同じ世界で一緒に歩こう

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フォトジェニック


 
   



「おかえり、直江」

今日も玄関でお出迎えをしてくれた高耶さん。今日から学校が始まって普通に授業を受け、そして帰りには私のマンションへ来て夕飯の支度をしてくれていた。

「ただいま。高耶さん」

夏休み限定の同棲生活の名残を引きずったまま、俺たちは玄関でキスをして抱き合って、それからようやくリビングへ行く。

「なんか癖になっちまってるな。こうやって一緒にいるの」
「そうですね。いっそこのまま同棲したいんですけど、そうもいきませんしね」
「オレが仕送り貰ってる間はダメだもんな」

麻のジャケットを脱ぎながら着替えに行こうとした時、内ポケットに入っている物の存在を思い出した。

「そうだ、高耶さん。あなたに郵便が来てました」
「郵便?」
「ええ、事務所にね。覚えてますか?武藤ってカメラマン」
「あ、うん。なんで武藤から?」
「さあ?」

封筒を渡すとその場で開けて中身を取り出した。入っていたのは2枚のチケットと招待状だ。

「えーと……前略、お元気ですか。俺は半年間世界中を回って写真を撮ってきました。それで個展を開くことになったんだけど良かったら来てください。だってさ」
「そうなんですか。個展……。でもどうして高耶さんに?」

よもや武藤が高耶さんに惚れたなんて話じゃあるまいな。

「わかんね。でも行ってみたいな。一緒に行こうぜ」
「ええ、もちろん。頼まれなくたって行きますよ。一緒に」
「おまえ……目が怖いぞ」
「そんなことないでしょう?」

次の休みの日に学校帰りの高耶さんと行く約束をした。

 

 

学校帰りの高耶さんと神田神保町の老舗の喫茶店で待ち合わせをした。学生街の喫茶店、という曲が昔のフォークソングにあって、その店をモデルにして作られたという有名な店だ。私も初めて入る店だったが、高耶さんも雰囲気が気に入って少しばかり嬉しそうだった。

「半年も外国に行ってたんだな〜」
「そういえば最近はモトハルの撮影にもいませんでしたよ。休業して好きな写真を撮りに外国に行くなんて、よっぽど撮りたい写真があったんでしょうね」
「いいな、そうゆうの。頑張ってる感じがして」
「高耶さんだって頑張ってるじゃないですか。私も見習います」
「直江だって頑張ってるじゃん。毎日毎日仕事だもんな。同棲してたっていない日が多くて寂しかったぞ」

う、まずい。可愛らしすぎる。この場でキスしてしまいそうになるじゃないですか!

「オレがちゃんとデザイナーになるまで頑張り続けろよな」
「もちろんです!」
「通販のカタログでモモヒキ姿で写るような仕事しか来なくなったら許さないからな」

そ、それは避けたい。
あれも仕事なのはわかってはいるが、もしそんな仕事しか来なくなって高耶さんと同じ世界にいられなくなったらと思うと恐怖で身がすくむ。
この体型を維持し、かつ自分を磨き、どんな仕事も身を入れてこなし、いつまでも努力し続けると誓うぞ。

「そろそろ行くか」

俺がタバコを2本吸ったのを機会に、高耶さんが席を立った。会計をして外に出る。
招待状の地図を出し、すずらん通りという道に向かう。その通りは本屋の他にも画廊や画材屋などもたくさんあり、高耶さんは何度も来ているそうですぐに目的地は見つかった。
雑居ビルの1階に小さな貸しスペースがあり、今回はそこで有料の個展を開いていた。

「おー、ここだ、ここ。武藤は毎日いるって言ってたから挨拶しなきゃな。あ、花とか持ってくりゃ良かったかな」
「高耶さんのスマイルさえあれば大丈夫ですよ。でも毎日いるって、どうしてそんなこと知ってるんです?」
「メールした」

俺のスマイル発言を無視して高耶さんはそっけなく返事をした。

「……ずいぶんと……」
「仲がいいんですね、だろ?いい加減にしろよな。浮気なんかしないっての」

袖をチョンと引っ張られて上目遣いで俺を見る。少し怒っているようだがその視線には愛がテンコ盛りだ。

「ほらほら、入るぞ。こんな狭い歩道ででかい男が突っ立ってたら邪魔だろ」

入り口でチケットを二枚渡し、簡単な作品解説が入った紙を貰う。まず目に入ったのは武藤の作品とは思えないほど原色ばかりの風景だった。解説にはチベットで撮ったものだと書いてある。

「なんか、モトハルのカタログや雑誌の写真撮ってるのと雰囲気が違うな」
「そうですね……こっちが武藤の本気みたいですよ。他の写真も、ほら」

全部、武藤が撮ったとは思えないものばかりだ。以前、モトハルから見せてもらった武藤の写真集はのどかな情景や美しい風景ばかりだったが、今回はどうやら何かがあったらしく、まったく毛色の違う作品になっている。

「仰木〜!」
「あ、武藤だ」

奥から高耶さんを見つけて人の群れを掻き分け、武藤がやってきた。いつものように無精ヒゲを生やし、ラフな格好だ。

「タチバナさんと来てくれたんだな。ありがとな。お久しぶりです、タチバナさん」
「ご招待、ありがとうございます」
「なー、武藤。なんか今までと全然違う写真撮ってないか?」
「まあな。今回は目的を変えて出かけたんだ。ちょっと心境が変わったもんでさ。タチバナさんみたいなセンスいい人は受け入れがたいかもしれないけど、仰木ならたぶん喜んでくれそうだって思って、それでチケット送ったんだけど、どう?」

俺が今まで見てきたのは芸術写真と言われるものばかりで、好んでというか、無理矢理自分に言い聞かせて見てきたものだった。
センスのいいタイトル、構図、美しい風景、人物、静物、建築など。だがこの場にある写真はそういった類のものではない。
まったく、真逆に位置するものだろう。
最近の俺は今まで見てきた写真を素晴らしいと思えなくなっていた。あれは虚栄だ。

「んー、オレは写真とか詳しくないからわかんねーけど、でもいい写真だってのはわかる。な?直江」
「そうですね……とてもいい作品です。写真、という呼び方は間違っているかもしれないぐらい」

武藤が俺を見て不思議そうな顔をした。疑いもあり、驚きもあり、そういった表情だ。

「まさかタチバナさんにそう言って貰えるとは思わなかったな……」
「そうですか?最近、こういった写真が好きになったんです」

写真にしても絵画にしてもそうだが、この頃は好みが変わったらしい。人間の本質を写す写真が好きになってきている。
例えば今日の写真展のようなもの。

マシンガンを笑顔で持つイスラムの子供。俺の知らない国で起きている真実。
泣きながら空を見上げて大声を張り上げている老人。俺の知らない争い。
暗い眼をして、無理した笑顔で男性客を誘う少女。俺の知らない生活の営み。
悲壮な覚悟で軍服を着た青年の写真を抱える母親。俺の知らない悲しみ。
笑顔で農作業に従事する老女。俺の知らないアカギレだらけの手。

それを単に人物写真と言ってしまえばそれまでだ。そうじゃなく、これはすべて真実で、すべて人間の本質だ。

「武藤さん、あなたはこれを報道のつもりで撮ったのではないですよね?」
「ええ。こんなの報道にはならない。だからって芸術とも言えないけど、ただ俺は本当のことっていうのを撮りたかったんです。これを見て誰かが世界平和を考えるとか、そんなおこがましいんじゃなくて、単に人間を撮りたくなっただけで。えーと、正直なところ、前に仰木の写真を撮ったでしょう?あれ以来なんですよね」
「高耶さんの?」
「はい。どう言えばいいのかな……」

隣りで高耶さんは渋い顔をした。

「人間ってものすごくいいなって気が付いたってゆうか……俺、やっぱ人間撮りたいなって思って」

武藤の琴線に触れたのが、あの高耶さんの表情だったのだろう。喜びをそのままに感情に乗せて放つ。隠さない自分を見せる。
意地を張ろうが、やせ我慢をしようが、荒削りだろうが、高耶さんという人は最後の砦に残している美しさを持っている。
それはきっと高耶さんだけではなく、誰もが持っている。それに武藤は気付いたのだ。

「あなたは素晴らしい人ですね」

武藤は見つけたのだろう。生命の輝きを。そして知ったのだ。世界が素晴らしさで満たされているのを。

「なんかオレ、話に付いて行けないんだけど」
「そうですか?でもいいんですよ」
「なんで?」
「あなたはそのまま、あなたでいればいいんですから」
「バカだって言ってるわけ?」
「そーじゃねえよ、仰木。タチバナさんが言ってるのは〜……って、ま、いいか。それが仰木なんだしな」
「ええ。その通りです」

唇を突き出して頬を膨らませる。そんな顔も武藤にはたまらなくフォトジェニックなのかも知れない。だがそう簡単に高耶さんを撮らせるわけにはいかないからな。

「んじゃ俺、まだ挨拶しなきゃいけないから。ゆっくり見てってくれよな」
「うん」

ふたりで武藤の作品をひとつずつ丁寧に見て行った。高耶さんが気に入ったのはアフリカの子供たちの写真で、川に入って遊んでいたところにレンズを向けられて照れながら何人も重なるように集まっていた写真だった。
子供はこうやって笑ってなきゃダメだ、と言った高耶さんの言葉が俺に大きく圧し掛かった。高耶さんの少年時代を考えると
それは願いにしか聞こえない。

「大丈夫。子供たちはきっといつか、幸せを見つけます」
「そうかな……」
「あなただって私を見つけたでしょう?」
「……そうだよな」

照れたように笑って、優しい表情をした。それだからあなたを好きになったんですよ。

 

 

マンションに戻ってから高耶さんは思い出したかのようにむくれ始めた。
俺と武藤の話は高耶さんを中心にしたものだったのに、彼本人にはわからないのが悔しいらしい。そんなところも可愛いのだが。

「あなたは私にも武藤にも大事なものを教えてくれる人だって話をしてたんですよ」
「嘘つけ。そうは聞こえなかったぞ」
「だから高耶さんはそれでいいんですってば。あなたの無意識は素晴らしいんです」
「わけわかんねー」
「愛してますよ。そんなあなたを」
「誤魔化すなっ」
「もういいじゃないですか。そんなにむくれてないで、いい顔見せてくださいよ」

キスをしたら小さく笑った。機嫌が直ったようだ。

「オレ、直江が怒ってても笑っててもその顔好きだなっていつも思う。雑誌のも、ふたりでいる時も、いい表情だなって。たぶん武藤はそーゆー気持ちでみんなを撮ってたんだろうな」
「ええ。そうですね」
「直江は?」
「私ですか?」
「うん。オレのどんな表情が好き?」
「全部です」

即答した俺に高耶さんは大きく笑って、抱きついてきた。よっぽど気に入った答えだったのだろう。

「そうやって甘やかして、いつか失敗したって思うかもよ?」
「思いませんよ。あなたよりも大事なものは私にはありませんからね」
「うん。ずーっと大事にしろよ」
「当たり前じゃないですか。高耶さんはどうです?大事にしてくれますか?」
「するする!すっげー大事にする!」

ソファに押し倒されてキスを雨を受ける。今日は妙に積極的だ。

「何か企んでませんか?」
「企んでねーよ。大事にしたいって思ってるだけ」

背中に手を回して体を密着させる。高耶さんの体の重みを受け止めて、耳元に囁いた。

「ありがとう」
「ん……」

何があっても、あなたを離しはしません。私を解き放ったあなただから。

「愛しています」

返事はなかったが、胸元に小さいキスをされてわかった。
あなたも私で解き放たれたということが。

 

END



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あとがき

変な話になったなあ。
すいません。
芸術の秋ってことにしといてくださいや。