同じ世界で一緒に歩こう

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戸惑いながら

その1

 
         
   

千秋から電話がかかってきたのはあの日から数日経ってから。
久しぶりに遊ぼうと高耶を誘ったのだが、高耶はそんな気力はないと断った。就職のことで忙しいし、課題も残っているし、と。
それならばと千秋がアパートまで出向いた。

「へ〜……」
「なんだよ」

トイレから出てきた千秋が高耶を見下すようにしてつぶやいた。

「旦那の歯ブラシ、まだあるんだ?」
「……忘れてただけだ。捨てる」

勢い良く立ち上がってユニットバスに入り、直江の歯ブラシと香水のビンをゴミ袋に入れた。

「マジで聞くけど、おまえはどうなんだ?まだあいつのこと好きなのか?」
「……当然だろ。別れました、はい、そうですか、ってわけにはいかないに決まってる」
「そんで、あいつがまだおまえを好きなのもわかってんのか?」
「わかってる」

嫌いになって別れたわけではない。これ以上は付き合えない、そういう意味で別れたのだ。
それは高耶もわかっている。

「直江、な。今入ってるスケジュールが終わったら、モデルやめて不動産屋になるんだと。兄貴の会社で」
「え?」
「もういい加減、トシだし。売れてるうちに辞めたいんだってさ。ツブシきかねえからな、モデルなんて。タレントか役者になるか、モモヒキはいて通販雑誌でモデル続けるか。あいつはどっちもできねえ本物のファッションモデルだ。だったらまったく違う世界で働くって言ってたぜ」

千秋はこれを伝えに高耶を誘ったらしい。珍しく真剣に話している。

「もうモデルに未練はないんだってさ。あとは定年まで働ける会社に入って、適当に結婚して、普通に人生を終わらせるんだって〜。つまんねえんだよな、ライバル減って」
「モデル、やめるのか……」
「今まで誰のためにモデルやってたんだろうな〜?自分のためだけじゃないことは確かだな」
「そんなの……オレに言ったって……。決めたのは直江なんだろ……」
「決めたのは直江でも、そうさせたのはおまえだろうが」

そんなことを言われても、高耶にはどうしようもない。引き止めるつもりもない。責任だってない。
直江が別れると言ってきたのだ。そう言われても困る。
それに直江にはもう女がいる。もしかしたらその女のためにモデルを辞めて定年まで安定した仕事をするつもりなのかもしれない。

「でもあいつ、この前、女と歩いてた。だからじゃないのか?」
「マジか?どこで?」
「六本木……すげーキレイな女の人。たまにテレビで見かける人……付き合ってんだろうな」

それを聞いて千秋はあの時の女かと思い出す。あれを高耶が目撃してしまったのなら更に関係が悪くなる。
まったくあいつは何してやがんだ、と口の中でブツブツ言ってから、直江の代わりに言い訳をした。

「付き合ってるかどうかは知らないけど、たぶん本気じゃねえよ。いや、絶対本気じゃねえな」
「昔の直江はああだったんだろ。本気だろうが何だろうが、オレじゃない誰かが良くなったってことだろ」
「そりゃ違うって。……あ〜、まあ、アレだ。おまえがいなくて寂しくて、ってとこだ」
「……じゃあなんで別れるなんて言い出すんだよ。オレをいなくさせたのはあいつだ。オレじゃもう嫌だって、そう言ってんのと同じなんだよ」

別れたいきさつは先日直江を問い詰めて聞いたばかりだった。
高耶が松本で働く。直江を置いて行ってしまう。あんなに甘えていた高耶が自分を捨ててしまう。
そうじゃないと千秋は何度も言ったが、直江がかたくなに思い込んでしまっているので聞き入れられなかった。

しかし綾子から聞いた話では高耶のこの部屋に直江がやってきたのだと言う。
そしてやり直せないと実感したんだと言ったそうだ。

「でもさ、直江、ここに来たんだろ?」
「来た」
「そんでどうしたんだ?おまえが追い返したのか?」

俯く高耶の肩が少しだけピクリと動いた。

「オレ……じゃない。兵頭が追い返した……」
「兵頭って、あのおまえに惚れてる同級生?」
「そう……」

直江から聞かされたことがある。高耶の同級生で兵頭という男がいて、そいつが高耶のことを好きで手出しされそうで腹が立つ、と。
千秋が高耶の学校へ行った時のことを思い出した。そういえば高耶のそばにいたのがそんな名前だった。

「ここに兵頭ってやつを呼んだのか?」
「ああ……直江が女といた日、兵頭も一緒にいて……そんで話を聞くって言ってくれて」

この部屋にやってきた兵頭。それを見た直江が考えることはひとつだ。

「おまえの新しい彼氏だって思い込んだわけか」
「たぶん……。兵頭、裸だったし」
「え?!」
「風呂上りだっただけだ」
「何もなかったんだよな?」

そう聞かれて高耶が口ごもる。何かあったのだと言っているも同然だ。

「……抱かれた」
「嘘だろ!」
「いつも直江がしてたみたいに……」
「マジかよ……」
「ギューって」

それを聞いて千秋が脱力する。てっきり『抱かれた=やった』と思い込んでしまった。

「紛らわしいこと言うな!」
「え?ああ、そっか」

千秋がどう考えてしまったのかを想像して高耶の顔が赤くなる。そういう意味じゃないんだと発言を取り消した。
取り消した後で高耶は気弱そうな目で千秋に訴えた。

「その時は、オレが笑いながら泣いたから、兵頭も同情でそうしたんだと思う。このまま兵頭と付き合ったらいいかもってちょっと思ったんだけど、やっぱダメなんだよな。泣いて混乱してたから平気だっただけで、今になって考えると直江じゃないやつにあんなことされたって嬉しくも何ともない。てゆーか、キモイ」

もしもこの場に直江がいたらどれほど喜んだことだろうと千秋は思う。しかし直江はここにいないどころか毎日泣き暮らしているのだ。

「えーと、俺の意見としてはだな……おまえが松本で就職するってのには反対じゃない。直江と遠距離になっても付き合えばいいと思う。だから、おまえが直江をどうにかしろ」
「無理だから別れるなんて言い出したのに……」
「じゃあどうして直江がここに来た日にちゃんと話さなかったんだ。バカか」

強い口調で責められて高耶が身を引いた。引けばその分迫ってくる。

「あいつは無意識にここに来たんだってな。おまえに会いたくてガマンできなくて来たってことぐらい、おまえにもわかるだろ。やり直したいって思ってるんだって、俺ですらわかるぜ。だから話に来たのに、なんで追い返すんだよ。兵頭なんかシカトして話しゃ良かったじゃねえか」
「だって……」

いつまでもウジウジしている高耶にも直江にも腹が立って来た。
さっきから聞いていれば好きだけどもうダメだとか、まったく前向きな話をしない。

「だってじゃねえ!好きなんだろう!どっちもダメになる別れ方するぐらいなら、とことん話して嫌いになってから別れろ!その方が直江だっておまえだっていくらか覇気を取り戻すんだろうが!」

直江が日々やつれていくさまを見るに耐えかねた。
それを誤魔化すために女を複数作り、だらしのない生活をしている。そしてまたやつれる。
一方、久しぶりに見た高耶も同じようにやつれている。目に以前のような力すらない。
泣き出しそうな笑顔で「久しぶり」と言われたって嬉しくもなんともない。

「いいんだな!直江がモデルやめたっていいんだな!俺がそう言ってきてやるよ、今すぐ!!」
「だ……ダメだ!」
「ダメだと?!なんでだよ!もう関係ないんだろ!」
「ダメだ!あいつはモデルやってるの好きだって言ってた!オレのことなんかでやめるのは許さない!」

初めて会った時、直江が言っていた。
好きなことを仕事にしているんだから、それでいいんだ、と言っていた。
好きなことなのに、どうして自分のせいで辞めるんだ。

「……ちゃんと話せよ……そう言ってやれよ。あいつな、ケータイ壊しておまえに連絡したくても出来ないんだ。おまえの電話番号、手帳にメモってなかったらしいぜ」
「……ん……でも」
「大丈夫だ。俺様が保証する。あいつはおまえからの話を聞きたがってんだよ」

高耶はテーブルにあった携帯を握り締めた。
まだ消していない直江の番号。メールも残っている。

「マジで大丈夫だから。ゴチャゴチャ言ったら俺が替わる。してみな」

ひどく優しい千秋の声に気持ちを解されて小さなボタンを数回押した。画面に直江の文字が浮かぶ。
通話ボタンを押して耳にあて、呼び出し音を聞いていた。コール5回であの男の声がした。

『はい?』

誰からかかっているのかわからない声だった。携帯を壊したのだから、現在登録されている人間以外は番号でしか表示されていないのだろう。

『どちらさまですか?』

なかなか声がしないのを不審に思ったのか重ねて聞いてくる。

『……高耶さんですね……』

どうしてわかったのだろうか。息遣いか、気配か。

『どうしたんですか……?』

優しいけれど、怯えたような声だった。こんな直江の声を聞いてばかりだったような気がする。

「モデルやめるな!」
『え……?』
「こんなことぐらいでやめるな!好きでやってるって言ったじゃんか!やめるなよ!」

思い切って声を出したら、こんな言葉しか出なかった。
失敗したと思いながら、でも止められずにどんどん言葉が出てくる。

「オレがいなくってもモデル続けろよ!自分で選んだんだろ!モデルやりたいんだろ!」
『……でも』
「ちゃんとした理由がないなら続けろ!」
『……理由はありますよ。あなたがいないならモデルを続けてたって意味はない。それだけです』
「そんなの理由にならねえよ!」
『じゃあ、戻ってきてください……。勝手に別れるなんて言った俺を許して、戻ってきてください!あなたが松本へ帰ってしまうより、あなたが他の誰かのものになる方がよっぽど辛い!あんなにひどいことをして、勝手に傷付いている弱い俺を許してくれるなら、戻ってきてください!』

直江の声が泣き声に変わった。高耶が返事も出来ないほど、電話の向こうで大きな声で泣いている。

「な?」

千秋がニヤっと笑って高耶を見た。直江の声があまりにも大きかったらしく、千秋にまで聞こえていたようだ。

「どこにいるのか聞いて、行ってやれ。そんで『おまえはひとりじゃ何もできねーんだな』つって足蹴にして、おまえのワガママたくさん言ってみろ。あいつ、全部はいはいって聞くぜ」
「うん……。直江、今、どこにいる?」

しゃくりあげながら直江が答える。
事務所です、と。

「事務所……?の、どこ?」
『………………』

答えがないということは、周りに何人かいたということだろうか。

「……マンションに戻ったら、電話しろ。行くから」
『高耶さんのアパートに行きます……』
「わかった。じゃあ、あとで」

呆れるというか、あ〜あ、という顔で千秋が通話を切った高耶を見た。

「事務所で大泣きしやがったんだ?あの旦那は」
「らしい……」
「相変わらず、おまえのことになると周りが見えなくなるんだな。そこだけは変わらないのか」
「……呆れる……」
「とにかく、良かったな。ヨリ戻せそうじゃん」

高耶の笑顔が泣き出しそうだった。しかしさきほどまでとは違って幸せそうに目を潤ませている。
ポンポンと高耶の頭を叩いてから、震える頬をつねった。

「もう離すなよ」
「サンキュー……千秋」
「じゃ、直江が来る前に帰るわ。あとで報告しろよな。あと、成田にも。心配してたから」
「うん」

千秋には似つかわしくない貧相なドアを開けて出て行った。
しかし千秋には羨ましすぎるほど、このドアは開けられるのを待っている。直江を迎え入れるのを。

 

 

ツヅク


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ソッコーで解決に向かってしまった気が・・・