「高耶さんに提案があるんですが」
直江のマンションで100円のアイスクリームを食いながらくつろいでいる時に、急に直江が思いついたように話しかけてきた。
「夏休みの間だけでもウチに住むってどうですか?」
「ここに?住むってか?」
「ええ、そうすれば高耶さんの光熱費も節約になりますし、何よりも暑いですからあの冷房のないアパートで高耶さんが熱射病にならないか心配なんです」
「うーん、まあ、夏休みだし不都合はないけど…でも、ミシンとか持ってこなきゃな〜」
「車で運びましょう?ねえ、高耶さん♥」
そんなわけでオレは夏休みの間だけ直江と同棲することになった。
翌日、直江が仕事から帰ってきて、車でミシンや布や裁縫箱、それに着替えをたくさん運んでもらって、作業は客間を使わせてもらうことになった。
直江が仕事に行ってる間に学校の制作をして、直江の生活に合わせて家事をする。これは居候するわけだから当然のことなんだけど、直江は新婚生活みたいだって喜んでる。
オレも少しはそう思う。えっへっへ。
マンションのエレベーターの中で、直江がオレのミシンをケースごとぶら下げて持ってる。重いから自分で持つって言ったのに、そうゆうことは私の仕事ですから、なんつって持ってくれた。しかも着替えが入ったカバンも直江が肩から下げてるし。
オレはといえば、裁縫箱と布が入った紙袋と、型紙が入った筒と、いつも持ち歩いてるリュックを背負ってるだけ。
「最近のミシンは軽いんですね」
「まー、それは簡単なことしか出来ないミシンだからな」
「私の実家にあったミシンは20キロぐらいあったと思いますよ。私が小学生のころに姉のために買ったものですから、そんなものでしょうけどね」
直江のお姉さんはお嫁に行って、今はそのミシンを実家に置いて港区に住んでるらしい。子供も2人いるそうだ。
会ってみたいけど、ちょっとそこまでの勇気は今のオレにはない。
「家庭用ミシンて遅いんだよな。学校のミシンに慣れると本当にそう思う」
「そうなんですか?」
「うん、学校のは工業用なんだって。だから速いんだ。でも高性能の家庭用ミシンみたく刺繍とかは出来ないけど」
「高耶さんはどっちが欲しいんですか?」
「…買うなよ…いくらオレが欲しがってるからって」
「…読まれましたか…」
欲しいのは工業用だ。速いし、厚い生地も簡単に縫える。コートのポケットなんか縫うのに便利だ。
「直江に買って欲しいなんて本気で思ってないからな。買ったら殴るぞ」
「はい…」
だって工業用ミシンて何十万とするんだぞ。そんなもの直江に買ってもらうわけにいかないっつーの。
客間にミシンを運び込んで、ちょっとだけレイアウトを変えた。どうせベッドは使わないから、端っこに押しやる。
ミシンは和室で使ってたお膳を運んできて乗せた。
「オレの部屋みたいだな」
「高耶さんの部屋か……一緒に住むようになったらこの部屋を改造しますから」
「卒業して、就職したらな。そん時はよろしくな」
直江の家にお嫁に来るって感じ?考えたら恥ずかしいけど、いつかそうなったらいいなーって思う。マジで。
「明日っからバリバリやんなきゃな」
「いい作品を作ってくださいね」
「おう!」
リビングに戻って直江がソファに座った。その足の間に入って座って、後ろから抱えてもらった。
少し前にオレのアパートでこうしてもらったら暑くてしょーがなくて、でも直江が嬉しそうだったから我慢してた。
けどここなら涼しいから我慢しなくてもいいんだよな。
「本当に新婚みたいですね」
「そうだな。こうゆうの、いいかも」
「夏休みの間は高耶さんとずっと一緒なんて…幸せです」
「けどちゃんと仕事は行けよ?」
「わかってますよ。そこまでバカではありません」
だけど翌朝、直江は仕事に行きたくないとゴネて遅刻寸前まで玄関でチューしまくってオレに腹を殴られた。
ナイスストマックブローだった。
そんで「絶対にいなくならないんですよね?!」なんつって確認までしてきやがった。
こいつって基本的にバカなんだな。
直江が出かけてから客間に篭って型紙を取り出し、布にピンで貼り付けてチャコペンで縫いしろを描いた。
スカートの部分はどうにか節約して買えたシフォンだから、失敗しないように何度も確認しながら描く。芍薬の花びらを形作るからバイヤスにして使うわけで、ただでさえ無駄がたくさん出る。できるだけ無駄がないように布に描いた。
直江がパリで買ってきた布も、失敗したら買いにいけないから慎重に。
布を切るだけでで数時間が過ぎる。裁ちばさみが布を切る感触は好きだ。ゴリって音がするのも好きだ。
矢崎たちはこの裁ちばさみを床に落としたりして刃を欠けさせてるけど、それじゃキレイに切れない。この感触も得られない。
裁ちばさみってのは大切に扱わないといけないんだ。
たまに研ぎに出すと戻ってきた時にすごくいい切れ味と、音が出る。
全部の布を裁ち終わるとお昼になっていた。腹が減った。
直江がいないから簡単なものにしようと思って戸棚を見たけど、パスタしかない。どうしようか考えて、面倒だから赤紫蘇の
ふりかけをかけただけのスパゲティにした。
こんなの食ってるって直江にバレたら栄養を考えろって怒られるな…。
食ってからまた客間に戻って、身頃と袖の縫いしろにロック(家庭用ミシンでやれる程度のことだけど)をかけた。
それが終わってから薄いピンクのチャコペーパーを身頃と袖の布の上に乗せて、作ってあった刺繍の図面を上からなぞる。
そうすると刺繍の図柄が布に乗る。
ズレがないか確認してから、銀色のビーズで刺繍を入れるための材料をリビングに持ち出した。
長袖だから袖口と肩口にたくさん入れて、他の袖部分は少しだけ。
身頃には胸元から肩にかけてたくさん刺繍する予定。これが今回の制作ポイントだ。ここまで刺繍を入れれば採点もいいはず。
スカートの部品にもビーズを散りばめるんだけど、こっちはまだまだ先の話。まずは身頃だ。
銀のビーズは3種類使う。長いの、丸いの、丸くて大きいの。
刺繍用の輪っかを取り付けてたら夕日が斜めにリビングに差し込んできたのに気が付いた。
「もうこんな時間なのか…」
直江の夕飯を作らないと。今日は7時ぐらいに戻るって言ってたから、買い物をしておかなきゃ。
冷房のスイッチを切って、買い物のためにウサギの形の財布を持った。この財布は直江が「生活費です」って言って置いていったもの。
一週間単位で金を入れることになってる。
一応中身を確認してから出ようと思って、玄関先で開けてみたら一週間じゃ使い切れないほどの金が入ってた。
やっぱ直江の金銭感覚はおかしい。
オレがいる間に叩きなおしてやろうかな。
「ただいま帰りました!」
「あ、おかえり〜」
料理をしてた手を止めて玄関までお出迎え。直江は急いで帰ってきたのかちょっとだけ焦ってた。慌てて靴を脱ぎ忘れてる。
「夢じゃないんですね!高耶さんが毎日こうして迎えてくれるんですね!」
「靴!靴を脱げ!」
「あ、本当だ」
やっぱり基本的にバカだ。
今日はどこかの雑誌との打ち合わせとかで、スーツを着て出かけて行ったから革靴。高そうな艶のやつ。
いつもはだいたいきれいめのカジュアルで出かけるんだけど、律儀な性格だから偉い人と会う日はスーツだ。
例えば部長さんや社長さんが審査をするオーディションであったり、今日みたいに編集長と同席の打ち合わせだったり、仕事上で大事な人と会うときだ。
いつ見てもかっこいいなーって思うけど、スーツの日は特別にかっこいい。大人の男って感じがする。しかもまたセンスのいいオシャレなスーツなんだよなー。
「高耶さん!」
いつものように玄関先でムギュッと抱きしめられて、チューをされる。
「夕飯はカレーですか?」
「うん、そう。匂いでわかったか?」
「カレー味のキスでした」
味見したからだな、きっと。でもそんな味のチューってどうなんだろう?直江は嬉しそうだけど。
「どんなカレーですか?高耶さんのことだからきっと繊細な味を出してるんでしょうね」
「そんなことないぞ。カレーの素を買ってきて作ったからな」
だけど今日のカレーは自信作だ。始めてから直江が帰ってくるまでの2時間、ずっと煮込んでた。骨付きの鶏足をトマトとタマネギでずーっと煮込んだんだぞ。軟骨まで柔らかく出来てるはず。
それにいくら市販のルーだって言っても、ピーコックで売ってる知らないメーカーのちょっと高いやつを選んで、自分なりにヨーグルトや牛乳や醤油(隠し味だ!)その他スパイスを使ってあるんだから!
さっきの味見で保証付きだ!
それと野菜不足も解消しなくちゃいけないから緑黄色野菜のサラダと、カレーに合うかわかんねーけど海藻の酢の物。
暑い中、外に出て疲れてる直江のためだ。
あとデザートは桃!これはピーコックじゃなくて、近所の果物屋さんで痛みかけてるのを安く売ってもらった。
知ってるか?桃って腐りかけが一番甘くてうまいんだぞ。皮だってちょっと包丁を入れるだけで、あとはスルーッと剥ける。
騙されたと思って食ってみろ。
直江が着替えてきてから夕飯になった。予想どーりカレーの色を見て驚いてた。
普通は茶色いけど、オレが今日作ったカレーは黄色。しかもトマトの赤が映えて美味そうなんだ。
それにゴロンと入った鶏肉にも直江はびっくり。
「こういうカレーって家庭でも作れるんですか?」
「今はけっこう種類が豊富だからな。普通のカレーよりあっさりしてるからたくさん食えるぞ。あんま辛くないし」
「…………………」
「なんだ?」
「いえ、すごいな、と思って。高耶さんが作るものは何だって美味しいですけど、ここまで手が込んだものも出来るのかと思ったら…」
誰にでもできるやつを買ってきただけだけど…
「バカにしてんのかよ」
「そうではなくて、自慢したくなりました」
「は?」
「こんな料理上手な高耶さんが私の家にいてくれるなんて、世界中に自慢したいです」
「それはヤメロ」
直江の「美味しいです」をさんざん聞かされながら食った。しつこいって思うけど、嬉しい。
桃も食い終わって直江に冷たい緑茶を作ってやって一緒に飲んでから、リビングで刺繍の続きをした。
「高耶さん…それは昼間にやるって約束じゃないですか。せっかくの同棲生活なんですから…」
「うーん、でも始めてみたら思ったよりも時間がかかりそうだったから…出来上がらなかったらって考えると怖いんだよな。バイトも週3で入ってるしさ」
「そうですか…でも体を壊さないようにしてくださいね。昼間からずっとやってるんでしょう?」
「うん、気をつける」
黙々と刺繍をしてたら、直江のアクビが聞こえた。
ん?と思って時計を見たら12時になってた。
「もう寝たら?睡眠不足は肌に悪いぞ?」
「ですが…」
「オレもキリのいい所で寝るから、先に寝てて」
「はあ…」
いつの間にか風呂にも入ってパジャマに着替えてたらしい。気が付かなかった…。
「では寝ますが…本当に無理しないで下さいよ?いいですね?」
「うん」
直江が寝て、一人ぼっちのリビングで刺繍を続けた。オレは手先が不器用だから時間がかかってしょうがない。
だけど奇抜なアイデアはないし、センスだってないに等しい。そんなオレが頑張れることは丁寧に作るってことだけ。
何か一個でも独自のものを持ってればそれを売りにできる。初めてスカートに刺繍を入れた時に、これだって思った。
だからこのドレスはとびっきりキレイな刺繍を入れなきゃいけないんだ。
ツヅク
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