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鎮静剤と試験


 
   

 

夏休み真っ最中に高耶には最初の難関、就職試験が待っていた。
第一志望はとある下着メーカーのドレス部門。
その会社へ入るためには、まず筆記試験とデザイン画の試験がある。

「筆記試験て何ですか?」
「一般教養とデザイン知識だって」
「というと、新聞を読んでいるかとか、ニュースを見ているか、とかも関係してくるんですね?」
「そんな感じ。新聞は取れるほど金に余裕がないからな……とにかくニュースはちゃんと見ないと。デザイン知識は問題ないと思うんだけど……その場で作文もあるし……あ〜、大変すぎる!」

ニュースだけでは心もとないと思ったのか、高耶は直江のマンションにある古新聞を1週間分貰って帰ることにした。

「そんなことしなくても、ここに寝泊りすればいいじゃないですか」
「だって夏休みの課題もあるし。そう毎日泊まったり出来ないよ」
「そうですか……」

ところがその翌日、高耶が泣きついてきた。

「やっぱここにしばらく住む!」
「どうしたんです?」
「新聞読んだんだよ!けどわかんない言葉ばっかりで!調べたくてもウチには国語辞典しかないし!PLOとかWHOとか言われても全然わかんないし!」

それは大人として基本的な知識です、と言いたかったが愛する人の機嫌を損ねてはいけないと思い飲み込んだ。

「直江に教えてもらうか、直江のパソコンで調べるかしようと思って……ダメ?」
「とんでもない!ぜひ我が家にいてください!」

そうして課題はアパートで、その後は直江のマンションに泊まって一般教養を覚える高耶だった。

 

 

「行ってきます!!」
「頑張ってください!!」

直江の家から色鉛筆と筆記用具を持った高耶が勇ましく出かけて行った。今日が筆記試験だということだ。
スーツでなくていいんですか、と聞いてきた直江に、筆記は面接とは違うから大丈夫だと言ってアイロンをかけた白いカッターシャツに股上の浅いサマーウールのデザインパンツを穿いて出かけた。
どちらも直江が買い与えたものだった。

会場は青山の大きなビルの中。多目的に使われる貸しスペースだが、講演会なども開かれるような大きな会場だ。
集まったのはざっとみて150人。テーブルと折りたたみ椅子の並んだ中に受験番号順に並んで座っていた。
部門ごとに分けて試験があるわけではなく、まず入社に必要な知識を持っているかを判断して選抜し、さらにその後に志望部門に分かれて面接を後日行うそうだ。

高耶の学校からここへ来ているのは5人。どの人間とも話したぐらいはあった。
試験が始まる前に男女5人で集まり、どんな試験になるのかヒソヒソと不安をもらした。

「仰木、おまえデザイン画描くの遅いんだから今日は多少の手抜きしろよ?最低5枚は描けって言われるらしいぞ」
「マジ?5枚って何時間で?」
「1時間だよ」

高耶のデザイン画は最低でも1枚30分かかる。それを5枚で1時間。
ちょっと気が遠くなりかけたが、どうにか持ち直して自分の作業工程で省けるところを考えた。

「な、なんとかなる!」
「おう、がんばろうぜ!」

そして試験が始まった。
まずは一般教養30分。直江に講義してもらったおかげでどうにか半分以上は自信を持って書けた。

次がデザイン知識30分。
こちらは高耶の普段からの勉強のおかげでまったくと言っていいほど問題ない。

その次は作文60分。
テーマは「どのような服を作ってどういった影響を人に与えられるか」。これには苦労した。最初の10分間は白紙を眺めているだけで、いったいこのテーマは何を言いたいのかを考えているだけで過ぎ、ようやく自分が目指す「美弥のための服」という目標を大きな視野で考えなおし、そこから文章を書き始めた。
60分全部を使ってどうにか規定文字数に達することができた。

その次はデザイン画60分。
高耶が得意としている刺繍の部分を簡単に書くようにしたり、いつもだったら塗りつぶしているスカートの部分を光が当たっているようなイメージを与える描き方で白い部分を残したり、今まで描いてきたデザインを頭の中で呼び起こしてそれを描いた。

「……終わった……」

怒涛のような3時間が過ぎた。
たったの3時間で自分のすべてを出し切ったような、そんな気分だ。

「仰木……どうだった?」
「どうにか……とりあえず全部やれたけど……」
「俺も。はあ……なあ、みんなでメシ食って帰ろうぜ」
「だな」

ちょうどランチタイムだったのでビジネスマンで混雑している店をさけ、原宿まで歩いて細い路地を入ったサンドイッチの店へ。

「仰木くんはどの部門希望なの?」
「オレはフォーマル部門。みんなは?」

インナーウェア部門が3人。全員女子だ。高耶の他のもう一人の男子はカジュアルウェア部門だそうだ。

「150人の中から、デザイナー合計10人、プレス5人、パタンナー3人か……」
「難関だね……」

全員筆記は受かる自信があるらしい。高耶も同じように。
しかしその先の二次試験、面接が問題だ。作品やプレゼン用のファイルを持って行って面接をする。
そこで何人の中から篩(ふるい)にかけられるのだろうか。

「自信ねえ〜」
「あたしも……」

話題を変えようと言って学校でのくだらない話が始まった。
デザイン学校には変わり者が多く、くだらない話に関しては事欠かない。
そんな話で多少気楽になってきたころ、中の一人がバイトがあるからと言って席を立った。

「んじゃ帰るか」

全員で表参道まで出ると、向かいの表参道ヒルズで何やら人が集まっている。

「見に行こうか」
「おう。ヒマだしいいぜ」

帰る女子を見送ってから歩道橋を渡ってヒルズの人だかりを見た。

「う……」
「お、撮影だな」

平日の昼間に撮影をしているのは今朝一緒に気合を入れて送り出してくれた直江だった。一蔵もいる。

「タチバナだ」
「……だなぁ」
「仰木の知り合いだよな?」

知り合いどころか恋人だ。

「そーいや表参道で撮影があるんだとか言ってたような……」
「雑誌か何かの?」
「たぶん……」

仕事中だからみつかっても声はかけられないと思うが、あの男のことだ。ちょっとでも隙があれば絶対に声をかけてくるに違いない。
大きな声で「高耶さ〜ん!」と。

「もう行こうぜ」

みっとない直江を大勢に見られるのを避けたくて友人を引っ張って行こうとするが、やはりそこはデザイン学校の生徒。新作の服の撮影なのだからできるだけ見ていたいらしい。

「モトハルの服だよな?」
「そうよね。あの女の人のスカート可愛い」

直江と腕を組んでいる女のモデルは一流と呼ばれる日本人モデルだ。背が180センチ近くあるようで、直江と並んでいても決して低いとは思わせない。

「タチバナって外国人モデルと比べると背低いよな」
「へ?そうか?」

自分が背伸びしないとキスできないほど大きいのに?

「やっぱ外国人モデルって190とか平気であるからなあ。タチバナだってそんな大きい方じゃないらしいぜ」
「そうなんだ……」
「生き残るのも大変だろうなあ……」

直江の数年後を考えてみるが、やっぱりモデルを続けているようにしか思えない。
きっと直江はいつまでもモデルをやっているに違いない。歳を取って白髪が増えても、それなりの人気を保っているような、そんなモデルに。

「そろそろ行くか」
「ん」

ようやくその場を離れようと歩き出すと一蔵に見つかったようだ。声をかけられる。

「高耶くん、学校帰り?」
「あ……ええと、就職試験の帰り……」
「そうなんだ?どうだった?」
「……まずまず、かなあ?」

思い出したくないことを聞かれたものだ。早く退散したいと思っていたらフラッシュの光がやんだ。
嫌な予感がしてそそくさと一蔵の元を離れようとしたら。

「高耶さん!」
「うっ」

やっぱり見つかってしまったか。周りの視線が自分に注がれるのがわかった。

「どうでしたか、試験は?」

着替えのための時間なのか、女性のモデルはもういなくなっている。直江は着替えずに高耶のもとへやってきた。

「まずまずですって」
「高耶さんに聞いてるんだ。おまえは黙ってろ」
「……まずまずだよ」

大人気なく一蔵に暴言を吐いた直江を責めたいが、人前でそんなことが出来るわけもなく。

「良かったですね。ええと、あと二時間程度で仕事が終わるんですが……」
「……ブラブラして待ってるよ……」

ここで「オレは友達と遊ぶから」とでも言ってしまえば、あとでうるさく文句を言われるのを知っているので高耶が大人になって「待ってる」と答えた。

「じゃあ、終わったら電話します。このへんにいてくださいね」
「わかった……」

ニッコリと笑顔を出されて高耶は諦めの溜息をつき、周りはうっとりした溜息をはく。
高耶の友人たちも雑誌などで見慣れたタチバナのすまし顔ではない、柔らかい笑顔に見蕩れた。

「高耶さんのお友達の皆さんですね。いつもお世話になってます」
「バカ!おまえは世話になってねえだろ!つーか勝手にそーゆーことすんな!」

行くぞ!と声を張り上げて、友人を連れてヒルズを出た。

「またあとで!高耶さん!」
「やかましい!」

恥も外聞もなく高耶さん高耶さんと言ってくる男に腹を立てながら、反面ちょっと嬉しくもなりながら2時間後の逢瀬まで友人をつき合わせて原宿を歩いた。

 

 

 

「おっせえ」
「すいません。遅れましたね」

原宿表参道の歩道橋の上、カバンを肩からかけた高耶が憮然として待っていた。
そこへ目立つことこの上ない男がやってくる。

「2時間つったのに30分も遅刻だ」
「撮影が長引いたんですよ。一流モデルは色々とうるさいので」

一緒に撮影をしていたあの女性のことを指して言っているのだが、高耶からしてみれば直江も一流モデルだ。
本人にはあまり自覚がないらしい。

「もういいよ。そんで?どこ連れてってくれんの?」
「お腹はすいてないですよね?甘いものは?」
「うーん、甘いものなら」
「行きましょうか」

直江に連れて行かれたのは混雑している原宿の真ん中ではなく、青山の路地にある小さな喫茶店だった。
趣のある店内は半分ほど席が埋まっている。

「ここ?」
「ええ。以前撮影で使ったんですが、チーズケーキが美味しいって綾子が言ってたんですよ」
「食べる!」
「いくらでも食べてください」

男二人でもまったく違和感を感じさせない渋い内装の店内で、高耶はチーズケーキとダージリン、直江はウバを頼んだ。

「試験、どんな感じだったんです?」
「もうマジで怒涛の3時間。アレが終わったらソッコーでコレ、みたいな感じ。休む暇もなかった」
「それでも筆記はまずまずだったんですよね?」
「うん……ただな。受かってたら一ヵ月後に面接があって、そっちが不安なんだよ。オレさ、見た目で判断されやすいから……愛想が悪いとかで落とされる可能性が……」

まさか私の高耶さんに限って、と言おうとしたが、そんなことをこの場でいえるわけもない。

「印象よりも作品と真剣さだと思いますよ。高耶さんなら大丈夫です」
「そうかな〜?」
「自信を持って」
「……今日も、直江んち言っていい?」
「そんなこと聞かなくてもいいんですって何度言えばわかるんですか?」
「ん」

ずっと付き纏っていた不安が直江の笑顔と言葉で融けてしまったようだった。

「これ食ったら帰る」
「夕飯は?」
「二人っきりで食おう?」
「……はい」

きっと直江は鎮静剤のようなものなんだろう、と高耶は思った。
いつでも優しくて、大事にしてくれて、安心できる場所は直江しかないんだろうな、と。

 

 

 

結局、その試験は受かったのだが、面接で落ちてしまった。緊張でほとんど喋れなかったせいだ。
泣くほど悔しかったのかと言えばそうでもない。他にもまだいくつか試験を受けている。
ただちょっと落ち込んだのは事実だった。

「落ちた〜……」
「それでもへこたれないのがあなたでしょう?がんばりなさい」
「うん。次はフォーマルの会社なんだ。テレビとかにもよく出てるとこ」

名前を言われて直江も、ああ、そこですか、と答えるほど有名なところだった。

「ここも第一志望と同じぐらい行きたい会社なんだ」
「今度はきっと受かりますよ。もっと肩の力を抜いて」
「じゃあチューして」
「はい?」
「直江はオレの鎮静剤だから」

可愛らしい恋人を腕の中に入れて、直江は世界で一番優しいキスをした。




END



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あとがき

次の話への序章のような
ものなので、面白くなくて
すいません・・・。
次を待っててください・・・。