何も知らない高耶は今がチャンスとばかりに同居の話を切り出した。
当然勇気を振り絞ってのことだ。
「ああ、そうなのか」
「へ?」
「まあ2人なら色々と節約もできるしな。いいんじゃないか?」
高耶以上に父親のほうが緊張しているのだが、それをおくびにも出さないように賛成意見を口にした。
「いいの?っつーか……マジでわかってる?」
「わかってる、そのぐらい。同居するんだろう?」
「えっと、そんで……」
思い切りスイングしたバッティングで空振りをしてしまったような、勢いを削がれた気分がした。
高耶としてはもう少し詳しい理由を聞かれるだろうし、最悪反対されると思っていたのに。
しかし本番はここからだ。カミングアウトしようかすまいか、ほんの数秒考えた。
この様子だったらオヤジは直江を信用してるってことだよな?
しかも同居したっていいって言ってる。
今日も直江とけっこう話してたし、時間をかけて説得すればどうにかなるかもしれない。
「んで、ここからが大事な話なんだけど。落ち着いて聞いてくれないか?」
「なんだ?」
高耶と同じぐらい、父親の心臓も早鐘を打っている。
この時が来てしまったか、と。
美弥や母親から聞くのとは違って、高耶本人から聞かされるとなれば緊張感も違ってくる。
高耶は唾を飲み込んで、覚悟を決めて言った。
「オレ、直江と付き合ってんだよ。友達じゃなくて、彼氏」
「…………」
直接的な言い方をされて父親も驚いて息を飲んだ。
しかも高耶の顔は真剣そのもので、今までに見たことがないぐらい殊勝な態度でもあった。
「男同士で恋愛してて、だから今回の同居も普通の同居ってのとは違って、ほぼ結婚みたいなもんで」
話しているうちに高耶の顔が赤くなってくる。羞恥もあるだろうが緊張からの方が大きいようだ。
さらに続けて高耶が話す。
「もう絶対に離れるつもりはないし、別れさせるってならこっちも覚悟はできてる。親不孝だって思うならそれでもいい。とにかくオレも直江も全部捨てる覚悟で同居することに決めたんだ。反対されたって何だって、別れるつもりは微塵もない。そうだろ、直江」
「はい。高耶さんのおっしゃるとおりです」
その直江の言葉に予想していた緊張感がなかったのに違和感を感じたが、最後に一言、父親に伝えることがあった。
「オレ、ちゃんと幸せになるから」
鬼気迫る勢いで父親の目を覗き込んだ。反対されるだろうと見越して強気の目で。
「……そんな顔で幸せになると言われてもな」
「決心はついてるんだ」
「誰も反対だなんて言ってないだろう」
「え?」
「複雑な心境ではあるが、おまえがそう決めたんだったらそれでいい。直江さんだったら安心して任せられる気もする。あんなに頑なで意固地だったおまえが素直に笑えるようになったのが直江さんのおかげだということは前から知ってたしな」
意外な答えに高耶だけが驚いていた。
直江の顔を見ると少しは緊張しているようだが、それほどの驚きはないらしい。
「じゃあ、いいってこと?」
「そう言ってるだろう」
「なんで?反対するもんじゃねーの?」
「……反対されたいならするが」
「いや!しなくていい!つーか、どうしたんだ、オヤジ?!」
「どうもしない」
ふと思い出して美弥を見てみた。背後でしっかりと聞いていたはずだ。
振り向いてみると薄く笑っている。
「……もしかして……」
「あ、バレた?実はもう全部まとまってたんだ〜」
「うっそ?!」
「もうお母さんも知ってるしね。直江さんに頼まれて美弥が全部お膳立てしちゃった」
「お、おまえら〜!!!」
その後、高耶の悪口雑言が続いたが、それもこの場ではただの照れ隠しにしか聞こえず、誰も高耶の怒りを受け止めない。
それどころか全員が笑っている。
「もう知るか!!勝手に何でもしやがれ!!」
そう最後に怒鳴ると自室に引きこもってしまった。何度呼んでも返事すらしない。
「おい、高耶。本気で怒ってんのか?」
「お兄ちゃん、ごめんてば〜」
そこで直江が幸せそうに笑いながら、私に任せてもらえますか?と言って高耶の部屋の襖をそっと開けて入っていった。
「高耶さん」
家族に聞こえない程度の声音で優しく話しかける。
いつもの温かい直江の呼びかけに、横を向いて寝転がっていた高耶の肩の力が抜けた。
「ごめんなさい。あなたが嫌な思いをしないように先走ってしまって却って不快にさせましたね」
「……なんで騙したんだよ」
責めているように聞こえるが、実際の高耶の声は甘える時のものだった。
直江は安心して高耶に優しく語り掛ける。
「あなたは頑固だから、自分のことは自分で解決させるでしょう?でもそれだけでは誰も説得できない場合もあります。だから少しだけお手伝いがしたかったんです。大事な人のためだから」
「……ずるいよな、おまえも美弥も、オヤジも」
「みんな高耶さんが大事だからですよ」
高耶の肩に手を置いて頬にキスをすると、起き上がって抱きついてきた。
「全部直江にやらせてるよな?」
「そうでもないですよ?」
「ありがとな……」
「どういたしまして」
キスをねだりながら直江の膝に乗ってきた。いつもマンションでしているように、素直に甘えて。
「愛してます。ずっと離しません」
「うん」
「機嫌直してくださいね?」
「もうちょっとチューしてくれたら直る」
「じゃあ……」
しばらくキスしてから戻ると、父親と美弥がいなくなっていた。代わりにメモが置いてある。
『お父さんと買い物に行ってきます。二人でゆっくり話し合ってね。帰ったらお兄ちゃんと直江さんにも色々手伝ってもらうからね』
「おかしな気をつかいやがって……」
「どのぐらい買い物してるんでしょうかね?」
「……エッチなこと考えてるだろ?ダメだからな」
「……はい」
「けど少しだけならいいか。スリルあって楽しいかもよ?」
小悪魔の笑顔をする高耶に手を引かれてまた部屋へ入った。
もう一度直江の膝の上に乗ってキスをして、甘えながら少しだけ。
同日同刻、繁華街。
「お父さん、これこれ!ほら!直江さん!」
「おお!本当だ!すごいな!」
テレビ番組雑誌を買い求めに来た書店の雑誌売り場で、直江が表紙になっているファッション雑誌を美弥が取り出して父親に見せている。
「有名な人が美弥のお兄さんで、お父さんの息子になるんだね」
「そうか。そういうふうにも考えられるわけか。悪い気分じゃないな」
「小雪のサイン貰ってくれるかもよ〜?お父さんファンだもんね〜?」
「それはいい考えだ」
きっと帰ったら高耶は直江と並んで笑って迎えてくれることだろう、と想像しながら親子二人は正月の買い物を続けた。
蕎麦屋に予約しておいた年越しそばの麺を受け取り、約束していた美弥の新しい服を買い、正月用に仏壇に備える花とお菓子を買う。
(直江さんが○梨くんと知り合いだったらどうしよう〜!会わせてくれって頼んじゃおうかな〜♪)
一方。
(高耶と直江さんが付き合っているということは……そういうこともしているわけだ。だとすると年上の直江さんが……いやいや、性格的には高耶の方が強気だし、話し方を聞いていると直江さんは高耶に敬語で、しかも高耶は年上の相手を呼び捨てで命令口調で……。自分の子供が女役だとは考えたくないな……)
それぞれの思いを胸に秘め、買い物を済ませて家に戻ると直江が玄関に正月用のお飾りをつけていた。
「おかえりなさい」
「すいません、お客さんにこんなことを。高耶は何をやってるんだ、もう」
「高耶さんだったらおせち料理作ってますよ。勉強してきたそうで、張り切ってます」
「……おせち料理……高耶が……?」
「ええ、煮物は特に絶品です」
取り付けを終えた直江が父親と美弥と共に家に入ると、台所で高耶が煮物を作っていた。
さきほどの不機嫌さは直ったようで順調に手を動かしていた。
「おかえり。直江に全部やってもらったから。あいつ鏡餅の飾りつけすげーうまかったんだ」
見れば居間兼食卓には立派な鏡餅が鎮座していた。
仰木家では毎年真空パックにされた市販の鏡餅を置いているのだが、今回は直江が来るということで米屋で餅を買い、せめてもの飾りで紅白や水引、ウラジロ、ユズリハ、橙を買っておいた。
それを直江がきちんと飾り付けたのだ。
「……よく知ってますね。お若いのに」
「実家がこういう仕来りなんかを大事にしていたので、覚えてたんです。それだけですよ」
そして各部屋や洗面所などにも輪飾りがしてある。神棚の注連縄も新しいものになっていた。
本当に全部やってくれたようだ。
「すいません、全部やってもらうなんて」
「元々そのつもりで来ましたから気にしないでください」
「オヤジ、オレ、これが終わったら直江と出かけるから。年越しそばは美弥にやってもらってくれ」
「あ、ああ」
テキパキと料理をこなす高耶を見て思う。東京での正月もおせち料理を作ってきたのだな、と。
直江のために。
他人のために何かをしてやれるようになった息子を誇らしくも思い、手放すことを残念にも思う。
しかしきっと高耶にとって直江は必要不可欠な大事な存在なのだろう。粗暴なそぶりを一切見せない高耶を見て直江に感謝をする。
「よし、終わった!美弥、これ冷めたら冷蔵庫に入れて、明日の朝に重箱に入れるんだぞ?わかったか?」
「うん。大丈夫」
「メモに入れる場所とか書いておいたから。それ見てな」
「わかってるよ。もういいから出かけてきなってば」
追い出されるようにして台所を出て、自室からダウンジャケットを持ってきた。
マフラーを巻いてジャケットを着る。
「何時ごろに帰るんだ?」
「明日になる。夜中に初詣して、初日の出見に安曇野の方まで行く。明日は譲と3人で遊んでから夕方に戻るよ」
「わかった。気をつけてな。良いお年を」
「……良いお年を」
普段交わさない挨拶をして照れながら家を出て、歩きながら直江に笑われる。
「いいんですか、嘘ついて」
「いいんだよ。親孝行の一環だ」
「初日の出はどうだったか聞かれたら?」
「見られなかったって話しておく」
「譲さんには?」
「口裏合わせてもらうメールしといた」
道すがら喫茶店に入って今日の成果を話し合う。
やはり直江の画策には再度文句を言ったが、それでも賛成してくれた親の気持ちを有難く思うと高耶は話した。
「きっとオヤジも残念だと思ってるはずなんだ。相手が女じゃなくてさ。それでも賛成してくれたのって、やっぱオレのこと尊重してくれてんだな」
「高耶さんのお父さんですからね。本当はとても優しい人なんですよ」
「だといいけど」
「絶対そうです」
喫茶店でゆったりした時間を過ごし、それから街を案内して回る。
松本城を見せ、通っていた学校を見せ、小さい頃によく遊んでいた公園を見せ、時間をかけて松本を歩いた。
「高耶さんの思い出がたくさん詰まってる街なんですね」
「いい思い出も、嫌な思い出もたくさんあるけど、やっぱり松本が一番好きだな。さっきの公園あるだろ?オヤジに殴られるとあそこに避難してたんだ。小さい頃は楽しい公園だったのに、いつのまにか逃げ込む場所になってた。ひとりで泣いてる時もあれば、美弥を慰めてる時もあったな。どうしてオレはこんなに不幸なんだろうって思うんだよ。死んじゃおうかと思ったこともあった。けど、それは違うだろって別の自分が言うんだよ。まだまだ、もうちょっと我慢できるはずだって。美弥だってオレがいなきゃいけないんだからって」
「……つらかったでしょう?」
「つらいなんてもんじゃないよ。子供が死のうとするなんて、そんなのつらいだけじゃ片付かない。絶望ってゆー感じかな。真っ黒でドロドロなとこに体も気持ちも埋まっていく感じ。今でもあの感覚は覚えてる。たまに思い出して怖くなったり、夢に出てきたり……。でも昔のことだから大丈夫」
少し目を赤くしながら話している。よっぽどつらかったのだろうと、直江はそっと二人の間の距離を縮めた。
「ああして虐げられて、殴られて、毎日つらかった。けど今はそれが通過点だったってわかるんだ」
「通過点?」
「そう。あの体験がなかったら、きっとおまえのことを好きになったりしなかった。直江に出会うこともなかった。だからあれで良かったのかもしれないなって。おまえに会えたから、オヤジを許すことも出来たんだ」
その場で抱きしめてしまいそうなほどの愛の告白だと直江は思った。
高耶はつらかった思い出さえも大切に温かく胸に抱いている。それをさせたのが直江だと言っているのだ。
「高耶さん」
「ん?」
「今からホテルに戻りましょう」
「どうして?まだ見るとこいっぱいあるぞ?」
「今すぐあなたを抱きしめたい」
一瞬だけキョトンとしたが、すぐに直江の気持ちを悟ったか照れくさそうに笑って頷いた。
明けて1月1日、午前1時。
「初詣〜。なあ、行こうよ。腹も減ったよ」
「……もう少し休ませてください……何から何まで搾り取られて体が動きません……」
「だらしないなあ……」
寝食忘れてホテルで数時間体を繋げた。
若いあなたと違ってオジサンなんですと嬉しい嘆きを漏らしつつ、ベッドでとろけるチーズのごとく脱力した。
「じゃあ寝ていいよ。初詣は昼間にしよう」
「すいません……」
せめて汗まみれのベッドから出ろと言われて隣りの使っていないベッドに入った。
冷たいシーツが火照った体に心地いい。高耶がすぐに入ってきて直江に甘えるように寄り添った。
「なあ、明日さ、ウチ帰るとき手ェ繋いで入ってみよっか?」
「そんなことしたらお父さんが引きますよ」
「面白そうじゃん」
「それ、私の実家でやってみますか?」
「無理!それは無理!」
「でしょう?実家でやるなら平気でも、恋人の家でやるのは無理ですよ」
優しく窘められて髪を撫でられると、高耶はさらにくっついて甘える。
そして片手で直江の手を引き寄せてベッドの中で繋いだ。せめて二人きりの時は、と。
「なんか不思議だな。家族がオレたちのこと知ってて、認めてるなんてさ。おかしな気分だ」
「そうですね。でも温かいでしょう?このへんが」
繋いだ手を二人の合わさった胸に持って行って、手の甲でお互いの心臓の鼓動を感じる。
「うん」
「ずっとずっと愛してますから、そばにいてください」
「うん。直江のそばにいる」
手で鼓動を追いながらキスをして、そのまま眠った。
1月2日、午前10時半、しなの車内。
1月1日は夕方に仰木家に戻り、直江を交えておせち料理で夕飯を取った。
ようやく緊張も取れて落ち着いて考えられるようになった父親が、今後の生活に関して詳しく直江から聞いた。
じっくり話すために食卓から父親の部屋に場所を移し、直江と二人きりでの話し合いになった。
主に生活費のことだったが、それは『結婚するようなもの』という直江からの話で、実際の夫婦と同じような経済体制を取る。
他にも現実的な生活面でのあれこれを話し合い、お互いに了解を得た。
「本音を言えば高耶が幸せでいてくれれば何でもいいんです」
そう笑った父親を、直江は親しみを込めて「お父さん」と呼んだ。
「高耶さんを、ください」
「大事にしてやってください。お願いします」
「ありがとうございます」
その日は直江だけがホテルに戻り、翌朝9時半に松本駅で待ち合わせの約束をした。
「あ〜、これから宇都宮か〜。緊張すんな〜」
「うちは大丈夫ですから。全部兄と姉に任せておけば心配いりません」
「けど緊張すんだからしょうがないだろ」
隣りでむくれる高耶の手をそっと取って、隠すために二人の間に置いた。
「私がついてますから、安心してください」
「……うう、それが一番心配なんだよ……」
「はい?」
「安心しすぎたおまえがデレデレするのが心配なの」
言葉に反して手は直江の手をギュッと握って離さない。
そんな高耶が可愛くて、ついうっかり鼻の下を伸ばしてしまった。
「ほら、その顔」
「……気をつけます」
一路、宇都宮へ。
END
その1にもどる / これの後編(51話)もどうぞ
あとがき
前編が終わりました。
後編は宇都宮編でございます。