同じ世界で一緒に歩こう

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優しい時間

その2

 
   

 


映画が終わってからヒルズの近所の無国籍料理店に入って夕飯にした。
個室があるその店はいわゆる業界人と呼ばれる人が来るそうで、そのためか気を利かせて半個室ではなく完全な個室になっている。

以前、長秀と綾子と来たことがあるのだが、はやり一緒に来る相手が違うとこれほどまでにいいムードだとは。

「へ〜、個室って案外落ち着くなあ」

向かい合わせで座っている高耶さんは足をエスニックな絨毯で覆われている床に投げ出している。

「高耶さんは何にしますか?お酒?」
「うん。あんまり強くないやつ」

この店ではビールが一番アルコール分は少ないのだが、ビールの苦味が好きではないからとカクテルにしていた。
モスコミュールとビールを注文して料理が来るのを待つ。
映画について感想を話していると、洒落た盛り付けの料理が運ばれてきた。

「よっしゃ!食うぞ!」
「はい、どうぞ」

元気良くいただきますと言って、見ているこちらが楽しくなるほどたくさん食べ始めた。
ようやく最後の皿が空き、高耶さんはお腹を押さえながらご満悦になっている。

「ところで」
「あ?」
「どうしてさっきの女性が私の、その、昔の彼女だってわかったんですか?」
「なんとなく、かなぁ?うーん、直江がどうこうってわけじゃなくて、あの女の人、亜津子さんだっけ?あの人が直江を見る目がな、オレと同じっつーか……たぶん、あの人の中では思い出なんだろうけど、昔を思い出して、みたいな感じ?だったんだよ」

そうだったのか?そんな風には見えなかったが。

「だからって浮気すんなよ」
「しませんよ。あなたがいるのに、浮気なんかするわけないでしょう」
「わかんないじゃん。やっぱ昔の彼女の方がいい、って思う時があるかもよ?」

高耶さんが冗談で言っているのはわかっていた。しかしそんなこと、冗談でも言って欲しくない。

「そんな時は来ません。じゃあ証明しましょうか?あなたしか好きにならないって公言してあげますよ。どのメディアがいいですか?雑誌?ブログ?」
「ばっ、そ、そんなのッ、無理に決まってんじゃんか!」
「私は一向に構いませんけどね」
「ダメ!」

その必死な表情にクスクス笑うと、仕返しの意地悪をしたのがわかったのかふて腐れてテーブルの下から蹴られた。

「ひどいですねえ。あなたの要望に応えようとしただけなのに」
「おまえが言うと冗談に聞こえないんだよっ」
「まあ、確かに」

ブログで公開もいいかもしれない。本気で。いつかやってやろう。ふっふっふ。

「さてと、帰りましょうか」
「だな」
「たくさんキスさせてもらう約束になっていることだし?」
「う」
「高耶さんの部屋にしますか?それとも私の家の方がいい?」
「直江んち……」

やっぱり考えてることは同じですね、高耶さん!!
同じキスをするにも、その後を考えるとやはり私の家になる。何しろ寝室は角部屋になっているからな。
声を出してもどこへも漏れる心配がない。
考えていることがバレたらしく、また蹴られた。

「このエロオヤジ!!亜津子さんにそのデレデレしたツラ、見せてやりてえよ!」
「あなたにしか見せません。さあ、出ましょう」

店を出てタクシーを拾おうとしたらジャケットの裾を引っ張られて止められた。

「どうしました?」
「少しだけ散歩しよう。そうだな……東京タワーぐらいまで」

道順なんか知らないのに、目印を決めてフラフラ歩くのが好きな高耶さん。
ずっと東京に住んでいると、自分のやることが忙しくなって意味もなく歩いたり、何かを眺めたりするのを忘れる。
そこにひょっこりやってきた高耶さんは目的もなくのんびりと歩いたり、小さな発見をして私を楽しませる。
意味のないことは意味のないことだけれど、そこに和みだとか、余裕を与えるのが出来る人で、私はいつも高耶さんに救われているのだと感じた。

「なんなら歩いて家まで帰りますか?」
「バカ、何時間かかると思ってんだ」
「さあ?3時間ぐらいでしょうか?」
「明日はオレもおまえも休みじゃないんだ。そんなの無理」

先に歩き出したのだけれど、道が三叉路に分かれていてどちらへ行けばいいのかがわからないらしく立ち止まった。

「直江」
「たぶんこっちでしょうね」

確か坂を上がれば東京タワー方面に行くはずだ。そっちを指差そうかと思ったのだが、私はその隣りの道を指差した。

「こっち?」
「ええ」

少しだけ長く、あなたと歩きたい。隣りをのんびり、ゆっくり、月を眺めながら。

「直江と歩くの好きなんだ」

振り返って坂道を後ろ歩きしながら高耶さんが笑った。

「いつも歩調を合わせてくれるし、黙って歩いてても全然ラクチンだし、気が付くと同じものを眺めてるから」
「そうですか?」
「うん、月を見ながら歩いててふたり同時に躓きそうになったり、同時に指差したり、そうゆうことが何度かあったの知ってた?」

楽しそうだ。嬉しそうだ。穏やかに空気が包んで、その中で私の気持ちが弾ける。

「知りませんでした。だけど、あなたが気付いててくれて良かった」
「そっか」

またさっきの、あの感覚を思い出した。甘くて優しい何かの味。確か、飲み物だったような。
温かくて、甘くて、優しくて。高耶さんといる時と似てるはずの、何か。

前を向いて歩き出した高耶さんに追いついて、そっと背中に触れながら聞こえる程度の小声で言った。

「大好きです、高耶さん」
「…………うん」

それから、何も話さず穏やかに、同じ月を見ながら、東京タワーまで。
オレンジ色をしたタワーを並んで下から見上げて、大きいですね、でっかいな、と同時に言って笑った。

 

 

思ったよりも時間をかけて歩いてしまったせいで、その夜は約束のキスをしていたら高耶さんが大欠伸をしてしまった。
眠いのなら無理せずに寝てもらおうと、先に風呂に入ってもらって寝室へ行かせた。

「じゃあ、先に寝ててください。私も風呂に入ってきますから」
「ん……おやすみ」

軽くキスをしてから浴室へ。明日は昼からの仕事だから長めに入った。高耶さんのおかげで長めに入る癖がついて健康にもいいのではないだろうか。
髪を拭きながらキッチンへ行って、冷蔵庫から牛乳を出してマグカップに入れて飲んだ。
ちょっとだけ寝室を見てみたら高耶さんがスヤスヤと眠っている。ほんの少し寂しい気がするが、まあ仕方ない。

テレビをつけて海外のニュースを見て、さてそろそろ寝るか、と立ち上がった時に高耶さんが起きてきた。

「どうしたんですか?トイレ?」
「んーん。……直江がまだ来ないから」
「すぐ寝ますから、戻ってください。ほら」
「ヤダ」

寝ぼけているのか?ギュウっと抱きついて離れない。

「高耶さん、これじゃ歯磨きできませんから」
「うん」
「ライトも消さないと」
「うん」

完璧に寝ぼけてるな……。さてどうしようか。

「わかりました。寝ましょう。ほらほら」

とにかくベッドで寝かせてから行動しよう。
動こうとしない高耶さんの体を抱き上げて寝室まで行き、ベッドにふんわり乗せてから布団をかけた。

「すぐ戻りますから」
「うん……」

返事が終わるか終わらないかのうちに眠ってしまった。やはり寝ぼけていたらしい。
約束どおりにすぐに戻って、ベッドに入った。ゴソゴソしながら私にくっついていつもの位置に収まる。
これも寝ぼけてやっていることなのだろうが、こういうところを嬉しいと思う。私にくっつく癖。

「おやすみなさい、高耶さん」

抱き込んで眠った。穏やかな気持ちを与えてくれる高耶さんの甘い匂いを嗅ぎながら。
そうだ、この匂いに似てる。何だったか。

「う……んん……」

まあいい。今は高耶さんのすべてを包んで眠ろう。

 

 

それから数日後の日曜日、書斎から高耶さんが何かを引っ張り出してきた。

「これ見ていい?」
「どれですか?」

ファイルだった。写真を入れておくファイルだ。
何冊かあるのだが、これは主に学生時代の頃のを入れてある。

「……どうしてこれを……?」
「亜津子さんの写真がありそうだから」
「う」

たぶん一枚か二枚はあるだろう。それを見つけてどうしようと言うのだろう?うーん、心配だ。

「あ、これ高校生のころの?直江はどれ?」
「……見つけてください」
「え〜。なんだよ、ケチ」

やはり昔の自分というのは恥ずかしいものだ。決して恥ずかしいことをしていたわけではないのに、どうしてこんなに恥に思うのか。
……たぶん、その時々の流行に合わせた外見をしているからかもしれない。今になったら「ダサい」といわれる髪型や服装や、そんな感じだからか。

「いた。これだろ?」
「……ええ……」
「可愛い顔してんだな。それがこうなるんだな〜」

こうなるって何ですか、こうなるって。何か異議でもあるんですか。

「んで……これかな?亜津子さん」

高耶さんが指差したのはまさに亜津子だった。可憐で清楚な花のような亜津子。

「ちょー可愛い……こりゃオレも惚れるな……たぶん」
「な!ダメですよ、惚れたら!!」
「………………」
「あ、違います、違います!そういう意味じゃありません!あなたが写真だからといって私以外の人間を好きになったりなんてそれだけでも憤死しそうなんですってば!!」
「……わかってるよ」

ファイルを閉じて立ち上がった。
本当にわかってくれたのか心配で後をついて行くとキッチンで立ち止まった。

「紅茶でいいか?」
「ええ、紅茶でいいですけど。その、あの、高耶さん……?」
「だから〜、わかってるって言ってんだろ」

背伸びをして軽くキスをすると、呆然とした私を放ったらかしにして紅茶を淹れる準備を始めた。
ええと?わかってくれたのか?本当に?

「ミルクティーでいい?」
「え、はい」
「砂糖は?」
「……じゃあ、少しだけ」
「あっちで待ってろ」
「はい……」

なんとなく不安な心持のまま戻り、ファイルを書斎に片付けて大人しく座ってまっていた。

「お待たせ」

気取らないマグカップになみなみと注がれたミルクティーを両手で持ってきてテーブルに置いた高耶さん。
ああ、もしかしたら。

「あれ?写真は?」
「片付けました。もういいでしょう?今はあなたと過ごすことが大事なんですから」
「……いいけどさ」

これだったのか。あなたが作り出す穏やかな空気に似ているのは。
甘くて、優しくて、温かな、ミルクティー。
幼い初恋のような甘酸っぱいレモンティーではなく、柔らかいぬくもりの。

「高耶さん」
「ん〜?」
「美味しいです」
「だろ?」

大好きです。高耶さん。あなたも、あなたの作る優しい時間も。
このままずっと。たぶん、永遠に。

 

END



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あとがき

書いてるときにテレビで
「あつこ」という名前を聞いたので
亜津子さんになりました。
たぶん高耶さん以外の人には
威張りんぼの直江。