「混んでるなー。さすが土曜の中華街だ」
「こっちですよ。はぐれないでください」
中華街の最寄出口から出たはいいものの、当の中華街の中心地に行くには多少の距離があった。
先に直江のウーロン茶を買うことにして、目的地へ向かう。メインストリートと並行している道から出る路地を入ってすぐ。
そこに中国茶店があった。
「ウーロン茶しかないのか?」
「ウーロン茶というのは種類のことです。全般的には中国茶です。色々と種類があるのですが発酵のさせ方や形状によって名前が違ってくるんですよ。これはウーロン茶ですが、緑茶とも言われます。こちらはプーアル茶。鉄観音茶。花茶。で、これが目的の岩茶です」
「岩茶?」
「お茶の葉は日本と同じお茶の葉ですが、岩茶は土壌ではなく岩に生えます。今ではけっこう手に入りやすいんですけど、昔は皇帝に献上されたほどの貴重品でした」
「ふーん」
赤い長細い袋に詰められている茶葉が並んでいる棚に、岩茶の値段がプレートに印字されている。
興味を引かれて覗いてみたら、50グラムで3000円。
「げげ」
さっき直江が説明した緑茶は100グラムで1500円。それでも高いと思ったのに、岩茶は緑茶の4倍もするではないか。
その高価すぎる茶葉の袋を4袋、と平気な顔で店員に注文する。
直江が金持ちなのはわかるが、そのお姉さんまでとは、と高耶は絶句していた。
働き出したらこの程度の出費は『贅沢』ぐらいのランクになるが、学生で奨学金をもらっている高耶にとっては『王侯貴族』なみだった。
たぶん直江家は元々金持ちで、たまたま息子がモデルになったんだろう。少々引け目を感じてきた。
「終わりましたよ。ラーメン、食べに行きましょう」
「あ、うん」
直江が選んだ店は行列ができていた。外観は町に普通にある中華屋と変わらないし、値段も似たようなものだ。
でも行列ができているということは旨いってことなんだろうな、と並ぶのが苦手な高耶もおとなしく並んでいた。
「やっぱ似合ってないな」
「何がです?」
「ラーメン屋。パリコレに出るようなモデルがこんな庶民的な中華屋に並んでるなんてさ。さっきオレがあの中国茶の店にいた時と逆になった。オレと直江って、住む世界が全然違うんだな」
断定した高耶の言葉に、直江はどこか傷付いていた。
心臓にズキンとする痛みのようなものが走っている。
こうして一緒に並んでいても、世界が違うと言うのだろうか。
「違う世界なんてありませんよ。こうして一緒に並んでいるじゃないですか。俺が優先的に入れるわけじゃない。誰だってそうです」
「それでも違う気がするんだからしょーがないだろ」
棘が突き出ている直江の言葉に反感を持ちながら言い返した。
そして反感の影に、小さな喜びがあるのも感じた。同じ世界にいるのかも知れない、ほんの少しだけそう思う自分が嬉しかった。
機嫌が悪くなった直江に「でも楽しいからいいけど」とごまかすように呟くと、少し直ったようで喋らないまでも相槌を笑顔で打つぐらいはしてくれた。
中華街を散策してから、みなとみらいに電車で戻った。次のショーの集合までまだ2時間はある。
高耶に何がしたいかを直江が聞くと、散歩がしたいと意外な答えが返ってきた。赤レンガに行ってみようかと持ちかけると、混んでるからヤダと一蹴された。
それで普通に港を散策することにした。
話しながらインターコンチネンタルホテルのそばまで行き、あてもなく円形の広場を歩く。この間に高耶の口から話される学校のことや、バイト先のこと。故郷の家族の話を聞きながら直江は思った。
もっと知りたい。知ってほしい。
これが何を意味するか自分は知っている。恋だ。
熱心にフィッターの下準備をしている高耶に話しかけ、あの黒い目が自分に向けられた時から、この人を知りたいと思った。
カフェで笑った顔を見た瞬間、自分の足りない部品を見つけたような気がした。
世界が違うと言われて寂しくなったのは、自分を虚栄の世界から救い出しに来たキリストから見放された気分だったからだ。
そして仕事が終わったら観覧車に乗る、ということは、仕事が終われば二度と会えないからだ。
屋台できな粉揚げパンを発見した高耶がそれにかじりついている時に、直江が自分を救うための呪文を唱えた。
「ショーが終わったら一緒に観覧車に乗りましょう」
誘いではなく、断定口調で告げた。
「いいよ。日給も出ることだしな」
あっけなく呪文を受け入れたように見えた。
帰りに直江と観覧車。よく考えれば男同士で乗るってのはおかしいな。
でもまあいいか。どうせ直江とは二度と会わないんだし。
ショーが始まる寸前に男二人で観覧車に乗る姿を想像してちょっと考え込んだが、すぐにアナウンスが聞こえてきて、舞台袖に向かう直江の背中を見て仕事モードに切り替わった。
だけど、自分が思った言葉のどこかに物悲しさを感じた。どこにかは結局わからずじまいだったが、気にしてもしょうがないので高耶は考えるのをやめた。
日給が入った袋を持って、待ち合わせの屋外広場に行った。そこではジャグラーが長方形の箱を3個使って、1個を空中に投げて浮かせては残り2個の箱で挟んで取る、というパフォーマンスが行われていた。それを感心したように眺める直江がいた。
「お待たせ!すっげー不思議そうな顔して何見てんだよ」
「ああ、高耶さん。だって凄くないですか?まるで箱が吸い寄せられてるみたいじゃないですか」
言われてみれば確かにそうだが、あの長身が少ない見物人に混じって真剣な顔で見ている姿が滑稽でたまらなかった。
「変なの。行こうぜ。けっこう並ぶって聞いてるからな。俺さ、夜景より夕焼けの方が好きなんだよ。暗くなる前に乗りたいじゃん」
「はいはい。じゃあすぐに行きましょう」
夜景より、夕焼け。
人工物よりも、自然が生む光を好む高耶の、こんな所を好きになったのだと確信した。
虚栄ではなく、真実。
観覧車の行列に並びながら、直江は少しずつモデルの仕事についてを話した。
「最初はスカウトされてモデル事務所に入りました。売れてやろうとかは考えてなくて、やりたい仕事が見つかるまでのツナギにしてたんです。社長は私を売り込みました。それはもう色々と手を尽くして。たったの数ヶ月でパリコレに出られるようになりましたよ。だけど、こんな自分の何が良くてそうなるのかはわかりませんでした。その気持ちは今もあります。そして、モデルの生存競争に巻き込まれて、悔しさからトップを目指そうともしました。実は今でもそんな感じなんです。だけど最近疲れてきた。今日だってたくさんモデルはいたし、一緒に飲みに行くような友人もいましたけど、裏では全員戦々恐々です。とても疲れます。自分にも、他人にも疲れます。だから、ありのままでいるあなたと話したくなった。なんでもいいから話したかった。この人が、私の知りたがった答えをすべて知っているような、そんな気がしたんです」
高耶は黙って聞いていた。直江の話が途切れたときに行列の先頭になった。
係員の男性が直江に気が付き、驚き、笑顔でゴンドラのドアを閉めた。
「おかしな話をしてすいませんでした」
「いいけど、さ」
「高耶さん?」
「オレも似たような経験あるから。今の学校はお洒落って言われるタイプばっかりで毎日牽制しあってる。オレみたいに洒落ッ気がないヤツは初めから相手にされないんだ。それか、バカにされたりな。矢崎はそんなとこないけど、内心ではどう思ってるか知らない。でも、オレ、妹にオレの作った服や、デザインした服を着せてやりたいんだ。トップじゃなくてもいいんだ。やりたいことをする。それでいいと思うんだ。直江はモデルはやりたくないって思ってるか?」
「やりたくないとは…思いませんが」
「じゃあ悔しさだけでやってないってことだろ。オレにもそう見えたぜ。モデルやってる直江はけっこう…かっこよかったし」
夕日のせいか顔がいささか赤いように見える。どんな気持ちで高耶がそう言ったのかはわからないが、嬉しいには違いなかった。
自分を認めてくれる人が、ここにいる。しかもそれは誰よりも美しい人。
「自分の仕事、好きなんだろ?だったら好きってだけでやってもいいんじゃないか?」
「そうかもしれませんね。なんだか自信が出ます。好きなものを仕事にできるならそれでいいんだって思えます」
「それでいいんだよ」
日が落ちきって、東の空は紺色になっている。その紺と夕日のオレンジの境目を見つめて高耶は和むような顔をした。
つられて同じ気分にまで和んだ直江は、高耶を見つめながら微笑んだ。
「送りますよ」
観覧車を降りて地上に降りる階段で唐突に言われた。
「は?」
「車で来ていますから」
「あ、そーなのか。でもいいよ。家が遠かったら悪いし」
「どこですか?」
「根津」
根津は山手線の内側にある住宅街と商店街が混ざった下町だ。マンションに住むとなると高級マンションでなくても値段が張るが、アパートならそう高くない。
木造ならさらに安い。近所の大学に通う学生目当てのアパートが多いため、木造の方が多いのも実情だ。
そんな下町を選んだのは父親の希望でもある。
都会とはいえ、根津あたりはまだまだ下町気質が残っていて、困った人を放っておけない人間が多い。学生時代に下町で暮らしたことがある父親が、そのへんで借りろと言ってきたのも最近になって納得できた。
実家のミシンは美弥が家庭科で使うために持って来られなかった。しかたなく中古ミシンを買うバイト代が貯まるまで学校に残ってミシンを使っていたが、ある日、近所の道を毎日掃除しているオバちゃんに話しかけられ、立ち話を5分しただけで翌日の同時刻には中古のミシンをくれる人がいる、という話にまでなっていた。
ミシンだけではない。それ以来、近所のオバちゃんやオジさんが貰い物だとかの食べ物をお裾分けしてくたり、中古の家具をくれる人を紹介してくれたりする。
学校の友達は「東京砂漠」なんて言うけど、どこが砂漠なんだと思ってしまう。
「根津…というと、根津神社の根津ですか?」
「そうそう。駅から10分ぐらいのボロアパート」
「だったら私の家の帰り道です。ご一緒してもらえますか?」
「あ、そーなんだ!だったら乗ってく!」
口には出せないが、電車代が浮いた〜と思いながら駐車場に停めてあった車の前に立った。
逆輸入のレクサス。ダークグリーンのボディが暗い駐車場の中、街灯に照らされてピカピカに輝いていた。一応、高級車だ。
「直江んちはどこらへん?」
「私は根津よりもう少し北の千石です。JRだったら巣鴨よりも駒込に近いんですが。最近マンションが売り出ししていたので、ローンですが購入したんですよ」
そこらへんは下町の中で異色を放つ高級住宅街。昔の貴族だか華族だかが屋敷を持っていた場所で、最近になって大きなマンションも出来た。たぶんそれを買ったに違いない。
そんな所に住んでいるのか…と直江のハイグレードさに驚き、なんとなく自分が惨めになった。
ブランド物の服を着て、高級車に乗り、高級住宅街に住んでいる。
片や、坂の下の木造アパートに住み、ラーメン屋に入るのすら贅沢で、服もブランド物なんか持っていない。唯一のブランド物は、故郷の友人、成田譲が原宿で並んで買ったというTシャツだ。誕生日に貰った。
「近くに住んでるけど、やっぱ世界は違うんだよ」
惨めになった気分を世界が違うということのせいにして納得しようとした。卑屈になるよりマシだ。
たぶん二度と会うこともないんだし、言いたいことは言ってしまうに限る。
「どういう意味ですか?」
「どういうって、そーゆー意味しかないじゃん」
あっけらかんと言う高耶に少々腹が立って、直江の声が低くなってしまった。それでも高耶はまったく気にせずに夜景が見える窓の外を見ている。
「さっきも私は言いませんでしたか?違う世界なんてないって。あるとしたらそれは高耶さんの心の中にあるんですよ。私はあなたと話していて、世界が違うとは思いません。高耶さんと同じ物を食べました。同じ空間で、同じ夕焼けを見ました。それでも世界が違うと言うなら、あなたが私を知ろうとしないだけなんですよ」
怒りがこもった声にビクリとした。どうしてそんなに怒っているのかわからない。
こんな一介のバイト学生に対して、大物モデルが息巻いている。
「あなたはそうやって差別をしてるんです」
モデルをやっていて何か嫌な体験でもしたのだろうか?そこまで言われるとは思わなかった。
完璧に見えるのに、何が不満なんだ?
そこでようやく気がついた。
たぶん直江は完璧なんかじゃないんだ。勝手に周りが完璧なんだと思い込んで、幻想を押し付けているだけで。
「そっか。そうだよな。ごめんな」
「…高耶さん…」
高耶の意図が伝わったらしく、直江は逆に高耶を困らせていたのを反省した。
「こちらこそすいませんでした。ねえ、高耶さん。提案がひとつあるんですけど」
「ん?」
「お互い今日は初対面だというのに、私はあなたからたくさん学んだ気がします。たぶんこれからも、高耶さんから学べるものがたくさんあるはずです。あなたも、私からいくつか学んだでしょう?良かったら、これからもお付き合いしませんか?」
この提案が高耶にとって嬉しくないはずがない。
今日このまま別れたら、二度と会えない。そう考えた時に締め付けられるような気持ちがしたのだ。
まるで離婚した母親と、二度と会っていないように。
「いいよ。でもオレも案外忙しいからあんまり時間は割けないけど」
「ええ。私も仕事がありますから、そう会える時間を都合するのは難しいですけどね。でも、努力しますよ」
「たまに会うぐらいでいいけどな」
「そうですね。近所ですから、たまにご飯でも食べましょう。では、私を理解するためにまず第一歩から。明日はお休みですよね?だったら今から私の家に来ませんか?おいしいブドウをたくさんもらってしまって困ってるんです。まだご近所に親しい人がいなくておすそ分けも出来ないんです。ぜひ協力してください」
「ブドウ?!いいぜ!協力するする!」
レクサス、日本名ウィンダムは首都高を降りて、中山道を通り、不忍通りを抜けて直江の住むマンションへ向かった。
これから先の未来に何が待っているのか知らない高耶と直江を乗せて。
END
あとがき
長いっすね…読みにくくてすいません。
フィッターのバイトをしてたので題材にしました。実話が多少入ってます。
服飾専門学校出身なのは私です。
そして高耶さんが住んでいる下町は私の住んでいる町がモデル。
根津じゃないけどすぐ近くです。