同じ世界で一緒に歩こう



直江、疑惑の中で


その2

 
   

 

高耶の性格は直江の洞察力からしてみれば簡単に割り出しができるため、たぶん清い交際から抜け出すには数ヶ月がかかるだろうと判断した。
そして今回の『複数の女事件』でその壁はさらに高くなったようだ。今日はキスもできないらしい。

「あー、眠くなってきた。風呂入って寝るか。直江、風呂ってこっちだっけ?」
「ええ。いつでも入れますからどうぞ。案内しますから行きましょう」
「案内なんかいらねーよ」
「案内しなくては入れませんからね」

どうゆうこった?
そう思いながらも直江の後に付いて行く。

「これが湯温調節です。このパネルで操作してください。バスタブのお湯がぬるかったら温度を少し上げて、こちらのボタンを
押せば追い炊きできます。ジェットバスにしたい時はこのボタンです。そしてこちらがシャワーボタンになっていて、ここのボタンは蛇口から出てきます。入りながら何かわからないことがありましたらこちらのボタンを押せばリビングの私と通話できますから何でも言ってくださいね」
「はあ…」

高耶には見たこともないパネルがバスルームに付いている。譲のマンションもこんなのがあったけど、こっちのは更に進化した形で、説明してもらわなければサッパリわからなかった。

「高耶さんの歯ブラシはここにありますから使ってください。パジャマもここに用意してあります。タオルはこの棚に入ってますからご自由に使ってくださいね。それと…」
「まだあんのかよ!」
「ええ。ボディ用のスポンジは中に青いのがありますから、高耶さんはそれを使ってください。どんなのがいいかわからなかったので、とりあえず私と色違いを買っておきました。背中はシャワーブラシがありますから、それでどうぞ」
「わかった。他は?」

やけくそになっているらしい。口調がぶっきらぼうになっている。

「もうありませんよ。ではごゆっくり」

脱衣所のドアを閉めてから、高耶は用意された紺色のパジャマを見た。直江のにしては小さい。
どうやらこれはオレのために買ったらしい。しかもシルクだ。
パジャマの下にまだパッケージに入った下着も置いてあった。
ここまで用意しているとは…と、恐ろしくなってパッケージを開けてみた。まともなトランクスが入っていた。これもシルクだったらたぶん直江を意味もなく殴っていたかも知れない。

裸になってバスルームに入り、体を洗ってから乳白色の風呂に浸かる。
ボディシャンプーなんか使ったことのない高耶だったが、見たこともないメーカーのもので、本当にそれがボディシャンプーなのか疑って、外国語だらけの説明書きを見つめてしまった。

仕方なくパネルの通話ボタンを押した。

『はい』
「あ、あのさ。どれがボディシャンプーで、どれがシャンプーで、とかわかんないんだけど」
『すいません。説明不足でしたね。シャワージェルと書いてあるボトルに“FOR BODY&HAIR”とありますね?それで髪も体も洗えます。コンディショナーはわかりますか?』
「わかる。サンキュー」

便利だな、この通話ボタンは。
それとこっちも。同じもので髪も体も洗えるとは便利だ。

コンディショナーも同じメーカーの外国製だった。
高校生まではシャンプーしか使わなかったが、東京に出てきてからコンディショナーも使わないとバサバサになってしまって
使うようになった。
水が違うんだろうな。
バスオイル、と書いてあるボトルも開けて匂ってみた。これはバスタブに入れてある入浴剤なんだろう。
さすがモデル。体には金をかけてるらしい。しかもいい匂いだった。
女が好むような甘い香りではなく、だからと言って男性用でありがちなミントなどのきつい清涼感の匂いでもない。ありふれた香料でないところが直江らしい。

でも直江っていつも香水つけてるよな。あれも嫌いじゃないけど、こっちの方が本物の直江の匂いな気がして好きかも…。

風呂から出て、真新しい下着とパジャマでリビングへ行った。

「これサンキューな」
「いいえ。あなたに似合いそうでしたから買っておいたんです。気に入って頂けましたか?」
「ああ、気に入った。でも高かっただろ?これシルクだよな」
「さすが服飾学校の生徒さんですね。シルクは肌触りもいいですけど、保湿性にも保温性にも優れていますから、体にいいんですよ」
「ふーん。直江はモデルだもんな。そうゆう所はしっかりやってるんだな」
「体が資本ですから」
「なあ、あのシャンプーとかって、やっぱ外国製のだよな?オレも欲しい」
「いいですよ。あ、でもストックがなかったな…来週中に届きますから差し上げますね」
「届くって?薬局とかで買えないのか?」
「インターネットで個人輸入をしてるんです。日本では売ってないんですよ。値段は高くないんですけど、買うのが面倒なのが
難点です」
「へー。すげーな。フランスとかから輸入してんの?」

ボトルの説明書きには英語のほかに読めない文字があったからフランスかと予想していたが。

「アイスランドです」

アイスランドってどこだっけ?
頭の中で地球儀を思い浮かべて考えてみたが、どこだかわからない。
とにかく寒そうな名前だ。実家の松本の冬なんか目じゃなさそーだな。

「イギリスの少し上ですよ。前にアイスランドの温泉でショーをやったんです。変わった温泉でイベントが結構あるんです。バンドのライブとかね」
「温泉で?」
「はい。日本の温泉とは違って、プールのようなものですから。そこでお土産に買ってきたアメニティが気に入りまして、輸入するようになりました。皮膚病などに効く温泉だったので肌にいいのは間違いありませんからね」
「へー!そっかー!さすが直江!さすがトップモデル!」
「それ、褒めてるんですか?それともからかってるんですか?」
「どっちもだ」

貰う約束ができて、機嫌が良くなった高耶だった。
自分に甘える高耶が可愛らしくて、直江も先ほどまでの言い争いを忘れて幸せな気分になっていた。
それからすぐに直江も風呂に入るといって出ていった。その間に寝てしまってもかまわないと言われたが、家主を置いて寝てしまうわけにもいかないと当たり障りのない程度に本棚を見ていた。

本棚にはファッション関連の本や、健康に関しての本のほかに、小説や旅行のガイドブックもたくさんあった。
不動産資格の本も入っている。確か直江の兄は不動産屋だった。

「モデルやめたら不動産屋にでもなるつもりなのかな…」

とりあえず高耶が惹かれたのはファッションの本だった。買いたくても高くて買えなかったデザイナーの作品集や、デザイン史もあった。
直江と付き合えて良かったー!と思う瞬間がこんなところにもある。
貴重なその作品集をパラパラめくっていくと、最後の方のページに知った顔があった。
直江だ。
どこか外国で、ショー会場の客席の間を堂々と歩いている姿だ。今よりまだ若い。20代前半の頃の写真ではないだろうか。
最後のページが終わると、そこにデザイナーのサインがしてあった。
Dear.YOSHIAKI。

「直江って、デザイナーとかとも仲いいんだな…当たり前か」

直江は自分が目指す高みの人間たちと付き合いがある。
コネで売り込みなんか考えてはいないが、もし直江との関係を悪意のある人間が知ったら、直江のコネクションを利用する
つもりなのだと勘ぐられるかもしれない。
不遇な少年時代を過ごしてきただけに、そういう警戒心はとても強い。
もしそうなった場合、自分は胸を張って直江と付き合い続けていけるかわからない。自尊心を傷付けられないために、別れを選ぶような気がする。

「ああ〜、考えんのよそう…」

まだ付き合いだして1ヶ月も経ってないじゃんか。
そんなの考えてんのは時間の無駄だ。なるようになるしかないんだ。

パタリと音をたてて作品集を閉じ、別の本を出した。今度は毎月買いたくても買えない値段の雑誌。
ここにあるのは全部コレクションの特集だから直江が載っているものなのだろう。

「あ、いた」

土地ごとに開催される大きなコレクションの、ほとんどに直江は出演しているらしい。一介の専門学校生が見に行けるようなコレクションではない。相当のコネが必要になる。

「いいなー。見に行きたかったなー」

その上、直江が出演している。コレクションも見たいが、直江の姿も見てみたい。
先日の横浜でのバイトは直江の着替えは手伝ったが、ショーを見たわけではないし。

「招待状を差し上げましょうか?」

いつの間にかそばに来ていた直江が、床に座った高耶の頭上から声をかける。
誰もいないものと思っていた高耶がギクリと肩を上げた。

「おまえ、いつもそうやって話しかけるけど、趣味なのか?」
「高耶さんがいつも床に座ってるからですよ。冷えますからソファに座ってくださいね」

いくつか見たい本を持って、ソファに移動すると直江がホットミルクを出してくれた。あまり熱くしないで温めたミルクはいつも飲んでいる牛乳とは味が違う。それを飲みながら本を広げた。

「なんか…鉄臭いけど、うまい」
「鉄臭いですか?言われてみればそうかもしれませんね」
「なんか入ってるのか?」
「いいえ。何も入ってませんよ。成分無調整の低音殺菌牛乳なんです」

それなら高耶も何度か飲んだことはあるが、それにしても違う。いつも飲んでいる牛乳とは違って、飽きがこない。

「どこで売ってんの?千石のピーコック?」
「いえ…これは牧場と契約をしていまして、週に2回届きます」
「牧場直送だとー!なんつー贅沢してんだ!」
「事務所が契約してるんですよ。私も長秀も事務所から買っているんです。脂肪分が上質ですし、カルシウムも調整されて
いませんから、おいしいでしょう?自然で健康的な牛からしか搾りませんし、安全なんですよ」

事も無げに言い放つ直江を高耶はちょっぴり悲しい気分で見ていた。世界が違うってこうゆう時に実感してしまう。
さっきのシャンプーなら直江がくれるからいいけど、この高そうな牛乳だとか、デザイナーと知り合いになるとか、いくら直江に追いつこうとしても結局は世界が違って見えてしまって追いつくどころか悲しい気分になってしまう。

「高耶さん?」
「オレさ、こんなことしてる場合じゃないのかもな。学校の課題以外でもたくさんデザイン画を書いたり、服を作ったり、勉強しないと駄目なのかもしれない」
「こんなことって、私と過ごす時間のことですか…?高耶さんが学校を大事にしているのは知ってますよ。でも、私との時間をくだらないものだなんて言わないでください」
「ああ、ゴメン!違うんだ。直江との時間は勉強と同じくらい大事なんだけど…。デザイナーになる夢は、自分と美弥のため
だったんだけど、それだけじゃ駄目になったんだよ」
「どうしてですか?好きだから洋服を作るって言ってたじゃないですか」
「直江と、同じ世界に入りたいから」

なんていじらしい事を言い出すのだろうか、この人は。抱きしめてしまいたい。
抱きしめるのはかろうじて抑え、隣に座る高耶の肩を抱いた。

「あなたは学生で、私は社会人で、年齢も離れてますよね?あなたがそうやって私の世界に入りたいのと同じく、私はあなたの世界に入りたいんです。同じ志を持って、あなたと接している同級生を羨ましく思います。一緒に授業を受けたりしてみたいですよ。でもそれは無理ですよね?だから、こうしてあなたを誘って、同じ時間を過ごしているんです。二人でいる時間は、二人だけの世界にしてしまいましょう。上下もなく、あなたと私が寄り添うだけで、同じ世界なんですから」

直江には直江の世界、自分には自分の世界。
それがある事実は当たり前だ。
だから、一緒にいる時間だけは二人同じ世界に席を置こうと高耶も思った。

「あなたの気持ちしだいで、私と同じ世界になるんです。いつもあなたと同じ世界にいるから安心して。焦ったり、無理をしないで。私はあなたのものですから」
「本当に?」
「ええ、一生、あなたのものです」
「直江…」
「この本の中の私も、ステージにいる私も、どこにいても、何をしてても、あなたのものです」
「…おまえって、恥ずかしいこと平気で言うよな」

そんな…ひどい、高耶さん…

「でも嬉しい。オレ、そんなふうに誰かから言われたことないしさ。自分に価値がないから、誰からも必要とされてないのかも
しれないって思ってて、諦めもあったんだ。観覧車に乗った時、直江がさ、オレを“ありのままでいるあなた”って言ったじゃん?それって、直江、間違ってるんだよ。オレがありのままなのは、諦めなんだ。価値がないから作ってもしょうがない、虚勢を張っててもしょうがない、見栄を気にしててもしょうがない、そんな理由でありのままなんだ。そんなだけど直江はいいのか?」
「いいんですよ。誰だって、他人に対しての劣等感はありますから。だけどあなたはそれを隠さない。正直に私に言うでしょう?私に対して心を開いてくれてるからだと思っています。さきほどの携帯の件も、素直に嫉妬してくれたのは嬉しかったんです。私と同じ世界に入りたいと思って、勉強を 頑張りたいと言ったのも、とても嬉しかったんです。ただ、無理をしないで欲しいと思って。あなたはあなたのペースで私といてくれれば、私はそれで満足ですからね」

「ずいぶん甘やかしてくれるんだな」
「そうですか?もう少し厳しくしたほうがいいですか?」
「んーん。もっと甘やかしてほしい。こうゆうの、初めてだから」

高耶が過ごした19年間を思って、直江は悲しくなった。どうしてもっと早く出会ってやれなかったんだろうか。
価値がないなんて考えを、この人が起こすにはたくさんの苦難があったに違いないのだ。

「私にとっては、何を投げ出してもいいほど、あなたには価値があるんです。だからもっと甘やかしますよ。覚悟してくださいね」
「うん」

直江に寄りかかって安心したせいか、眠くなって目をこすった。
もう深夜2時を過ぎている。

「寝ますか?」
「ん、寝る」

立ち上がると直江が背中を押して、先日高耶が使った客間まで連れて行ってくれた。

「じゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
「高耶さん」
「ん?」
「おやすみのキスはしてくれませんか?」

またこいつは恥ずかしいことを平気で言う…

「それは女全部と別れてからって言っただろ」
「………」
「おやすみ」

無情にもドアは閉まった。
あなたは私を甘やかしてはくれないんですね…

直江信綱、躾の悪い駄犬は甘やかしてはもらえないことを知った30歳の夜である。

 

END

 

 

あとがき

作中で直江が使っているシャンプーは私も使っています。
高耶さん嫉妬深いです、ここでは。
そして可愛いです。私の趣味で。
キスを“チュー”と言うのも私の趣味です。


   
         
   


   
   

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