「ただいま、高耶さん」
「おかえり〜!」
夜10時少し前、高耶さんのアパートに戻ってきた。
ドアを閉めてからすぐにギューッと抱いて、キスをして、甘えて抱きつく体を持ち上げて部屋の中へ。
「メシは?」
「新幹線の中で食べてきました。だから今は」
「チューだろ?」
「はい」
しばらくの間甘いキスをして、一日離れていた寂しさを埋めてから面接の日にちを聞きだした。
「来週の月曜日の午前中だ」
「そうですか。頑張って」
「おう!もう面接には慣れたから緊張しないで出来る気がする。それにモトハルさんだったら何度か会ってるし、ハッキリ喋れると思うんだ。だから今回はちょっと自信がある」
作品の素晴らしさは松本のドレスメーカーでの面接で実証されている。
あとはいかにプレゼンをうまくやるかだ。
「倍率はどのぐらいなんですって?」
「先生の話だとオレみたく面接を受けるのが20人。デザイナーで採用されるのが2人。パタンナーは1人だってさ」
「けっこう厳しいですね」
「まあな。でもやるしかねえだろ。これで落ちたら洒落にもなんねえ。東京で働いておまえと暮らすんだから気合入れて面接やんないとな!」
「ですね!!」
ああ、なんていい子なんだろう!さすが私の高耶さん!
「頑張る!直江とオレの新生活のためにも、美弥の進学のためにも!」
「何もできないのがもどかしいですけど、応援だったらいくらでもしますからね!」
「うん!」
抱きついてゴロゴロ喉を鳴らして甘える高耶さんは以前と変わりなく可愛らしい。
しかし仲直りをした日以来、私たちはまったくエッチをしていない。
最初はアパートだから声が漏れるのが気になるだけだろうと思っていたのだが、そうではないらしいのだ。
昨日も、一昨日も、一昨昨日も、その前の日も、前の前の日も、前の前の前の日も、前の前の前の前の……。
とにかく!!
迫ると逃げる。
何かと言い訳をして逃げる。
アパートだと恥ずかしいからとか、課題をやらなきゃいけないからとか、明日は集中して授業を受けたいからとか、私の仕事が早朝からだとか、ちょっとお腹が痛いからとか、毎日毎日断られる。
一昨日などは「このゲームを終わらせたいんだ」とか言ってキスしていた私から離れてプレステ2の電源を入れた。
根の暗そうな男が赤いマントと皮のツナギに身を包み、バンバン銃を撃って時にはビーストに変身したり、時にはカオスになったり、人間として有り得ない動きをするようなそんなゲームと私とどっちが大切なんですか!
と、怒鳴りそうになったが怒鳴ってしまえばここを追い出されるかもしれない。
一ヶ月間も別れていたあの辛さを繰り返すのは私にはもう二度と耐えられない。
「あの、高耶さん」
「ん?」
「今夜、いいですか?」
「………………」
ほらまた固まってしまった。
「ちょっと無理」
「どうして?」
「…………み、見たい深夜番組が……」
嘘だと言うのはお見通しだ。今までテレビ番組のせいで断られたことは一度もない。
「そうですか……」
「うん……」
しかし今日こそは騙されたままでいるのは嫌だ。おかしな噂も立っていることだし、高耶さん以外の人間とそういう関係になることはもうないのだと、そんな意味を込めたセックスをしたい。
「嘘、ですね」
「う」
「もう隠し事も誤解もないようにしましょう。お互いのためです。どうしてそんなにしたくないのか言ってください」
「…………だって、直江、浮気したんだもん」
し、しまった〜〜!!そうだった!!忘れていた!!
いくら別れていたとはいえ、私は高耶さん以外の女複数とあんなこともこんなこともした。
私からしてみればたいしたことではない。しかし高耶さんにとっては『浮気』以外の何者でもない!
「そっ、それはっ……!」
「そんなの面白くないに決まってるだろ。すればおまえの浮気を想像して泣いたりするかもしれないし、最悪嫌いになったりするかもしれないし」
「きっ!嫌いにって!」
「くだらないヤキモチなだけなんだけど。いつもオレにしてたみたいに優しく抱き上げたりとか、エロいこともたくさんしたんだろうなって思うとまともに顔も見られないから」
高耶さんの目に涙が浮かび出した。まずい。泣かれてしまう。
「すいません……起こったことは変えようもないですが、私が愛していて体を繋ぎたいのはあなただけなんです。気の迷いというか、高耶さんの代わりに女で済ませたというか、あなたを忘れたかったからというか、そんな感じです……。あなたを悲しませるつもりは……」
「わかってる。でも悔しい」
とうとう泣き出してしまった。ここ数日間、いや、一ヶ月以上も前から悔しい思いをしてきたんだろうな。
泣かせている自分に腹が立つ。
「……わかりました。あなたが自然にしてもいいって思えるまでガマンします。そのぐらいの罰は当然ですね」
「ごめん……」
「あなたは悪くないですよ」
抱き寄せて丁寧に包んだ。頭を撫でて背中をポンポン叩いて、しばらく泣かせておいた。
「……オレと、女と、どっちが良かった?」
「良かった、とは……?ああ、そういうことですか。もちろんあなたですよ。あなたじゃないといいとは言えません。というか、もう忘れました。あなたとするセックス以外は覚えてませんよ」
「本当に?」
「本当に」
顔にたくさんキスをして、私の真意を伝える。可愛いのも、美しいのも、気持ちいいのも、高耶さんだけ。
こんなふうにキスをするのも、高耶さんにだけ。
「に……日曜日……。それまで待っててくんないかな……?」
「日曜日?ええ、日曜とは言わずいつまでだって待ってますよ」
「じゃなくて……日曜でいいんだ……。その、面接の、前に、したいから。それまでにヤキモチもどうにかするから」
面接の前にしたい?
「直江とエッチして、愛されてる自信が湧いてたら面接も……自信持って行ける」
なんて!!なんて嬉しいことを言ってくれるんだ、この人はぁぁぁ!!
自信なんか湧き湧きでお願いします!枯れない泉のごとく!活火山のマグマのごとく!私の愛はあなただけに降り注ぐ温かい雨のように!!
そう叫び出したい心をどうにか抑えて優しい笑顔を高耶さんに向けてみた。
「……直江」
「はい」
「もっと、チューする」
チューだろうが何だろうがしますとも!!
あなたのお許しが出ればラブでメロウでクレイジーなパラダイスにだって連れて行ってあげます!!
「ん」
目を閉じて唇を軽く突き出してキスをねだる。シャツの首から鎖骨が見えて私を悶々させるが今はガマンだ。
悶々と戦うのは大変なんですけどね、高耶さん。
そして土曜日。約束の日曜は明日に迫った。
仕事を終わらせてアパートに戻ると美味しそうな匂いがしていた。
「おかえり〜」
玄関からすぐの台所で鍋をかき回す手を止めて、私の元へとやってくる。恒例のチュー&ギューなのだが。
「おっと、その前に。タチバナさん?」
「た、タチバナさんて……?」
「タチバナさんさ、六本木を歩いてた女と結婚すんだってな」
「はあ?」
値踏みするように私を見ながら高耶さんは意地悪く笑った。
「学校の友達が教えてくれたんだ〜。オレの学校ってさ、派手に遊んでる奴らも多いわけ。そーすると自然に芸能界やファッション業界の噂が入ってくんだよな。んで、タチバナさんはその女と結婚して、実家の仕事を継ぐらしいんだ」
とうとう高耶さんの耳にまで!いったいどこでそんな噂が漏れるというか、作られるというか……。
ああ、まずい。怒られる……。せっかくの日曜の約束もなくなってしまいそうだ。
「そんな噂がタチバナさんの恋人の耳に入ったらマズイんじゃねーの?」
「恋人って、あなたじゃないですか。もうマズイことになりかけてますが……」
「へ〜、オレってタチバナさんの恋人だったんだ〜?」
「高耶さ〜ん……」
どこまで本気で怒っているのかわからない。
ヤキモチを妬いている時のような膨れっ面でもないし、青筋立てて怒っているわけでもないし、意地悪な目つきで口元をニヤニヤさせながら私を見ている。
「ま、いいや。タチバナさんも食うだろ?オレの特製ポトフ」
「……あの」
「ん〜?」
「怒ってるんですか……?」
「いいや。オレとタチバナさんは別に関係ないから。結婚だろうが何だろうがすりゃいいよ」
「ちょっとあなたそれ本気で」
近寄ろうとしたら鍋をかき混ぜていたお玉でビシッと指(指?)さされた。
「本気で言われるのが嫌だったら直江だろうがタチバナだろうがもう二度と変な真似すんじゃねえ」
「……はい」
「今回は誤解だってわかってるからどうだっていい。だけど次にまたおかしな噂が立ったらそん時は覚悟しとけ」
「……はい……」
実はとても、怒っているようだった。
ヤキモチで泣くよりも、怒りの方が大きくなってしまったらしい。余計な噂を流されたものだ。
どうにか怒りを収めてもらうしかないのだが……。
考え込んでいると高耶さんは私の目をじーっと見つめて衝撃の一言を放った。
「もしオレと兵頭がどうにかなってたらおまえだって怒るだろ?」
な!
「あったんですか?!そこらへんのことは教えてくれませんでしたよね!あったんですかぁぁ?!」
「あった」
「ああああああ!!嘘だと!!嘘だと言ってください!!あなたがあなたがあなたがまさか、ああああ、あんな男と、そそそそ、そんなことをしたなんて嘘だと言ってください!!」
可憐な高耶さんの可愛いお尻に野獣のような兵頭が汚らしいものを?!
「うわあああああ!!」
「なっ、直江?!」
「気が狂います!!あの男を殺しに行きますから住所を今すぐ教えてください!!」
「ちょ、待て!」
「ズッタズタのギッタギタに切り裂いてきますから!!」
「わかった!!わかったから落ち着け!!嘘だ!兵頭とは何もない!」
「本当は?!」
「ないってば〜!」
ないなんて言って本当は何かあったに違いないのだ!だから高耶さんはその汚された体を私に見られたくなくて嘘を!!
「嘘ですね?!何をされたんですか!」
「…………ちょっとだけギューってされただけだよ」
ちょっとだけギュー?!ギューをしていいのも私だけのはずなのに!!
「本当にそれだけだから落ち着け!」
「だとしても許せん!!あいつが二度と高耶さんに近づけないように足を切ってきます!!」
「いい加減にしろ〜〜〜〜!!」
興奮して拳を握り締めている私の服の襟を掴んで揺すぶられた。ガクガクと首が揺れる。
高耶さんは襟から手を離し、私の顔をガッチリ両手で掴んだ。
「オレが愛してるのはおまえだけだから!!」
「?!」
突然濃厚なキスをされた。高耶さんからこんな乱暴なキスをされるのは初めてではないだろうか?
「兵頭とは本当に何もないから。ギューされたのもほんのちょっとだし。友達って意味だったし。だから直江が怒ることは一個もない」
「……高耶さん……」
「わかったか?オレがどのぐらい怒ってるか。直江と同じなんだよ」
「はい……」
「そりゃ直江は大人だし、人気者だし、仕方ないって思うけど……思うけど、だからって」
コンロの火を止めて口を尖らせながらカレー皿にポトフをついでいく。
片方にはジャガイモとキャベツとタマネギとニンジンとベーコンを。もう片方にはジャガイモとジャガイモとジャガイモと隠し味に入れたと思われる唐辛子を。
「だから、今夜から明日の夜にかけて、ちゃんと愛情表現してくれないと許さない」
そういうことか。
「はい、わかりました。精一杯愛情表現します」
「だからコレも残すなよ?」
「……はい……」
私はジャガイモだらけ、唐辛子入りの皿を受け取って部屋の奥のテーブルに向かった。
その夜から翌日の夜にかけて、私はしっかりと愛情表現をした。唐辛子も食べた。火を噴きそうになった。
だけど幸せそうな高耶さんの顔を見ていたらどうでもよくなって、もっと甘やかしたくて、もっと愛おしくなって、「うざい」と言われるまでギューギューに抱いた。
そして月曜の朝、元気良くスーツ姿で出かけて行った彼を見送って、仕事へ。
昼過ぎに電話がかかってきた内容は「しっかりアピールできた!」で、面接はうまくいったようだった。
あとはモトハルサイドが合否を決めるだけだ。
「自信のほどは?」
「80%ぐらいかな。プレゼンもうまくできたし、作品もいいって言われたし、挨拶だとかもちゃんと言えたし。
あとは2週間後の結果待ち」
「そうですか。じゃあ、まずは面接が終わったということで、プレゼントを」
「何?」
仕事の合間に買っておいたチョコレートの包み。高耶さんが大好きなチョコレートショップのものだ。
「うわ!チョコだ!やった!」
「どうぞ。袋から出して」
黒い紙袋に貼ってあったシールを剥がして、高耶さんの美しい手が箱を出す。
箱にかかったリボンには。
「……鍵、だ」
「長い間すいませんでした。合鍵、改めてもらってくれますか?」
「…………いいのか?」
「いいんですよ。あそこはあなたの家でもあるんですから」
「うん」
感慨深く握り締めてから、以前プレゼントしたエルメスのキーホルダーにつけた。
二人で揃えた私のキーホルダーはトチ狂って捨ててしまったので、新しいのを買ってある。ちなみにそれは内緒だ。
わざと傷をつけて古い感じを出してあるからバレないだろう。
「なあ」
「はい」
「今から直江んち行こう?コレで部屋のロック外したい」
「そうしましょうか」
仲良く連れ立ってアパートを出た。のんびりと人気のない道を歩いて、たまに手を繋いで。
こんなに楽しい家路は今までなかった。
良かった、ヨリが戻って。
本当にそう思う。
愛しい彼の体温を隣りに感じながらマンションへと続く坂道を一歩一歩踏みしめ、それを幸せに替えて噛み締めて、二人でどこまでも歩いて行きたいと思った。
が、マンションに着いた彼は絶句した。
その理由は次回わかるだろう。大失敗だ。
END
その1にもどる / 同じ世界43もどうぞ
あとがき
なんだか続きもののように
なってきた。
直江の愛情表現は
いつも極端だわ。