失敗だ……。
あそこでキスをしてとねだる高耶さんに熱烈なキスをお見舞いして、そのまま甘い夜に、という計画だったのに。
まさか「……そんなのヤダ!もういい!帰る!」なんて言い出すとは。
「する〜」と泣き顔で甘えるはずだったのに。
忘れていた。高耶さんは突き放されることに関して異常に怯えることを。
ここ最近はそんなケンカをすることがなかったから失念していた。ケンカをしてもこちらから折れて甘えさせていたからすっかり忘れていた。
追いかけて抱きしめて、と思ったが、きっと今の高耶さんにはそんな私の態度も怪しむだけに違いない。
どうしようかと考えて、とりあえず高耶さんが帰ったころに電話を入れようと決めた。しかし高耶さんは携帯の電源そのものを切っているようでアナウンスが流れるばかりだった。
もしこのまま放置しておいたら明日も明後日も高耶さんは怯えているだけだろう。アパートまで行かねば。
タクシーに乗って高耶さんのアパートへ行った。明かりは点いてないがきっといるだろう。
ドアをノックした。
「高耶さん?」
「イヤだ!」
ドアのすぐそばにいるらしい。
「何がイヤなんですか?ちゃんと話をしましょう?」
「話すことなんかない!」
「ありますよ」
「嫌われるぐらいならこのまま一生会わない方がマシだ!」
「き……」
嫌われる?私が?高耶さんを?
「嫌いになんかなりませんよ」
そう言ったらドアが開いた。真っ暗な部屋の中から高耶さんの泣き顔が現れる。
「どうしたんですか……」
部屋に入ってドアを閉めた。目の前で泣いている高耶さんを抱きしめて、何度も額にキスをした。
「あなたを嫌いになんかなるわけないでしょう」
「だって…!」
不安定だった高耶さんの気持ちを無視したのは私だ。
就職のことで悩むのは学生として当然で、ましてや高耶さんは男性だから恋愛よりも気になってしまうのは仕方がない。
そうやってもがいているのだから気分的に乗れなかったり、急に甘えたくなったりするものだと気付かなかった。
「だって直江はいつもバカみたいにオレにくっついてくるのに!今日は全然メールもくれないし!チューもしてくれないし!ヤキモチもやかないし!しまいにはアパートに帰れって言うし!」
帰れとは言ってませんが……しかもバカみたいにって何ですか?
「嫌われるんだって思ったんだ!」
「だから、そんなことありませんてば」
「オレが昨日、チューしなかったから怒って嫌いになるんだって思って…!」
「そのぐらいで……」
たったそれだけが原因で私が高耶さんを嫌いになるわけがない。たとえ高耶さんが一時の気の迷いで浮気をしたって嫌いになんてなれない自信があるほどなのに。
「あなたを理解できなかった私が悪いんですよ。だから泣かないで」
「じゃあチューしろ!」
「はい」
玄関先で何度もキスをして、大事に抱きしめる。
そこでようやく気が付いた。
高耶さんはまだダウンジャケットを着たままだった。私もコートのままだ。
ダウンのモサモサした感触が痩身の抱き心地を悪くしていると思い、高耶さんのダウンのボタンに手をかけた。
「なお…っ」
「え?」
「ここじゃ…」
何か勘違いしているようだが……期待しているような目でもある。
どうせだったら頂いてしまおう。いただきます。
玄関先でのそういった行為は高耶さんの体を傷つける上に、アパートでは羞恥心の塊のような高耶さんには惨いと思って服を脱がせながらベッドまで行った。
そしてコトに及んだわけだが。
しかし。
それに気が付いたのは高耶さんと体を繋げて、2ラウンド目に入ってすぐぐらいだった。
「……高耶さん?」
「ん…」
アパートでするのだから高耶さんが声を出さないのはいつものことだ。それが仇になって気付かなかった。
「泣いてるんですか?」
「泣いてないっ」
「でも」
確実に泣いている。触った頬が隙間なく濡れているのに、汗なわけがない。
「イヤだったんですか?やめましょうか?」
抜こうとした私に全身でしがみついて離れようとも抜かせようともしなかった。
「イヤじゃない!続けろ!」
「だけど……」
仲直りができたと思っていたのは私だけだったようだ。
「抜くな!」
引こうとした腰を高耶さんの細い脚が締め付けた。
「もういいから!嫌われたっていいから!体だけが目的だっていいから、捨てないでくれ!」
「は?」
「もう愛してくれなくたっていいから!」
そこでようやく理解ができた。まだ高耶さんは誤解をしているらしい。
私がここへ来たのは『もう愛していないがセックスだけはしたいと思っているから来た』からだと。
たかが一日、突き放された程度でこんなになってしまうのか。たったあれだけの意地悪で愛されなくなったと思い込めるのか。
「ずっと直江をほったらかしにして、冷たくしてたからもう好きじゃなくなったんだろ?!たくさん迷惑かけておいて、いまさら何だって思ったんだろ?!」
「そんなことは…」
「じゃあどうして一回も愛してるって言わないんだ!」
……そうだったか?
「やりたいから来たんじゃないのか?!体が目的でこうしてるんじゃないのかよ!」
「違いますよ」
「じゃあなんで!」
「愛してるからに決まってるでしょう?」
「嘘だ!」
疑心暗鬼というものが人間にあることは知っている。
しかしここまではっきり言ってもそれが取り除けないとは思わなかった。
「嘘だと思うのはあなたの自由ですけどね、本心なんだから仕方ないでしょう?わかってくださいよ」
「だって!」
「じゃあどうしたら証明できるんです?あなたがして欲しいこと、全部しますよ?私があなたを愛してるってこと、どうしたらわかってもらえるんですか?」
「だから!だから…」
少し強引に高耶さんの脚を腰から解いて抜き、布団をかけてやってからベッドサイドのスタンドをつけた。
高耶さんは頭まで布団に潜らせて泣いているようだった。
正直言ってこんな卑屈な高耶さんを見るのは初めてだ。だからといって少しも嫌だと思わない自分がいる。可愛いとさえ思う。
「顔を出して」
「ヤダ!」
「本心を話しているのに、あなたがそんな気持ちでいる限りは全然伝わらないじゃないですか。ちゃんと私の目を見てください」
「ヤダ!」
他人の感情に敏感な高耶さんは他人の目を見ればすぐに本心を暴くことができる。
それを自分でもわかっているのだろう。だから目を見て話すことを拒む。私が嘘をついているかも、と考えて。
しかも相手は私だ。好きでもない女と平気で何人も同時に付き合ってきた男が、いまさら純愛を訴えても効果は薄い。
そうやって高耶さんはいつも不安に思っていたのかもしれない。
「そんなに信用できないというなら、今まであなたと過ごしてきたのは無駄だったってことですね。私はあなたを心の底から愛してきたのに、それをあなたはどこかで疑っていたってことですよね?だったらもうやめましょう」
「やめるって…」
別れるつもりは微塵もない。
「本当に好きな人と体だけの付き合いができるわけがないでしょう。だったら今後一切、あなたとセックスはしません。セックスなしで付き合います。これなら信用してもらえますか?」
モゾモゾと布団の中で動いて、顔だけを出してこちらを見た。
まだ涙が目にたまっているが、もう泣いてはいなかった。
「うん……」
「じゃあ、今晩はここに泊まります。だけど何もしません。あなたを布団越しに抱いて寝るだけにします」
「あの…」
「はい?」
「ごめん」
小さく呟いたその言葉は全部を氷解させた。
「愛してます」
「うん」
「あなたは?」
「愛してる」
高耶さんには駆け引きは通じない。ただ惜しまずに愛情を捧げなくてはいけない。
わかっていたはずなのに私はバカだった。
「キスしてもいいですか?」
「うん」
性欲をかきたてないキスをして、約束どおりに布団越しに抱きしめた。
「寒くない?」
「寒いですよ」
この冬の気温の中で裸で暖房もついていない部屋にいれば寒いに決まっている。
「服を着ますから大丈夫です」
「んと、そーじゃなくて、ごめん。入って」
「でも」
「いいから」
裸体の高耶さんがいる布団に入ったら理性が吹き飛んでしまうかもしれない危惧からやっぱりやめますと言って断った。しかし。
「入れ!」
「はい!」
おずおずと入った私が可笑しかったのか、高耶さんは背を向けて小さく肩を揺らして笑った。
「直江」
「はあ…」
「オレのこと、本当に好きか?」
「ええ、もう狂いだしそうなぐらい」
「愛してる?」
「当たり前でしょう?あなたを愛さない私は酸素のない世界にいるようなものです」
「だったら一晩中言ってくれ。愛してるって」
「いいですよ」
振り向いた高耶さんが抱きついてきた。自分からキスをして誘って、もっと深いキスをしろとねだっているようだ。
「ダメですよ。そんなキスしたら抱きたくなりますから。愛してるって一晩中言うんでしょう?」
「そんなの、エッチしながらだって言えるだろ」
「え?!」
「直江の本心がわかったから、もうエッチ解禁」
「早い解禁ですね…」
「しないのか?」
「しますよ」
もしかして高耶さんは俺の体が目当てで付き合っているのではなかろうか、と思わせるほど、激しく熱烈で、しかしアパートなので密やかな声であられもない姿を見せてくれた。
「……もてあそばれてるのは私の方ですか…?」
「かもな」
「そんな…」
「嘘だよ。愛してる。すっごく。メチャクチャ。犯したいぐらい」
「ええ?!」
「そのうちガマンできなくなって犯しちゃうかも」
「それだけは!」
「あはは。嘘だってば。オレは直江に抱かれる方がきっと好きだよ。直江に甘えるのが好きだから」
「どこからどこまでが本心なんですか!」
「教えな〜い」
「高耶さん!」
「愛してるのは本心だから。直江は?」
「愛していますよ」
気分屋で、不安定で、寂しがりで、早とちりで、だけど純粋なあなたをこのうえなく大事に愛します。
だからもう、泣かないでください。
翌朝、私、タチバナヨシアキは初めて寝坊を理由に遅刻をした。
スタジオでの撮影だったのが救いだが、もしこれがショーだったら批判を受けても仕方がなかった。
送り出してくれた最愛の高耶さんは右手に4Bの鉛筆を持っていた。なぜかというと朝方に急にインスピレーションが出て眠っている私を「いないもの」のようにサラリと存在を無視して布団から出て、画用紙に向かったからだ。
そんなわけで高耶さんがいなくなった冷たいシーツの感触で目を覚ましたのが午前8時半すぎ。仕事は9時に神奈川県のスタジオ集合だったので慌てて一蔵に電話をして遅刻する旨を伝え、服を着て、顔を洗ってアパートを出た。
ヒゲだの歯磨きだのはスタジオでどうにかするしかない。高耶さんにキスをしてもらってからタクシーに乗ってスタジオまで行った。
その仕事は夕方4時ごろに終わり、事務所に戻って遅刻をしたことを綾子に説教され、これから控えている2、3の仕事についての説明を聞いてから帰宅した。
仕事中に確認したメールでマンションにいるという高耶さんと一緒に夕飯を取るという返事をし、最後にしっかりと「愛しています」と書き添えて送った。
「ただいま。高耶さん」
「おかえり!」
玄関で恒例のチュー&ギューをして手を引かれてリビングへ。今日は高耶さんの珍しいリクエストで外食になった。
「じゃあもう出ましょうか」
「いや、ちょっと待って」
ゴソゴソとジーンズの右ポケットを探って彼が出したものは。
「えーとぉ、これ、やる」
「はあ……」
それが見えないように私の手に握らせた。人肌の温度のそれは固くて小さくてゴツゴツして平たくて……。
疑問符が頭の中をいくつも飛びかう中で開いた自分の手中に見たものは、とんでもなく嬉しいプレゼントだった。
「いいんですか?!」
「うん。1年間、待たせたし」
世界中でこんなに嬉しいプレゼントは他にはない。
「ありがとうございます!」
「たまには使えよな」
「毎日でも!」
それは何の変哲もない鍵で、でも私にとっては高耶さんが大きく一歩を踏み出してくれた表れの、彼の部屋の合鍵だった。
さっそく自分のキーホルダーに取り付けてニヤニヤしていたら、高耶さんが背中に貼りついてきた。甘えるという感じではなく、すがる、と言った方がいいだろう。
「どうしたんですか?」
「それは、オレたちの本心を見ることができる鍵。ただの合鍵じゃなくてな」
「本心を?これで?」
「そう。その鍵が使えなくなった時は、オレが直江を見限った時。で……直江が鍵を使わなくなった時は、オレが見限られた時」
何を馬鹿な。そう言おうとして昨日のことを思い出した。
本心というものは誰にも見えるものではない。いくら言葉で表したって、態度で表したって、信じられない時はそんなものだ。
だが合鍵だったらそれは顕著に現れる。しかし。
「高耶さん」
「ん」
「そうやって先を見るのは大事ですよ。だけど今やれることをやっておく方が大事だとは思いませんか?予防線を張るのはいい。だけどその予防線で自分の未来を制限してしまうのは未来を潰すのと同義です。あなたの勉強だってそうでしょう?就職に備えてバランス良く成績を取るのもいいでしょう。だけどそれをやってしまったら本来持つあなたの良さが消えてしまう。だから今は目の前にあるものを一生懸命やってください。私もそうしますから」
返事も動きもなくなってしまった背中の高耶さんに、ついいらない説教を垂れてしまったかと不安になった。
だが私の腹に回した手が力を込めて抱いてきた。
「直江」
「はい」
「オッサンくさい説教だな」
「…そうでしたか?」
「でもよーくわかった」
すがった手が甘える手になって、高耶さんの静かな鼓動が背中に伝わって、ああ、彼は本当に正直で美しい人なんだと思った。
そしてお腹の虫が鳴く音も正直に聞こえてきた。
「夕飯に出かけましょうか」
「うん」
今、オレの目の前にある大事なことは勉強と、直江。
全身全霊でオレを愛してると言ってくれる直江を信じてる。だからオレも一生懸命直江を愛してやる。
それでいいんだよな。
だけど直江。オレのアパートで毎日毎日変なことするな。バレてんだからな。合鍵没収するぞ!
END
その1にもどる / 同じ世界32もどうぞ
あとがき
ようやく直江も合鍵ゲットです。
しかしまあ、よくもこんなに
おかしな二次ノベルを
書けるもんだなと途中で自分に呆れて
中断すること数回。
お付き合い下さってる皆様、
呆れてますよね・・・?