その時、オレの携帯が鳴った。直江専用の着信音。
兵頭は我に返ったようにオレから離れた。直江からの電話だってわかって怯えたのかと思ったけど、そうじゃないみたいだ。
自分がやったことに対して怯えてるように見えた。
「ごめん…」
オレは電話を持って逃げるようにして部屋を出て、廊下の突き当たりの暗い非常階段前まで走った。
着信音はまだ切れない。直江が助けてくれたんだ。
急いで通話ボタンを押して声を聞いた。
『こんばんは、高耶さん』
「直江…直江〜…」
『どうしたんですか?』
「…会いたい…」
一瞬直江が絶句して、それから笑った。
『酔ってるんですか?今日は打ち上げだって言ってたから、そんなことだろうとは思ってましたけど』
そうじゃない。酔ってるけど、そんなんじゃない。
「帰りたい…」
『そう言わないで、明日はワイナリーの見学だって楽しみにしてたじゃないですか。せっかくなんですから、そんなこと言わずに楽しんでいらっしゃい』
「…でも…」
直江じゃないヤツにあんなことされて、怖くてしょうがくて、だから会いたいのに。
『いつも愛してますから、安心して楽しんで来てください。大丈夫ですよ』
大丈夫。直江は優しい。いつも優しい。そんな大事な直江を不安にさせたらいけない。
「ん…わかった…」
『そろそろ戻っていいですよ。私の高耶さんを皆さんに取られたようで悔しいですけどね』
「オレは直江のものだからな」
『ええ、当然です』
少しだけ立ち直って、電話を切ってから部屋に戻った。兵頭はいなくなってて、矢崎が戻ってきてた。
「兵頭…は?」
「会場にいたぞ。なんか落ち込んでたみたいで深酒してた」
「ふーん…おまえは戻ってきて良かったのか?最後までいないとNちんが怒るんじゃねーの?」
「だって疲れたんだもんよ。さて、寝るか〜」
矢崎が戻ってきてくれて良かった。あのまま兵頭が残ってたら、オレは荷物を持って直江のマンションに帰ってたかも。
翌日のワイナリー見学と、果物農場の見学には兵頭は来なかった。ひどい二日酔いらしい。
らしい、って言うのはオレが聞いたわけじゃないから。
朝起きたら兵頭はいなくて、どうしたのかをNちんに聞いたら他の男子の部屋で女子も混ざって明け方まで飲んでたそうだ。
そのまま雑魚寝して、それで部屋には戻らなかったって。
朝飯にも来なかった。
それから出かける時間になっても来なかったから、矢崎が教務の先生に聞いてみたら二日酔いで救護室で寝てるって。
オレとしては良かった、って思う。どんな顔して会えばいいかわからない。
見学バスツアーは普通に楽しかった。特に大きな驚きがあるわけでもなく、発見があるわけでもなく。
せっかくだから直江にワイナリーの直売ワインと、農場特製のジャムを買った。
ワイナリーで試飲の無料ワインを矢崎が飲みすぎて酔っ払ったとか、そのぐらいしか話題はないな。
ホテルに戻ると兵頭が部屋に戻って来てた。
怖いってゆーより、困る。
ああいう行動に出たのは酒が入ってたのと、オレが隙を見せたのが悪かっただけで、普段の兵頭なら絶対にしないだろう。
その我を失った兵頭に何を言っていいのかわからない。後悔してるのがわかるだけに、何も言えない。
兵頭はオレを避けて、夕飯だの風呂だのに行った。
そうしてくれるとオレも有難かった。夜も他の部屋で飲んだり、遊んだりして、オレが部屋にいる間はいないようにしてたみたいだ。
そしてオレは毎日の約束を実行するために、ホテルの外に出て直江に電話した。
『こんばんは、高耶さん』
甘くて低い声。ビターチョコみたいだ。
「今日はどうだった?」
『普段と変わりありませんよ。仕事に行って、さっき帰ってきたところです。高耶さんは?』
「今日はな、ワイナリー見学して、果物農場で木から実をもいで食べた」
『それはいいですね。何を食べました?』
「桃。うまかったけど、やっぱもぎたての桃は固くて甘くないな」
『あなたは甘い桃が好きですからね。明日買っておきましょうか。迎えに行く前に八百屋さんに行ってみます』
明日は学校の近くまで直江が迎えに来る。直江の仕事はオレが戻るまでに終わるそうだ。
残念なことに休みはオレが合宿行ってる間にあったんだって。
「4時ぐらいに学校に着く予定だからさ、その時間に合わせて来てくれよ。そしたらそのまま直江んちに帰るから」
『ええ。到着したら電話をしてくださいね』
「うん。早く会いたい」
5分ぐらい話して切った。最後にちゃんと愛してますよって言って。ついでにチューの音も要求されたから、ちゅって電話に向かってチューしてやった。
直江のこうゆうとこ、恥ずかしくて殴りたくなるけど、今日だけはそう思わずにできた。
早く直江とチューしたいから。
帰る日、午前中にバスは出発した。
座席も兵頭とは離れて座って、休憩時間以外はほとんど寝て過ごした。途中で昼飯を食うために和食のレストランみたいな
ところに入って、少しだけ土産物を買う時間があったけど、そこでもオレは兵頭を避けてずっと矢崎たちとも離れてた。
さすがに矢崎たちも不審に思ったのか、どうしたんだ?って聞いてきた。
友達は大事だ。特にオレには数少ない友達なんだから大事にしたい。下手に言い訳をしたくない。
「兵頭と、喧嘩ってゆーか、ちょっと気まずいから」
「そうだったのか。まあ、兵頭もおまえも我が強いから、たまには衝突もあるだろうな」
「うん、まあ、そんな感じだから、そのうち元には戻るだろうけど」
「無理しなくていいからな。俺たちが間に入るってのも変だけど、頼ってくれていいからさ」
「うん、ありがとう」
矢崎たちの気遣いもあったけど、やっぱり避けることしか出来なくて、バスはとうとう学校に着いた。
でも帰り際、バスから降りる時に兵頭に声をかけられた。
「本当に悪かった。あんなことして。酔ってたからって言い訳じゃ許せないかもしれないけど、できれば許して欲しい」
「……いや、いいんだ」
直江も前に言ってた。可哀想なヤツだって。オレにだって罪がないとは言えないんだ。嫉妬させるようなこと言ったから。
「酔ってたからだろ?兵頭はそんなヤツじゃないって、オレわかってるからいいんだ」
「ごめんな」
「もういいって」
笑って手を振って、そのまま別れた。兵頭は嫌いじゃない。友達としてなら好きだ。
でも恋愛は直江じゃなきゃダメなんだ。
携帯を出して直江に電話した。ちょうど着いたところで、駅から少し離れた歩道橋の下に車を停めて待ってるって。
そっちの方向は駅もバス停もなくて、直江と一緒にいる所を見られる心配がない。そこらへんが直江のいいところ。
いつも友達に「タチバナが迎えに来てる」って思われるのがイヤだって、言わなくてもわかってくれて、意地悪じゃない日はこうして気遣ってくれる。
直江って優しいんだよ、マジで。
「おかえりなさい」
車から出てた直江がオレの荷物を受け取りながらニッコリ笑った。
「ただいま」
「やっと会えましたね。毎日、寂しかったですよ」
「オレも。早く帰ろう」
いつもみたいにエスコートされて車に乗って、直江のマンションまで合宿で起きたことなんかを話しながら帰った。
マンションのテーブルにお土産のワインとジャムを出して直江にあげたら喜んでた。高耶さんからのお土産なんて初めてで嬉しいって。悪かったな、貧乏なもんでな。
でも一個だけ、言いづらいけど、話さないといけないことがある。
目の前で喜んでる直江が怒るか、悲しむか、オレを嫌いになるか、そんな話をしないといけない。だけど言わないで秘密にしてるのはイヤだ。
オレは直江を信用してるから、何かあったら何でも話して欲しい。きっと直江もそう思ってる。だから話さなきゃ。
どうせオレは不器用で隠し事なんかできないんだから。
「あのさ、ちょっと来て」
直江の手を取ってリビングのソファに座った。いつもなら寄りかかって甘えるとこだけど、今日は並んで座って顔を見合わせて座った。
「どうしたんですか?」
何かあったのか、って真剣な顔でオレの目を見る。やましいことはないけど、されたこと自体は直江にとってものすごくショックかもしれない。
「あんまり怒らないで聞いてくれよ?」
「ええ……努力はしますが……なんでしょうか…」
「オレは直江しか好きじゃないから。それだけわかってて」
「はい…」
キレイな形の眉毛が少し歪んで、眉間にシワができる。不安そうに目が揺れる。
「おでこに、チューされた」
「は?」
「それから、体も触られた」
「はあ…?」
ちょっと抽象的すぎたかな。
「えっと…打ち上げがあって、酔っ払って、部屋に帰ってひとりで寝てたんだ。そしたら兵頭が戻ってきて」
「あなたにキスしたんですか?!」
「うん…でもおでこだぞ。そんで目が覚めて、覆いかぶさられて、抵抗はしたんだけど…」
「体を触ったって、どこを?!」
「腹。手が入ってきて」
「大丈夫だったんですか?!無理矢理何かされたわけじゃないでしょうね?!」
「うん、大丈夫。その時に直江から電話があったから、兵頭も一気に酔いがさめたみたいだった」
一瞬ホッとしたような顔をしたけど、その次の瞬間にはまた顔が強張った。
「なんて私はマヌケなんでしょうね。電話での様子がおかしかった事に気付いていながら、何も聞こうとしなかったなんて。あなたが会いたいなんて言ったのは、そんなことがあったからでしょう?なのに…」
「違うってば…あの時だったら聞かれても答えなかったと思う。直江がいつも優しいから不安にさせたくなくて。ましてやオレがそばにいないのにそんな話されたら、どうしていいかわかんなくなってただろう?」
「それは…そうですが…」
一番怖いことを聞かなきゃいけない。
「オレのこと、嫌いになる?信用できないって。隙がありすぎって。直江じゃない誰かに…チューされて」
「…………………………」
目を逸らして考え込んだ。もしかして、本当に。
「信用はしています…嫌いにはなりません…変わらずに愛してます。でも、許せないと思う自分もいます」
「そっか…」
悲しい。泣きたい。
「正直な気持ちです。あなたに嘘は言えませんから」
でも許せないって思うんだろ?愛してるのと許すのとは違うって言いたいんだろ?
「なお…っ、直江がイヤなら、か、覚悟は出来てるから…」
「なんの覚悟ですか?」
「え?別れるって…」
「まさか。別れるわけないじゃないですか。私が許せないのはあなたじゃなく、自分です。確かにあなたに対しても、兵頭に対しても怒ってますよ。だけど高耶さんがしたくてしたわけじゃない。兵頭だって酔ってたわけですし。それをわかっていながら怒る自分が許せないんです」
本当の直江は複雑な感情を持ってる。思ってることを言ってくれるのはいいけど…。オレを優先しすぎてる。
「素直に怒ってるって言っていいのに。嫌いになりそうだって言っていいのに」
「……ずいぶんと大人になったんですね。ええ、怒ってます。ものすごく」
「じゃあそう言えよ。いつもいつもいい人ぶってさ」
「わかりました。素直に言いましょう。いい人ぶってないと自分がやり切れないんです。本音を言えば隙を見せたあなたにも、
私の高耶さんにそんな真似をした兵頭にも腹が立ってます。あなたを信用してますが、そうやって隙を作ったのを責めたいんです。嫌いになりかけてます」
やっぱそうか。最悪だけど、内緒にしてたくなかったからこれでいいんだ。すっごく悲しいけど。
「一番腹が立ってることを言いましょうか」
「うん……」
「あなたがそうやって聞き分けがいいところです。あなたは私のことなんか考えずに、自分が思ったままをすればいいんですよ。泣きたいのをガマンして、別れる覚悟はあるなんて言って、そんなことがあったのに俺を不安にさせたくないなんて強がって、本音を言わないのはあなたでしょう。泣きながら電話すれば良かったじゃないですか。飛び出して迎えに来いって言えば
良かったじゃないですか。頼ってくださいよ。信じてください。そんなことで別れるなんて私が思うわけがないって、どうしてわからないんですか」
直江が一番怒ってることは、オレだったんだ…
「私を大事に思ってくれるのは嬉しいんです。でも、高耶さんが無理をするぐらいなら…別れましょうか?」
「イヤだ!!」
「そうでしょう?私だって嫌ですよ。私にとってのあなたは、そうやって自分の感情を素直に出してくれればそれでいいんです。だからこれからも仲良くしましょう」
「…うん」
「私には泣いていいんです。怒っても、ワガママを言ってもいいんですよ。だって愛してるんですから」
「なおえ〜…」
「何だって許します。本音を言えば、浮気したって許します。あなたを失わないためなら、どんな惨めな立場になったっていい。嘘でも愛してると聞かせてもらえるなら、何だっていいんです」
ソファの上で抱き合って、直江の腕の中で泣いた。今日の涙は嬉し涙。ここまで愛されてるなんて奇跡だ。
兵頭にチューされたって何されたって、直江は許してくれる。オレのためなら何だって許してくれる。
「チューして」
「どのぐらい?」
「ずっと。夏休みが終わるまでずっと」
「一生、っていうのはどうですか?」
「じゃあ一生!」
ずっとずっとチューしてた。直江がいるならオレも何だっていい。
だって愛してるんだもん。
「でも兵頭は許しませんよ」
「へ?」
「純白の高耶さんにシミをつけたんです。幸い落とせるシミでしたけど、私の逆鱗に触れましたからね…。さて、どうしてくれようか…」
「な…なおえ?」
「フッフッフッ」
怖い…………………。
もう二度と怒らせないようにしよう………………。
END
その2にもどる / 同じ世界23もどうぞ
あとがき
直江の愛は揺らがないのだ。
でもここの高耶さんてボケてるのか
いい人なのかわからないです。
あんなことを兵頭にされても
すぐに許すってどうなの?
私が直江だったら許さないわ。
許さないついでに許されない
性☆生活が22.5話でございます。
合宿から帰った後日の話。