同じ世界で一緒に歩こう

29

再会

その1

 
         
   

 

大失敗。学校は休まないといけないし、親に迷惑かけるし、直江に心配させるし、もう本当に失敗。

 

学校帰りに友達数人と出かけ、夕飯に定食屋に入った高耶。さば味噌定食に温泉タマゴを追加して満腹になって帰り、課題を済ませて寝る準備に入った。直江に電話をしてオヤスミを言ってから布団に潜る。
深夜、急激な寒気が襲ってきた。風邪かもしれないと羽布団を引き寄せてみたが、なかなか温かくならない。それでも毎日の勉強とアルバイトで疲れていた高耶はいつのまにか眠ってしまっていた。

そして明け方、ひどい頭痛が起きた。どうやら高熱が出ているようだ。腹痛もあった。寒くなりかけた今の時期、たちの悪い風邪を引いたのだろうかと体温計を脇の下に入れて熱を計ってみた。

39度3分。

「マジかよ…」

いつもの風邪にしては高熱すぎる。インフルエンザかもしれない。
8時になったら学校に電話をして、休むと連絡をしなければいけない。それから病院へ行こう。

熱くなった体をもう一度ベッドに横たえて、汗をかきながら眠った。
起きたのは11時。だいぶ遅れてしまったが学校に電話を入れた。

「本科の仰木ですけど…あ、先生。あのさ、今日すっげー熱出ちゃってさ、休むから」

教務の先生の「おまえもか?」という言葉に驚いた。どうやら昨日一緒に夕飯を食べたメンバー全員が休んでいるらしい。
その中で実家暮らしの生徒の親が学校に伝えたことによると、食中毒になってしまったそうなのだ。
高耶も同じらしい。

「わかった…病院でそう言えばいいの?うん、様子見て連絡する」

近所の病院に行ったら昨日食べたものと、他にも同じ症状の生徒がいることも伝えろと言われた。
電話を切り、病院に行く支度をしようと立ち上がったのだが頭痛があまりにもひどく出かけるどころではない。

「どうしよう…直江…は、仕事か…」

譲も学校だ。
近所に頼れるカミナリオヤジはいても、電話番号を知らない。大家さんともそう親しいわけではない。
頭が割れるように痛い。腹も下しているし、歩くことすらままならない。
高耶が下した決断は救急車を呼ぶ、だった。

 

 

生まれて初めて救急車に乗った。
サイレンが鳴って、アパートの前に停まる。そしてドカドカと足音がして高耶の部屋のドアをノックされる。
這うようにして玄関まで行きドアを開け、隊員を中に入れる。
血圧と体温を測り、症状などを高耶に尋ね、それから電話で空いているベッドがあるかを確認している。この近所だと駒込病院、大塚病院、日医大付属病院、東京大学付属病院だ。

運よく二番目に近い東大病院に受け入れてもらえるらしい。小さい頃にテレビで見た東大病院はレンガ造りの古い建物で、薄暗く、ホラーゲームに出てきそうな不気味さを漂わせていた。そこに入るのか、と少し暗い気分になった。

救急車が来る前に着替えて、保険証や財布、携帯をカバンに入れておいていた。
それを持って救急車に乗る。
派手なサイレンを鳴らして救急車は高耶のアパートから5分程度の道のりを行き、東大に着いた。
救急車が停まったそこはテレビで見た通りの古い建物で、白い蛍光灯が寂しく中を照らしている。そこここに診察待ちの人々がいる中を、ストレッチャーに乗せられた高耶は優先的に診察室へ通される。

自分の症状と学校側から聞いた話とを医師に伝えると、採血をされ、レントゲンを撮られ、超音波で腹部を診断し、ベッドに寝かされて待たされた。
しばらくすると食中毒の診断が下り、解熱剤の投与と、痛み止めの注射をされた。
少し体が落ち着いてきたところで車椅子を出されて、入院のための病室に移動になった。

「入院しなきゃいけないんですか?」
「ええ。しばらくは普通に過ごせないはずですから。早くて3日、長くても5日間ぐらいだから大丈夫ですよ」

入院など生まれて初めてのことで、何をどうしていいのかわからない。わからないが、このままアパートに帰るよりはマシだ。
もうガマンは限界を超えている。

病室はHCUという監視カメラが付いている個室だった。
さきほど診察を受けた建物とは大違いのキレイな建物で、渡り廊下で繋がっている別の病棟だった。
内装が高級ホテルのように美しく機能的だ。液晶テレビや洗面台、トイレもある。ここに高耶の部屋がまるごと入る広い病室だった。
病院で用意している寝間着を着る前に全身を温かいタオルで拭かれ、それから寝間着を着た。いかにも病人らしい寝間着。
手首にはICが仕込まれているバンドを。

「仰木さんは一人暮らしですよね?入院のための書類なんかはどうしたらいいですか?親御さんが来てくれるのが一番いいんだけど」
「連絡してみます」

点滴パックをぶら下げるキャスター付き点滴棒には、点滴のペース用機械がついている。看護師がそれをセットし、高耶に針を刺して固定した。
左腕はこれで何もできなくなる。
トイレに行く際はトイレ室内に設置されている採尿カップに入れて、背後の保存用機械を使ってくれと説明を受けた。色々と面倒なようだ。
それからゆっくり休んでくださいね、と言われてベッドに横になる。猛烈な疲労と眠気が襲ってきたが耐えて美弥にメールを打つ。

『食中毒で入院したから親父に来てもらえないか聞いてくれ。3日ぐらいで退院できると思うけど』

ちょうど休み時間だったのか、すぐに返事が来た。

『大丈夫なの?!お父さんは出張で九州だよ!美弥が行きたいけど文化祭の準備で行かれないし!ゴメン!直江さんに頼んでみたらどう?』

それからしばらくメールをして、金は父親が出張先から送金してくれることになり心配はなくなった。だが入院の保証人が
必要なのだ。

「直江に頼むか…」

普通は親や、仕事先の上司などが保証人になるそうだが、急いでいるため頼めそうもない。だとしたら直江しかいない。
絶対に心配で飛んできそうな直江にそんなメールをしていいものか考えたが、背に腹は代えられない。

『ごめん、直江。入院しちゃった。心配はしなくていいから、保証人になってくんないかな?東大病院のHCUにいるから』

直江から返事は来なかった。仕事中で気付いていないのだろう。今夜にでも気付いてくれればいい。
少しだけ肩の荷が下りた高耶は静かな病室で眠り出した。

 

 

「あの、仰木高耶さんの病室はどこですか?HCUだそうですが」

夜7時過ぎ。東大病院の来館者受付に、背の高い、とびきりハンサムな男がやってきた。
受付の女性はその声に顔を上げ、一目見て驚きの表情をした。

「お、仰木さんですか?…HCUですね、少々お待ちください」

外科と内科とHCUが違うらしい。しばらくして内科のHCUだと教えられた。入館証をもらいジャケットの襟につける。
来館ノートに本名の直江信綱と書き、関係の場所に『従兄弟』と書いた。
それからエレベーターに乗って12階へ。下りてナースセンターへ向かう。

「すいません、仰木の親類の者ですが」

若い女性のナースが直江を見て一瞬立ち止まる。どうやらモデルの直江を知っているようだ。

「入院の手続きをしに来ました」
「あ、でしたらこちらを」

書類を受け取ってから病室に入る。カーテンを開けると青白い顔の高耶がスヤスヤと眠っていた。
この部屋は他人の入室は禁止されている。親類で、保証人でなければ入れないため、直江は嘘をついた。
これで自分たちが男女だったら婚約者として入れるのに。
人の気配で高耶が目を覚ます。

「あ、直江…」
「大丈夫?心配しましたよ。どうしてすぐに呼んでくれないんですか」
「呼ぼうとしたんだけど、仕事行ってるの思い出して」
「熱は?」

額に手を乗せて高耶の熱を計る。だいぶ下がってはいるがまだ熱い。

「オヤジが出張でいなんだ。美弥は高校生だし、直江しか頼れなくて」
「大丈夫、任せてください。親戚だって言ってあります。何も心配しなくていいですから、任せて」

ドアを閉めてはいけない病室のカーテンの中で声を顰めて話す。
点滴のチューブが高耶の腕に向かって伸びている。針を刺して固定しているテープが痛々しい。

「あのな、3日ぐらいで退院できると思うんだ。でもやっぱ不便だからさ、スリッパとか下着の替えだとか買ってきて。あと、うちに携帯の充電器があるから、それも持ってきて。明日でいいから」
「売店で買えるものは今買ってきますよ。充電器は明日持ってきます」
「あ、鍵渡さなきゃな。……勝手に合鍵作ったらぶん殴るからな……」
「大丈夫ですよ。いくらなんでもそこまで図々しくはありませんてば。あと欲しいものは?」
「……直江とチューしたい…」
「監視カメラがついてるのに?」
「う〜」
「泣かないで。心細いのは私も同じですから。毎日来ますから、そんな顔しないでください」

何度も髪を梳いて高耶を安心させようとする。普段は気丈だが本当は甘ったれの高耶がひとりで入院など心細いのは当たり前だ。
ずっと髪や頬を撫でていた。

「でも…たいしたことなくて良かった。もしこれであなたが大変な病気だったら気がおかしくなりますよ」
「なおえ…」
「たくさん甘えていいですからね。愛してますよ」

高耶が落ち着いたところを見計らって、売店へ買い物に行った。スリッパと下着と洗顔用の石鹸、歯磨きセットとコップを買って戻る。
その往復の間にも何人もが直江を振り返った。
部屋に戻ると高耶は書類に書き込みをしていた。その書類に直江が必要事項を書けば保証人と入院の手続きが完了する。
高耶が書いている間に直江はスリッパをベッド下に置き、歯磨きセットとコップ、石鹸を洗面台に置いた。下着は戸棚に入れる。

「これ、ナースの人に渡しておいて」

書類を書き終えて直江に渡し、明日は来られるのかを聞いた。

「明日は4時すぎに来ますね。ゆっくり休んで、よく寝てください。それとお医者さんの言うこともよく聞くんですよ?」
「子供じゃないっての」

頬を膨らませた高耶が可愛くて仕方がない。人差し指で頬をつつく。

「ほら、膨らまない」
「む〜」
「じゃあ、そろそろ面会時間も終わりですから。無理しないで、何かあったら私に連絡をしてください。いつでも頼っていいんですよ」
「ん」

キスの代わりに髪を撫でて耳元で囁く。愛してますよ。

 

 

 

翌日の仕事を終わらせて高耶のアパートに行った。手の中にはエルメスのキーホルダー。そこには高耶の部屋と直江の部屋の鍵がついている。高耶のアパートのドアを鍵を使って開けるのはこれが始めてだ。少々気恥ずかしい思いをしつつ鍵を差し込む。
シリンダーの回転音がして鍵が開く。

「高耶さんの部屋、か」

もしも一緒に住んでいたらこんなことはしなくて済んだ。高耶の異変もすぐに察知できたはずなのに。
こうして別々に住むのは高耶がまだ学生だから仕方がない。仕方のないことだが物悲しさがある。
部屋の中は課題のための布や画用紙や製図用紙で散らかっていた。よくよく考えれば高耶は自分よりも忙しいのかもしれない。
学校、持ち帰りの課題、アルバイト、それに直江の恋人をやっている。そんなに忙しくしていて気持ちに余裕があるところが
高耶の凄いところだな、と直江は思う。

充電器は窓枠の下のコンセント差込口に繋がっていた。それを持ち、押入れの中の衣類ケースを開けて下着とTシャツを紙袋に入れる。良くなってから退屈するだろうと誕生日に千秋と綾子から貰っていたPSPとソフトも入れておく。

戸締りを確認してから部屋を出て、鍵を閉める。
高耶も自分の部屋の鍵を開け閉めする際は、こんなふうに少し嬉しいのだろうか、と思った。

 

 

高耶の病室に行くと昨日のまま点滴をされ眠っていた。起こさないように戸棚に衣類を入れて充電器をテレビ台に置いた。
椅子をナースセンターから借りてベッドの横に座っていたら目を覚ました。

「あ、直江。来てたのか」
「ええ、さっきね」
「起こして良かったのに。ちょっと昼寝してただけなんだから」
「いいんですよ。寝顔を見てるのが嬉しかっただけですから」
「う〜」

PSPが枕元に置いてあるのに気付いて高耶が嬉しそうに笑った。そういう直江の心遣いが大好きだった。
さきほど学校に電話をして入院した旨と、他の休んでいる生徒の様子を聞いたところ、やはり全員が入院しているらしい。
実家暮らしの生徒の親が代表で食堂に抗議をしに行って保健所に届けを出させたとか、休んでいる人の分の補習を考えているとか、色々と対策を取っていてくれているそうだ。
それを話す高耶を優しく見守りながら聞いていると、病室のカーテンが揺れて誰かが入ってきた。
気付いた直江が立ち上がる。と、そこに立っていたのは40代ぐらいの女性だ。

「あの……?」
「……母さん……」
「高耶…」

高耶が目を丸くしてその女性を見ている。母さん、そう言ったか?
しかし高耶は両親が離婚してから母親には一度も会っていないと言っていたはずだ。

「どうして…?」
「お父さんから電話を貰ったのよ。大丈夫なの?」
「……うん……」
「良かった…ごめんなさいね、ずっと会えなくて……」
「……そんなの……いいけど……」

高耶の目に涙が浮かんでいる。しかし驚きすぎて戸惑ってしまって素直に言葉が出ないようだった。
直江も驚いていたがどうにか持ち直し、母親に挨拶をした。

「高耶さんの友人で、直江と申します。入院の保証人や手続きのために従兄弟と偽って入室してるんです。すいません、お詫びします。美弥さんもお父さんもこちらへはいらっしゃれないと伺ったので……話を合わせてもらえますか?」
「まあ、そうなんですか?すいません、ご迷惑をかけて」

ベッドの上の高耶はまだ信じられない様子で母親と直江を見ている。

「お話は高耶さんから伺ってますから、私は席を外しますね。お二人でゆっくり話してください」
「あの、でも」
「なおえ…」

不安そうな高耶に笑いかけて、きっと大丈夫だから話してごらんなさい、と目で伝える。高耶も目で頷いた。

「では1時間ほどしたら戻ります。病院内にいますから、何かあったら呼び出してくださいね」

そう言って久しぶりに対面した親子を残して直江は病室を出た。

 

ツヅク


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お母さんも登場。どうしても仲直りして欲しかったの。