同じ世界で一緒に歩こう

17

大事なあなた

その1

 
   


2年目の6月に入ってから、夏の合宿に向けての制作が始まった。1年目はほとんどの作品がグループ制作だったが、2年目からは個人制作になる。
生徒は春に作ったプレゼンボードでの企画を基に、新しいデザインを考え、新学年になってからの立体裁断の授業で覚えた
技術を駆使して洋服を作らなくてはいけない。

そんな中、高耶は画用紙を前に頭を抱えていた。

「たまにはリビングでやったらいいじゃないですか」
「だって和室が落ち着くんだもん」

直江が週に4回は会ってくれ、と言うのでマンションにA3画用紙を持ち込んだ。普段の授業はB4画用紙を使うのだが、実際に服を作る場合は細かいディテールなども採点に関わるために、大きめの画用紙で書かねばいけない。

「何枚か書いてその中から決めようと思ってるんだけど、どうもうまく思いつかないんだよなー」
「まあ、一休みしてください。はい、紅茶淹れましたよ」
「あ、わりぃ」

向かい側に直江が座って同じ紅茶を飲んでいる。真っ白な画用紙は何も進んでいないことがわかる。

「提出はいつなんですか?」
「来週の月曜」
「って、じゃあ土日で描かないといけないじゃないですか」
「そうなんだよー!雑誌とか見てインスピレーションが浮かべばいいなって思ったんだけど、見たらソックリのものを描いちまいそうでやめたんだ。そしたらもう何も浮かばない!才能ないのかな〜?」
「大丈夫ですよ。あなたのオブジェはよく出来てましたから」
「あれはみんなで作ったからだよ」
「いいえ。スーツのデザインも良かったし、あとは刺激があれば浮かぶと思います」
「刺激って?」
「どこかに出かけるとか、何かに感動するとか。基本に戻って考えるのもいいんじゃないですか?」

基本に戻ってから、感動する何かをする。

「基本、基本、基本…えーと、テーマは『可憐な夜会』だったから…ドレス系だよな。これは決まってるんだけどさ、その先が…。やっぱドレスっつったら女の子のもんだろ。どうするかな〜?」
「美弥さんの夜会服でしょう?」
「そうだよなー。うーん、困った」

腕を組んで悩む高耶を可愛いと眺めながら、一緒に考えてみた。

「誰よりも可憐で、どこにいても輝くような魅力を引き出してくれるドレスですよ、高耶さん。そうですね…花のような」
「花!!それだ!!」
「はい?」
「明日は花を見に行く!今時っつったら花はなんだ?!」
「あじさい、ですかね…」
「あじさいか…なるほどな。このへんであじさいが見られるのってどこ?」
「六義園か、小石川植物園か、白山神社でしょうか。白山神社ではあじさい祭りって言う催しがやってるはずですよ。
行きますか?」
「行く!」

翌日の土曜に直江と行くことになった。直江のマンションから徒歩15分もあれば着く。屋台や茶店も出るらしい。高耶は小さなスケッチブックとカメラを持って行くと言って準備を始めた。直江は高耶とのデートなので色々と計画を練っているようだ。

「頑張るぞー!」
「楽しみです!」

目的がまったく違うが、二人とも燃えていた。

 

 

 

「うわ、なにこれ」

白山神社に着いたはいいが、人が多すぎる。花写真を撮るために大きな一眼レフを持った人もいれば、下町マップを持って
ウロウロしている人もいる。そのほとんどがお年寄りだった…。

「これじゃスケッチできないかもな。ま、いいか。梅雨なのに晴れたから人出が多くて当たり前なんだしな」

スケッチは諦め、カメラで花を撮ることにした。
直江は高耶の後ろをついて行くだけ。あまりうるさくするとせっかくのデートが台無しになってしまうからだ。
植わっている場所によって花の色が違っている。それを改めて不思議だと思いながらカメラに収める。
あじさいの小さな花びらを触って、感触を確かめた。

「こうやって集まって丸いのって、なんかパフスリーブに似てるよな…」
「ああ、そうですね…ドレスにはいいですよね。ところで、あじさいの花弁て、実はこれだって知ってましたか?」
「どれ?」

直江が花びらの中の小さな丸いものを指差す。

「この花弁のように見えるものはガクなんですって。ガクが色を変えていくんですよ」
「へ〜。物知りだな〜。ガクなんだ…」

しばらく見入っていた高耶だったが、今はそれどころではないのを思い出した。とにかくデザイン画に活用できそうな発想をあじさいから貰わなければ!
じっとピンクのあじさいを見ながら、これを服にしたらどうなるんだろう?と重ね合わせる。

この丸さは袖にもいいけど、スカートにもいいかも。
葉っぱをスカートに見立てるって手もあるぞ。
それよりこの血管みたいな葉脈も幾何学的で模様や刺繍にいいな。

「なるほどな…花ってドレスには基本だよな…」

花のそばを離れても高耶の頭の中はドレスの形や細かいディテールが渦巻いている。

「そろそろお茶にしませんか?あそこの茶店で抹茶が飲めるそうですよ」
「ああ、うん。なんでもいいけど」

赤い絨毯が敷いてあるベンチへ行くと、着物を着たオバちゃんやお姉さんが場所を開けてくれた。どうやらこの婦人たちがお茶を立ててくれるらしい。
本格的な作法は必要なく、そばでお茶を立てて出してくれるのを飲む。茶菓子も付いてきた。

「あ、けっこう苦くないんだな」

ずっと頭の中をデザインでいっぱいにしていた高耶が抹茶の味にようやく我を取り戻した。
直江の悩みのひとつになるのだが、高耶はデザインに熱中すると他には何も考えなくなる癖がある。それで転んだり、ぶつかったりしている姿をよく見る。

「オレ、本物の抹茶って初めて。アイスとかチョコだとかは食ったけど」
「実家の寺でたまに母がお茶会をしてますから、手伝わされたもんですよ。あの時はこんなに美味しいとは思いませんでしたけど、今はきっと高耶さんと一緒だから何倍も美味しく感じるんでしょうね」
「…そーゆーことを外で言うなっつってんだろ」
「すいません」

まったく謝っていない顔で笑っている。直江がこんなことで反省するわけがないのを知っているので意地悪をしてみた。
茶碗を持ち上げて、

「さっきコレ作ってくれた女の人、可愛かったなあ。けっこうタイプかも」

そう言ってみた。
途端に直江の顔色が変わる。

「タイプ、でしたか?そりゃ可愛い女性ではありますが…」
「茶道習いたいって言ったら教えてくれるかな?」
「高耶さん!!」
「嘘だよ。オレが茶道なんか習うわけないだろ。バーカ」

ホッとした直江が首を垂らして溜息をついた。

「そういう冗談はやめてくださいよ…心臓に悪いんですから」

声をあげて高耶が笑ったが、直江は項垂れたままだった。
お茶を飲み干すと立ち上がって、背中を丸めている直江の頭を叩いた。

「帰るぞ」
「はい…」

帰り道で夕飯の買い物をしてからマンションに戻った。

 

帰ってすぐにデジカメで撮影した花を直江がプリントアウトして渡した。
高耶のデザイン画は夕飯の前に下書きをほとんど終える予定になっていた。思いついたら仕事が速い高耶を感心しながらずっと見ていた。
薄い色の色鉛筆が画用紙の上をスルスル滑るようにして線を残す。
絵は苦手だったそうだが、1年で何百枚単位で描いていればうまくもなると言っていた。

「こんなもんか。どうだ?」

高耶が見せたデザイン画は花を基本にしてすべて描かれている。今日見たあじさいの他にも、帰り道で見た花屋で撮った写真も参考にしたようだ。

「このあじさいっぽいドレスは可愛らしいですね。バレリーナみたいです。こちらは芍薬ですね。美弥さんだったらあじさいのドレスの方が似合いますけど、芍薬は斬新で華やかで可憐です」
「色を塗ってからじゃないと決められないなー」
「夕飯が終わったらにしましょう。明日に持ち越しても付き合いますから」
「でも明日は直江とのんびりしたいし…」

言葉通り、のんびりしたいのだが、直江はたぶんそうさせてくれないだろう。水疱瘡以来、高耶は肌を見せたくないと言って夜のお誘いは断っていたからだ。
それを思い出してハッと言葉を飲んだ。

「いいですね。のんびりしましょうか。あなたが学校のことを考えないで私といてくれるのは嬉しいんですよ」
「マジで?」
「ええ。晴れたらお昼ご飯をベランダで食べましょう。雨だったら和室で読書でもしますか?」
「うん」
「でも今夜は離しませんからね」
「う…………」

そんなもんだな、直江だから。

顔に出さないようにそう思ってから、高耶は夕飯の準備に取り掛かる。
直江も後から付いてきて高耶を手伝った。最近は美味しいお米の炊き方を覚えた直江がいつも米を洗ってくれるように
なった。
そうは言っても米の研ぎ方を教えてもらい、少し日本酒を入れるのと、スイッチはどこを押すのかを覚えただけだが。

 

 

高耶の手料理でご満悦になった直江は、リビングに画材を広げだした高耶のために大人しくしている。
毎日こうだったらいいのにな、と思いつつ、チラシの上でパステルを削りだした。
元々は水彩が得意な高耶だったが、雰囲気を出すために面倒なパステルを使っている。強調したい部分はそこだけ水彩を足すようにしていた。

削られたパステルを千切ったティッシュで取り、下書きの上に広げる。
細かい部分にもきちんと色を塗り、服の素材によっては塗り方を変える。それからセピア色の水彩インクで色を塗り終わった
画用紙の下書きの部分と少しずれるようにして主線を描く。今回は4枚ほど同じ手順で描いた。
出来たのは淡く儚いイメージのデザイン画。

そこまで見ていた直江は驚く。
デザイン画、いや、イラストというものはここまで描き方を変えて作るものなのだったとは。
初めて下書きから完成までの流れを見た。

「これで終わりですか?」
「いんや、まだまだ」

これ以上何をするのだろうと思って見ていたら、今度は色鉛筆を出してきた。
芯を細く削りながら、また主線とずらして何本か線を描き、それから細かい模様や影になる部分、人体の髪や表情の強調をしていく。
何度も塗っては消しゴムで薄めてハイライトを作ったり、何色も重ねて複雑な色を出したり。
そうして完成したのが3時間後だった。
こんなに手間をかけていれば、自分と会う時間を捻出するのも一苦労だろうに。

「こんなもんかな」
「あなた、本当に頑張ってるんですね…凄いです」
「頑張ってないと思ってた?頑張ってるんだよ、オレは」
「尊敬します」
「しなくていいけど」

出来上がったデザイン画を直江に見せて、どれが一番好きかを聞いてみた。

「さっきはあじさいが美弥さんぽくていいかと思いましたが、芍薬が一番似合いそうですよ」
「ちょっと大人過ぎない?」
「いいえ。膝丈のスカートですし、裾が広がってますから、少女らしくていいんじゃないですか?」
「かな〜?明日までに決めればいいか」

他の生徒も同じような方法なのかを聞いてみたら、そうでもないらしい。ここまで手間をかけるのは数人だそうだ。

「デザインてのはな、量産が望ましいんだ。オレは手が遅いからイマイチな方。イラストじゃないんだから素早く描けって」
「そうなんですか…」
「だいたい2時間で3枚から4枚描けるといいらしいぞ。就職試験なんかは1時間で2〜4枚とかなんだってさ」
「はあ…すごい世界ですね…」
「もっと省略してデザインだとか素材感だとか描けるようにならなきゃまずいんだよ」
「…私には考えも及びませんが…」
「直江は着る方だからいいんだよ。あんまし考えるな」
「はあ…」

散らかったリビングを片付けながら直江を風呂に入れと急かす。デザイン画に夢中になってもうすでに夜11時だ。

「エッチすんだろ?早く準備しとけよな」

どうやら解禁されたようだ。
デザイン画が終わったのでテンションが上がっているらしい。この機会を逃すわけにはいかないと、直江はそそくさとバスルームに行った。

 

 

翌日は曇っていたが、二人でベランダに小さなテーブルを出して昼食にした。たまに太陽の光が漏れる雲を見ながら高耶は
静かな時間を幸せに感じる。

「合宿って、いつなんですか?」
「8月の半ば過ぎだな。3泊4日で蓼科だった気がする」
「帰省は?」
「合宿が終わってからじゃないと。帰省してたら服が完成するか自信ないしなあ」
「そうですか…」

直江が残念そうにコーヒーカップを持つ手を見つめる。

「なんで?」
「ほら、春休みにフランスへ行こうって話したじゃないですか。だから夏休みこそ誘おうかと思ってたんですよ」
「えええ!!そんなマジで?!行きたいけど無理だ!オレ、ソーイングはメチャクチャ苦手なんだよなあ。絶対時間取れない!」
「次回に回しましょうね」
「次回っていつだよー…」
「来年の春休みでは?」
「…うん」

またもフランスへの道が遠のいてしまった。
直江よりももっと残念そうにしながら遠い目でフランスを見るように空を見つめてしまった。

「それより高耶さん。昨日のデザインの中のどれを提出することにしたんですか?」
「ああ、あの、直江が一番いいって言ったやつ」
「芍薬ですね」
「そう。よく考えたらあじさいのデザインはソーイングが苦手なオレには細か過ぎてダメだと思ってさ。芍薬だったらまあなんとか出来るだろうし」
「もし手伝えることがあったら手伝いますよ?」
「…有難いんだけど、おまえ…針と糸で何か縫ったことあんの?」
「…小学校の家庭科のエプロン以来、ありませんね…」
「だったらいい」
「でも何か手伝いたいんですよ」
「何かあったらな」

直江が手伝えることを考えたが何もない。
しかし翌日、高耶は直江に頼みたくても頼めない状況に遭遇する。


                           

16の2に戻る / その2へ

 

   
         
   

ああ、序章が長い。