それからマンションへ移動だ。高耶さんと綾子と先頭を歩き、後から撮影隊が付いてくる。マンションの管理人にも許可を取ってあるそうで、特に何も言われずエントランスを抜けて、エレベーターに分乗して最上階へ上がった。
「うわ、広いですね〜」
この部屋に入った人間は必ずそう言う。高耶さんさえそうだった。
「ええと…まずはリビング全体の写真を撮らせてください」
「どうぞ」
そのまま撮るのかと思ったら、家具の位置を少し変えたり、持ってきたセンスのいい雑貨を置いたりするそうだ。
これではタチバナのプライベートではなくなってしまうのではないか?
しかし高耶さんと少し掃除しておいて良かった。インテリアの位置を変えられた時に埃が溜まっていたら高耶さんの面目丸潰れだ。
「このタイシルクのクッションいいですね。これも撮りますね。そしたらテーブルの上の灰皿をこれにしてもらって、と」
カメラマンが飾り棚にあった真鍮製の灰皿をテーブルに置いた。元々あった灰皿は50年代アメリカの陶器製アンティークだったのだが。
「あ、キミ、これ持ってて」
灰皿をテーブルから取り上げたプランナーが、それを「壊さないようにな」と渡した相手は。
「え?オレ?はい、いいですけど」
高耶さんだった。
「た、高耶さん?」
「ん?」
「私がダイニングに置いてきますから、貸してください」
なぜ高耶さんにそんなことをさせるのだろうか。
「いいよ。直江は見てればいいじゃん」
「ええと、そうではなくて、今あなたがすべき事ではないんですよ?」
「そうか?」
高耶さんは灰皿をダイニングに持って行き、テーブルに置いた。
「ちょっといいですか?」
カメラマンに色々指示を出しているプランナーを捕まえて、話した。
「あの、行き違いがあったようで恐縮なんですが、彼はスタッフではありません」
「え?彼って、あの若い子?」
「ええ。彼は私の従兄弟で、ここに住んでいる住人です。ですから仕事をさせるのはやめてください。彼の協力もあってここを撮影してるんですから」
「そうなんですか?それは大変失礼しました。てっきり事務所のスタッフだとばかり思ってましたよ。いかにもスタッフって感じのラフな服装だったもので」
駄目だ。
この人は仕事は出来るが他人を見かけで判断するタイプのようだ。紹介しなかった私の落ち度でもあるが、彼がスタッフなのかどうなのかを聞くほどの余裕もなかったのだろうか。
俺の高耶さんに対する態度を見ればわかるはずなのだが。
「ええと、彼のお名前はなんていうんですか?」
「高耶、です」
従兄弟を紹介するのに『さん』を付けるのはどうかと思い、呼び捨てにした。
「高耶さん、こちらへ来てください。遅くなりましたが紹介します」
灰皿を置いた高耶さんが戻ってきた。俺の隣りに立たせてプランナーに紹介すると、さっきとは打って変わった態度で高耶さんに話しかけた。一蔵が言っていたのはこれか。一蔵もきっとこういった扱いを受けていたのだろう。
それが俺には気に入らなくて、高耶さんをこの男のそばにいさせるのが嫌で、話があると言って連れ出し寝室へ入った。
「どうしたんだよ」
「撮影隊、追い出していいですか?」
「はあ?!いいわけないだろ!仕事だぞ!」
「あの男はいったいあなたを何だと思ってるんだ。あなたは俺の恋人なんですよ。従兄弟ということにはなってますが、あくまでもあなたと私がこの家の主なんです。それをあんな風に、あなたを見下して」
「いいんだってば。おまえの仕事のためなんだから」
「よくないですよ!」
「オレは大丈夫だから、おまえは何も気にしないで仕事してろよ。雑誌に載るんだろ?ちゃんとやらなきゃ駄目だって」
「私が怒ってるのはあなたを外見で判断したことについてですが、他にもあるんですよ」
「何?」
「あの態度の豹変ぶりです。あんな人間と仕事をするなんて、最悪の気分です」
珍しく俺が他人の文句を言ったものだから、高耶さんも神妙になった。
「だけどさ…それでも仕事なんだからやらなきゃ駄目だよ。みんなが楽しみにするような記事にしたいだろ?読んで、タチバナが案外身近な人物だったって読者は思いたいんだよ。だから最後までやろう?オレは何を言われても平気。直江が大事にしてくれてるのわかってるし、それに、愛されてるのも、そばにいてくれるのも、知ってるから平気だ」
「高耶さん…」
「戻ろう?」
「…はい」
「あ、ちょっと待て」
高耶さんが背伸びをしてキスしてくれた。
「さっき、オレのこと呼び捨てにしただろ」
「ああ、あれは…すいません」
「ちょっとかっこよかったぞ。でもやっぱり、高耶さんて呼ばれるのが好きだ」
「じゃあ、高耶さん」
「ん?」
「もう一回、キスしてください。そうしたら戻りますから」
高耶さんは笑って、ゆっくりキスしてきた。
愛してます。あなたをすべてから守ります。
「戻ったら、ちゃんと笑顔になるんだぞ?」
「はい」
リビングの撮影が終わると、次は昼の明るさのうちに、ということでバルコニーを撮るそうだ。
我が家のバルコニーは小さいパーティーぐらいなら開ける広さがあり、高耶さんとのランチのために購入したテーブルと椅子が置いてある。
以前は乾燥機しか使わなかったが、今では立派な物干し竿があり、それが今回の撮影ではNGだった。
それを取り外し、カメラに写らない場所に移動させ、高耶さんとのためだけに買ったテーブルセットに座らされた。このテーブルは彼以外には使わせないのに。
リビングの撮影の間に、料理スタッフがキッチンを使って作った簡単な料理をテーブルに乗せた。これはタチバナが自分で
作ったように見せるためのものだそうで、後で俺がキッチンに立ってそれを作るふりをしている写真を撮らねばならない。
俺が料理などできないのは誰しもが知っているはずなのだが、ライフスタイルマガジンだからそうもいかない。ヘタクソでもいいから作る姿が大事なのだと言われた。
我が家の食器に盛られた料理の前で何気ない表情を作りカメラに撮られた。
いつもは料理に合わせて高耶さんが食器を選んでいる。ありふれた雑貨屋で買った使い勝手が良く素朴な皿だとか、某おばあちゃんの原宿で買った和食器なども高耶さんがセンス良く使うのだが、今日はマイセンの皿、バカラの器、ウェッジウッドのティーセットなどが並んでいる。
そして次がキッチンでのタチバナだ。
白いキャンバス素材のエプロンをさせられた。エプロンなど何年していないのだろうか。高耶さんのエプロンが我が家には置いてあるが、それは使えない。とある有名リビング雑貨メーカーの高価なエプロンのクレジットが入るそうなのだ。
「うわ、直江がエプロンしてる〜!」
綾子が一番驚いていた。高耶さんはその横で笑いを堪えている。
「やっぱり似合いませんか?高耶さんのエプロン姿はかっこいいんですけどね」
「ううん。直江もカッコイイぞ」
誉め言葉にニヤついて、調子に乗って鍋などを持ってみた。高耶さんがまた笑う。
鍋はかろうじて我が家のでいいそうだ。毎日とはいかないが、たまに鍋を磨く高耶さんのおかげでステンレスの輝きは保っていた。
料理スタッフの指導を受けて、ほとんどスタッフが調理しているものをかき混ぜたり、皿に移したりしている姿を撮られる。
少し離れた所で綾子と高耶さんがヒソヒソ話しながらクスクス笑っているのがわかった。そこまで珍しいシーンだからだ。
二人の前でバツの悪い思いをしながら撮影が進んでいく。
一品だけ完成させてから、次はタチバナのワードローブだ。寝室にあるお気に入りのスーツやネクタイ、普段着を出す。
申し訳ないが寝室だけは立ち入らせたくない。
そう言って寝室は入り口からの写真を撮って終わりだ。和室も同様に入り口からだけの撮影だ。
高耶さんとのラブラブな時間を過ごす寝室に他人を立ち入らせることなど出来るわけがないじゃないか。
そんなわけでワードローブはリビングのテーブルに置いて撮影してもらった。
ついでに時計やアクセサリーのコレクションもそこで撮った。夏に購入して、高耶さんに大目玉を食らった130万円の時計も
並べる。高耶さんが似合うと言ってくれたブレスレットも置く。
他には以前から使っているハミルトンの腕時計やネクタイピン、サングラス、そして高耶さんとお揃いのエルメスのキーホルダーを。
「そのブレスレットも一緒に置いてもらっていいですか?」
「ええ、かまいませんよ」
「他にお気に入りの品があったらお願いします」
そうだな。あとは高耶さんが誕生日にくれた携帯ストラップか。そう思って携帯も置いたらストラップがブランド物ではないことに驚かれた。そんなに驚くことなのだろうか?
「どこで買われたんですか?」
「頂き物です」
なぜだろう?なぜタチバナというだけで『ブランド物』『高級品』を期待されてしまうのか。
眉間にシワが寄っているのが自分でもわかる。目が吊り上がっているのがよくわかる。
「直江ッ」
囁くようにして高耶さんに咎められる。綾子は指先で眉間を指して笑顔に戻れとサインを出す。
これは仕事で、『直江』を望まれているのではなく、『タチバナ』を望まれているのだと思い出す。
溜息を小さくついて、タチバナの顔に戻った。
その後撮影は順調に終わり、マンションの玄関までスタッフを送った。
「はあ…疲れた…」
「お疲れ様。何か飲み物出そうか?ねーさんは何がいい?」
「冷たいお茶がいいわ…あたしも疲れた…」
綾子も色々とスタッフから普段のタチバナの話などを聞かれたそうだ。そしていつも綾子はモデルのために気遣ってスタッフに愛想を振りまく。これが綾子の美点だ。これのおかげで事務所のモデル全員が救われている。
高耶さんが荒らされたキッチンでアイスティーを淹れ、バーニーズニューヨークのグラスで出してきた。
「も〜マジで疲れた!あんたってばすぐに嫌な顔するんだもん!」
そんなに何度もしていたのだろうか?
「インタビューの時も一瞬相手をビビらせるわ、寝室の撮影は頑なに断るわ、バルコニーでも料理見せられて変な顔するわでさあ」
「あれは…」
「最悪なのが携帯出してきた時ね。あと、高耶くんに灰皿渡したアイツに向けた顔。まあアレはあたしもムッとしたけどさ」
「すまん」
「モデルなんだからしっかり仕事してちょうだい。今日のは…ちょっと駄目だったけど、仕方ないわ」
綾子に怒られているのだと思った高耶さんは俺と綾子の間で顔を見比べて少しオロオロしていた。それに気付いた綾子がフォローを入れた。
「ああ、怒ってるわけじゃないのよ。それなりの仕事は出来てたんだから。ただね、直江は普段怒ったりしないから、あたしも
ちょっとビックリしただけ」
「そっか。オレのせいで台無しになってたら悪かったなって思ってさ」
「大丈夫よ」
ニッコリ笑って高耶さんをなだめる。いつもこの二人を見ていると信頼しあっている姉と弟のようで少し妬ける。
「明日は休みだからね、直江もゆっくり休んで。高耶くんも今日はお疲れ様」
アイスティーを飲み干して綾子は帰って行った。
一日の疲れをのんびりと風呂で癒し、リビングで高耶さんに最上の癒しを頂いた。
今日は一緒にスパークリングワインを飲んでいる。ほんのりピンクに染まった頬で甘えてきてくれるのが俺にとっては癒しになる。
「やっぱカッコ良かった」
「何がですか?」
「仕事してる時の直江は真剣でカッコイイな〜って思ったんだ」
「今日はだいぶみっともない姿も見せましたが」
「それは…オレのせいだから。ごめんな、いなきゃ良かったかもな」
済まなさそうに下を向いてしまった。まったくしおらしくて可愛くて仕方が無い。
「そんなことありませんよ。いてくれて心強かったんですから。あなたが見ているって思うだけで顔も引き締まります」
「嘘だ」
「そうですか?撮影してる時の顔、緩んでました?」
「緩んでないけど…ショーのときみたくカッコよかったけどさ…。ねーさんが言ってたろ?直江は普段怒らないって」
「ええ…」
「けど今日は何度か怒ってたじゃん。それってオレのせいだろ?」
他人の気持ちに敏感な高耶さん。確かにあのプランナーが俺の神経を逆撫でした時というのは高耶さん絡みだった。
世俗的なものの何が悪いというのだ。そう教えてくれたのは高耶さんだった。
高価な食器しか使わないコーディネーターを嫌悪したのも高耶さんの影響だった。
そして高耶さんがプレゼントしてくれたストラップを見て驚かれたのも、大事なものの本質をわかろうとしてくれない人への反感を覚えた。
何より、すべてにおいて高耶さんが俺に教えてくれたことを穢されたような気がしてたまらなかった。
「私が怒ったのはあなたのせいじゃないですよ。俺が大事に思っているものをバカにされた気がしたからです」
「けどそれってさ」
「あなたは悪くありません。悪いのは、たぶん私です」
「なおえ…」
「自分を強く保てなかった私が悪いんです。誰のせいでもありませんよ」
体を引き寄せて寄りかからせると、胸に顔を押し付けて甘えてきた。
「どうしたの?」
「そーゆー優しいとこが好き」
「た…」
「かばってくれて、嬉しかった。今日の撮影見てて、直江がオレのこと仕事より大事にしてるってよくわかったんだ。ありがと」
胸が締め付けられた。
本当は今日の撮影で色々と嫌な思いをしたんだろう。スタッフと間違えられたり、高耶さんの買ってきた食器を使われなかったり、ストラップを異色の目で見られたり。
そして間接的に自分を「世俗的」と頭ごなしにバカにされたのだと、気付いたのだろう。
「ごめんなさい、高耶さん。嫌な気分にさせましたね」
「…直江は、やっぱりキレイで高尚な世界がいい?オレみたいのと付き合って、変に思われるの、イヤだよな?」
「何度も言ってますよね?あなたじゃなきゃ駄目だって」
「でも」
「それ以上言ったら怒りますよ」
抱きしめてキスをした。
「あなたがいるから、私がいるんです。あなたが引き上げてくれたんですよ。くだらない場所から、美しい場所に」
「オレがいるのはそんないい場所じゃない」
「本音で生きるあなたの場所は、何よりも美しいんです。どんなに泥臭くても、低俗でも、自分がそのままでいられるのが一番だと思いませんか?」
「わかんない」
「簡潔に言いましょうか。私にとって一番美しいのはあなたで、そのあなたのそばにいられるのが私には幸せなんです。その他のものは何もいりません。必要ではないんです。必要なのは高耶さんだけです」
また何か言おうとした唇をキスで塞いで、思いのたけを注ぎ込んだ。
「わかった?」
「うん……オレも、直江のそばにいられるなら他はなんだっていい」
「そうでしょう?」
もっと強く抱いて、求められるままキスをして、甘い時間に浸っていた。
できることならいっそ、溶け合ってしまえれば最上に幸福なのに。高耶さんの価値観や、思いや、感覚と混ざり合って、すべてを高耶さんと共有できたらいいのに。
だから人は体を繋ぐのだろう。
「直江…連れてって…」
「はい…」
どこへ?
どこだっていい。私と一緒になれるなら、きっと高耶さんはどこへだって行ってくれる。
きっとそこが美しい場所。
その後、例の雑誌が発刊されて事務所に送られてきた。
それをマンションに持ち帰って高耶さんに見せると「思ったよりナチュラルでいいな」と言っていた。どうやら誉めてもらったようだ。
雑誌を二人で見ながら少し恥ずかしい気持ちを味わっていた時、電話が鳴った。
兄からだった。
兄の話を黙って聞いていた。黙るしかなかったのだ。何も言い返せずに「はあ」を繰り返し、短い会話は終わった。
「お兄さんから?」
「ええ…あの、ちょっとやっかいなことになりました」
「ん?」
「その雑誌を見たそうなんですが…一緒に暮らしてる従兄弟とは誰だ、と含み笑いで言われまして」
「………」
考えてなかった…兄が雑誌を見るなど思いも寄らなかったからだ。
今までとは違ってファッション誌ではなかったから読んだそうだが、これはまずいことになった。
「近いうちに会わせろ、と」
「えええええ〜〜〜!!!」
紹介したいのは山々だが!!
高耶さんの性格から言ってそれは有り得ない!いつかは覚悟をして頂かねばならない事ではあったが、まさかこんなに早くとは!
ああ、こんなことなら「友人と同居」と言えば良かった!
下手に従兄弟だと言ったばかりに兄が疑うのは当たり前で!!
「誤魔化せないのか?!」
「無理だと思います。合鍵を作った時点で俺に恋人がいるのを知ってるんですから」
「…ああ、もうどうしたらいいんだよ!」
とりあえず兄には全力をもってまだ会わせないようにするしかない!
先送り、先送りにしてしまうしかない!
だが。
「覚悟はしておいてくださいね…いつまでも誤魔化せるとは思えませんから…」
「わかったけど……うがー!すっげえ恥ずかしい!!」
すいません、高耶さん……。
理想と現実をうまく合わせるには、わたくし直江、まだまだ精進が足りませんでした。
しかし、どうしたらいいものか………。
END
その1にもどる / 同じ世界28もどうぞ
あとがき
ごめんなさい。全然面白くないです。
こうゆう撮影には立ち会ったことは
ありませんのでまったくの想像です。
お兄さんに疑われてますんで、この
続きを考えなきゃな〜。
いつかやりますわ。そのうち。