同じ世界で一緒に歩こう

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直江の決断

その2

 
   

 


無事に面接が終わり、東京に戻ってきていた高耶だったが、直江のマンションに向かう勇気はなかった。
きっと話せばケンカの続きになるだろう。
ならないにしても直江からの連絡がないのは、直江が怒っているからに違いない。

ちゃんと話して松本での面接や、その店の雰囲気や、この先のことを話し合おうと思っていたが、それすら怖くなってきた。

直江からの連絡がないまま、5日が過ぎた。
1日でも高耶の声を聞かずには済まないあの男が、5日間も高耶を放ったらかしにしている。
覚悟を決めて電話をしてみたが、やはり出る様子はない。
これは思い切ってマンションに行くしかないと、久しぶりにマンションのエントランスで合鍵を使って自動ドアを開けようとした。
ところが。

「え?なんで?」

開かない。
何度やってみても開かない。
今までは開いたのに。

「もしかして……」

直江が鍵を変えたとしか思えない。
急いで携帯に電話をしてみたがやはり出ない。

メールをしてみたら、すぐに返事が返ってきた。

『別れてください』

それだけだった。
高耶は数分間、そこから動けずにいた。

 

 

 

布団にくるまって泣いた。
あれから何度も電話をして、メールをしてみたが、まったく音沙汰がない。
しまいには着信拒否になり、メールも設定を変えたのかエラーで戻ってくる。

放心状態でアパートに戻ってきたら、高耶宛てに宅配便が届いた。直江からだった。
開けてみると高耶がマンションに置いていたものすべてが入っていた。この部屋の合鍵も。
手紙などは入っていない。

直江が怒っているとか、呆れたとかではなく、明らかに別れて欲しいという意思表示だ。
理由はひとつだろう。
松本に帰ると覚悟した高耶を、だったらもういらないと捨てただけだ。

自分の体を半分、切り裂かれたような気分だった。
突然家族を失った日の、あの喪失感が高耶を襲った。
泣くしかない。

「なんで勝手に!話さなきゃわかんないのに!なんで!!」

布団の中で大声を出して泣き喚いた。
きっとこの悲しさは明日になろうが、明後日になろうが、一生をかけてだろうが晴れやしないだろう。
絶対に別れないと、お互いに何度も確認して、その気持ちが本物だというのも知っていた。

しかし他にも高耶は知っていた。
直江が高耶と離れたくないと、何度も何度も言っていたのを。
いつだったか首まで絞めて殺されそうになるほど、愛されていたのも。
離れるなら殺すとまで言っていたあの男の本心を知っていた。

「わかってくれてもいいのに!愛してるんだったら!」

たかが遠距離。しかし直江にとっては別れと同じ意味を持つのも、知っていた。

「だからって、こんなのないよ!!」

痛いのは自分だけではない。ならば話ぐらい聞いてくれたっていいのに。そう思うが、直江にはもう終わりなのだ。
約束を破ったのは高耶の方だったのだから。

 

 

 

3日間、高耶は学校を休んだ。
ようやく出てこられるほどの気力を回復したのは譲のおかげだった。

譲が高耶と会う約束をしていたのに、高耶が来なかった。
心配になって近所である高耶のアパートまで行くと、目を腫らした高耶が出てきた。

「ど、どうしたんだよ!」
「……ゆずる〜……」

玄関で泣き出した高耶を部屋の中に入れ、事情を聞いてみると直江と別れたと言った。
一方的に別れを突きつけられた、と。

「なんで?あんなに高耶のこと大事にしてたのに」

細かい事情を最初から最後まで話した。就職のこと、ふたりの約束のこと、直江がどれだけ高耶を愛していて、別れるぐらいなら殺すとまで言われていたこと、すべて。
数時間かかったが、譲は全部聞いて、わからないところもきちんと質問して聞き出して、すべて理解した。

「俺は……あんまり直江さんのこと知らないけど、高耶をどれだけ好きだったかはわかってるよ。それに直江さんの気持ちもわかる。もし今、離れて暮らしたら、俺だって彼女に捨てられるような気がするもん」
「オレは捨てないのに」
「それは高耶にしかわからないことだろ。直江さんにはわからないじゃん。いくら信じあってるからって言っても所詮は他人なんだ。100%理解し合えるわけじゃない。それに、あの人……高耶が思ってるほど、強くはないんじゃないかな」

いつだって高耶を支えてきた直江が強くないと言われて一瞬耳を疑った。

「だってさ、そこまで高耶を好きで、いつだって手離さないでそばに置いといて、俺にだってなかなか会わせてくれないぐらい独占してたってことはだよ?高耶がそばにいなきゃ何も出来ないってことじゃないの?それって強いとは言いがたいと思うけど。やっぱり遠距離になるの、死ぬほど辛いんだよ」
「だって別れたら遠距離どころじゃなくなるのに」
「だからだよ。捨てられるぐらいなら殺す、でも実際には殺せない。だったら捨てられる前に捨てる。こういう図式なんだよ、きっとね」
「……そう、かな……」
「根深いと思うよ。高耶を好きだったぶん、辛いんだから」
「やり直せない……かな?」
「……無理だと、思う。もう怖くて怖くて、直江さん、高耶と会うことも出来ないんだから」

譲が言った言葉は本当だろうと高耶も思う。もし直江に会えたとしても、やり直してはくれないだろう。
いったん高耶が離れると言い出した怖さを、直江は身に沁みるほどわかっているのだから。

「でも……」
「これ以上は直江さんにも酷だよ。どっちにしろ、高耶は遠距離になっても平気だって言ったも同然なんだから。直江さんが耐えられないの知ってて言ったんだから、今回は高耶が悪いよ。……きつい言い方だけど、そうじゃない?」
「うん……」
「泣きたいだけ泣いて、時間かかっても忘れるしかないって。高耶には家族がいるんだろ。見捨てるわけにいかないんだろ?」
「ん……」

わかってはいるが、それでも辛い。
また涙が溢れてくる。

「あんな弱い男だったんだって思って、忘れちゃいな」
「うん……」

それからずっと、高耶が学校に行けるようになるまで、譲も学校を休んで付き合ってくれた。
その優しさがありがたくて、高耶は少しだけ立ち直れた。

 

 

直江が事務所での打ち合わせに出ていた日、運悪く千秋とかち合った。

「よう、旦那。暗いツラしてるじゃねえの。また高耶とケンカでもしてんのか?」
「……高耶さんとは、別れた」
「は?」
「別れたんだ。もう二度と会わない」
「ま……マジかよ……嘘だろ?」

直江からは絶対に聞けないだろうと思っていた言葉が千秋の耳から頭の中まで駆け回った。
数日前までは高耶さんがどうのこうのとふやけた顔で言っていた直江が。

「な、なんで?」
「俺から離れる決心をしたんだそうだ。だから、別れた」
「……信じられん……」

千秋にとってはまさに晴天の霹靂だった。
いつもケンカするごとにからかって遊んではいたが、実際に別れたとなると千秋としてもショックが大きい。
これでも心の底では応援していたのに。

「嘘だって、言えって」
「嘘じゃない。本当だ」

それ以上は話したくないとばかりに直江は椅子から立ち上がって、事務所から出て行った。
あのメールを出すまでずっと迷っていた。何度もやめようと思った。
しかし高耶が松本へ帰ってしまってからの生活を想像したらあまりの緊張に吐き気がして、悲しさで胸が押し潰された。

高耶が自分と離れても平然としていられる、その神経も疑った。
あんなに愛していると伝えたし、直江が少しでも冷たい素振りを見せれば泣き出すほどだったのに、いざ就職が待っているとなれば平気で自分を置いていく高耶を信じられなくなった。

愛しているのは何も変わらない。だけど、愛され方というのがある。
そんな愛され方は、直江の許容範囲にはない。
初めてこんなに好きになった人なのに。

自宅へ帰ってリビングのソファに座る。
いつも高耶が座っていた場所をあけて座る自分が情けなくなってくる。
立ち上がってコーヒーカップを出すと、そこに夫婦湯呑みを見つける。
いきなり釘で胸を突かれたような感覚が起こって、それをゴミ箱に捨てる。
歯を食いしばってキッチンに立つと、目の前に高耶のために買った紅茶の茶葉があった。
それも捨てる。

そうしているとキッチンで目に付くもの半分ほどを捨ててしまった。
全部高耶に送り返したつもりだったが、まだいくつも残っていた。

何かに取り憑かれたように部屋中を歩き回り、高耶の思い出がある品を片っ端から捨てて回る。
そうしないと死んでしまいそうな気がした。

気が付くと手に持っていたのは携帯電話だった。まだ高耶からのメールも保存されたままになっている。
誕生日に貰ったストラップも付いている。
留守番電話に声も入っている。

腕を振り上げて、床に叩きつけた。
ガツンという破壊音を上げて、携帯電話が壊れた。
液晶画面が割れたと同時に、直江の心もひび割れた。

「高耶さん……!!」

直江の悲鳴のような慟哭が、部屋いっぱいに響いた。

「俺が、捨てたんだ!!」

 

END



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あとがき

長いのでここで一回切ります。
続きは40話です。