同じ世界で一緒に歩こう

46

一歩前へ
その1

 
         
   

ある夜、兄がマンションへ来た。特に用事ではなかったのだが、接待で近所に来たついでに寄ったらしい。
酒を飲んできた兄にブラックコーヒーを出し、久しぶりに長兄との会話を楽しんだのだが。

「そういや、去年の秋に発売された雑誌に出ていた『従兄弟』って誰なんだ?」
「……それは……」

以前、雑誌の取材が我が家に来た。(同じ世界27『美しい場所』参照)
その際、高耶さんの物がたくさんある我が家を怪しまれないようにと「従兄弟と暮らしている」と言って高耶さんに現場で付いていてもらったことがある。その言葉が記事になった。
それを読んだ兄が直後に電話をかけてきて聞かれたのだが、なんとかはぐらかし、兄も気を使って詮索しないでいてくれた。

それが今日また質問されたわけだ。

「彼女なんじゃないのか?まあ、おまえは女の出入りが激しいからな。今も付き合ってるとは思えないが」
「……付き合ってますよ、ちゃんと」

いつか高耶さんのことを家族に話さなくてはいけないと思っている。
次の正月は高耶さんを連れて実家に行く約束にもなっている。
もちろん恋人というか、結婚相手として紹介するために、だ。

「あの土日が休みの彼女か?普通のOLか何かなんだろう?」

土日の仕事を極力減らしているのを家族にいつのまにか知られていた。いつも土日は家にいるようにしているのだから気が付いて当然なのだが。

「OLではありませんよ。学生です」
「女子大生か」
「……専門学校生です……」
「そんな若い女と真剣に付き合ってるわけか。おまえも変わったなあ」

確かに変わったと思う。以前の私の生活に比べたら品行方正、性病の疑いもまったくなし、浮気のうの字も現在は出てこない。
しかし兄が言うような女ではなく、限りなく大人に近い男の子なのだが。

「いい子なんだろう?」
「ええ、とても。これから一生、二度と出会えないぐらいのいい子です」
「……じゃあ、結婚……するのか?」

どう言えばわかってくれるのだろうか。結婚は実質上はできない。だが気持ちは結婚するつもりでいる。
ここで同居が始まったら、だ。

「兄さん、わかってもらいたいことがあるんですが」

そろそろ覚悟を決めなければいけないだろう。私自身のためにも、高耶さんのためにも。
すでにタチバナがゲイだという噂も広まりつつあるのだし。
どう転んだとしても今がいい機会なのかもしれない。先に兄だけには話しておくべきだ。

「私が付き合っているのは、その……」
「ん?」
「男の子、なんです」

兄が無表情でその言葉の意味を考えているのがわかった。まさか、まさか、と。

「おまえ……!」
「私もまさか自分がそうなるとは思ってなかったんです。だけど出会ってしまったら、もう歯止めが利かなくなって離したくないほど愛してしまいました。彼以外の男性にはまったく興味はないですから真性の同性愛者とは違いますけど、事実上、私はゲイということになります……」
「……そんな……」

兄は汚いものでも見るように私を見た。当然だろう。ノーマルな男性のほとんどはゲイに理解を示さないというのは何度も見てきた。
友人にゲイは多く、業界関係者だったら彼らを偏見なく扱うが、一歩業界から離れるとゲイというだけで酒席に招かれないことすらある。
わかってはいたのだが、生まれた時から慕ってきた兄にそう反応されると心が痛む。

「モデルにゲイが多いのはわかってはいたんだが……まさかおまえがそうなるなんて……」
「でも、本気で愛してるんですよ。女性だとか男性だとかは関係ありません。彼だから男だけど好きになった、それだけです」

たぶんこの説得はあまり効果がないだろう。兄は昔気質の性格で、いい意味で尊大で男らしい。
それが却って仇になるのではないだろうか。

「先に言っておきますが、別れるつもりは微塵もありません。一生を添い遂げるとお互いに誓い合ってます。もし家の名前に傷が付くと思っているのなら勘当してもかまいませんよ。覚悟は出来ています」

冷めたコーヒーを一口啜って、兄は落ち着きを取り戻そうとしていた。
しかし手がまだ震えている。私の手も震えているが、両手をがっちり握りしめて震えを止めた。

「……おまえの性格は良く知ってる。こうと決めたら絶対に曲げないヤツだからな。だが俺だってな、突然そんな話をされたって理解できるわけがない。そうだろう?俺はおまえを可愛がってきたんだ。弟を可愛いと思うのは当然だろう。その弟がゲイだって?嫁も貰わずに、一生を男と添い遂げるだって?幸せになれるわけがないだろう」

兄の気持ちは痛いほどによくわかる。しかしそれ以上に痛いのは私の高耶さんと幸せになれないと言われたことだった。

「じゃあ女性と結婚すれば必ず幸せになれるんですか?保証はあるんですか?私の幸せが何かは私が決めます。それに彼といられないなら、幸せなんか捨てたってかまわない。兄さんが心配してくれるのはとても有難いと思っています。だけど、それ以上に、家族を裏切ってでも私は彼といたいんです」

静かな声で話が続く。私の声と似ていると定評のある兄の声。小さい頃、憧れだった兄の低い声と、今の私の兄そっくりの声で続く。

「それでも別れろと言うのなら、死にます」

最後通牒を叩き付けた。もしも家族が高耶さんと別れろ、さもないとどんな手を使ってでも別れさせると言うのなら、私は高耶さんを愛したまま死んでやる。
そんな覚悟はとっくに出来ている。高耶さんが私と別れると言うのなら、高耶さんを殺す覚悟だってできている。
狂気の沙汰だと笑いたければ笑うがいい。私は高耶さんを、二度も手離すつもりは毛頭ない。

「卑怯だな……」
「ええ。なんとでも言ってください。私の本気を理解できずに卑怯と言うなら、それでもかまわない」

言うべきことは言った。もしそれでも兄が反対するのなら、私は直江の名を捨てる。
家族を裏切って高耶さんと逃げる。それでも引き離されるのであればあとは死を選ぶしかない。

「理解はできん。だがおまえの気持ちはよくわかった。……しかし」
「わかってますよ。賛成ではないんでしょう?残念ですけどね」

しばらく黙り込んだ兄は辛そうな顔を向けてこう言った。

「まだ家族には言うな。きっと誰一人として賛成しないだろうからな。いいな?」
「ええ」

もしかしたら二度と家族には会えないかもしれない。それでも、どうしても、高耶さんを手離すわけにはいかない。
私には彼しかいないのだから。

 

 

 

翌日、大事な話があるからと言って高耶さんをマンションに呼び出した。

「え……?」
「だから兄に話したんです。あなたと付き合っていることを」

兄に付き合っているとカミングアウトした経緯を話し、自分の気持ちも正直に全部話した。
今まで高耶さんに言ってきた一言一言を集約しただけのことだったが、それでも再確認のために話した。
高耶さんがもし「直江のためにならないから別れる」と言い出さないように、というのもあったが。

「だけど、そんなの」
「黙って。何も聞きませんよ。別れるだとか、そんな話だったら聞きません」

いつになく強い私の口調に高耶さんもたじろいでいた。
優しい彼のことだから、家族のために距離を置こうとか、別れようとか、おまえは女と結婚してオレを愛人にしろだとか、そういう結論を出してしまいそうだったので釘を刺した。

「いつになるかわかりませんが、必ずあなたを認めさせます。認めないのであればその時はもう家族との縁を切ります」
「でもそれじゃ解決になんないじゃんか」
「……知っていてください。私は解決よりも、あなたを愛する方を選ぶんだってことを」

たぶん、私は間違っている。高耶さんが望むことを、放棄すると宣言しているようなものだから。
しかし現実は甘くない。解決できることなどこの世にはほんの少ししかないのを知っている。

「……わかってるけど……オレだって直江と別れるつもりなんかちっともないけど、だけどさ、直江の家族なんだろ?だったらオレにとっても大事な人たちなんだよ。ちゃんと理解してもらう努力をすべきだろ?」
「偏見にまみれていても?」
「……だから、それは時間をかけて……」
「時間はいくらでもかけます。だけど時間をかけたって解決しないことは山ほどある。その場合の話をしてるんです」
「うん……」
「あなたは私があなたを愛していて、離れるつもりがないってことだけを理解してください」
「……わかった。直江を信じる。直江は努力してくれるんだって信じるよ。いつもオレを愛してくれてるんだから努力するよな?」
「します」
「ん……オレも直江と別れるつもりなんか全然ないから」

もっと彼を愛したいと、私は純粋に思った。

その日の夜は高耶さんは私のマンションに泊まり、しばらく話し合い、結論としては諦めずに理解を得る努力を毎日でもしよう、ということになった。
いつも甘えたがる高耶さんが、その晩は一度も甘えてこなかった。
そこまで追い詰めてしまったのだろうか。勝手に兄に話したと怒ることはなかったが、そのぶん彼に重荷を背負わせてしまった。

 

 

 

それから数日間、高耶さんは不安を持て余すのか、いつもマンションにいた。
アルバイトがある日も夜に来て、学校で居残りをしていても、休みでも、マンションで過ごしている。
気を紛らわすために課題に取り組んでいるようにも見えた。

「オレ、お兄さんに会った方がいいのかな?」
「いえ、まだいいですよ。もう少し私が話してからにしましょう。あなたに関してのことはあまり話してないんです。だからもし、兄が誤解をしてあなたを悪者にしてしまったら私が後悔します。あなたを余計な風雨に晒したくありません」
「だけどさ……やっぱ会っておいて、それからじゃないとお兄さんだって納得しないと思うんだよ」

高耶さんの言い分はわかる。
しかし頭から高耶さんを否定された日には、それが例え兄だったとしても私がどんな行動に出るのかがわからないから、怖かった。

「会う前に予備知識を入れておきたいんです」
「うーん……」

兄が勝手に高耶さんを悪者にするかもしれない。大いに有り得る。
弟を同性愛の世界に引きずり込んだと、高耶さんを敵視するかもしれない。だからそうではないことを時間をかけて話さなくていけない。

「また後日、兄に会ってきます。ちゃんと、あなたとの出会いから話して、高耶さんという人がどんな性格でどんな夢を持っていて、どれほど優しいか、話してきますから」
「……あのさ、あんまり良く言うなよ?会った時に失望されたくないんだ」
「させませんよ」

ソファで寄り添って座っていた高耶さんの手が、私のシャツを強く掴んだ。

「自信がないんだ」
「そんなふうに悲観しないで」
「もしも美弥がオレの気に入らない男を選んだと考えると、やっぱり反対するもん。いくら美弥がいい人だからって言ったって、会ってみてそうじゃなかったらもっと反対すると思うんだ。だからあんまり良く言ってほしくない」

そっとシャツから手を外し、両手で彼の白んだ手を握った。とても冷たい。緊張しているのだろうか。

「違いますよ。私は私の主観であなたを見ています。もちろんそれは兄には通用しないでしょうね。だけど高耶さん。最終的には本人同士のことなんです。私があなたを選んだ。あなたは私を選んだ。最後に残るのはそれだけです」
「……それはわかってるけど……」
「じゃあ任せて」

不安そうに震える唇にキスをした。両手を温めるようにして握ったまま。

「大丈夫。私があなたを守ります」

言いたいことがあるんだと目が訴えている。しかしそれを言えば私が怒り出すのをわかっている顔だ。
高耶さんはきっと、私を大事にするあまり別れを考えているのだろう。
そして葛藤しているんだ。自分を優先させるか、私の家族を優先させるか。
高耶さんは私とは違って純粋すぎる。誰かを傷つけてまで手に入れた幸せなんかじゃ納得しない。

だったら、私が取る行動はただひとつだ。
私は何よりも『高耶さんとの幸せ』を優先する。
だから家族に賛成させるしかない。

「愛してます。この手は絶対に私のものです。他の誰にも渡さない。そして私の手はあなたのものだから絶対に離さないでください」
「直江」
「はい」
「だけどおまえのこの手は、おまえの家族がオレに与えてくれたものだ。その手をオレのものにするんだからいくら傷付いたってかまわない。おまえがオレを守るなら、オレだって」

いつのまにこんなに強くなったのだろう。甘えているだけの高耶さんではなくなった。

 

 

 

ツヅク


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重い話だ。