を確認する。直江はどうにか意識を取り戻し色部に返事をした。

「ああ、色部さん…またあなたの世話になるとは…」
「そんなことはどうでもいい。今から手術だ」
「そうですか…」

高耶と千秋は応接間で待たされた。色部は命に関わることはないと告げて、高耶の顔を見た。

「あんた…あの雀荘にいた……直江の知り合いだったか?」
「え?あ、ああ。おっちゃんか…どうりで見たことあると思ったら」

高耶が渋谷の雀荘でよくカモにしていた男性だった。連戦連敗のこの壮年男性がモグリ医者だったとは、と驚いて腕を信頼できるか不安になった。
それでも信じるしかない。

「直江を助けてくれ。絶対に助けてくれ」
「大丈夫だ。さっきも言ったが命には関わらない。まあ、多少不自由するかもしれんがな」
「そうか…」

色部は頷いて手術室と呼ばれる部屋に入って行った。

 

 

それが愛と呼ばれるものなのかもしれない。

 

 

つづく

 
         
 
直江が撃たれた〜!高耶さんがんばれ〜!
 
         
 

鉄砲玉 ・・・死ぬつもりで特攻をかける下っ端ヤクザ

マンダリン ・・・ 北京語を俗称でこういいます

 
         
   

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