弱々しく叩かれたドアを開けると直江が立っていた。図体に似合わず背中を丸めている。
「入る?」
「いいんですか?」
「いいんだよ」
縮こまっている直江の服を引っ張って部屋に入れる。玄関で躊躇して動こうとしない男を叱り付けて、靴を脱がせた。
いつも直江が座る場所にクッションを置いて座れと促す。が、なかなか座らない。
「……何しに来たんだよ。話し合いすんだろうが」
「は……はあ……」
「座れ」
そういう高耶も緊張しているので、冷蔵庫からオレンジジュースを出して二人分グラスに注いだ。
テーブルに置いて直江用の灰皿を出す。
「で、どーする?」
「……あの、やり直してくれるんですか?」
「そのために来たんじゃないのかよ。……まあ、話し合いによってはそれもなくなる……かもしれないけど……」
しんとした中で直江と自分の鼓動の音が聞こえてくるようだった。
「ええと……就職はまだ……決まってなくて……。来週ぐらいに結果が来る……受かってたら松本に帰って働く。これは譲れない」
「……はい……」
「そんで……オレは、別に他に彼女作ろうとか思ってないし、松本で働いてても休みごとにおまえに会いに来たっていいと思ってるし、そのうち転職するんだろうなっていうのもあるし、出来ればいつか独立したいとも思ってるし……直江さえいいなら、待っててもらいたい……」
俯く直江の顔色を伺いながら今後の自分の予想を簡単に話した。
視線を泳がせながら直江も言いたいことをまとめる。その様子を高耶が不安そうに見ていたがしばらくの沈黙があってから口を開いた。
「もちろん……いつまででも待ちます……。私も休みごとに松本へ行きます……ただ……やはりあなたを繋ぎ止めておく自信はありません……前からも思っていたように、あなたが成長していくたびに、私は不必要になっていくような気がして怖いんです。今回のようにちょっとしたことで別れなくてはいけないと思うほど、怖くて……だからまた同じようなことをしてしまうかもしれなくて……」
口先だけで「いつまでも付き合い続けます」と言われるよりは本音を聞かされて逆に良かったと思った。
それならば直江を安心させてやれば済むだけのことだ。
「それは、オレも同じだから。意地でも働かなきゃいけないのは、家のこともあるけど、やっぱ直江と同じぐらいの立場に早くなりたいって思ってるからってのもあって……焦ってるから……。追いかけてる途中だから、たまに直江に嫉妬してる」
「……あなたが?」
「うん。学生なのが悔しくて、早く働きたい。そんで直江に追いつきたい。だからモデル辞めるな」
高耶にまっすぐ見つめられて戸惑った。高耶が追いつくようなそんな大そうな人間ではないのだ。
そう思えば思うほど、気持ちが萎縮してしまう。
「それより何より」
「……はい」
「オレはおまえが好きで、ずっと一緒にいて欲しいと思ってる。仕事も学校も関係なく、ただ好きだってだけで直江と一緒にいたいんだ」
「たか……」
「おまえは?違う?好きなだけじゃダメなのか?」
高耶に言われて気が付いた。好きなだけで仕事をしていてもいい、そう言ったのは自分だ。
だったら好きなだけで高耶のそばにいてもいいはずだ。たとえそれが遠距離恋愛であっても。
「離れて暮らすのは怖いけど、でも好きだって気持ちは変わらない。オレは、絶対」
「……私も絶対、変わりません」
ゆっくり手を差し出して、高耶の頬を触ろうとする。届きそうなところで止まったから、その手を高耶が取って自分の頬の上に置いた。
「もっと甘やかしてくれないと、困る」
「……はい……」
「そんでもっと愛してくれなきゃ、泣く」
「はい……」
「頼むから、やり直して欲しい」
「はい……高耶さん」
まだ直江にどこかよそよそしい感じがあったが、思い切って近付いて、肩に頭を乗せてみた。
直江の腕は宙に浮いたまま。
「背中」
「は?」
「背中に手をやれって言ってんの。いつも……みたいに」
「でも」
悲しそうに直江を見た高耶の顔を見てしまったらまた自分が傷つけたのだと思った。
もう止まらない。この先どんなに苦しい思いをさせようが、絶対に離せない。
力強く高耶の体を抱きしめた。
「なお」
何も言わなかったが、直江の気持ちが全部流れ込んでくる。
二度と離さないだろうこの腕の中で、激しく思いを巡らせる直江をよそに安堵しながら目を閉じた。
腕の中にいる高耶が何も言わないのに気付いて、もしかして力一杯抱きしめたせいで酸欠になったのだろうかと心配して腕を緩めて顔を覗き込んだ。
高耶が眠るヒヨコのように目を閉じて気持ち良さそうにしている。
「高耶さん?」
「ん?」
ああ、よかった生きていた。
まったく無意識に強く抱いてしまったせいで、高耶が息絶えていたらどうしようかと思った。
「今までよりもずっと好きだ」
「え」
「直江の本音も聞けて、抱いてくれた強さで全部がわかったから。おまえは絶対、一生、オレのこと好きだよな」
「ええ……」
「オレの気持ちはわかったか?」
「わかりましたよ」
高耶に求められるままにキスをした。長くて甘いキスを。
甘えられて手を絡めて、お互いの手に指輪がないことに気が付いた。
「高耶さん……指輪……」
「あ。失くしてない。ちゃんとしまってある」
テレビの上にケースがあって、その中から出して嵌めて、また直江の腕の中に入る。
「直江は?」
「……ええと……どこにやったか……」
「……マジで?」
「もし失くしてたらまたお揃いで買いますから!」
もしかしたらあのパニック状態の時に捨ててしまったのかもしれない。
たしか昨日、一蔵がマンションにやってきてゴミを集積場に持って行ってしまった。
その中に入っていたとしたら……!
「ああああ……」
「なんだ?」
「いえ……もしかしたら本当にないかもしれなくて……」
「もう大事なものじゃなくなったって……そーゆーことか?」
「つまりその、ほとんど毎日パニック状態で、冷静な判断も何もできなくて、…………あああ」
頭を抱える直江の頬にキスをして、大事なものが今は腕の中にあるんだから、他の物なんてどうでもいいよ、と言ってやった。
それで直江の気持ちが少しだけ晴れた。
「んで……一個だけ聞きたいことがあるんだけど」
「はい。なんでもどうぞ」
「あの女、誰?」
あの女とは六本木で連れていたあのモデルのことだ。一番聞かれたくないことをようやく元の鞘に収まった今、甘えられながら聞かれるのは辛いものがある。
「ええと、怒りません?」
「怒るかも」
「じゃあ言わないでおく……ってことは出来ませんよね?」
「うん」
ギュウっと直江を抱く力が強まる。嫉妬しているのはわかったが、これから話すことはもっと嫉妬を誘うだろう。
その上で「やっぱりやり直さない」と言われたらその場でショック死しそうだ。
「ええと、その……簡単に言ってしまえば……彼女、です」
「チューとかしたんだ?」
「………………」
「まだ付き合ってるのか?」
「すぐに別れます……」
他にも高耶の知らない相手数人と別れなければならない。前にも同じことがあったような……。
アレとアレとアレとアレと……いくら高耶がいない寂しさを紛らわせるためとは言え、ちょっと多かったか、と反省する。
まさかヨリを戻すとは思っていなかったから。
明日になったら片っ端から始末をつけようと思っていたら、大事なことを思い出した。
「そういう高耶さんこそ、兵頭とはどうなってるんですか。これからします、みたいな格好をして」
「……教えない」
「高耶さん!!」
「教えない」
意趣返しなのはわかっているが、本当にどうなっているのか知りたい。
もしも高耶が兵頭と肉体関係を持っていたとしたら、自分の頭をトウフにぶつけて死にたいところだ。
「教えてください!!」
「ダメ」
嫉妬にかられた直江が高耶に激しくキスをした。最初は驚いていた高耶だったが、そのうち直江の必死さに嬉しくなって笑いが込み上げてきた。
「笑ってないで教えてくださいよ!」
「ヤダ」
「高耶さ〜ん!」
ベッドに乗せられてシャツを脱がされてて、直江の嫉妬をそのまま受ける。
明るい蛍光灯の下でキスマークでも探しているのか、何度も体をひっくり返される。
こんな直江に「ギューってされた」などと言ってしまえば、嫉妬どころか今すぐ兵頭のところへ乗り込んでとんでもないことを仕出かすに違いない。
これだけは落ち着いてからじゃないと話せないな、と高耶は思った。
それとほんのちょっとだけでも兵頭と付き合ってしまおうと思ったことも。
「どっちなんですか?!あったんですか、なかったんですか!」
「教えないってば」
「く……」
「悔しい?じゃあ兵頭が言ったことだけ教えてやる。あいつはおまえよりもオレを大事にするし、おまえよりも愛する自信があるって言ってた」
「そんなの無理です!私よりもあなたを大事にできる人間なんかいません!私があなたを世界で一番愛してます!」
「本当に?証明しろよ。今すぐ」
いつものような小悪魔的なセクシーさではなく、真剣に頼むようにして直江を見つめる。
証明してやりますとも、お任せください、と優しく言いながら、直江は蛍光灯の灯りを消した。
そのまま直江は高耶のアパートに居ついてしまった。
土下座して合鍵を返してもらい、高耶に命じられたマンションの合鍵もまた作り直さなければならない。
その鍵が出来上がるまで、自動的に直江がアパートに住むようになっていた。
指輪は直江のカバンの中から出てきた。
モデルの仕事の際、一蔵にいつものように渡しておいたのをそのままにしていたおかげで失くさずに済んだ。
直江の指にはそれがはまっている。
そうした同居が続いたある日、高耶と外で待ち合わせて外食をして、アパートに戻ってきたら郵便が届いていた。
松本からだ。封筒にはあの店の名前が印刷されている。
「……う……受かってたら松本だからな。もうわかってるよな?ダメとは言わせないぞ」
「はい、覚悟してます……」
恐る恐る開けると、畳まれた紙が一枚出てきた。
「なんて書いてあるんですか?」
「……今回は……採用を見合わせたいと思います……。追伸……ごめんなさい、私の親戚がどうしてもと言うのでそちらを採用してしまいました……良かったら中途採用の応募をする時にお父さんにまたお知らせします……だって」
要するに落とされたわけだ。
せっかく面接を受けに松本まで行って、直江ともケンカして、別れ話まで出て、直江に浮気までされたのに、
不採用だったとは。
「あああ……また落ちた……」
「高耶さん……」
「なんのためにあんな思いまでして……くっそ〜!!」
その通知をバリバリと裂いて、ゴミ箱に突っ込んだ。
直江は通知を見て大きく安堵したのだが、そんな姿を見せてしまっては高耶の機嫌を損ねる。残念そうな顔をして見せるしかない。
「ああ、どうしよう!!奨学金が払えない!就職できないよー!!」
「大丈夫ですよ!まだ受けてる会社があるんでしょう?希望を捨てないで!!」
「う〜!!」
泣き出しそうな高耶を抱きしめると、クックックと笑いが聞こえてきた。
「……なんです?」
「遠距離にならなくて良かったな?」
「……ええ、まあ……でもこのままだと、また地方へ就職活動ってことに……」
「それでも一個は解決したろ?前向きに考えればいいんだよな?」
「……そうですね」
高耶の髪を撫でながら、背中をポンポン優しく叩く。これからもこうしてそばで安心させてやりたいと思った。
高耶も同様にいつも直江に支えてもらいたいと思っていた。
顔を上げて高耶がねだってきたように見えたのでキスをしようとしたら、高耶の携帯に電話がかかってきた。
くそ、誰だ、いい時に……と直江が携帯を憎らしげに見つめた。
「はい、仰木……ええええ!マジで?!ちょっと待……!書くもの!直江!メモ帳!!」
「え?!ああ、はい!」
この電話がなんなのか、直江のマンションから消えた高耶の物がどうなったのか、モデルは続けるのか、
それはまた後々。
END
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あとがき
ようやく今回の話が終わりました。
長かったな〜。
まだまだ続きますので
よろしくお願いします。