同じ世界で一緒に歩こう

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気に入らない

その2

 
   


次の仕事は渋谷のスタジオでモトハルの撮影だった。今回は広告用ポスターの撮影ということでモトハルとチーフデザイナーが一緒に来ることになっている。

「渋谷か…」
「どうしたんですか?なんかあるんすか?」
「ああ…高耶さんがこの近くでバイトしてるんだ。時間も余ってることだし、行ってみるか」

高耶が渋谷でバイトをしているのは直江から聞いていた一蔵だが、バイカーズショップというのがどんなところかわからない。
せっかくだから行きましょう、と嬉しそうに応答した。
入り口を入ってすぐにエレベーターに乗り、4階のファッションフロアまで。
エレベーターのドアが開くとレザーの匂いがする。
一蔵がキョロキョロしていると直江はさっさと店内に足を踏み入れた。そして向かった先にはちょうど高耶が。

「あ、直江!」
「お疲れ様です」

今日も縫製の作業はないのか、ハンディモップ片手に店内の整頓をしている。

「こんちは、高耶くん」
「一蔵さんも一緒だったんだ〜。いらっしゃいませ〜」
「元気そうじゃん。たまには事務所に遊びに来たらいいのに」
「うん、でも、もうバイト辞めたのに行ったら迷惑かなって思ってさ」
「綾子さんが会いたがってたよ」
「ねーさんが?ふーん、じゃ、今度直江と一緒に行くよ」

同世代なので話しやすいらしい二人を微笑ましく見て、直江はさらに店内を見渡す。

今日もいたか、兵頭め。

「いらしゃいませ。タチバナさん」
「こんにちは、兵頭くん」

見えない火花がバチバチしている。

「先日は高耶さんの付き添い、ありがとうございました」
「ああ、仰木が怪我した時のことですか。いいんですよ、別に。同級生として当たり前ですから」
「あれから高耶さん、痛い痛いって大変だったんですよ。皆さんの前ではやせ我慢してたみたいですけど、やっぱり気兼ねなく話せる私の前だと本音を言ってくれるんですよね」
「へー、そーですか。学校じゃそんなのおくびにも出さないで頑張ってましたよ。勉強熱心なあの姿を見てると、こっちもやる気が出ますからね」

学校の高耶と、家での高耶を比べあってどうする、と、はた目には思うが、どっちも嫉妬を隠せない。
メラメラと敵対心が燃える。

その間、高耶は一蔵から今日のプロモ撮影の話を聞いていた。

「キスシーン?」
「うん、そう。さすがタチバナさんて感じだったなー。うまいことやってたよ」

一蔵が言う「うまいこと」とは「キスしてるみたいに見せるのがうまい」ということであって、実際にしたわけではないが高耶にはそう聞こえる言葉遣いだった。

「そんなの聞いてなかったけど…」
「そりゃ仕事だから、高耶くんには言う必要なかったんじゃん?」

それはそうだが、キスシーンやラブシーンはもうしません、と直江が言ったことがあった。それは嘘だったのだろうか。

直江がチューしたのか?あのアイドルと?しないって言ったのに?誰もが見るプロモで?
…嘘つき。

「高耶くん?どしたの?」
「ううん、なんでもない。時間ヘーキ?」
「あ!やべ!もう行かなきゃ!タチバナさーん!行きますよー!」

兵頭とにこやかに見える会話をしていた直江が高耶の元に戻ってきた。そして正面に立ち、

「バイトが終わる時間になったら電話をしてください。たぶんまだ渋谷にいますから一緒に帰りましょう。あ、夕飯も一緒にどうですか?」
「今日は兵頭と帰るからいい。メシも食って帰る」
「え…」
「遅刻するぞ、早く行け」
「高耶さん…?」

プイと横を向いて、一蔵だけに笑って「じゃあまた」と言う。直江は一蔵に袖を引かれてエレベーターに乗った。
高耶の態度がおかしくなった原因を探りながら。

 

 

スタジオにはモトハルと一緒にチーフデザイナーが来ていた。今回のポスターで使うスーツがチーフデザイナーの自信作と
いうことだそうで、ポスターのプロデュースも行うらしい。

「よう、直江。待ちかねたぞ。ほら、今回のスーツのデザイナーだ。今春からチーフに昇格したトワコ」
「はじめまして」

モトハルから紹介されたトワコが頭を下げて挨拶をするが、直江の心ここにあらずといった感じでいつものような笑顔での挨拶がなかった。

「直江、聞いてるのか?」
「あ、ああ。すいません、トワコさん。はじめまして。タチバナです。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそお願いします」

仕事モードに入っていない直江をモトハルが怪訝な顔をして見ている。トワコも同様。

「モトハルさん、タチバナさんていつもあんな感じなんですか?」
「いや、今日は何か変だな。何かあったんじゃないか?かみさんと喧嘩したとかかな」
「え?独身だって聞いてますけど」
「あー、たぶん同棲してるか、入籍してないかみさんがいるようなんだ。俺の勘だがな。指輪してるだろ?」
「ホントだ…そうだったんですか〜。せっかくお近づきになれるチャンスなのに〜」

何を隠そう、トワコも直江のファンだった。

モトハルに注意されてようやく仕事モードになった直江がスーツに着替え、メイクをしてもらってセットに立つ。
まだ参考商品でしかないスーツを直江の体型に合うように、トワコがカメラから見えない位置にピンを入れ、寄ったシワを伸ばすためにまたピンを入れる。

「はい、OKです。タチバナさん、どうですか?どこか攣ってるところはないですか?」
「大丈夫みたいです」

スラックスの裾は直江の脚の長さに合わせてテープで止め、アイロンをかけてある。これで足元まで写ってもいいスーツに
なった。
靴だけはモトハルでは作っていないので、直江持参のジョン・ロブでオーダーした茶色いブルーチャーオックスフォードを履いている。撮影用の新品だ。

「さすが直江だな。うちの服を着せたら天下一品だ」

襟に特徴のある上品な細身のスーツだった。モトハルはダブルのスーツが得意らしいが、今回トワコが作ったのは細身で、新しいスーツラインにする予定になっている。タグには「MOTOHARU KIKKAWA TO・WA」と入っていた。
新作のスーツ姿の直江にスタジオの雰囲気も一気に引き締まる。
小物や椅子を使っていくつもポーズをとり、何百回とシャッターが押され、3時間たっぷりかかって撮影が終わった。

「やっぱりおまえはファッションモデルやってる時が一番だな」
「俺もそう思うよ」

撮影が終わって私服に着替え、携帯電話を見る。メールもなければ着信もない。もう高耶のバイトは終わっているはずだった。
本当に高耶が兵頭と夕飯を食べて帰っているのかと思うと、寂しいようなイラつくような。
撮影が終わると同時に冴えない顔をした直江。モトハルたちの不審顔をよそに直江は溜息をつきながらスタジオを出た。

 

 

バイトが終わって高耶と兵頭は駅までの道にあるラーメン屋に入った。安くてそれなりに美味く、トッピングもし放題、という貧乏学生にはピッタリのラーメン屋だ。
とんこつラーメンを頼んで啜っていると、明らかに態度がおかしい高耶を不審に思った兵頭が声をかけた。

「なあ…さっきタチバナとなんかあったのか?」
「へ?」
「いつもだったら帰りも送ってもらうし、一緒に夕飯も食ってってるだろ?なのにさ」
「…別に何もないけど」
「そうか?俺と夕飯まで食って帰るなんて、珍しいからさ」

兵頭としては嬉しい限りだが、高耶が浮かない顔をしているのも気になる。

「…なんつーか…あいつが嘘ついてたのが許せなくて」
「嘘って?」
「プロモの撮影があったんだって。そんで、キスシーン撮ったとかでさ」
「は?」
「二度とそうゆうシーンはしないって約束だったのに」

まるで女だな、と思いながら高耶の話を聞いていた。

「しょうがないだろ。仕事なんだからそーゆーこともあるって。いくら約束してたからってなあ」
「うん…そう、そのとーり。だけどさ」
「だけど?」
「あいつ、やっぱ誰から見たってかっこいいじゃん。優しいし、親切だし、礼儀正しくて、すっげーモテてるし。だから撮影とはいえ女はあいつをほっとかないじゃんか。それなのにキスシーンだなんてさ…」
「ちょっと待て」
「何?」
「あのなあ、そーゆーの、ノロケって言うんだぞ?」
「違う。マジで怒ってんだよ。それに、困ってる」
「モテるから困るってか?」
「それもあるけど、オレがほとんど毎日嫉妬してるのがさ」

こんなラーメン屋で恋愛相談を受けるとは思っていなかった。しかも兵頭が片思い中の高耶から。

「だから、嫉妬して、一緒にいるのが辛いから、今日は頭冷やしたいってのもあったし、オレとの約束破ったから腹も立った
んだ」

まるで女、ではなく、これでは乙女だ。

「けどどーせ仲直りすんだろ?」
「するけどさあ…あーあ、なんであんなのと付き合ったんだろ」
「じゃあ別れろよ」
「絶対ヤダ」

もうこれで何度目の失恋になるのだろうかと考えながら、兵頭は傷付いた心にそっと傷薬を塗りこむようにしてラーメンのツユを飲んだ。我ながらバカバカしいとは思いつつ。

 

 

駅で兵頭と別れた高耶は地下鉄を乗り継ぎアパートに帰った。直江からのメールを少しだけ期待していたのだが、今日は忙しいのか、それとも疲れたのか連絡はない。
寝る前に少しだけでも今週末の期末テストの勉強をしておこうと思って、テキストやらファッション辞典やらをテーブルに広げて試験用のノートを作っていた。

いつのまにか深夜になって、軽くシャワーを浴びてから寝るか、と、立ち上がった時に携帯の着信音が鳴った。
直江だ。
出たくないけど、声が聞きたい。

「もしもし」
『高耶さん…あの…』
「もう寝るんだけど…」
『すいません…あの、ですね…………』

どうして今日は一緒に帰ってくれなかったんですか?と言いたいくせに、それが出てこない直江がもどかしい。
そんな事じゃなくて、もっと別の言葉が聞きたい。言い訳でもいいから。

「用がないなら切るぞ」
『…いえ、あります…あの、私が何かしましたか?怒らせたようなんですけど…』
「自分で考えたら?」
『わからないから電話したんです』
「じゃあずっとわからないままでいたらいいだろう」

我ながらひどい事を言っている自覚は高耶にもあるが、嫉妬が心の大半を占めていてどうしても直江に当たってしまう。

『最近、何か変ですよ?昨日だって急に…』
「どうせオレは毎日変だよ!」

怒鳴ってから通話を切った。普段の高耶なら絶対にしないことなのに。

どうしてあいつはああなんだ!約束破っておいて!
だけど、どうしてオレはこうなんだろう…もっと素直に妬いたって言えればいいのに。

 

 

 

「高耶さん…」

切れた通話の音を聞きながら、直江は呆然としていた。
まったく何が何なのかわからない。急に怒り出して、急に会話を終わらせて。

色々と考えてみたが直江にはさっぱりわからなかった。何か悪いことをしたような記憶もない。バイト先へ行くのは高耶から
来いと言ってきているのだし、他に思い当たるフシがない。
ワガママだっていつも聞いている。大事にしているはずなのに、どうしてあんなに怒らせてしまったのか。

堂々と大人な態度を武器に、正攻法で聞くしかないが、今の様子だと会うのも困難だ。
高耶が夏休みになったら海に行く約束を直江は大事にしていた。だからこそ早めに仲直りをしなければならない。
どうしようかと考えて結局乗り込むことにした。
高耶に期末試験が迫っているのをわかっているので、それが終わったらすぐにでも。

 

ツヅク


                           

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乙女なんだからしょうがないじゃん。