直江のマンションに着いて、夕飯の支度をしていたら鍵が開く音がした。直江だ。玄関まで迎えに出る。
「おかえり~」
「…いたんですか?」
「え?」
いつもしてくれるはずのキスもなく、冷たく言われてしまった。直江は靴を脱ぐと高耶を上から下まで眺めて言った。
「どうしてここにいるんです?」
「だって、今日は夕飯作って一緒に食う約束してたじゃん」
「そうでしたっけ?てっきりどこかで食べてそのままアパートに帰るんだと思ってました」
「なんで?あ、今日はお土産あるんだぜ。あんまし甘くないケーキ。美味かったから直江の分も買ってきた」
「食べません」
「…なんか、怒ってるのか?オレが約束間違えた?」
「今日はもう夕飯は済ませました。あなたも色々と忙しいんでしょう?無理して俺の家まで来なくてもいいですから」
どうやら今日は最悪に不機嫌らしい。
「…じゃ、片付けて帰る…」
「そうですか」
途中まで作っていた料理を切り上げて、出来上がったものはラップに包んで冷蔵庫へ入れた。ケーキも箱のまま入れて
ある。
直江は寝室で着替えているのか出てこない。
ノックをして帰ると告げると、静かにドアが開いた。
小さく開いたドアの隙間から、直江が見下ろすようにして高耶を冷たく見る。
「あの…帰るけど…いい?」
「いいですよ。どうぞ、お好きになさってください」
「なにか、怒ってんのか?オレが何かしたとか、で?」
「…何かしたか、ですって?いいえ、あなたは悪くありません。いつもあなたは悪くない。こう言って欲しいんですか?」
「直江…?」
「帰ってください。しばらくあなたとの関係を考えたい。もう来ないでください」
「なんで!」
無言のままドアが閉まった。高耶は茫然自失でさっきまで直江の顔が見えていたあたりのドアを見つめる。
「直江…」
愛せないなら、殺してしまうから。
静かになった。もう高耶は帰ったのだろう。半袖の白いTシャツと濃紺の綿のパンツに着替えてリビングに出た。
しかしそこには帰ったはずの高耶がいた。
「…まだいたんですか…」
「だって、なんで怒ってるのかわからないから…千秋のこと?」
長秀のこと、とは?
眉を寄せて高耶を怪訝そうに見る。墓穴を掘ってしまった。
「長秀と何か画策してたんですか?」
「違うのか…?」
「あなたは隠し事ばかりなんですね。長秀とは何をしたの?」
高耶に近づいて、乱暴に肩を掴んだ。
「キスでもしましたか?」
「なんでそんな話になるんだよ!千秋には…!その、あ、えっと…」
千秋には今回のことを内緒にしててくれと言われている。だから言えない。女性関係の激しい千秋のことだから直江や綾子に責められるに違いないのだ。
「言えないんですね。言えないようなことをしてたんですか。そうでしょうね。あなたはそういう人ですしね」
「なんだよ、それ!」
「誰からも愛し愛されて、あなたは幸せですか?私を愛しているのも、あなたにとってはほんの一部なんですよね?あなたを独占したいなんて、私の勝手な言い分ですか?高耶さん!」
直江が何を言っているのか、なぜ怒っているのか全然わからない高耶。ただ直江が怖いと感じた。
この場から逃げ出したい。
「おまえ、なんか変だ…それじゃまるでオレが、直江じゃないヤツのことも好きになってるって言ってるみたいだぞ…」
「違うんですか?」
「違う!」
「以前、私は言いましたよね?あなたが他の誰かを愛したら殺す、って」
もう半年以上前のことだったがよく覚えている。直江が泣きながらそれだけは許さないと言っていた。
あの時、車の中で殺されてもいいと思った。
「あんなの嘘だと思ってましたか?」
「思ってない…けど、直江…」
「ここに残っていたあなたが悪いんですよ…」
直江の両手が高耶の細い首に伸びる。触れられたそこからゾクリと恐怖が立ち上った。
こいつは本気だ。
「どうしてオレの話を聞かないんだよ!」
「聞きたくない!」
「おまえが聞かなくて、オレが話さなくて、解決なんかできないだろう!」
「いったいどんな解決ですか?俺を捨てるつもりなんでしょう!誰かと一緒に俺を嘲って!」
「な、何わけわかんねーこと言ってんだよ!どうしてそうなるんだ!」
「長秀ですか?!それとも女ですか?!あなたの新しい相手は!!」
「いい加減にし…!!」
直江の腕を振り払おうとした瞬間、高耶の首を大きな手が絞めた。
「なお、え」
ダメだ、もう殺される。どうしてオレの話を聞かないんだ。
「なん…で?」
朦朧としてきた頭で必死に直江に訴えた。
涙目で直江が手を解いた。真っ赤になった高耶の顔を見て恐ろしくなったのだ。
手が解けると高耶は大きく咳き込んだ。息をようやく整えてから床に手をついて打ちひしがれている直江の肩に顔を乗せた。
まだ直江から与えれた恐怖が残っていて体が震えるが、直江の痛々しい姿を黙って見ていられるほど冷たくはなれない。
「どうしてちゃんと話さないで、聞かないんだよ…」
「あなたに、捨てられたくないんです…ずっと、独占していたいんです…だから、怖くて…ただ怖くて!」
「とにかく、話せ。オレも言う…千秋には、学校のことを手伝ってもらっただけだ…」
「じゃあ、あの女は…?」
「女?…なんのことだ?」
「今日、あなたと腕を組んで…歩いていた女です…」
直江に見られていたのか。だとしたらこの行動も理解できる。たったあれだけのことだが、直江にとっては死刑宣告のようなものだったのだろう。きっと高耶も立場が違えば同じことをしていた。
「ゴメン。誤解させたんだな…あれは、ただの友達。学校の子だ」
「あんなに親しく?」
「そーゆー子なんだよ…美弥みたいなもんだ。特別な感情はまったくない。直江にしか、そんなのない」
顔を上げない直江の頭を抱いて、髪にキスをした。いつも自分がされているように。
「だからさ、顔上げろよ。なあ…」
「まだ、上げられません…」
泣いているのかもしれない。仕方なく自分の肩に直江の頭を乗せて、大きな背中を抱いてやった。
「直江しかいないから。心配させて悪かった。もう泣くな」
「泣いてませんよ…あなたにあんなことをした自分が憎いだけです…」
絶対に泣いているのに、強がって。
「憎まなくていい。よくわかったからさ。ゴメンな」
「愛しています…心の底から。捨てないでください…お願いですから」
「捨てるもんか。こんなバカ、放っておいたらみんな迷惑する…オレしか面倒見られないだろ」
「高耶さん…」
「よしよし」
大きいくせに気が弱いクマをなだめているような気分になって、背中も頭も撫でてやった。
仲直りができたから、と言って高耶は夕飯の支度を再開した。本当は直江も何も食べていなかったそうで、高耶を手伝って
夕飯を作ろうとしたが止められた。
「そんなに頼りないですか、私は」
「そーじゃなくて、今日はオレが作るんだよ。直江が美味いって顔するの楽しみにしてたんだから」
「まったくあなたは」
嬉しそうにしながらウロウロとリビングで待つ直江。
本当に大きいクマのようだ。飼育員がエサを持っていく直前のような浮かれ具合だ。
出来上がった料理をダイニングのテーブルに乗せて直江を呼び、夕飯になった。
「そういえば高耶さん。長秀には何を手伝ってもらったんですか?私が手伝いたいって言ったのに」
「う…えーとな…綾子ねーさんには内緒だからな。男同士の約束なんだ」
「わかりました」
「…モデルの、ウォーキング講習。学校で…」
一瞬耳を疑った。なぜ長秀に頼まなければいけないんだ?俺がいるのに?いくらでもスケジュールを調整するのに?
「俺じゃダメだったんですか…?」
「だって、おまえを学校に呼んだら関係バラしそーだし…それに、可愛い女の子がたくさんいる学校だから、目移りされたら
たまんねーし…」
「そんな心配しなくてもいいのに…あなたの学校に行ってみたかったですよ」
「ダメ」
「まあ仕方ないですね。でも今度は私が行きますからね?いいですね?」
「もう今度なんかないっての。千秋だってこの一回だけだよ」
「しかし、あの長秀が金にならない仕事を請けるとは…何が目当てだったんでしょうか」
「いや、その、オレの友達だもん、あいつ。面倒見良くていいヤツじゃんか。そーだろ?」
「そうですかあ?」
可愛い女の子目当てだとは言えない。きっと直江は千秋を責めるだろう。
「ねーさんには内緒なんだからな。千秋は友達として好意でやってくれたんだから」
「わかりましたよ。悔しいですけど、今回は見逃します」
話題を変えようとしたら今度は小島について聞かれてしまった。
「それで、あの女の子とはどこへ行ったんです?」
「代官山。ちょっとだけ買い物に付き合って、ケーキ食って帰ってきただけ」
それをデートと言うんですよ、と言い掛けたが黙った。たぶん高耶にはそんな意識もなかったのだ。
「可愛らしい女性でしたね。あなたにお似合いの」
「そーかあ?似合うかどーかはわかんねーけど、あの子が合宿でオレの服着て、オレがあの子のを着るんだ」
「なんですって?」
「だからー」
「それじゃまるで恋人同士じゃないですか!誤解されたらどうするんです!」
「大丈夫だよ。オレには彼女がいるって言ってあるし」
「彼女?」
「おまえのこと」
俺は女ではないが、そうゆうことならいいか。
「もし迫られてもお断りしてくださいよ?合宿なんて、男女が同じ屋根の下なんですから」
「合宿だぞ?そんな、おまえが想像するようなことあるわけないっての」
あの女の子の様子からしたら高耶に気があるのは間違いない。
ウブな高耶がもしも強引に女の子から迫られたら…と考えると心配でたまらない。愛されているのはよーくわかったが魔が差すということも。
「だって浮気したら殺されるもん。なー、直江?」
意地悪そうに直江を見て、先程の暴挙を責めている。
「うう…」
「本当に大丈夫だから」
「はい…」
夕飯を終えて直江が片付けをした。その間に高耶がコーヒーとカフェオレを作る。リビングへ持って行き、ふたりで並んで座って自然と直江は腕を高耶の腰に回し、高耶は直江にもたれかかる。
「ケーキ、食う?」
「ケーキ?ああ、そういえばさっき言ってましたね。…あの子と行ったケーキ屋ですか?」
しまった。地雷を踏んだ!
「美味しかった?」
「うん…」
直江は優しく話しかけてはいるが、目が笑っていない。
「あなたとケーキ屋ですか。羨ましいですね。羨ましいを通り越して憎たらしいですけど」
「あの、今度、一緒に行こうか…」
「明日行きましょう」
「…わかった…明日な」
ここで折れておかないと後で直江に何をされるかわからない。首を絞められるよりはマシだが、確実に高耶が困るような事態になるだろう。
「学校まで迎えに行きます。明日は昼までしか仕事はありませんからね」
「学校まで?!」
「そうですけど、何か不都合でも?」
「…ない…」
たぶん下校時間を狙ってくるのだろう。千秋が学校に来た事実があるから直江が来てもおかしいと思う人間はいないだろうが
その時の直江の行動が問題かもしれない。
「人前でベタベタすんなよ?」
「さあ?その時の高耶さんの様子にもよりますよ」
「したら殴るからな」
「どうでしょうねえ」
嫌な予感が拭えないまま、その日は直江とケーキを食べてお泊りした。
翌日、高耶が学校から一歩出たとたん、見慣れた車が停まっていた。そのボンネットに寄りかかってサングラスをかけた直江が高耶に気付いて呼びかける。
「高耶さん!」
高耶の後ろには矢崎と小島がいた。今日は約束があるから、と言ったのにそこまで一緒に帰ろうと付いてきたのだった。
「あのヤロー…」
「タチバナさんじゃん!仰木!」
「えー?!タチバナ?!ホントに?!」
高耶と一緒に矢崎と小島が直江に近づく。直江は矢崎に「お久しぶりです」と声をかけた。
「うわ、覚えててくれたんですか?!」
「ええ、フィッターの日に高耶さんと一緒にいましたよね?」
「はい!」
そして小島を一瞥し、軽く頭を下げた。
「初めまして」
「こんにちは」
あくまでも態度はソフトだが、敵愾心をたっぷりこめた視線を小島にあてる。どう見ても高耶に気があるとわかるからだ。
「さあ、行きましょうか。高耶さん」
「うん…」
荷物を高耶から奪って、後部座席に乗せる。それから助手席のドアを開けた。
誰がどう見たってこれは恋人に対するエスコートなんじゃないかと思った高耶だったが、昨日のことがあったので直江のしたいようにさせていた。これがやりたかったに違いない。
「んじゃ、また明日な」
「おう、またなー。明日のウォーキング練習サボるなよ、仰木」
「わかってる。じゃ、小島さんもまた明日」
「うん、またね。バイバーイ」
最後に直江が小島に向かって冷たく観察をするような視線を投げてから、口元だけでフと笑った。
矢崎はそれに気付かなかったが、小島と高耶は気が付いたようだった。小島から笑顔が消えて、わけのわからない戦慄を覚えた。
高耶が手を振るとウィンダムはゆっくり発進した。
「なに、さっきの嫌な笑い」
「勝利宣言です。高耶さんは私のものだっていう」
あんな小娘に高耶さんがなびくわけなかろう。
「そんなのしなくたって、オレは直江のものだってば」
「ですよね。あなたは甘えたがりですから、私でちょうどいいでしょう?」
「昨日泣いてオレに甘えたくせに」
「甘えましたけど、泣いてません。たまにはいいじゃないですか」
「いいけどな。クマみたいで可愛かったぞ」
「クマ?」
「なんでもない。あ、ケーキ屋はこっち。その角を曲がって」
「はい」
直江の正体は気弱なクマなんだと思えばちょっとの意地悪も許せるというものだ。
そう考えて高耶は運転席の直江にそっと愛してると告げた。
END
その2にもどる / 同じ世界18もどうぞ
あとがき
ひどい、直江…。けどそれが直江。
しばらくこのシリーズ書いてなかったから
ギャグが足りなくなってるよー!
また直江のライバルは登場予定。
小島さんじゃないけどね♪