同じ世界で一緒に歩こう

21

夏休みだけの同棲


その2

 
   


目覚まし時計が鳴って、目が覚めた。隣りにいなくてはならない人が、いない。

「高耶さん…?」

もう起きて朝食の支度をしているのだろうか。それにしてはいつもと様子が違うベッド。
高耶さんとお揃いのパジャマを着たまま、寝室のドアを開けた。寝室から見えるリビングの床に、高耶さんが座っていた…。
見れば手には昨日の布がある。少しだけ様相が違うのは昨日は少ししかなかったビーズが増えていることだった。

「…おはようございます…」
「あ、おはよう。もう起きる時間になったんだな」
「あの、もしかして、徹夜してたんですか…?」
「ああ」

伸びをしてから肩を回した。目の下には黒いクマが出来ている。

「無理しないって約束したでしょう?」
「別に無理してないよ。眠くならなかったし、せっかくノリノリでやれてるから続けてたらこんな時間になっただけ」
「そんな…」

リビングにある時計を見て、私が寝てから8時間も経っていることを確認した。これを無理と言わずになんと言うのか。

「珍しいことじゃない。課題が終わらない時は2日間寝ないってこともあるしさ」
「そうですが、まだ締め切りは先なんですよ?あと3週間もあるのに。今日は寝ててくださいよ?」
「うーん、少しは寝るけど。それより腹減ったな。朝飯作んなきゃ」
「いいですよ!私がやります!」
「だっておまえってトーストすら焦がすじゃん。オレがやる」
「高耶さん!本気で怒りますよ!」
「…そんな、怒ることじゃないのに…」

怒ることですよ!何よりも高耶さんがベッドに入って来なかったのを知らなかった自分に腹が立つ!
自分一人でグースカと!!

「じゃあトーストしないでそのまま食べましょう。昨日の残りのカレーと一緒に食べればいいんです。あとチーズに、野菜ジュースを付ければ問題ないでしょう」
「…怒ってる…」
「当たり前です」

ずっと床に座っていたせいで膝が固まってしまって、高耶さんは立ち上がる時によろけた。それを支えて立たせると、目を潤ませて見上げてきた。

「今回はウルウル攻撃も効きませんよ。本気で怒ってるんですからね。ここにいる間は二度と徹夜なんかしないでください。
約束できたら許してあげます」
「だって…間に合わないの、怖いんだもん」
「大丈夫です。私も邪魔はしませんから、徹夜なんかしないように予定を組んで、計画通りにやりましょう。いいですね?」
「でも…」
「高耶さん」
「…わかった…約束する…」

徹夜なんか心配でたまらないのに、怒らない恋人がこの世にいるはずがなかろう。まったく…。

「まだ怒ってる?」
「ええ、少し」
「…チューして欲しいんだけど、ダメ?」

う、この目と積極的なチューして攻撃には弱い…しかし、今回はダメだ。

「朝ご飯を食べてからすぐ寝る、と約束してくれたら、帰ってきた時にしてあげます」
「ええ〜…」
「できないなら、しばらくはナシです」
「わかったよ…すぐ寝るから…帰ってきたら絶対チューしろよ?」
「ええ」

そして高耶さんは私が用意した朝食を食べて、ベッドに入った。その横で私が着替えているのをじーっと見つめる。

「今日はどこ行くんだ?」
「メーカー主催のショーです。バイヤーのためのショーですから、一回しかやりません。すぐに終わりますよ」
「何時ごろに帰ってくる?」
「早ければ昼間3時ぐらいです。それまで寝ててもいいですよ。今日は外食しましょう」
「うん」

着替え終わってすぐに出かけるのが習慣なので、今日は高耶さんに「いってきます」を言うのはこの寝室になる。
高耶さんがこのマンションにいる日は、一緒に出かける時も、どちらかが先に出る日も、必ずキスをしてから出るのだが今日はそれは出来ない。

「では、いってきますね」
「うん…」

後ろ髪を引かれる思いをしながら寝室を出た。ああ、あんなこと言い出すんじゃなかった!キスして出かけたいのに!
この分じゃ今日のステージは調子が出ないかもしれない…。

 

直江が怒ってたのは当然だってゆーのがわかった。オレは直江が帰ってくるまで熟睡しちまったんだから。相当疲れてたみたい。
目が覚めたのは直江に起こされたから。

「高耶さん、起きてください」
「う…うーん…」

遮光カーテンの隙間から光が入ってきてた。すごく明るい昼間の光。

「あれ?直江…まだ出かけてなかったのか?」
「はい?いえ、今帰ってきたんです。もう3時すぎですよ」
「マジで?!」
「ええ」

しまったー!直江に内緒で刺繍を少しだけでもやっておこうと思ったのにー!

「わかったでしょう?いくら眠くないからって根を詰めてやったら、体は疲れてしまうんだってこと」
「…わかった…」
「じゃあ、しますか?」
「ん。する」

チュー解禁だ。おとなしく待ってた(寝てた)からご褒美。
今朝は寂しかったな。チューしてくれないし、怒られるし。

「今から夕飯までの間に少しやっていいかな?」
「いいですよ。でも夕飯はちゃんと食べてくださいね」
「おう。しっかり食べる」

直江のいるリビングで刺繍をやり始めた。テーブルにビーズの箱を置いて、それを針で掬いながら一個ずつ付けていく。
こんなことしてたらそりゃ徹夜にもなるっての。でもまだ4割も出来てないんだな、これが。

「昨日の作業時間を覚えてますか?」
「ん?昨日のって?」
「刺繍してた時間です」
「えーとぉ、夕飯食って、少し経ったころだからぁ…4時間足す、8時間で、12時間かな?」
「12時間で約4割。あと6割をのんびりやったとして、24時間ですね。一日5時間を目安にして5日間です。刺繍はその予定でやってみたらどうですか?」
「そっかー。そうやって計算すればいいのかー。5日か…じゃあまだ余裕あるってことだよな。6日目からソーイングに入って
…う、でもソーイングでどのぐらいかかるかわかんねー…」
「今まではどうでした?」
「今までは…スカートに4日ぐらいで、ジャケットは1週間ぐらい…だけど一日3時間もやってないと思う」
「そうですか。とりあえずスーツで3日間と考えましょう。余裕を見て6日間として、刺繍を含めて11日。期限の3週間以内には充分ありますから、一日のうちで最高5時間を使ってやってみましょう。これならアルバイトが入ってても大丈夫でしょう。
そして絶対に無理はしないこと。これを基本にしてください」
「うん、わかった」

直江の作ったスケジュールの通りにやってみようかな。切羽詰ったなって思ったら早めにスピードアップか、時間延長すればいい。徹夜でなければ直江も怒らないだろうし。
何よりもうチューしてくれないなんてヤダし!!

「直江、今日はもう刺繍やらない。明日からスケジュール通り、頑張ってやってく。だから今日はいっぱいチューしよう?」
「うちにいたら高耶さんはキスばっかりして、制作する時間なくなりそうですね」
「そうならないよーに毎日ちゃんと決まったチューはするよーにしようぜ」
「決まったチュー、ですか?」
「そう。いってきますとか、おはようとか、おやすみ、とかのチュー」
「わかりました。では今日は特別ってことですね」
「うん。でも…本当は毎日たくさんしたいけど」

そう言ったら直江は笑って、チューする時間も作りましょうってさ。それっていいアイデアだな

 

 

直江に励まされたせいかその後の作業は順調だった。バイトしても、サボりながらやってみても3週間の期限以内には間に合いそう。
宣言したとーり、直江はオレの邪魔をしないで大人しく待ってる。できるだけ直江との時間も取りたいから、直江がいない間に頑張って、いるときはキリのいいところで終わらせるようにしてる。
せっかくの同棲生活なのに作業とバイトに明け暮れて、直江との時間が少ないのはつまらないもんな。

どうにか刺繍も終わって、一旦休むことにした。目が疲れて痛くなったってのもあるし、何日も大人しく待っててくれたって思うとさ、なんつーの?こう、優しくしてやろうかなって思うようになるわけ。
新婚みたく!

夕飯と、その後のくつろぎタイムも終わって直江が風呂に入る時間。オレは毎日家にいるから先に直江に入ってもらってる。
夏だけどシャワーだけで済ませるような真似はしない。今まではシャワーだけで過ごしてたらしいけど、それじゃ一日の疲れが取れないぞって言ったらバスタブに浸かるようになった。

直江が風呂場に入ったのを確認して、ズボンを替えた。綿のジャージ生地の短パンを履いて、風呂場に。

「直江〜」
「はい?」
「背中流してやろうか?」

そう言ってドアを開けたらビックリした顔で固まってた。

「なんだよ、嫌か?」
「いえ…初めてなことで驚いてます…」
「せっかく同棲してるんだからさ、まあこういうこともしてやってもいいかなーなんて」
「…高耶さんは脱がないんですか?」
「だって背中流すだけだもん。一緒には入らない」
「そうですか…」

少し残念そうで面白かった。いつも一緒に風呂に入ろうって言われるけど、それは恥ずかしいからヤダ!
直江の家の風呂場には椅子がない。座って体を洗う習慣がない人間は椅子なんかいらないんだよな。だから床に座った直江の後ろに膝をついて、スポンジで背中を洗ってやった。

「はー…」
「どうして溜息なんか出るんだよ」
「幸せだなーと思ってたんです」
「そうか?そんなに?」
「一生結婚なんかしないと思ってたんですけどね…こうして奥さんが背中を流してくれるって、いいものですね」

お、奥さん…?確かに新婚気分ではあるけど…

「これが夏休みだけじゃなく、ずーっと続くようにいつかなるんですねえ」
「…ずーっとかどうかはわかんねーぞ。そのうち直江の背中なんか流さなくなって、よくコントで見るような冷めた関係になるかもしれないぞ?」
「有り得ませんよ。私は冷めないですからね」
「おまえのそーゆークサイとこ嫌いじゃないけど…」

たまに不安になる。本当に直江がオレをいつまでも好きなままかって。考えないようにはしてるけど、たまに不安になる。
だって風呂場で泡だらけになって胡坐かいて座っててもカッコイイ男が、オレなんかを好きだってことが奇跡なような気がするんだもん。

「本心からそう思ってますよ。だからそんな顔しなくていいですから」

顔?あ、鏡にオレの顔が映ってたんだ。こうゆう時、曇らない鏡って不便だよな!
誤魔化すみたいに手桶でバスタブのお湯を掬って、直江の背中にかけた。泡が流れて直江のつるつるした肌が現れる。

「んじゃ終わり!あとは自分でやれよな!」
「高耶さんの背中も流してあげましょうか?」
「いらん!」

何をされるかわかったもんじゃねー!オレは絶対に風呂にはひとりで入る!

ツヅク


                           

その1に戻る / その3へ

 

   
   

激怒しても高耶さんには甘いのだ。