やっぱ違う世界というものはある。
でもそれはオレが入ろうと思えば入っていけるんだ。
先日、フィッターのバイトで知り合った直江というモデルと仲良くなった。あれ以来、毎日メールが来る。
あの日は家が近所だってこともあって、送ってもらいがてらブドウを貰いに直江のマンションまで行った。テレビで宣伝していた例のばかでかい高級マンションだった。
エントランスは広く、当たり前のようにオートロックで、エレベーターは何機もあった。眩暈がするぐらい、どっかの高級ホテルなみの造りだ。
その最上階に直江の部屋があった。
だだっ広い一室に部屋がいくつあったのかは怖かったから聞いてない。
直江が言うにはお兄さんが不動産屋の仕事でこのマンションを買い、それを聞きつけた直江が住みたいと言い出し、条件付で普通よりも格安で手に入れたそうだ。
直江がもしマンションを出る場合、直江にマンションを売る権利はなくて、お兄さんが仲介に入って店子に貸す家賃を5割貰うぞ、って条件を押し付けられたって言ってた。
けどさ、甘い条件だと思わねーか?
トップの部類に入るモデルなんだから、たくさん稼いでるに違いないんだもんな。
しかも直江の実家は寺だ。寺といえば金持ちの代名詞。
世界は違いますよ、直江さん。
で、直江はなんでかオレと気が合って、毎日スケジュールをメールで知らせてくる。今日は何時に仕事は終わりますから、一緒にどこそこへ行きましょう、って。
だけどオレは課題とバイトに追われていて、そんなヒマを作る余裕はない。おごりのタダメシにあり付けると思うと、もったないような気もするけど。
だからメールの返事は「忙しいから駄目」。毎日それだ。
携帯のメール機能の定型文にしちまおうかぐらい考えたね。冗談じゃなく。
そしたらさっき、深夜0時も過ぎた頃、「今、何をしてますか?」って文章が届いた。
明日提出の課題が終わって、風呂に入ってる間に届いたメールだったから「もう寝るとこ」って返事をしたら「今から少しだけ時間を下さい。10分でいいから」って。
いや、オレ寝るんだけど…。
だけどブドウを貰った日以来、一回しか会ってないし、ブドウ貰ったら貰いっぱなしみたいで申し訳ないなーって考えて「いいけど、どこで?」って返事を出したら「今から行きます。10分以内で行きますから」だと。
ブドウをくれた日に家まで送ってくれて、ボロアパートだから恥ずかしいって言ったのにキッチリアパートの前で車を停めてくれて、しかも部屋に入るまで見届けてたからオレの部屋を知ってるんだ。
直江が来るまでに少しでも片付けておこうと思って、まずはベッドの上で丸まってる布団を直した。
それから台所にそのままになっていた食器を洗って、トイレを掃除した。
あとは部屋の半分以上を占めている課題で使った布や、ミシンや、裁縫道具を片付けようとしたら…
トントンとノックがした。時間切れだ。
まあ、課題に追われてるのは直江だって知ってるし、見られて恥ずかしいものじゃないからいいや、と思ってドアを開けた。
「こんばんは。高耶さん」
初めて聞いた時も耳に残るなーって思ったあの声が、オレの正面から聞こえてきた。
しかも笑顔を湛えて。
「入って」
オレはもうパジャマを着てたけど、直江はさすがに着替えてきたんだろうな。
今日は白いVネックのTシャツの上に、白いカッターシャツを着て、ジーンズだった。そして裸足にローファー。石田純一みたいだ。
でも何を着ても似合うからムカつく。
「高耶さんのお部屋に入るのは初めてですね」
「あんまジロジロ見んなよ。まだ片付いてないんだ。そこらへんに座っててくれよ。すぐに片付けるから」
ミシンをケースに収めて部屋の隅っこに置いて、糸くずをゴミ箱に捨てて、裁縫箱に道具を入れてミシンの上に乗せた。
「何か飲むか?今なら紅茶とオレンジジュースとビールがあるけど」
「高耶さんは未成年でしょう?ビールなんか飲んで…」
「たまにはいいんだよ。あ、車で来てるんだよな。ビールは駄目か」
「ええ。では紅茶を頂けますか?」
特売で買ったティーバッグで、紅茶を入れた。マグカップしかないからそれでふたつ。
オレンジジュースを入れてオレンジティーにしてやったら、最初は気味悪がってたけど飲んだらうまいって言ってくれた。
レモンティーがあるぐらいなんだから、オレンジティーがあったっていいだろ。なんて、実は学校のそばのハンバーガー屋で飲んでオレも知ったんだけどね。
「急にどうしたんだ?何か今日じゃなきゃ駄目な用があったとか?」
「そうゆうわけじゃないんですが…仕事で少し悩んでしまって、急に高耶さんに会いたくなりました」
何それ。変なの。
「悩んでるって、どうして?」
「私に出来るかどうかわからない仕事を事務所が請けたんです」
「どんな内容?」
「アイドルのプロモーションビデオなんですけど、そのアイドルの恋人役で出演しろと言われまして」
「へー、すごいじゃん。やれないことはないだろ?なんで悩む必要があるんだ?だってプロモにはいくつか出てるって言ってたじゃないか」
直江はオレの言葉に少しムッとしたらしい。なんでかわかんねーけど。
「公私混同はしない主義だったんですが…今好きな人がいて、落とす自身がないんです。そんな時にアイドルの恋人役なんか出来ません」
好きな女がいるのか。ふん、律儀なこったな。
誰なんだろう?モデル仲間かな?
あれ?なんかオレ、すっげー気にしてないか?
なんでこんなに気になるんだ?
「断ればいいんじゃないの?」
「そうも行きませんよ。もう事務所は契約してしまったそうなんです」
「あーあ。諦めて頑張れよ」
「高耶さん」
「オレに相談したって解決なんかできねーぞ。モデルの世界も大人の世界もわかんねーんだから」
「そうではなくて」
「だから何」
直江は戸惑ってるみたいだ。言いたいことが言えないって感じ?オレもなんか言いたいことはあるらしいんだけど、それが何かがわからない。
紅茶をすすりながら直江を見ていたら、思い切ったように顔を上げた。
「やります。契約ですし、ここで断ったら男が廃りますから。立派にやりとげます」
「ああ…そうしたら?」
急に意気込みを表した直江に多少驚いてしまった。
「見ててくださいね!高耶さん!」
「はあ…」
手を握られてブンブン振り回される。
直江ってこんなヤツだったんだっけ?でもまあ、面白いし、なんか憎めないからいいや。
「頑張れよ」
「ええ、あなたに認められるように頑張ります!」
認められるって、なんでそんなことを。
「ああ、もうこんな時間ですね。帰ります。ありがとうございました」
「え?もう帰るのか?もうちょっといてもいいんだぞ。どうせオレ、明日は午後からの授業しかないからさ」
「…そうですか?でも本当に遅いですから」
「せっかく来たのに10分で帰る方が失礼だぞ。この前はオレを中華街に付き合わせたんだから今日はオレに付き合え!」
戦国無双で2プレイをやってみたかったんだよなー!直江が出来るかしんねーけど、とにかくこうゆうもんは慣れだからな!
「これ…は。高耶さん…」
「戦国無双だよ。オレは上杉謙信でやるから、おまえは信長でやれ。対戦だ。そーいや上杉の武将に直江ってのが二人出てくるぞ。景綱と兼継。知ってたか?」
「景綱は先祖です…兼継は違いますけど…」
「えー!そうなんだ!どーりでなー」
「どーりでなーって何ですか…」
金持ちなはずだ。
でもこれ言うと直江は怒るから言わない。
小一時間ほど対戦して、オレの圧勝だった。
「あなたに敵うわけないじゃないですか。もう本当に帰りますよ。あ、明日ですが、課題はもう終わったんでしょう?一緒に夕飯でもどうですか?」
「いいよ。バイトもないし。でもオレじゃなくて好きな女を誘えばいいのに」
「だから…誘…じゃな…か」
最後の言葉は小さい声でよく聞こえなかった。
でも、「だから」って言ったよな。それってどーゆー意味なんだろ?
「おやすみなさい」
「あ、うん。おやすみ。気をつけてな」
翌日、直江からのメールが来て、待ち合わせは千石の四つ角のマックの前になった。今日はマックで食うのかな?
確かに豪華な飯を食う金はオレにはないが、それはそれでなんか嫌だ。
そう思いながら散歩がてら徒歩で千石まで行ったら、直江は先に来ていてマックの前で待っていた。
いつも見るようなカジュアルじゃなくて、今日は黒いスーツ。オーディションがあるって言ってたからソレ用だろうな。
でも誰か一緒だ。誰だ?派手なアロハの上にジャケットかよ。趣味悪い。
見覚えがないけど…背が高いからモデル仲間かな?
「よう、早いな」
「さっき来たばかりですよ。あの、高耶さん。紹介します。こいつは同じモデル事務所の同僚です。今日高耶さんと一緒に夕飯を食べると話したら付いてきてしまって。もしご迷惑じゃなければこいつもいいでしょうか?」
「ああ、いいよ。人数が多いほうが楽しいじゃん。よろしく。仰木高耶です」
「こんちは。千秋修平っていうんだ。よろしくね。高耶くん♪」
千秋ってやつは直江ほど背は高くないけど、女にモテそうなやさ男だ。
メガネが知的に見えるけど、オレの警戒シグナルはこいつはお調子者だってブーブー鳴りまくってる。
苦手なんだよな〜。こうゆうタイプ。今までオレの周りにいなかったもんなー。でも直江も今までいなかったタイプだからどうにかなるのかな?
「では行きましょうか」
マックじゃないのか。良かったー!今日は仕送りが来たばっかだからちょっと裕福だぞ!
「あそこに大きなビルがあるでしょう?一階に窯でピザを焼くイタリアンの店があるんです。安くておいしいので高耶さんを連れて行きたかったんですよ」
「マジで?!窯で焼くピザって初めて!早く行こう!」
また食い物に釣られてるよな。でもいいや。うまいものを直江と食うのは楽しいもんな。
あれ?直江と食うから楽しいのか?何人かでピザを食うから楽しいのかな?
店は小奇麗だけどカジュアルな雰囲気で、オレみたいなジーンズにスニーカーでも気にならない、いい感じ。
さずが直江はこうゆうところは気が利くんだよ。大人で優しくてさ。さすが年の功。
「ワインは白だな。高耶くんは未成年だっけ?でもちょっとぐらいはいいよなあ?」
「駄目だ、長秀」
ながひで?
「年長の私たちがそんなことでどうする」
「いいじゃんかよなー。直江は頭が固くてホンット親父くせーったらないね」
「どうとでも言え。高耶さん、ワインは駄目ですからね。アイスコーヒーか何かでいいですか?」
ホンットーに親父くせーな。ワインぐらい飲めるっつーんだよ。年の功って言い換えればオヤジってことかよ。
「ワインでいいよ。平気」
「高耶さ…」
ええい、めんどくせー!話題を変えてやる!
「なんで長秀って呼ばれてんだ?やっぱ直江みたく本名は変だから千秋って芸名なのか?」
「オレ様は本名が千秋修平だ。直江と一緒にすんな。直江はモデル仲間として会ったから今でも長秀って呼んでるんだ。ま、修平くんとでも呼んでくれよ」
「は〜?修平くん〜?千秋でいいよな?オレも高耶でいいからさ」
「そーか?別にどっちでもいいけど。年も似たようなもんだし、友達付き合いといこうや」
「しょーがねえな〜」
苦手かと思ったらそうでもないな。気さくですぐに溶け込める雰囲気を持ってる。相手を引き込む能力が備わってるんだ。
いいヤツなんだろうな。なんたってこの直江の友達なんだし。前にモデル同士戦々恐々だって言ってたけど、こいつだけは違うみたいだな。
「長秀。どうでもいいが高耶さんにワインは…」
「黙ってろ!せっかくのディナータイムになんて無粋なこと言い出すんだかな。酔っ払ったらオレ様が介抱してやるから飲め飲めー!」
千秋って面白いな。
でもなんで直江の方を見てニヤニヤしてんだろ?当の直江は仏頂面してるしなー?
けどこんな直江は初めてだ。意外に子供っぽい顔もするんだな。
「しょうがないですね。今日だけですよ?酔ったら私が送りますけど、飲みすぎないでくださいね」
「うん」
そっか。送ってくれんのか。だったら安心だな。それにまた一緒にいられる時間が増える……って!!
えーとそれって、それってー!!
えええええ?!こんなのアレじゃんか!!美弥が読んでた少女マンガのノリじゃねーかよ!
つーことはオレは直江に恋してるってことかよ!
はああああ?!そんなバカな!!
眩暈がしてきた…
「どうかしましたか?高耶さん?」
「いや、なんでもねえ。早く食って帰ろう」
「帰ろうって…そんな」
「ああ、ごめん。そうじゃなくてな。あー、まあいいから早く食おうぜ」
窯焼きピザの味もワインの味もわかんねーよ!!
どうしちまったんだ!オレは!!