同じ世界で一緒に歩こう



東京メトロと高坂さん


その1

 
   

 

ここ数日、直江が弱ってきている。
俺様としちゃあ見物なんだが、何があったのかぐらいは知っておきたい。
この俺様の名前は、若手の中でも群を抜く天才モデル、安田長秀こと千秋修平だ。


「どしたの、直江!最近元気がないじゃん!高耶みたいな若いのを毎晩相手にしてりゃくたびれもするわな〜。いや〜、そろそろこの事務所もトップ入れ替えって感じか〜?」
「全部、お・ま・え・の・せ・い・だ」

事務所で今度のファッションショーの打ち合わせをしている直江と千秋。
休憩時間に会議室の隅っこで項垂れる直江に声をかけたら、いきなり指を刺されて断言されてしまった。

「俺のせい?何が?」
「おまえが高耶さんに余計なことを言っただろう。俺の携帯を調べろとか何とか」
「ああ、あれか。冗談だったんだけどな。マジで調べられたのかよ。で、愛想尽かされたとか?」
「それはなかった。だが危ないところまでは行ったんだ。結局、俺が女を整理し終わったら高耶さんも許してくれることにはなった」

あの高耶が嫉妬丸出しで直江に詰め寄り、携帯のメモリを消去するように命令したそうだ。
当日の苦労を思って、千秋は笑い出しそうになった。
モデル界でトップを競う直江が、携帯のメモリごときで恋人から責められ、命令され、背中を丸めながらチマチマとボタン操作…。

こりゃ俺じゃなくても笑いたくなるっての!

「そんで女は全部整理できたんか?」
「まだだ。それで弱ってるんだ。どうしても聞かない女が一人いてな。別に俺に未練があるわけじゃなさそうなんだが」
「じゃあなんで?」
「面白がってるとしか思えん」

俺様と同類かよ〜!笑わせてくれるぜ。

「どこのどいつ?」
「高坂昌子ってタレントの女だ。美人だが中性的な」
「あー、あいつかー。俺も知り合いだぜ。あいつだったらそうだな。面白がってるとしか思えないな」
「無視を続けてるんだが、なぜかタイミング良くなのか悪くなのか、高耶さんと一緒にいる時に電話をかけてくるんだ」
「ほうほう、そんで?」
「高耶さんは気にして聞き耳を立ててる。だが邪険に扱うと可哀想だなんて言うし、かといって電話が切れた後は無言になるし、本当に困ってる」

高坂昌子は妖しい魅力のタレントで、芝居もやれば歌も歌う。バラエティにはキャラが違いすぎて出てはこないが、実はあれ以上にバラエティが似合うタレントはいないに違いないというのが業界での常識だ。
なんでもかんでも面白がって首を突っ込んで、ハチャメチャにしてしまうのが特技だった。

「んで、どうやって別れるつもりなんだよ。これじゃいつまでたっても高耶が許さないだろ?」
「だから弱ってるんじゃないか。それもこれもおまえが余計なことを高耶さんに吹き込むから」
「自分の乱行を棚に上げてよく言うぜ。ぜーんぶと切れてから高耶と付き合えば良かったんでないの?どうせ高耶が付き合ってくれなかったらを考えて、キープしとこうなんて思ったんじゃねーのかよ」

図星でグッと詰まる直江。

「ま、あんな純情そーなガキに惚れた自分が悪いんだって諦めるしかねーな」
「確かに…」

純情そうな、どころか純情すぎて大人の付き合いも理解できないほどだ。

「どうしたもんか…そうだ、長秀。おまえ、高坂と付き合ってくれ。それで万事解決じゃないか」
「てめぇ、直江!なんで俺様がおまえのケツを拭うような真似をしなきゃなんねーんだ!しかも高坂と付き合えだと?!そんなのこっちがお断りだ!あんな女、おっかねえ!」
「責任はおまえにもあるんだ。…そうだな。もし協力してくれたら、デザイナーのモトハル・キッカワにおまえを売り込んでやるぞ。ショーで使ってやってくれってな」

モトハル・キッカワと言えば、日本では10本の指に入るトップデザイナーだ。残念ながら千秋はまだそこまでのオファーは来ない。オーディションを受けても落ちてばかりだ。
それを直江が売り込んでくれるとは!

「彼は私と気が合うらしくてな。趣味も合うし、話も楽しい。プライベートで会う時もあるんだが」
「協力しますよ!旦那!いや〜、持つべきものは友達だねえ」
「わかってくれたか」
「わかりましたとも!高坂が直江に対して興味を失うようなことすりゃいいんだな?まっかされよー!」

まっかされよー!とは、どこで聞いた言葉だったか。
直江はここ最近の記憶を辿った。そういえば、高耶さんが見ていた「ドラ●もん」でジャ●アンが言っていたな。

「まかせたぞ、長秀」

直江は打ち合わせが終わるといそいそと事務所を出て行った。階下のカフェで高耶が待っているらしい。
その後姿を眺め、千秋はほくそ笑んだ。

「そーうまく運ばせるとでも思ってんの?直江ちゃんよ」

もうちょっとグダグダに混ぜっ返してやろう。面白いもんな。
これでおまえらが別れるようなら愛が足りなかったってことだ。
要は試験、てとこだな。
でもちゃんとモトハルには売り込んでもらえる程度には働いてやるよ。

「イッヒッヒ」



急ぎ足でカフェへ入ると、高耶が紅茶を飲みながら雑誌を読んで待っていた。
高耶が持っている雑誌は先日直江が買い与えたもので、それをいつも持ち歩いて読んでいる。
直江が買ってくれたから嬉しくて読んでいるわけではなく、ファッション雑誌を見ながら洋服のパターン(型紙)を考えているのであるが、直江はそう思っていない。
私を想ってそれを読んでいるんですね…とか思っているらしい。

「お待たせしました」
「あ、直江。もういいのか?」
「ええ。終わりましたよ。今日はこれからどこへ行きましょうか」

最近は直江に色々なオシャレスポットに連れて行ってもらっている。
今までバイトと学業に明け暮れ、あまりオシャレな場所へ行ったことがない。直江に街を散策するのも勉強になる、と言われて素直に案内してもらっているところだ。

「あんまし外にいたい気分じゃないんだよな。直江んちに行かねー?」
「いいですけど、何かありました?」
「まあな…後で話す」
「そうですか…私も一休みしていいですか?コーヒーでも飲みたいんですけど」
「ああ、うん。お疲れ様」

ねぎらいの言葉を受けて、直江が嬉しそうに微笑んだ。

「なんだ?」
「いえ、あなたにそう言っていただけると疲れも飛ぶな、と思って」
「アホか」

付き合いだして数週間。直江の隠された顔がどんな男なのかやっとわかってきた。
何を言うにもまずは高耶さんが、高耶さんに、高耶さんと、高耶さんの。
高耶が何をやっても嬉しいと思うらしい。

甘やかすとは言われたが、ここまで甘やかされると背筋が寒くなることもある。
オレだって男なんだから甘やかされるばっかりじゃイヤなんだ、と思ってみても直江にかかればそんな高耶も可愛らしい、で完結してしまうみたいだ。
何を言われても嬉しそうな直江を横目で見て、高耶は雑誌に再び目を向けた。

今、学校で習っているのは原型と呼ばれる女性10号サイズの型紙から展開して、ジャケットを制作しているところだ。
先日、ファッションショーのバイトで直江と出会った時は、スカートの制作をしていて、裾に刺繍を入れていた。今回は共布を使ってジャケットを作り、美弥のためのスーツにするもりだ。

「こーゆードレープって立体裁断でやらないと作れないのかな?」

雑誌に載っていたのはまだ美弥には大人っぽいドレスだが、ドレープが美しくていつか作ってみたいと思わせるような形だった。

「さあ?私は着るだけで、作ったことはありませんから。まだ立体裁断とやらは習ってないんですか?」
「ああ、本科になってからだな。授業の名前はパターンてゆーんだけど、そのパターンの先生ってのがすっげー怖いお爺ちゃん先生なんだって」
「その先生の噂なら聞いたことありますよ。普段はパターンを請け負う会社の社長だそうです。知り合いのデザイナーがそこに発注してましたから」

これは直江がストーカーをやったわけではない。デザイナーと話していると色々な事情が聞けるため学校の講師をしている人物の話題も耳に届くのだった。中でも高耶が習うであろうその先生は有名人でもある。

「へー。有名なんだな。そんな先生に習えるのかあ。楽しみなような怖いような」
「とても頼もしい先生だそうですから、しっかりお勉強なさってくださいね」
「しないわけにいかないだろ」

直江がタバコを二本吸って、コーヒーを空にすると高耶が出ようと促した。

「車は?」
「今日はタクシーですけど」
「じゃあ、電車で帰ろう。そんでピーコックに寄って夕飯の材料を買うぞ」

まだわかってないらしい。
高耶は実感がないのかも知れないが、直江は世界的なモデルで知っている者は口をあんぐり開けて見てしまうほどの人間なのに。そこも可愛らしいところだが、と思うあたりがもう重症だった。

「夕飯は高耶さんの手料理ですか。いいですね。だったら電車で帰りましょう」

だったら、って何だよ。そう思ったが面倒なので言わなかった。その後に何百という甘ったるい言葉が吐かれるのがわかっていたからだ。
二人並んで地下鉄六本木駅の改札へやってきた。直江にしては久しぶりの地下鉄だ。

「えっと、ここから地下鉄で帰るとしたら…どこだ?日比谷で乗り換えか?」
「ですね」
「東京メトロで日比谷までか。それからは都営地下鉄だな。日比谷までは定期で…と」
「東京メトロってなんですか?営団地下鉄じゃないんですか?」

聞きなれない言葉に一瞬絶句した。東京メトロ?とは?

「営団地下鉄って何だ?」
「この路線ですよ」
「いや、これは東京メトロって路線だぞ?ほら、そこに青いMのマークがあるだろ」

俺が地下鉄に乗らない間に名称が変わっていたのか!
どうりで最近は紺色のS字マークを見かけないはずだ!
カルチャーショックだ。
時代に取り残されているような気がする…最新ファッションは毎日着せられているが、最新情報は知らないなんて!
しかも高耶さんは営団線のえの字も知らない。
今年上京してきたんだから当たり前なのかも知れないが、なぜか自分がオッサンになったような気がしてたまらない…
しかし「東京メトロ」…まあ俺には関係ないが…

「もしかして、地下鉄には乗らないような生活してんのかよ」
「まあ、そうですね。数年ぶりですから」

驚いた高耶は目を丸くして直江を見上げた。それから悪戯心が芽生える。

「切符の買い方は知ってるか?」
「知ってますよ」

どうもからかわれているらしいと気付き、苦々しく高耶を見た。
小癪な人だ。

「最近はな、省エネのためにドアは乗り降りするヤツが手動で開けるんだぜ」
「そうなんですか?パリみたいですね。それでメトロと呼ばれるようにしてるのか…」

ちょっとからかったつもりが本気にされてしまった。それよりパリときたもんだ。
直江がパリコレに出ているのは知ってたが、実際にその土地の情報まで知っていると思うと悔しくなってきた。

「ばーか。嘘だ、嘘。まだ自動だよ」
「どうしてそんな嘘をつくんです。大人をからかうものではありませんよ」
「そうだな。おまえは大人で、オレは子供だもんな。子供は地下鉄、大人はタクシーか」
「憎まれ口はおよしなさい。可愛いだけですからね」
「可愛いとか言うな!」

プンスカ怒りながら定期を出し、改札をくぐってしまった。直江はまだ切符を買っていないため、急いで財布から小銭を出して券売機に向かう。
ところが、切符の買い方が思い出せない。
路線図には千石駅までの価格が書いてはあるが、小銭を入れてもその値段が表示されない。

「なんでだ…」

どうやって買うんだったか…?

「直江!何やってんだよ!マジで買い方わかんねーのか?!」

改札の向こうで高耶が大声を張り上げている。駅にいた人々が高耶の視線を追って直江のほうを見る。どこかで見たような高身長の人物が券売機を前にして固まっているのを異様な目で見ている。
恥ずかしくなってきた直江はさらに焦った。

「ええと、確か…」
「どこまで行きたいんですか?」

横から助けが入った。若い女の声だった。

「都営三田線の千石駅なんですが」
「だったらこうですね」

女性が液晶パネル上にある「乗り換え」と書いたボタンを押した。
画面が変わり、そこには都営線と私鉄の乗り換えを指定する表示が出て、そこのボタンを押せば乗り換え路線の値段が現れるようになっていた。

「はあ。こうやるんですか。ずいぶん変わったんですね」
「…そうですか?…」

女性はモデルのタチバナと気付いて近寄ってきたのだが、券売機を感心そうに見つめている姿には興醒めしたらしい。
これがあのタチバナだとは…とガックリしている様子が見てとれた。

「ありがとうございました。失礼します」

女性に頭を下げて、切符を自動改札に入れた。自動改札ぐらいは昔からあるから知っているのだ。

「おせえよ。マジで買い方がわかんねーなんてな。しかも女に親切に教えてもらって?鼻の下伸ばして?笑顔で会話なんかしちゃって?」

またヤキモチを焼いているようだ。直江が女と話すのに対して、異常に神経を尖らせる。直江が消去した携帯のメモリの量を考えればそうなっても仕方がないのではあるが。

「笑顔で会話なんかしてないでしょう。あなたに妬いてもらえるのは嬉しいですけど、そうやって嫌味を言わないで下さい。悲しくなります。こんなにあなたを愛しているのに」
「わ、バカ!こんなとこで何言い出すんだ!」

騒がしい地下鉄のホームだが、誰がどこで聞いているかわからない。
この路線には学校もあるのだ。友人がいたらどうする気だ!

「ではどこならいいですか?私のマンションでなら?」
「…いいけど」

また直江にやり込められてしまったらしい。
苦々しいが、こうゆう部分ではいくら頑張っても直江に勝てないのだ。
悔しさ半分、照れ半分で電車に乗り、帰宅ラッシュに揉まれながら千石駅までの短いデートを楽しんだ。(直江視点)

 

つづく

 

 

   
         
   

さんまちゃんが券売機前で買い方を聞いているのを見ました。
TVのまま、マシンガントークでした。

   
 

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