4月に入り、高耶さんももう就職活動に入る学年になった。
そのために今まで作った服の手直しや、デザイン画の描き直しなどをしなくてはいけないらしく、普段の授業以外でも忙しくなるそうだ。
そんな時期に高耶さんはなぜかデザインコンクールに出品するんだと言って更に自分を忙しくしてしまった。
おかげでお泊りは最近ほどんどない。
少しだけデートしたり、少しだけ夕飯を作りに来て食べたり、少しだけイチャイチャする程度。
可愛らしく「ごめんな?」なんて言われるので許してしまっているのだが、私としてはもっと高耶さんと過ごしたいのが本音だ。
今日は仕事帰りに高耶さんと待ち合わせて夕飯を食べ、頼むからお願いだからどうしても叶えてくださいと言ってマンションまで来てもらった。
「進んでるんですか?コンクールの作品は」
「全然。よく考えたらオレ、伝統的な服とかって知らないからさ、そこらへんでどうしても行き詰るんだよな」
「伝統的?」
「そう。あのな、今度のコンクールってのはイギリスのなんだ。ローブデコルテって知ってる?」
「ええ。公式の場での服装ですよね。ドレスやタキシードのような」
「それそれ。その部門なんだよ。だからもっとちゃんとしたドレスとか見たいんだ」
これはデートのいい口実になる。
ちょうど渋谷と上野のミュージアムで海外のフォーマルドレスの展示をしている。両方に誘って2日間のデートの確約を取れるではないか!
「見に行きますか?」
「え?どこに?」
「上野ではバロックからビクトリア時代までの絵画展をやってるんです。もちろん絵画の中でドレスが描かれています。渋谷ではディオールの展示です。ディオールは最近のものですけど、フォーマルは一級品ですから」
「マジで?!行く!」
いいぞ、いいぞ。
これで高耶さんとデートが出来る!
「いつ行く?」
「明日だったら3時ごろに仕事が終わりますから、その後で渋谷に行きましょう。上野は今度の日曜日ではどうですか?」
「うん!」
渋谷で展示を見た後は高耶さんに似合う服を買ってあげてご機嫌を取って、それから食事に誘えば夜までゆっくりと過ごせるだろう。
日曜は午前中から出かけようと誘っておけば必然的に土曜の夜がお泊りになる。当然HLLTもあるだろう。
まあ日曜に早めに帰られてしまっても、ランチぐらいは付き合ってもらえるに違いない。
「明日はどこで仕事?」
「池袋の劇場で撮影です。池袋からタクシーで向かえば3時半には着きますよ」
「んじゃ3時半に文化村のカフェでいいか」
文化村のカフェは以前私が連れて行って、高耶さんがだいぶ気に入った場所だ。
渋谷の割には人も少なく、落ち着いた雰囲気で好きだそうだ。
「ちゃんと待ち合わせ時間に来ないと先に一人で入っちゃうからな」
「はい」
デートだ。久しぶりの本格的なデートだ!
そして翌日、私は3時半ピッタリに文化村のカフェに到着した。高耶さんの姿はない。
コーヒーを注文して持っていた文庫本を読みながら待っていると、エスカレーターを歩いて下ってくる人物の姿が目の端に入った。
高耶さんだった。
なんて麗しい姿だろう!しなやかに伸びた腕がエスカレーターの手すりを滑るその流れるような動作!
顔をこちらに向けてニッコリ笑ったその顔!「なおえ」と呼ぶ唇が少し濡れて光っているエロス!
「待った?」
「ほんの少しね」
「オレも少し休んでいいかな?ここのカフェ好きなんだ〜」
「どうぞ。まだ時間はありますから」
高耶さんはカフェオレと小さなケーキを頼んでから、持っていた小さな本を私に見せた。
「なんですか?」
「マックスフィールド・パリッシュって画家知ってる?その人のポストカード集なんだ。途中の本屋で買ってきた」
それで少し遅刻したらしい。時間の余裕があると思って本屋に入ったら欲しいものがたくさんありすぎて迷っているうちに遅刻してしまったんだそうだ。
そんなところも可愛くてつい頬が緩む。
「色がすっごくキレイだろ。服もさ、その時代の流行らしくて雰囲気あって良くない?」
「いいですね。黄昏時の色が本物みたいです」
高耶さんが好きな画家の話を聞けるのは嬉しいことだ。去年の夏休み前に試験勉強で美術史を少しだけ勉強したら案外楽しくなったそうで、それからこうしてたまに画集などを買って私に見せてくれる。
最近は私よりも高耶さんが忙しくなってしまって、こうやってゆっくりと話せる機会が減っていた。
そのぶんを取り戻すかのように短時間でたくさん話をした。
カフェオレを飲み干すと「さあ、行こう!」と元気良く立って私の服の袖を引いた。
展示を見終わった高耶さんは少し惚けた顔で私の隣を歩いた。
こういう時の高耶さんは頭の中が服のことで一杯で、歩かせるのが危ない。躓いて転んだりする。
現にもう歩道で2回ほど躓いている。
「危ないですからしっかりしてください」
「ん?ああ、ごめん」
それでもまだボーッとしている高耶さんを守るようにして渋谷の街を歩いたのだが、私が人ごみに気を取られている隙に高耶さんは街灯にぶつかって肩を打った。
「いてててて」
「まったく、そろそろ頭の中を切り替えないと危ないですってば」
「うん、ごめん」
公園通りまで出て色々な店で高耶さんが欲しがりそうな服を見た。BEAMSでガーゼ生地のの白いシャツをじっと見ていたので後ろから買ってあげましょうか?と声をかけると、首だけをクルッと振り向かせて「本当に?」と聞いてきた。
その時、キスをしそうなほど顔が近付いて、驚いてしまったのは私の方だった。
「あ、ええ。今度の日曜、それを着てデートしましょう?」
「……うん!」
高耶さんの手からシャツを取ってレジに向かった。それほど値が張らないので現金で購入し、受け取った袋をそばにいた高耶さんに渡した。
「ありがとう、直江!」
「どういたしまして。せっかく高耶さんに似合うんですから、手に入れないとね」
「へへ」
外はすっかり暗くなって、私も高耶さんもそろそろ空腹になってきた。
何が食べたいか聞くとシャツのお礼にご馳走してくれるそうで、私のリクエストでお好み焼きになった。
「渋谷でお好み焼きなんて混んでる店しかないんじゃないか?おまえを連れていけるとこなんかないぞ?」
「ありますよ。ここから少し歩きますけど、いいお店があるんです」
「ふーん?」
公園通りから東急百貨店まで戻り、ホテル街に入る路地を入った。
「ホテル街……?」
「高耶さんを連れ込もうなんて考えてませんから大丈夫ですよ。疑ってますね?」
「あたりまえだ」
「本当にこっちに店があるんですってば」
カップルもたくさんいれば、同性同士のグループも、会社帰りのサラリーマンもいる。ホテル街とはいえライブハウスもあれば飲食店もあるのだ。
「ここですよ」
「……へ〜ぇ」
そこは純和風な建物で、隠れ家的な印象の店だ。まだ渋谷がこんなに開発されていないころの遺物で、普通の住宅だったそうだ。
店に入ると店員さんが下駄箱に靴を入れてくれる。案内されて行ったのは2階の窓際だった。
向かい合わせで胡坐をかいて座り、先に飲み物を頼んだ。ビールと青リンゴサワーを。
「こんなとこ、渋谷にあったんだな」
「なかなかいいでしょう?それに美味しいんですよ」
畳の上に赤い絨毯。その上に座布団と鉄板のついたテーブル。
高耶さんは珍しそうにきょろきょろと周りを見回してから、はにかんで笑った。
「オレ、浮いてない?まわり、大人ばっかりじゃん」
「あなただって大人でしょう」
「そりゃそーだけど」
「こういう雰囲気、あなたに似合いますよ」
注文したエビ玉とチーズめんたいが来ると、高耶さんは腕まくりをして焼き始めた。どっちも焼いてくれるらしい。
焼きながら今日の展示の話を嬉しそうにしている。眩しいほどに楽しそうだ。
「高耶さん」
「ん?」
「こうしてると奥さんみたいですね」
「……バカか!」
照れながらガシガシと焼きあがったお好み焼きをヘラで切り、私の皿に勝手に盛った。
しばらくは無言で食べていたが、隣りのテーブルにいたOLのグループがいなくなるとポツリと言った。
「今日は……直江がかっこよくて、ずっとうっとりしっぱなしだった」
「はい?」
「カフェで待ってる時、雑誌のまんまの直江がいるって思って一瞬見とれた。それからディオールの展示を眺めてる時の直江にも、BEAMSで服を選んでる時の直江にも見とれたりしたし、今も」
「今も……?」
「こーゆー大人の店とか、似合うな〜って」
どうやら私たちはお互いに相手を好きで好きでたまらないらしい。私が高耶さんに見とれていると、次の瞬間には高耶さんが私に見とれている。
他人が知ったらバカだと思われてしまうだろうが、私たちは真剣なのだから仕方がない。
「高耶さん」
「んん?」
愛してます、とここで言うのがなんだかもったいなくて。
「口の端っこに青のり付いてますよ」
「え!」
今日はもう少しだけ付き合ってもらって、マンションでゆっくりと言えばいい。
たまには電車で帰ろうと言った高耶さんに賛成して山手線に乗った。
私が反対するわけがない。山手線に乗るということはマンションに来てくれるということなのだから。
高耶さんがアパートに帰るつもりなら地下鉄に乗るはずだ。
そうして駒込駅に着いて歩きながらマンションに向かう。
「今日、泊まっていい?」
「そんなの聞かなくてもいいんですよ。『帰っていい?』って聞かれるのは嫌ですけどね」
「……最近、一緒にいられなくてごめんな」
「気にしないで」
人通りの少ない道で彼の頭を撫でた。気持ち良さそうに目を閉じるところが猫みたいだ。
「明日は午後から授業だから、少しだけゆっくりできるんだけど、直江は?」
「残念ながら明日は8時には家を出ないといけないんです」
「そっかー……」
「だから夜中2時ぐらいまでだったら大丈夫ですよ?」
「!!それってどーゆー意味なんだよッ!」
「高耶さんのいいようにとってください」
赤くなって立ち止まった高耶さんを置いて先に歩き出すと、タタタと走ってくる足音がして背中を小突かれた。
「エロオヤジ!」
「おや、そんなふうな意味に聞こえたんですか?じゃあそういうことにしましょうね」
「意地の悪いヤローだな!」
「そうですか?」
笑いながら歩いているうちにマンションに着き、部屋の玄関で久しぶりのキスをした。
「いつぶり?」
「1週間ぶりぐらいですね」
「うーん、どーりで最近寂しいと思った」
「私もですよ」
春になり、マンションの最上階のこの日当たりのいい部屋は一日分の日光のおかげで夜になっても暖かかった。
窓を少しだけ開けて換気をしている間、高耶さんがキッチンでコーヒーを作ってくれていた。
リビングで後姿に見とれながら待っていると、私の視線に気付いた彼が振り向いた。
「なんだよ」
「いいえ、なんでもありません」
「もうちょっとだから待ってろ」
後姿がとてもキレイだ。キレイだと言うと高耶さんは男に言う誉め言葉じゃないと拗ねるが、キレイなものをキレイだと思うのは悪いことではないだろう。
ジーンズがよく似合う長い脚と細い腰。背筋が伸びていてシャツが映える背中、形のいい後頭部、貝殻みたいな耳。
どこをとってもキレイだ。
カップを両手に持ってリビングへやってきて、ゆっくりと零さないようにテーブルに置く仕草も優雅だ。
「隣り、空けて」
「はいはい」
向かいのソファだろうが横の一人がけのソファだろうが空いているのに、こうしていつも私の横に座ろうとする。
並んで座るのが好きだと言う。
「えーと、今9時だから、あと5時間か」
「なんです?」
「風呂で1時間半取られるから3時間半だろ。……つまんないな」
「私と過ごせるのが、ですか?」
「うん。たった3時間半しかこうしてくっついてらんないじゃん」
まったく可愛いことを。
あなたのそういう言葉がどれだけ私をいい気にさせるかわかって言ってるんですか。
「じゃあその3時間半、ずっとキスしてましょう。くっついていられるでしょう?」
「チューだけ?」
「他のこともしてほしい?」
「うん」
キス以上に久しぶりだ。2週間も高耶さんを抱いてない。それを私が望まないわけがない。
「じゃあコーヒー飲んだらお風呂にどうぞ」
「一緒に入る」
「今日は甘ったれなんですね」
「いつも甘ったれだよ」
二の腕をつねられた。自己申告の甘ったれ発言はどのぐらい寂しかったかを伝えてきた。
翌朝は一緒に朝食を食べてから車で高耶さんを学校まで送って、その足で仕事場まで行った。
車の中で今度の土曜の夜に泊まりに来てください、と言って日曜デートの約束を取り付けようとしたら、金曜の夜から泊まりに来てくれるらしい。
土曜はのんびり過ごして、日曜に美術館へ行こう、と。
「課題は大丈夫なんですか?作り直すって言ってた作品は?」
「金曜までにやっておくよ。作り直しは今じゃなくたっていいんだ」
「そうですか。じゃあ金曜の夜、マンションに来てください。私は夜に帰りますから待っててくださいね」
「うん。なるべく早く帰って来いよ」
「はい」
車の中でキスをしてから高耶さんは学校の建物に入っていった。
金曜が待ちきれなくてついソワソワしてしまう。
撮影のための靴を間違えて履いてしまったのもそのせいだ。
「タチバナさん、何やってんすか〜」
「すまん」
一蔵に咎められてしまった。
スタイリストが笑いを堪えながら靴を持ってきた。撮影スタジオじゅうが笑いを堪えているような気がする。
立ち位置で靴を履き替え、ポーズを取ってカメラを見る。
まだ笑われているようだが無視しよう。
休憩中に気になった靴を見ていた。いいものがあったら買取をしようと思って。
今日のメインは靴の特集ページのためのものだ。
スニーカーはもっと若手のモデルが使われるそうで、私はビジネスラインやフォーマルで使える靴のモデルとしてオファーが来た。
「タチバナさんて靴にこだわりがありますよね〜」
「いくら服をコーディネートしたって靴がみっともないんじゃ意味がないからな」
「オシャレかどうかは足元でわかるって言いますもんね」
その通りだ。靴にこだわれないモデルなど存在しないだろう。
最近はどんな人も服だけは着こなすようになっているが、その何割が足元に気を使っているだろうか。
どんなに美しい形の服や、コーディネートのいい服を着ていても足元の靴が壊れかけていたり、手入れされていない人が大半だ。それが女だったらどんなに美人でも興醒めする。
デザインは当然だが靴はきちんと手入れをされていなければいけない。
以前付き合っていた女が「カジュアルって『何でもいい服』のことだと思ってた」と言ったことがある。
実はカジュアルが一番難しいのにだ。
その女を乗馬に誘った際にカジュアルで来てくれたのだが、服装はまあいい。しかしスニーカーが有り得ないほど貧相だった。これが原因のひとつで別れたといっても過言ではない。一番の原因は性格が合わなかったからなのだが。
「そーいや高耶くんてスニーカーのセンスがいいですよね。オレ、高耶くん見てからスニーカーにこだわるようになりましたよ」
「そうだな。高耶さんは地味に見えるがセンスはいいからな」
「前に皮のジャックパーセルを履いてたんですよ。そんで俺も欲しくて聞いてみたら廃盤のやつだからもう売ってないって言われて。けっこう古いのに皮の手入れやってるらしくて、ピカピカなんすよね」
高耶さんが靴磨きをしている姿を想像した。可愛い……。
あの狭い玄関に座り込んでワックスを塗りこんでいるのか。あんな靴磨き屋さんがいたら毎日お願いしたい。
「それとオレンジのニューバランス。あ!あと黒いアイリッシュセッター!あれを履いてるとこがかっこよかったな〜」
「あの人は元々の素材がいいから何でも似合うんだ。こういう革靴も似合うだろう」
「ですよね〜。いいなあ」
そうだ。今度の日曜は靴を買ってあげよう。就職活動のために黒い革靴が必要かもしれない。
形が良くて長持ちする、彼に合う上品な靴を。
ツヅク
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