同じ世界で一緒に歩こう


合鍵

その1

 
   

 

合鍵。
オレは持ってない、直江の部屋の、合鍵。




「高耶!なんなんだよ、もう!さっきっからボケーっとして」
「えあ?ああ、うん、ごめん」
「昼過ぎになっても電話はないし、俺が起こすまで寝てたなんてさあ」
「悪い」
「どうせ直江さんちにいたんだろ。まったく何やってたんだか」
「やってたって!」

耳まで赤くしてしまった高耶に、譲の非難の視線が突き刺さる。
譲にも千秋にも、直江とエッチしたことは言っていない。言ったが最後、何を言われるかわかったものではない。

「高耶、まだエッチしてないんだ?そんなふうに赤くなるなんて、高校の時の高耶のファンが知ったら幻滅されるっての」
「ファンなんかいねえよ!」
「よく言うよ。バレンタインでチョコも貰ったし、卒業式で何人も女の子が一緒に写真撮ってって言ってきたじゃんか」
「あれは…」
「あーゆーのがファンてゆーんだよ」

そう言う譲は高耶の倍以上の女の子からチョコを貰い、数倍の女の子から写真をせがまれていた。なのに気が付かない譲の神経はどうかしてる。
そう言ってやりたかったが面倒なので黙った。

「でもさー、そこまで直江さんとこに入り浸ってるんだから、合鍵とか貰っちゃったりしてんの〜?」

そのことで高耶の頭はいっぱいだったのだ。
合鍵は貰ってない。
しかも直江は「必要なら作らせる」なんて言い方をしたのだ。これについては高耶は実のところ傷ついていた。
好きでもない女には持たせていたくせに、なぜ自分にはくれないんだろう?

「合鍵、もらってない」
「ええ?!なんで?!前に高耶が相談しに俺んち来てた時にさ、彼女が合鍵でマンションに入って来たって言わなかったっけ?」
「言った」
「なのに高耶にはくれないの?もしかして、直江さん、まだ別れてない彼女がいるんじゃないの?」

それは考えていなかった。
いくらあんなに好きだの愛してるだの言われても、直江が鍵を渡さないのにはそんな理由がなきにしもあらずだ。

「でも…」
「信用したい気持ちはわかるけど、ちゃんとはっきりさせないと駄目だぞ。俺は高耶の幸せを考えて言ってるんだから」

譲は本気で言っている。変にかき混ぜようとはしていない。
が。
なぜか譲はいつも変にかき混ぜてしまう名人でもあった。すでにそうなっている。

「どうしよう…」
「どうしようもこうしようもないよ!直江さんに鍵を貰わなきゃ!」

もう言えない。昨日、直江に任せると言ってしまったばかりで、舌の根も乾かないうちに「鍵をくれ」とは言えない性格の高耶だった。

「今さら、そんなの言えない…」

なぜ高耶がそこまで気弱になっているのかの理由を聞いた譲は激怒した。

「なんてデリカシーのない!やめとけ、高耶!そんな男やめろ!別れろ!」

極端すぎ、譲…。

「別れるなんて考えてないけどさ、確かに直江はデリカシーに欠けるとこはある」
「そうだよ!鍵を作りましょうか?なんてさ!欲しいに決まってるじゃん!事務所の人には渡してるのに、高耶に渡さないなんておかしい!それを知った高耶に対して素っ気無い態度をとるなんて!」
「だよなー。それにしても譲、なんでおまえはそんな女心みたいなことに詳しいんだ?妹がいるわけでもないのに」
「え?そりゃまあ、エヘヘヘヘ」

はいはい、彼女に同じこと言われたわけね。鍵をくれって。
あの女、あんなに譲に目ェキラキラさせてたくせに、付き合ったとなったらワガママ言ってるんだな。
女なんかそんなもんか。
あれ?でもオレも似たようなもんだなあ。
最近、直江にワガママばっかり言ってる。呆れたり、されないかな。
鍵、欲しいなんて言ったら、またワガママをって言われちまうかもしれない。

「俺で何か出来ることがあったらするから!」
「いいよ、別にない」
「高耶〜」

その日は譲と二人で下町食べ歩きをして憂さを晴らした。





「はあ…高耶さん…せっかくの休日が…」

こちらは高耶を譲に取られた直江。
退屈な時間を高耶が作ったクッションを抱えて過ごしている。
譲からの電話で高耶が急いで出て行ってしまったため、まだ部屋の中には高耶のいた痕跡が残っている。それらを眺めながら会ったことのない譲に嫉妬をしていた。

(そこにはまだ高耶さんが使った俺とお揃いのカップが。床には高耶さんがやりかけていたデザイン画の落書きが。洗面所には高耶さんの使ったタオルが。寝室には高耶さんと一緒に使ったゴムが)

脳内腐敗状態だった。

「玄関には…高耶さんと別れ際にしたキスのムードが…」

急いで出かけてしまったとはいえ、ちゃんと「またな」と言ってキスをしてくれた。このまま離さずにいたら、と思ったが、譲との時間を持たせてあげたいとも思った。
なんたって高耶の親友なのだ。自分と比べるのは間違っているが、同じくらい大切な友達なのだ。
高耶さんの親友は私の親友、そう思えるように鋭意努力中である。

「ああ、高耶さん!」

このごろ毎日付きっ切りでいてくれた。仕事とはいえ付きっ切りだ。
あの高耶さんの清潔な匂いも、笑うと幼い笑顔も、甘く呼びかける声も、すべて自分のものだったのに今はここにはいない。何より、高耶がそばにいてくれる安心感がなくなってしまった。
いつの間にかこんなに俺を弱くして。罪な人だ。

「メールぐらいは許してくれるだろうか」

思い立ったが吉日。直江はさっそくメールを打った。だが返事は返ってこない。
そんなに譲さんとの逢瀬(?)が楽しいのですか?!私をこんなに寂しくさせておきながら!

「うう…高耶さん…」





そんなアホが打ったメールの内容を鼻の穴を広げながら読む高耶。
譲と一緒に甘味屋に入ったところでメールが来たため、携帯を見てみたら。

『あなたがそばにいない私はまるで雨に打たれる小鳥のようだ。寂しくて震えてしまう。今日は譲さんとご一緒してください。そして私の元に帰って来てください。凍える私の肩を止めてください。高耶さん、愛しています』

アホじゃねえのか、こいつ…。

「何、高耶。直江さんからのメール?」
「あ、いや、違う。学校の友達」
「ふーん」

しかし、間髪入れずに譲が高耶の携帯をもぎ取った。

「ああ!見るな!」
「震える小鳥〜?!なにこれ!やっぱ直江さんじゃん!」
「くっそー…直江のやつ、余計な恥をかかせやがって」
「愛されてるねえ、高耶。でも嫌疑はかかってるんだからね。甘い顔したら駄目だよ」
「わーってるよ!返せ、この!」

あとで直江をいじめてやろう、とことんいじめてやろうと決意した。
嫌疑もかかってることだし、いじめるぐらいは許されるに違いない。






直江のマンションに着いてエントランスでピンポンを押した。
でも返事がない。出かけてる?それとも…女?
しかたなく携帯に電話を入れてみたがこちらも応答がなく、留守番電話になってしまう。
外に出て窓を確かめてみた。最上階はどの部屋も明かりが灯っている。

おかしい…急にオレが来るってことを予想してないのか?

このままここにいても仕方がないと思い、いじめは明日に回し帰ろうとしたとき、直江がマンションの敷地に入ってきた。

「たっ…高耶さん!」

焦ったその顔を見て、高耶は疑いを持った。いつもなら喜ぶ犬のように笑顔を作るはずなのに。

「どこ行ってた」
「兄が訪ねて来ていたので、見送りに」
「どこまで」
「大通りですよ。タクシーを捕まえに行ったんです」

怪しい…

「ふーん。お兄さんをね。その割には焦ってるみたいだけど?」
「焦ってって…そんなことはありませんよ」
「あ、そう。じゃ今からおまえの部屋に入っても全然OKだな?」
「もちろんです。何を疑っているのかわかりませんが、寒いですから入ってください」
「ホント、マジで寒かったなあ」

寒かったのは合鍵を持たせてもらえないからだ、と言外に言ってみたが直江にはまったく通じていない。
背中に飛び蹴りでも食らわせてやろうかと思ったが、まずは疑いを確かめてみようと思い直し、直江の後ろに付いてエントランスをくぐった。

エレベーターで直江にキスをされそうになったが、女王様的な威圧感でそれを阻止し、同様に玄関でも同じように阻止。

「どうしたんですか?高耶さんらしくない」
「オレらしいって何だ?すぐにチューするのがオレらしいとか言うんじゃないだろうな」
「そうではありませんが…何か怒ってるんですか?」
「なんで怒ってると思うんだ?」
「怒ってるじゃないですか。そんなに目を吊り上げて」
「吊り目は生まれつきだ。おまえ、いったいオレの顔のどこを見てたんだ、今まで」

どんなに食い下がっても高耶は依然怒っている。
その怒った顔のまま部屋の中を確認し始めた。まず匂いを嗅いで、洗面所とバスルームと寝室へ。いつもの直江の部屋だった。それからキッチンへ。グラスが二つ、シンクに置いてある。
両方見て、口紅が付いていないかを見るが、どちらも何も付いていない。でも口紅を付けない女もいる。

「あの…高耶さん?」

変わったところはない。
でも。

「帰る」
「ええ?今日も泊まるんじゃないんですか?」
「帰る。明日はおまえ、朝からまた横浜なんだろ。オレは事務所で一蔵さんの手伝いだから、一緒に行くこともないしな」
「そうですが…」
「バイバイ。また明後日」
「明後日って!」

追いかけて玄関で引きとめようとしても、高耶はそのまま出て行ってしまった。エレベーターに一緒に乗ったが、無情にも一階に着いてしまう。
そして腕を掴んで帰そうとしない直江を振り切って、エントランスからも出て行ってしまった。不忍通りへ向かって歩いて行く。一度も振り返らない。

「高耶さん!待ってください!どうしたんです!なんで何も言わないんですか!」
「これ以上付いて来るならケリ入れるぞ」
「だから、何をそんなに怒ってるんですか」

鍵をくれないから、とは言えない。
女がいるんじゃないか、とも言えない。
高耶の気持ちはどんどん沈んでいくばかり。
つい、うっかり、言ってしまった。

「なんかさ、メンドーになってきたんだ」
「何がです?」
「色々。おまえと付き合うのも、バイトすんのも」

実際に直江の事務所で働きだしてから、直江がどのぐらい売れているか、どのぐらい女の目を引いているか、どのぐらい高級な男なのか、そういう直江の付属品が煩わしいと思っている。
バイト初日の後に、あれだけケンカしてお互いがお互いをどんなに好きなのかを知ったが、それとこれは別物だ。

「やっぱさ、世界が違ったとしか思えないんだよ。正直、疲れる」
「高耶さん…」
「どんなに直江を好きだって、疲れるんだからしょうがないだろ」

その疲れを癒すために、鍵が欲しかった。
自分は直江のものだとしても、鍵を貰っていないと言うだけで直江が自分のものになったような気がしない。
譲の彼女もそういう意味で鍵を欲しがったんじゃないだろうか。

「しばらく考えたい。バイトは…引き受けちまったから最後までやるけど」
「しばらくって、どのぐらいですか」

直江も怒り出したのがわかったが、今更引き下がるわけにはいかない。

「クリスマスまでには、結論を出す」
「勝手ですね。あなたはいつも不安定で、すぐに怒るくせに理由を言わない。いつもそうだ。そうやって私を不安にさせて何が面白いんです?あなたを愛していますよ。ええ、誰よりもです。それをわかっててあなたという人は」

直江のきつい物言いに傷つき、自分の不安を理解しない直江に悲しくなった。

「…もう、いい。聞きたくない。これはオレの問題で、直江は悪くないんだ。怒る気持ちもわかる。だけど、本当に、考えたいことがたくさんあって…」
「私がそうさせているんですね?」
「いや、直江の言うとおり、オレが勝手なだけだから。じゃあ、明後日」
「わかりました。気をつけて帰ってください。できれば…いえ、なんでもありません。おやすみなさい」

できれば、何だよ。

そう言いかけたが、これ以上直江といるのが耐えられずに、高耶は一人で歩き出した。




できれば、一緒にいられる方法を私と考えてください。




「高耶さん…どうして」

手には、マンションの合鍵が握られていた。
兄に頼んで高耶の分の合鍵を作っておいて貰ったばかりで、その鍵を兄が届けに来たのだった。
先日の高耶の態度では、鍵を渡したとしても受け取ってもらえるかわからなかった。兄には「結婚相手でも見つかったか」と言われた。笑顔で誤魔化してマンションへ戻ったところに高耶と鉢合わせして驚いた。
コートのポケットには鍵が入っている。渡すなら、いつだ?そう思って焦った。

「無駄になるのか」

前に女に渡していた合鍵を返してもらっていたが、心もとないのでマンションの鍵ごと変えた。
そのために合鍵は事務所と自分の分しか作っていなかったから、高耶に渡すために兄が仲介に入って業者に作らせていたのに。

あの年頃は難しいとは言うが、高耶さんは本当に難しいな。このまま別れるようなことになったら生きていけないかもしれない。
あんな目をした高耶さんは、何を言って取り繕っても無駄だ。
俺がそうさせたに違いないのに、そう言わない。
どうしたら、いいんだろう。





翌日の仕事はまるで上の空でモデル生命を危うくさせそうな自分を叱咤しながらステージに立った。
横浜のインターコンチネンタルホテルのホールで、日本有数のファッションメーカーのショーだっただけに失敗は許されない。
なのに、頭の中は高耶の悲しそうな顔でいっぱいだ。
出会ったのは横浜。このホテルに隣接したショッピングモールだった。
あのショーは小さくてタチバナが出るようなショーではない、と所長の鮎川は言ったが、綾子が小さいショーにも精力的に出演してメーカーと繋ぎをつけることも大事な仕事なんだと言い張って、通した仕事だった。

綾子のきめ細かい配慮が何度も功を奏した実績があったため、直江も快く承諾したのだ。
そのショーで高耶と出会った。
モデルを辞めて不動産屋になろうとしたのはこの少し前のことで、高耶に出会わなかったら来年の今頃は兄の会社で下積みをしていたかもしれない。

他のモデル仲間が直江の様子を心配して、声をかけてこなかったら今日は失敗していただろう。

しっかりと自分の仕事をしなければ。
好きでやっていることじゃないか。
あの日、この横浜で、高耶さんに会わなかったら、今の自分はない。
もう虚勢を張って生きるのはやめていいんだ、そう思わせてくれたあなたを悲しませるわけにはいかない。
これで自分が傷ついてもいいから、あなたにもう一度、笑いかけてほしい。

直江は胸を張ってステージに立った。

つづく

   
         
   

急展開。自分のノウタリンぶりに激怒。

   
 

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