同じ世界で一緒に歩こう

39

直江の決断

その1

 
         
   

高耶は焦っていた。
最初に受けた会社からこっち、いくつか受けた就職試験はことごとく落ちている。

他の同級生は内定を貰ったりしているのに、自分はまだどこからも内定が来ない。
さらにフォーマルドレスの会社というものは少ないので、これ以上どこを探せばいいのかもわからない。

日々落ち込みが激しくなる高耶はひとりでアパートにいるのが心細いせいで、毎日のように直江のマンションで寝泊りしていた。

「また落ちた……」
「どうしてでしょうねえ……成績だって出席だって問題はないんでしょう?」
「うん……たぶん面接の印象が悪いのと、他にもっといい人材がいたってことだろうなあ……」

今日はアパートに帰ってすぐに郵便物を見た。
先日2日連続で就職試験に臨んだときの結果が二通来ていたが、どちらも不採用。

「就職できなかったらどうしよう……」
「まだ望みはあるんですから、そんなこと言わないで頑張ってくださいよ」
「うん……」

こうなったらドレスメーカー以外の会社でもいいかな、と思って受けたのだがそちらもすでに3ヶ所落ちている。
最後の頼みは直江のコネという手段もある。しかしそれだけは使いたくない。
そのために直江と付き合っていると思われるのが嫌だった。

「また明日、面接なんだ」
「そうですか。がんばってくださいね」
「うん」

たぶんまた落ちるんだろうな。それでも数打ちゃ当たるというじゃないか。
希望の就職先ではないが、デザイナーとして雇ってもらえるならどこでもいい、と思うまでになっている。

「はー、がんばろっと」

 

 

そんな就職難の中、落ち込んでいる高耶に父親から電話が入った。
先日の面接も失敗に終わり、とうとう切羽詰って後は聞いたことすらないメーカーしか残っていない。
高耶は父親の話に飛びついた。

「マジ?マジで?」
『ああ、知り合いの奥さんが松本で小さなオーダーメイドのドレスショップをやっててな。そこで新卒を募集してるそうだ。主に結婚式のドレスなんだそうだ。面接を受けるならいまのうちだぞ』

松本か……と一瞬悩んだが、就職できずに奨学金を返せなかったり、美弥を大学へ通わせてやれないよりはマシだった。
それに何より、一番希望しているオーダーメイドの店とは。

「わかった、受ける!親父の名前言って面接の日にちを決めてもらえばいいんだな?」
『まあ多少は優先してくれると思うが、期待はするなよ』
「受けられるだけでもいいよ。サンキューな」

翌日、学校の昼休み時間に電話をかけて父親の名前を言うと、相手の声がワントーン上がった。

『仰木さんの息子さんね?お話は聞いてますよ。面接でしょう?』

どうやら父親が先に連絡をしていたようだ。『息子が面接をしたいそうで』とかなんとか言ったらしい。

「あの、それで面接を受けさせていただきたいんですけど」
『そうね……明日、来られるかしら?すぐで申し訳ないんだけど他に時間が取れなくて』
「はい!お願いします!」

住所と面接時間を聞いて電話を切った。明日ということは今日しか準備の時間がない。
さっそく学校帰りに新宿駅であずさの予約をし、アパートに帰ってから持って行って見せる作品をシワにならないように気をつけながらスーツカバーに入れ、大きな製図ケースにプレゼン用のボードとファイルを入れた。

「おっと、スーツ着ていくんだった」

しばらく直江のマンションにいたので、面接用のスーツも直江の家だ。
直江のマンションまで自転車で行き、クローゼットからスーツを取り出したときに直江が帰ってきた。

「また面接ですか?」
「ああ、うん。明日」
「今度はどこなんですか?」

直江が何気なく聞きながら、脱いだジャケットをベッドの上に置いた。

「松本」

何枚かあるワイシャツを選んでいたから、高耶の答え方は無意識だったとしか言いようがない。

「……松本?」
「うん。親父の知り合いのとこ。結婚式用のドレスの会社だって。なあ、このワイシャツでいいと思う?」
「え、ええ、そのワイシャツで……。松本に本社がある会社なんですか?」
「本社っつーか、そこしか……」

そこまで答えて高耶がハッとした。

「……受かったら、松本、ってことですよね?」
「あ……ああ。でもまだ受かるって決まったわけじゃないし。どうなるか……」

心持ち目を眇めて、直江が背中を向けてベッドに座った。視線が定まらない自覚をしながら、また高耶に問いかける。

「受かったら、松本に帰る。そういうことですよね?」
「そう……なるかな……」

高耶の返事に直江の胸がグッと固まる。

「言いたくもありませんが……遠距離恋愛になるわけですか……」
「う……うん。あ、でも受かったらだから。まだわかんないし」
「それでも、あなたは覚悟をしたんでしょう?遠距離になってもいい、そういう考えだってことですよね?」
「だって……」

直江が静かに怒っているのが伝わってくる空気の濃さ。
しかも直江は出来る限り怒らないようにと自分を抑えているのもわかる。

「あなたが選ぶ道を私はどうこう言うつもりはありませんでしたけど、今回ばかりは……。同居の約束だってしてるのに、どうして」

直江にとって高耶の卒業と就職がどれだけ待ち遠しいものか、高耶にもよくわかっている。
しかし高耶にも事情があるのだ。

「だってオレ、奨学金で学校行ってるんだぞ?美弥だって来年は大学に行くつもりで受験勉強してる。あいつはオレと違って頭いいから国立入れて奨学金の世話にならなくてもいいけど、それでもやっぱり金はかかるし、美弥にはオレみたいなボロアパートなんかに住まわせたくないんだ。女の子なんだから。なんでもちゃんとしてやりたいんだよ」
「じゃあ東京で就職してください」

直江の気持ちはわかってはいた。だが高耶がどれだけ就職難に失望しているか考えていない直江に怒りが湧いてくる。

「だから!今まで東京の会社を受けてきたんだろうが!それでも落ちまくって、もう目ぼしい就職先なんかなくなってきてるんだよ!わかってんだろ!ウチが貧乏でオレが就職しなかったら親父も美弥も苦労するってことが!」
「でも!」

それ以上、直江は何も言えなかった。
言ってしまえば、自分と家族とどちらを天秤にかけて取るつもりなのかを聞かなくてはならない。
高耶が家族を取るのはわかっている。恋愛は長距離でもできるのだから、と。

「とにかくオレは松本に面接に行く」

無言のまま痛そうな顔をしている直江を置いて、高耶はスーツを持ってアパートに戻った。

 

 

翌朝、高耶は予約をしていたあずさの指定席で松本に帰った。
駅からその足で松本駅から車で10分程度の場所にタクシーで向かう。荷物が多すぎて徒歩で行くのは難しかった。
到着したその店は一軒家ほどの小さな店で、デザインからパターン、縫製まですべてをここでまかなっているらしい。
外観は木材をふんだんに使っている素朴なイメージで、ショーウィンドウには細かい細工の美しいドレスが並んでいた。
中へ一歩入ると受付の他に打ち合わせ用らしい木のテーブルが2組並んでいた。

「あの、面接を受けに参りました仰木です」

受付にいた若い女性は事務員なのだろうか、落ち着いたスーツを着ていた。

「お待ちしてました。どうぞ、そちらのテーブルに。すぐに社長が参りますから」

内線電話をかけると高耶がテーブルに着く前に社長らしき女性が出てきた。
服装は絹のブラウスに品のいいスカーフを巻いて、動きやすそうなウールのパンツをはいてハイヒールだった。
手首には針山がついている。社長だからといって机でふんぞり返っているタイプではなく、自身も現場で動き回っているのだとわかる。

「お待たせ、仰木くん。お父さんからいつもお話は伺ってます」

どうやら父親とも交流があるらしき女社長は、気さくでアクティブな女性らしい。
針山を腕から外すと、さっそくで悪いけど履歴書と作品を見せて、と言った。

封筒に入れた履歴書に目を通している間に、高耶が作品を出す。作り直したドレスは綻びもなければ攣れもない。
自信を持って見せてきたものだ。

「これが作品ね。こっちはビザンティン風なのね。丈は……膝丈。ずいぶん若者向けのドレスね」
「妹が似合う服がコンセプトなので、ほとんどの作品は膝丈か、踝丈です」
「デザイン画を見せてもらっていい?」

慌てて製図ケースからデザイン画のファイルを出した。今まで高耶が描いてきたデザイン画の中でも出来のいいものばかりが入っている。

「……あら、キレイね。ここまでキレイに描く人なんて少ないのよね。うちみたいなオーダーメイドの店はデザイン画を多く描くよりも、お客様のリクエストに添ったディテールのデザイン画をいくつかわかりやすく描く方が重要になってくるでしょう?いいわね、あなたの絵」

パラパラとファイルのページがめくられていく。
緊張してその手を視線が追うのを止められない。
あるページでその手が止まった。

「……素材感が……すごいわね、仰木くん。このデザイン画って、このドレスよね?ソックリじゃないの」

持ってきたドレスのデザイン画を見た社長が驚愕しながら作品とデザイン画を見比べている。
高耶としても自信があっただけに、嬉しい言葉だった。

「写真を撮らせてもらっていいかしら?他にも何人か面接してるから、覚えておくのが大変なの」

気取らない女性で好感が持てる。年齢は高耶の父親と変わらないらしいが、仕事が仕事なだけに若く見えるし何よりも無邪気で、今まで受けてきた会社の面接官やデザイナーとはまったく違った。
この人の会社なら入りたいとまで思った。

写真を取り終えた社長は高耶が作品を片付けるのを手伝ってくれた。それから店内を案内され、裏方の縫製場所やデザインルーム、完成品のドレスが並んだ部屋を見せてもらった。
そして玄関まで見送ってくれる。

「結果は後日、そうね、まだ他にも面接の希望があるから1ヶ月先になるけど、いいかしら?」
「はい。お待ちしてますので、よろしくお願いします」
「気をつけて帰ってね」
「ありがとうございました!!」

帰る道で浮き足立つ自分がいる。あの店で働きたい。
自分が望んでいたデザインとは少しだけ違うが、帰り際に見せてもらったドレスの数々は高耶の得意にしている刺繍や緻密な細工を施してあり、しかも素材が大量生産のものと違って高級な布ばかりだった。
さすがオーダーメイドと銘打っているだけあった。

実家で一泊して帰る予定だったので、店が見えなくなる曲がり角まで歩くとタクシーを拾った。

 

 

実家で食べた夕飯の時間に、高耶は今日の面接であったことを美弥と父親に話した。
少し興奮気味になりがら、社長の人柄の良さや、ドレスの美しさや、店の雰囲気まで何から何まで。

「そうか、気に入ったか」
「うん、あそこだったらオレ、長続きすると思う」

しかし美弥だけは浮かない顔をしている。どうしたのか高耶が聞いてみたが、生返事しか返って来ない。
夕飯を終わらせて、久しぶりの自室で大の字になって寝転んだ。
そこに美弥が入ってきた。

「お兄ちゃん、松本の会社なんかでいいの?」
「え?なんで?オレが松本に帰ってくれば美弥の学費だってオレが出せるし、いいんじゃねえの?」
「いいけど、その、友達とか……ええと、彼女とか」

美弥は直江と高耶が付き合っていることを知っているが、それを高耶は知らない。
兄に気遣って「彼女」と言ってみた美弥は、一瞬で高耶の顔色が変わったのを見逃さなかった。

「……そりゃ、遠距離にはなるけど、別れるわけじゃないんだし」
「ちゃんと話して理解してもらわないとダメだよ?大事な人なんでしょ?」
「そのつもり……ではいる……」
「だったらいいけど」

それだけ言って美弥は部屋から出て行った。
高耶にはまだ問題が残っている。もしも就職できたとしたら、直江とは遠距離恋愛だ。
しかも昨日はケンカのようになってしまってから、まったく音信不通だ。メールすら来ない。

「……メール、してみるか……」

ところが何時間経とうが直江からの返事はなかった。そうとう怒っているとしか思えない。
電話も入れてみたが出ない。確か今日の仕事は夕方で終わるはずなのに、だ。

「わざとか……怒ってんだろうな……」

その夜、就職と恋愛の間で高耶は不安に揺れるしかなかった。

 

 

 

その頃、直江は目の前にある携帯電話を見つめながら、苦悶を噛み締めていた。
高耶の事情はわかっている。就職難でなかなか試験に合格しないのもわかっていた。
これ以上、無理を言えばそれは自分のワガママでしかない。高耶の家庭を壊すわけにはいかない。

しかしもう2年も前から高耶との同居を楽しみにして、そのために自分も相当なガマンを重ねてきた。
高耶が自分と仕事ができるまで売れっ子モデルのままでいろと言うから、やりたくもない仕事があってもしてきたし、嫌いなデザイナーとも笑って話すし、モデル仲間の妬ましげな視線を耐えてきた。

それなのに、大切にしてきた高耶が自分から離れて松本で仕事をすると言う。
それは捨てられるのと同じだ。いつも手が届く場所に高耶がいないのなら、別れるのと同じだ。
自分がどれだけ高耶の成長に不安を持っていたのかが、今になって大きな波になって押し寄せる。

思い返せばここ1年はそうだった。
高耶がどんどん大人になって、成績もぐんぐん上げている。それに不安を覚え、嫉妬を感じ、いつか直江の存在が邪魔になって捨てられる日が来るんじゃないかと思っていた。
いったんはそう思わないように努力もしていたが、まさかここまで来て直江から離れる決断を下した高耶と今までのように温かな気持ちで接することが出来るか、直江には自信がない。
それよりも、自分と離れると覚悟した高耶にはついていけない。なぜ、そんなことができるのか、と。

2時間前に携帯電話にメールが届いた。高耶から届くと画面に数秒間、高耶の写真が出る。
それを見て怖くなった。
たった今、着信のコールがあった。高耶からのコールは他の人間と違って着メロになっている。
怖くて出られなかった。

「自信なんかありませんよ……」

歯の根が合わなくてガチガチと音を立てる。

「きっと、捨てられる……」

酒を飲んでいたせいもあっただろう。仰のいて手で目を隠す。その隙間から涙がこぼれた。

 

 

ツヅク


38に戻る / その2へ

 

   
   

ああ!石を投げないで!痛いから!