同じ世界で一緒に歩こう

20

気に入らない

その3

 
   


その後、直江からの連絡が途絶えたのを高耶はだいぶ気にしていた。
いつもならしつこくメールや電話が来たり、アパートの前で待ち伏せしてでも会おうとする直江だが、今回だけはそこまでする
気はないらしい。

気になって勉強も手につかなくなったせいで、テストで満点取れる自信があった科目も8割程度しか出来なかった。
ファッションデザイン学科とはいえ、他の知識も必要になるので芸術に関しても勉強しなくてはいけない。
美術様式や特徴、いつの時代のものか、代表的な芸術家は誰か、どんな美術品がもてはやされたのか。
美術に関してのテストは元々苦手だっただけに、今回は60点取れていたら万々歳というところだろうか。

パターンやテキスタイルに関しては、常に真剣にノートを取って授業を受けていたため、ノート持込の試験ではほぼ完璧な
自信があったがそちらも80点取れたら御の字かもしれない。
奨学金で入った学校なだけに、成績が悪ければ除籍もされかねない。
テストだからと直江のことは忘れて取り組んだつもりだったが、そううまく行くものではなかった。

すべての試験が終わって、明日からは試験休みという名目の夏休みだ。本当の夏休みは試験結果が郵送されてきて、除籍ではない者だけに与えられる。学年ごとではなく、期末ごとにこうした試練があった。

「仰木、どうだった?」
「んー、あんまし…」

矢崎がまだ席に座っている高耶の元にやってきて、試験の調子を聞いてきた。どうやら矢崎もあまりうまく行かなかったようだ。

「けど除籍は免れそうだけどな。ただなー、芸術科目が全然わかんなかった」
「オレはパターンだな。仰木のノート、コピーさせてもらえばよかったー」
「あれはオレ用に書いてあるからコピーしたってわかんねーよ。パターンはしっかり聞いて、覚えて、実践してからやっとこうして試験で答えが書けるようになると思うけどな」
「そっかー。やっぱ真面目にやるしかねえな。…なあ帰りさあ、なんか食ってかねえ?」
「いいけど…」

バイトもないし、直江との約束もない。
でもいつ直江から連絡があるかもわからないので、できるだけ時間を自由にしておきたかった。しかしたまには友人とのんびりするのも必要だろう。

「金ないからマックでいいよな?」
「俺だってねえよ。さてと、行くか」

兵頭はバイト、Nちんは何かのイベントがあるらしくさっさと帰ってしまった。久しぶりに矢崎と二人だ。
マックについてフィレオフィッシュのセットを頼んでテーブルにつく。試験の答え合わせをしながら食べてから、話題が変わった。

「仰木は夏休みってなんか予定ある?」
「うーん、まずは合宿の服を作るだろ?それと、合宿が終わったら実家に帰って…」
「彼女とはどこも行かないのかよ」
「ああ、うん。今ケンカしてるし」
「じゃーさー、兵頭とNちんと4人で海行かねー?ナンパしまくんの」
「海かー…」

直江と海に行く約束をしていたが、それもどうなったのか高耶にはわからなくなった。自分がいつまでも意地を張ってないで
約束を破ったのが気に入らないと怒って、それで嫉妬したのだということを素直に話して、仲直りをしてしまえば問題は解決するのだが。
直江ならば二度としませんと謝って、嫉妬した高耶を甘やかして、今までよりもっと大事にしてくれるだろうとわかってはいるのだが、いつも自分ばかりがみっともない嫉妬をしているのが悔しかった。

「考えとく。仲直りできなかったら、行く」

チラと矢崎が高耶の顔色を伺った。

「…無理しなくていいぞ」
「無理って…してねーよ」
「してるよ。すげーシケた顔してる。おまえが付き合ってる女ってどんなのか知らないけど、そんなに好きなら仲直りした方がいいぜ。人生でな、そこまで好きになれる相手はなかなかお目にかかれないんだぞ」
「そうかな?」
「そーだよ」

絶対に有り得ないけどもし、直江と別れたら、もっと好きになれる相手が見つかるのだろうか?

「そうかもな…」
「だろ?仰木は男なんだから、男のおまえから折れてやらなきゃ可哀想だぞ」
「え?ああ、そっか、うん」

どちらも男だが、と心の中でツッコミを入れた。

「明日から休みなんだから、今日のうちに仲直りして楽しい夏休みを過ごせよ。もったいねーぞ、セイシュンが」
「セイシュンねえ…ま、そうかもしんねーな」

今日はアパートじゃなくて直江のマンションに帰るか。
約束のことも、嫉妬してたことも、別に話す必要はないんだ。今までどおり、普通にしてれば。

少しだけ吹っ切れた高耶は矢崎と別れてまっすぐに直江のマンションに向かった。

 

 

先日のプロモ撮影の続きで今回は世田谷の砧公園に来ていた直江がメールに気付いたのは、撮影が終わった直後だった。
前回の指輪を見せたアイドルに話しかけられながら、いつもの癖で携帯を出して着信の確認をしようとしたところ、メールが
入ったことを知らせるLEDが光っていた。
仕事の話か、それともモデル仲間からの誘いかと思っていた。
今日は絶対に高耶に会って、どうしても仲直りをして、海に行く約束を現実のものにしようとしていただけに、邪魔なメールが
入ったものだ、と思ったが、アイドルとの話を終わらせるのには丁度いい。

「すいません、仕事のメールが入っているみたいなので」

そう言って会話を終わらせたが、横でちんまり座って直江のメールチェックが終わるのを待っているようだった。
いざとなったら振り切ってでも帰ってしまえばいいと思いながら、受信のためにセンターに繋げる。
センターからメールを受け取って、受信箱を開いてみると、そこには。

た、高耶さんからだ!!

慌ててそのメールを開いた。

『テストが終わったから直江んちにいる。待ってるから、何時でもいいからできるだけ早く帰ってこい』

「はい!すぐ帰ります!」

急に直江が携帯電話に向かって返事をしたものだから、アイドルも含めて周りにいる人々は驚いて直江を見た。
一番驚いたのは一蔵ではないだろうか。

「まだ帰っちゃダメですよ!このあとはモトハルTO・WAのショーの契約でモトハル本社に行くんですから!」
「そんなのおまえがやっておけ」
「ダメです!タチバナさんがいないと困ります!」
「ああ、わかったわかった。こんな時に限って…」
「逃がしませんからね…」
「わかったと言ってるだろう」

せっかく高耶がマンションにいるというのに、無粋な仕事を恨めしく思いながら渋々とモトハル本社に向かった。

 

 

「なんだ、直江。妙にソワソワして」

モトハルとの契約書を取り交わして、今回のショーの構成や趣旨などを雑談交じりに説明されていたが、直江の意識はどこかに行ってしまったようでまったく話を聞いていなかった。

「ああ、すまん。そろそろ帰らなければならないんだが…」
「そうだったのか。こっちこそ引き止めて悪かったな。うちで初めての別ラインだからちょっと興奮しすぎたようだ」
「すまんな。じゃあ、トワコさんによろしくと伝えてくれ」

どうせ指輪のかみさんが待っているんだろう、と言いかけたモトハルだったが、直江のプライベートまで聞き出すような悪趣味でもないので黙っていた。
社長室のソファから腰を上げて、いささか急ぎ足で本社を出る。一蔵とは足の長さが格段に違うため、直江が先に歩いているのを一蔵が小走りで追いかけながら大通りに出た。

「一蔵、おまえはここで別にタクシーを拾って帰れ」
「あ、はい」

直江のためにタクシーを捕まえて、それに乗せる。契約書は事務所に持ち帰るが、その他の資料は直江に見ておいてもらわないといけないので半透明のファイルケースに入れ変えて直江に渡した。
ドアが閉まって、タクシーが走り出す。

「やっと彼女からメールが来たのかな…あんなに焦ってるタチバナさん、初めて見たかも」

事務所に戻ろうとタクシーを待ったが、なかなか来ない。来るのはランプが消えている客アリのタクシーだけ。空車がない。
一蔵は夏の湿った熱気の中、しかも排気ガスがさらに暑くさせている場所で15分ほどタクシーを待つハメになった。

「もしかして、今日はタチバナさんだけがツイてる日なのかも…」

ぐったり項垂れてひとりタクシーを待つ一蔵だった。

 

 

マンションの部屋の前で直江は呼吸を整えた。帰ってからの第一声は「ただいま」か「高耶さん」か、それとも「待たせてすいませんでした!」か。
鍵を開けてドアを開く。が、明かりが点いていなかった。

「…高耶さん?いますか?」

もしかして、帰りが遅いからと帰ってしまったのだろうか?

「高耶さん?」

高耶はソファにいた。適温にした冷房の中でスヤスヤと眠っている。テスト明けだから眠かったに違いない。
このまま眠っていては風邪を引いてしまうと心配して、寝室からタオルケットを持ち出して高耶にかけた。まだ目は覚めそうにない。
高耶を起こさないようにゆっくりとソファに座り、頭を撫でて、髪を梳く。すると気持ちよさそうに少しだけ唸って身動きをした。

「愛してますよ…」
「うーん…」

小さな声で囁いたつもりだったが、どうやら起こしてしまったらしい。

「あ、直江…」
「おはようございます」
「…?朝?」
「いえ、夜ですけど」

がばっと起き上がってキョロキョロする。夕飯を作って待っているつもりだったのだが、いつのまにか寝てしまったようだ。

「いつ帰ってきたんだ?」
「ついさっきです。遅くなってすいません」
「いいんだよ、仕事なんだから」

掛かっていたタオルケットを見て、直江が出してきたのを知った。ゆっくり寝かせるつもりだったのかと思って優しさに心が温かくなった。
いつも優しい直江に、あんなひどいことを言ってしまった自分が恥ずかしくなる。

「メールに返事をしたんですが、見てくれました?」
「え?あ、見てなかった!」

急いで携帯に手を伸ばそうとしたところに、直江の手が制止をした。変に思って直江の顔を見上げた。

「言いますから、聞いててください」
「うん…?」
「早く会いたくてたまりません。まだ帰れませんが、お願いですから待っていてください。いつもあなたを愛していますから必ずあなたの元に行きます。何があっても、どんな時でも、愛しています」
「ホントに…?」
「ええ、もちろん」

そうではなく、本当にそんな甘ったるいメールを送ったのかと聞いたのだが、直江は誇らしげに笑っている。
呆れるほど愛されている自覚が湧いてきて、携帯を見ると、本当に同じ文章が入っていた。

「ホントだ…バカみてー」
「バカって…高耶さんひどいですよ…」

だが高耶も直江も笑っている。

「あのさ…このまえ、ひどいこと言ってごめんな」
「ああ、いいんですよ。ご機嫌が悪かったんでしょう?気にしないで」

直江も高耶が怒ったのをうやむやにしようとしている。だがこの直江の笑顔を見たら、正直にすべて話して、受け止めてもらいたくなった。

「良くないから…ちゃんと話す。この前のプロモの撮影…なんだけど」
「ええ。それが何か?」
「キ、キスシーンがあったって一蔵さんが言ってて」
「ありましたけど」
「したのか?チュー」
「しませんよ。約束したじゃないですか。そういうのは断るって」
「でも一蔵さんが…」
「してません。本当です。たぶん一蔵の言い方が悪かったんでしょう」

今度きつく言っておかねば。

「じゃあオレの勘違い?」
「ですよ」
「ごめん、てっきり嘘つかれたと思って、そんで…」
「怒ってたんですね。その場で言ってもらえればそんな誤解もなかったのに」
「あの場で言えるわけないじゃんか…それに、直江はいっつも美人と仕事してて、たまに抱き合ったりしてて…だけど嫉妬しないでくれっておまえがいつも言うから…我慢して…仕事でやってるのに嫉妬するなんて、変だから…」
「変じゃありませんよ。嫉妬しないでって言ったのは、あなたがそんなものをする必要がないからです。私の想いは全部あなたのものですから。いつも、どんな時も」

直江を見上げる高耶の顔を両手で包んだ。まだ不安に揺れている瞳が愛おしくて、キスをした。
唇を離すと高耶の目が潤んできた。泣き出しそうなのを我慢しているようだ。

きっと今までもヤキモチを我慢して、グラビアやCMやプロモを見ていたのだろう。
私が迂闊なばっかりに。鈍感なばっかりに。

「キスもあなたとしかしません。私が抱きしめていたいのは、あなただけです」
「うー」
「海へ行くんでしょう?太陽の下で抱いててあげますから、私があなただけを愛してること、しっかりと感じてくださいね」
「うん」
「高耶さんは、私を愛してくれてますか?」
「当たり前だろ!いっつも大好きだよ!」
「良かった」
「チューしよ、もっと」

高耶のお腹の虫が鳴くまでキスを続けていた。

 

 

直江の次の休日に、高耶が作ったランチをバスケットにつめて、直江の運転で海に出かけた。海岸沿いを走り、海水浴場を
通り過ぎて、遊泳禁止の浜辺を見つけた。

「誰もいないんだな…こんなとこあるんだァ…」

平日だっただけにサーファーすらそこには来ていなかった。太陽の下で海を見つめる高耶の背後で直江がシートを広げた。
どこで調達してきたか木製の骨組みの白いパラソルまで付けて。

「高耶さん、日射病になりますよ。日陰に入ってください」
「うん」

白いTシャツに、カーキのカーゴパンツをはいた直江が茶色い皮のサンダルを脱いでシートに座っている。どこから見ても
モデルでしか有り得ない。
一方、高耶は体のラインがはっきり出るリブ編みのブルーグレーのタンクトップ。直江が「ランニング」と言ったのを「オッサンの言い方」とからかったことがある。ボトムはジャングル迷彩の軍モノを膝下で切ったハーフパンツ。
矢崎からのお下がりだ。

岩の多い静かな浜辺で、直江がゆっくりとタバコを吸う。その左横に座って直江に寄りかかるチャンスを狙っていたが、直江が煙を吐き終わると同時にキスをされた。

「…苦い…」
「そのうちわかりますから」
「何が?」
「プロモが完成したら、わかりますよ」

タバコを消した直江の両腕が伸びてきて、高耶を包み込んだ。

「高耶さんさえいれば、本当は何もいりません」
「ダメ、それは。オレは直江が一番大事だけど、いつか直江と一緒に仕事が出来るようになるのが目標なんだから」
「そうでした」
「でも…」
「でも?」

高耶から愛の囁きを期待している直江。

「太陽の下で抱き合うのって…………」

嬉しいですか?

「暑苦しいな」
「………高耶さん………」(凹)

それでも直江は離さない。高耶も離れる様子がない。
少しだけ風が二人の間を通る程度に隙間を作って、寄り添い続ける。

「直江ぇ……」
「なんですか?」
「だいすき」
「……愛してます」

小さく高耶が笑って、釣られて直江も笑った。

 

 

END



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あとがき

急にタヒチに行きたいと言ったのは
私が行きたいからであります。
高耶さんは本当に恋愛で
困ると矢崎くんか譲くんに
相談するようにしているみたい。
あ、この話の中の高耶さんですよ、
もちろん。